こすもぽりたん残夢(2)

こすもぽりたん残夢(1)よりつづく

十三

 朝鮮に帰りたい、いや一度帰らなくてはと切羽つまって息子の敏雄にどう言おうかだけを瑛根は思い悩んでいた。

 瑛根にとって、宋に聞かされた京淑の消息は、朝鮮への熱い望郷の念に水を差されたことにはなったが、これからどうすべきか揺らいでいた心に決心がついた。

――日本人のままで、日本に住み続けることである。その意思を実家の家族に伝えるためにも、どうしてもできるだけ早く釜山に渡ることである。自分ひとりの横暴なわがままで、死んでしまったことにした親への不孝を詫びなければいけない。

 瑛根には、いますぐにでもしなければいけないことが山積していた。

 息子の復員を待って、すべてを打ち明けることから始めなければけない。同時に一刻も早く京淑に会う算段をしなければいけなかった。

息子の敏雄が復員し、筑前前原の仮寓へ帰ってきたのは、終戦から二ヵ月近い時間が過ぎた、季節はずれの台風が吹き荒れる中だった。

予科練を志望してから三年が経ち、痩せてはいたが、幼さを残していた顔立ちは大人びた青年に変貌していた。

「母さんはどうした?」

部屋中を見回しながら言った。

「母さんは六月の福岡空襲で……。毎日欠かさず蔭膳を供えておまえの無事を祈っていたのに、自分が死んでしまった」

強烈な破壊をもたらす爆弾や焼夷弾などありとあらゆる爆弾が、シャワーのように降り注ぐ中、瑛根夫婦は防空壕から一歩も外へ出ることができなかった。崩れ落ちた防空壕の土砂に埋まり、瑛根は妻を助け出すことができなかった。

「うちには仏壇も神棚もなかったじゃないか。どこに蔭膳置くんだよ?」

「母さんが櫛田神社に行って、御札を用意した」

 お国に殉じて死ぬために軍隊に行った自分がみすぼらしく生き残り、戦地にほど遠い女子供が死ぬということに、敏雄は納得がいかないと絞り出すように言った。母親っ子だった敏雄には承服できない母親の死だったのだ。

 復員した敏雄は、何もしないで毎日一日中蒲団を被って寝て過ごした。外の出来事や人間にも関心のない、ただ寝そべっているだけの甲羅干しのワニさながらだった。

 当たり障りのない言葉しか掛けられなかった瑛根は、重大な告白をするタイミングを推し測っていたが、海図のない船のように目標を失くし虚脱感の塊りのようになっている息子を見ると、とても言える雰囲気ではなかった。

「これからのことを考えて、学校に復学の手続きをしたらどうだ」

それが、瑛根が言える精一杯のことだった。

 ふてくされたように引きこもっていた敏雄は、学校時代の友人に誘われて出歩くようになると、二、三日家を空けることがたびたびだった。母親に似て寡黙な敏雄は、どこで何をしているのか瑛根が訊いても何も言わなかった。

「出歩いていて金はあるのか?」と言えば、「心配しなくていい」と一言答えただけだった。

友人で敏雄と同じように予科練に行った連中と歩き回っているとわかったのは、敏雄たちが起した事件について警察官が訊きに来たことからである。

 血気盛んな復員兵や予科練出身者たちは、博多駅近辺や西鉄のターミナル駅である天神周辺に無秩序にはびこりはじめた闇市を徘徊していたが、博多港近くで帰還を待つ朝鮮人の青年たちと諍いを起こしていた。

 八月十五日は、朝鮮人の間では、興奮し自分の気持を表す言葉を思いつかないほどの喜びの日になり、それまでの抑圧され束縛された日々から解放され、朝鮮人が恐れるものはなにもなかった。一部の朝鮮人は、犯罪的な行為さえもが容認されているような錯覚に陥っていた。われわれ朝鮮人は戦勝国民である、警察にわれわれを取り締まる権限などどこにもないと強弁し、やりたい放題の様相を呈していた。警察さえも手出しできない所業に、日本人は苦々しい思いを内に秘めて、見て見ぬふりをするしかなかった。博多港埠頭倉庫に残されていた軍需物資は言うに及ばず、博多港駅構内の壁板は暖房や炊事用の燃料に化けた。近郊の農家を脅し、穀物を奪う者さえいた。

 そんな無軌道を見兼ねた滞留の朝鮮人の間には、自治組織を立ち上げようという機運が起きたが、進駐したアメリカ軍――GHQの統制が始まるまでは無法状態が続いていた。

 日本人との間に何か起きないほうがおかしいという極限状況まできたときに、朝鮮人と日本人復員兵や予科練帰りの集団が衝突したのである。

 ポツダム宣言に続く、終戦の詔勅を素直に受入れることに納得できない復員兵や予科練出身者は、変わってしまった価値観、生きている意味を見出せないままのすさんだ気持に蔽い尽されていた。敏雄はつい三ヵ月前まで神州不滅の国が聖戦を戦っている、最後には日本が勝つと信じて、露ほども疑ったことがなかった。神国日本を骨の髄まで叩き込まれていた。

 ――名誉の戦死を遂げているはずの自分たちが、なぜこんなところにいる?

 発した疑問にはだれも答えてはくれない。自分で答えることも不可能だ。自暴自棄な方向に向かうしかなかった。すさんだ心を鎮め慰め合えるのは、共有できる気持を持った予科練帰りの面々しかなかった。

 あり余る若さをもてあまし、はけ口を求めていた予科練魂に火が点いたのは、冬も間近になった十一月釜山港から引揚げて来た人から聞いた噂話だった。

 ――苦難の道を経て、やっとの思いで博多港に辿り着いた引揚者の若い女性が、上陸を待っている甲板から海に身を投げた。

 ――ソ連軍の北朝鮮への侵攻から難を逃れ、朝鮮半島を彷徨う途中で若い女性は陵辱されて妊娠した。ソ連兵や朝鮮人に犯された者はいくらでもいた。彼女たちは無事故郷に帰り着いたとしてもその後の行く末を悲観して死んでいったのだ。

 博多港近辺にたむろして傍若無人に振る舞う朝鮮人を見て、腹に据えかねていた敏雄たち十数人は、無力な女性が強姦されているという話を耳にすると、怒りの矛先が帰還を待っている朝鮮人の一部に向かったのである。

 釘を打ち付けた棍棒や木刀、自転車のチェーンは凶器と化し、死者は出なかったが、双方ともにケガ人が続出する喧嘩になり、警察沙汰に発展した。アメリカ軍MP(憲兵)が仲裁に入らなければ死者が出てもおかしくなかった。

 敏雄は肋骨を折られ、背中に大きな切り傷を負い、病院に担ぎ込まれていた。

十四

 父親の生存を知らされた京淑は、居ても立ってもいられない。

「筑前前原というところまで一緒に行ってください」

「宛もなく行ってどうする」

 冷静に答える正行に、京淑は袖を引っぱって懇願する。

「交番や駐在所で尋ねたらわかりませんか?」

「寄宿先の家の名前もわからないんだぞ、無駄だ。それに……」

 京淑のお腹はいまにも出産するかというほどに膨らんでいた。ときにはお腹が張るといって横になっていることもたびたびだった。

「流産でもしたらどうする。汽車だって人が溢れて座ることもできない。絶対に行ってはだめだ」

「ドしたらいいの?」

 一途に思い詰めている京淑は、駄々っ子同然であった。

 正行も京淑の焦る気持は痛いほどわかっている。これまでわがままひとつ言わず、足の不自由な自分の支えとなり、母親のカズ代にも不平も言わず仕えてくれている。それもこれも父親の生死を確かめたいという一念に支えられてのものだ。正行の思いも、京淑の健気な思いを叶えてやり、自分も京淑の父親に会いたいと願っているのだ。

 母親のカズ代は、長男一家の無事を祈り一日千秋の思いで帰りを待っている。近所でもちらほらと朝鮮や台湾から引揚げてきたという噂も聞かれるようになった。引揚者がいるということは船が入ってきていることにほかならない。その船はまたすぐに朝鮮へ帰りを急ぐ人たちを乗せて釜山へ向かうだろう。京淑の父親がいつ朝鮮へ帰っていくかもしれない。京淑に父親を捜すことは無駄だと言いながら、手を拱いていることはできない。一刻も猶予は許されないと正行はわかっていたが、これといった名案も浮かばなかった。

 日頃は物怖じせず、あっけらかんと明るい京淑が、苛立ちを隠せず物思いに耽っている様子に、カズ代もそんな京淑を見るに忍びないと正行に言った。

「わかっているけど、どうしたものか思いつかない」

「新聞の尋ね人欄にだしたらどうかね?」カズ代が言った。

「ただじゃないよ」

「そんなことはわかっているよ」

 カズ代が言い出したときはもう一歩を踏み出していることが、正行にはわかっている。

「お金はわたしが出すから、おまえはどうしたら新聞に載せられるか調べて」

 カズ代の発案の尋ね人広告は、『李瑛根』を捜す『李京淑』として掲載された。連絡先は協力を得た正行の職場の電話番号を記入することができた。

 新聞に掲載された以上、必ず連絡があるものと思い込んでいる京淑は、毎日正行の帰宅を待ちわびて朗報を待っていたが、一週間過ぎても、なんの音沙汰もなかった。

 落ち込みの激しかった京淑は、口角を下げて、これまでに見せたことのない涙さえ滲ませていた。

 言葉を掛けることさえも遠慮がちになっていた正行が、夕食後新聞に目を通していたとき、

「淑子、ちょっと来てくれ」

 洗い物で流しに立っていた京淑を正行が呼んだ。

「これが終わったら」力なく、沈んだ声で京淑は返事した。

「それはあとでいいから、すぐ来なさい。いますぐ」

 京淑は土間の炊事場から、濡れた手をエプロンで拭きながら茶の間に上がってきた。

「母さん、親父さんもこれを見てくれ」

 正行はさほど大きくない新聞記事を指さしている。

『日鮮青年が乱闘 博多港』の見出しで事件の概要と重軽傷者が十数人に及んだことが淡々と綴られていたが、病院に収容された日本人三名の名前が記されていた。

 ……松井田敏雄さん(二十)糸島郡前原町――は、肋骨を折る重傷。その他朝鮮人二名(名前不詳)も重傷を負い病院に担ぎ込まれた、と記されていた。

 京淑もカズ代も漢字は苦手である。正行が声に出して記事を読んだ。

「福岡では〈松井田〉という姓は珍しかろうが。この松井田敏雄という人は、淑子の親父さんと何か関係がある気がする」

 事件を取り扱った警察へ行けば、何かわかるかもしれないという父親の忠一の意見を入れて、正行が一人で所轄の警察へ出向くことになったが、無駄骨に終わった。

 長谷辺淑子と松井田敏雄に何の関係も認められない。事件の捜査上、事件関係者の情報は一切教えることはできないというものであった。

「記事を書いた新聞社へ行けばどうだろうか」カズ代が言った。

「淑子と父親の繋がりはどう説明するのですか?」

「淑子さんが李京淑だったことは戸籍謄本を見ればわかる。李瑛根さんが松井田という屋号で商売していたことは、あの興生会の山村さんに証言してもらえば、よかろうもん」

 カズ代はこともなげにさらりと言って皆の顔を見渡した。

「そうしましょう。わたし宋(山村)さんに頼んでみます」

 京淑は晴れやかな顔になって「あなた、一緒に行きましょう」と正行を促した。

 松井田敏雄という青年が、李瑛根と関係ある人物であるかどうかわからないが、京淑と正行はなにかの関係があるはずだと確信していた。

 尋ね人が掲載された新聞を持参すると、対応した新聞社編集部の社員は熱意にほだされたのか、簡単に松井田敏雄の住所を教えてくれた。

 いまからすぐに教えられた住所の場所まで行こうという京淑を、正行は押しとどめた。

「これはあくまで松井田敏雄さんの住所で、お父さんの住所かどうかわからんじゃなかか。ましてや松井田敏雄さんはまだ入院しているだろうから、だれも居らんかもしれん」

 正行は、不満が顔に貼りついている京淑を説得し、手紙で問い合わせることにして帰ってきた。

十五

 博多港では、忘れていた朝鮮の食べ物――ピンデトックやコチュジャン(唐辛子味噌)の味覚は、瑛根の日本永住の決意をくつがえすほど、皮膚や舌に眠らせていた朝鮮を呼び覚ました。

 ――どんな手段を講じても、いっときも早く、とにかく朝鮮へ帰ろう。悠長に帰還の船を待っていても埒が明かない。

 金があるなら闇船を使うことだ、と話していた博多港で帰還船を待つ男たちのヤケッパチな言い草が、瑛根の鼓膜にこびり付いていた。

――玄界灘に面した入江には小さな漁港がいくつもある。そこへ行けば朝鮮半島の漁港に何度も行ったことのある漁師と船があるはずだ。

 瑛根は糸島郡内にある漁港から西方の佐賀県沿岸まで、朝鮮へ行ってくれる船を探し歩いた。最も早く渡航を了解してくれる船には、言われたままの金額を渡そうと決めていた。

 瑛根はこれまで完璧に成り変った日本人として生きてきたが、だれにも迷惑をかけたことはない、むしろ日本人よりも日本人らしく過ごしてきた。成り変わった者の習性ともいうべき処世術だ。成り変りがもとで齟齬をきたしたこともない。損をしてでも忠良なる日本人であることを心がけてきた。日本人であることは、瑛根が人間らしく生きるための手段、大本だと自分の中で言い聞かせてきたことであった。

 ――民族の違いに拘泥するのは愚かな人間だ。おれは朝鮮人でも日本人でもない、コスモポリタンになりたいと思い続けて生きてきた。

 そのことをどうしても息子の敏雄に理解してほしいと願った。説得したいと思った。

 意を決してこれまでのすべてを敏雄に話そうとしていたときに、敏雄は厄介な揉め事を起こし、ケガ入院をしてしまった。幸い一週間ばかりで家に帰ってくる。

 こんどこそは、と腹をくくったばかりのときに、闇船に乗ることができる手筈が整ったとの連絡を受けた。敏雄の退院から一週間の猶予しかない。

 気持の隅っこにあるいささかの後ろめたさにおどおどしてはいけない、と自分を戒めたが、敏雄がどんな反応をするのか予測もつかなかった。

 敏雄に包み隠さず話をしようと決めた日の、筑前前原駅からの帰路、瑛根はゆっくりと歩き、話の流れを、書かれた文章を暗記するように幾度となく頭の中で反芻した。

 ――おれは紛れもない朝鮮人だ。しかし日本人としての戸籍を取得し、何の咎めもなく日本人として生きてきた。いわば日本の養子となったも同然なのだ。そしておまえは日本人との間に生まれた真正の日本人なのだ。おれは何か事情があっての日本人ではない。おれ自身が日本人になりたかった。なりたかった理由を知りたければ、長い話になるかもしれないが、それもきっちり話すことができる。これからのことも納得できるように話をしよう。

「今日はどうしてもおまえに話さなければならないことがある。重要なことだ」

瑛根が穏やかに切り出すと、

「おれも父さんに訊きたいことがある」瑛根を見据えるように敏雄は間髪を措かず言った。

「訊きたいこと? 先に言ってくれ」

「うん、これのことだ」

 敏雄はためらわず着込んでいた軍の制服の内ポケットから、開封されていない一通の封書を瑛根の前に差し出した。

「そこに書かれている宛名と差出人の名前のことを、父さんに教えてほしい」

  松井田瑛根様

  筑紫郡二日市町xxx長谷辺淑子(京淑)

 目の前の封書を手にした瑛根の手は、肩から指先まで強張り、指先は血の気が失せて白くなるほど強く封書を掴んでいた。

 空襲、終戦と続く世の中と生活環境の激変に、やっと生き長らえ、その中で作り上げたこれからの身の処し方の工程表が無残に崩れ散る思いだった。

 丈夫な歯が全部抜け落ちたように、瑛根の頭の中は空洞になり、口の中はからからに渇いている。

「松井田瑛根というのは誰ですか?」

敏雄が無機質な物言いをした。

「……おれだ……。おまえの父さんのことだ」

 瑛根は封筒に視線を落としたまま、踏みしだかれる落葉のようにかすれて生気のない声を出した。

「どういうことですか。おれにはさっぱりわからない」

「おれは……朝鮮人なんだ。しかし……松井田英助に……変わりない」

 敏雄に話すための考え抜いた手順にはほど遠く、しどろもどろに断片だけが口をついて出た。

京淑からの突然の手紙など及びもつかない想定外のことだった。敏雄に話すべきことの中に京淑のことがなかったわけではない。順序立てて説明をし、朝鮮に行く理由を納得させることが先決であり、朝鮮の様子を見、日本に戻ってから丁寧に話して聞かせようという目論みが崩れ、どこから話せばいいのか頭の中は混乱の頂点に達していた。

 敏雄は瑛根が口を開くのを待っているというよりも、瑛根を冷ややかに見つめているように瑛根には映った。

「おれは、李瑛根という朝鮮人だが、おまえは正真正銘の日本人」

「…………」

「死んだ母さんは日本人、おまえも日本人だということは戸籍を見ればわかること……」

 敏雄は口を真一文字に結び、一言も発しようとしない。

「おまえは、松井田敏雄というれっきとした日本人として予科練にも……」

「どこが正真正銘の、れっきとした日本人なんだよ。選りによって朝鮮人の血が流れているなど、おれには理解もできなければ、承服もできない。あんな奴らと同じ……」

 敏雄が突然大きな声を出した。朝鮮人という言葉を聞いただけで冷静さを欠き、自分が発した言葉にさらに興奮し、朝鮮人に対する憎悪を増幅させたような声だった。

青雲の志に燃え予科練に志願し、正義の戦いと信じてきた戦争を否定され、打ちのめされた若者には、戦勝国民だといってのさばり歩く朝鮮人や台湾人が、許しがたいものに映るのも致し方なかった。その極めつけが朝鮮人の集団に殴り込むという無謀な行動だった。

「おれは絶対にあいつ等を許さない。そのおれがなんで朝鮮人の……おれの親父がなんで朝鮮人なんだ」唇を震わせている。

 済州島で飛行訓練を繰り返していた時分には、敏雄は日本の軍服を誇らしく思い、朝鮮人に対するひそかな優越感も持っていた。いまもなお日本人は優秀なのだといった、確信に満ちた思い上がりの残滓を引きずっているに違いない。また一方の朝鮮人の若者たちは、三十六年の屈辱を晴らさんものと横柄に振舞っているのだ。双方の心情を理解しながらも、日本人も朝鮮人も頑なに自分たちは正しいと思い込んでいる不遜さに、瑛根はウンザリだった。

 突然突き付けられた、朝鮮人の血が流れているという青天の霹靂に、驚き戸惑っている敏雄を思うと、瑛根は、これ以上話を続けることは無駄だと判断した。到底自分の真意をわかってはもらえないと、瑛根の気持は、敏雄の興奮に反比例するように冷めていった。おれは何と罪作りな人間なのだろうと自嘲していた。

「わかった。今日はもう止めよう。いつかまた話す機会もあるだろう」

 瑛根は居直るように静かに言った。

 卓の上に置かれた封書を凝視していた敏雄が、皮肉と棘を含んだ挑戦的な言い方で訊いた。

「松井田瑛根は李瑛根という朝鮮人で、松井田というのはニセ者だとわかりました。それじゃ長谷辺淑子というのはだれですか?」

 親に対する子供の口の利き方にはほど遠い凍り付いて冷えするような言い草だ。

「長谷辺淑子は知らないが、李京淑はおれの子供だ」

 瑛根はもうたじろがなかった。まるで反撃するような答え方に、敏雄の頬が微かに痙攣し、二人の間を抜き差しならぬ沈黙が支配した。

瑛根は気まずい空気を破るように、京淑の手紙の封を切った。

  松井田瑛根様

前略 唐突な手紙を差し上げていることをまずお許し下さい。また差出人名の長谷辺淑子(京淑)の意を介して長谷辺正行が代筆していることを申し添えておきます。

お送りした住所宛先は、新聞紙上で目にした松井田敏雄様のお名前から、新聞社にて教えてもらいました。果たして松井田敏雄様が、わたくし(京淑)が捜している、わたくしの父松井田(李)瑛根氏の縁戚の方であるかどうかもわかりませんが、幸運にもご家族、縁戚の方であれば、わたくしは二十数年の歳月を経て父にめぐりあうことを念じながら、ワラにもすがる思いで手紙を差し上げました。

李瑛根氏が福岡近辺にご在住でいらっしゃることは、いま博多港に居られる興生会の宋(山村)様を介して知りました。その後すぐに西日本新聞に尋ね人の広告を出しましたが、問合せの連絡もなく、あきらめておりました。

この手紙が、父李瑛根氏のもとへ届くことを切に願っております。神様が父とわたくしを結んでくださったのなら、是非ご一報いただきたくお願い申し上げます。草々

            筑紫郡二日市町大字xx ○○番地

                   長谷辺淑子(李京淑)

 瑛根にとって長谷辺淑子がわが娘であり、敏雄の姉であるのは明々白々のことであるが、敏雄にとっては、他人同然の縁もゆかりもない人間なのだ。京淑について敏雄の理解を得ることは、瑛根の人生を語り尽くすことのほかに説明がつかない。いまはただ、長谷辺淑子と敏雄が異母姉弟であることを明らかにするだけだ。

「おまえも読んでくれ。詳しいことは書かれていないが、長谷辺淑子が日本人女性との間に生まれた腹違いの姉であることは事実だ。二十年以上も会っていない。二十三歳くらいになるはずだ」

 広げた手紙を敏雄に向けた。

 大空に散ることが美学であった予科練の心情も蕾のままで終戦を迎え、信念に燃えていた若者の血気を削がれた。復員してみれば、思いがひとしおだった母親は空襲で死に、こんどは想像したこともなかった異母姉の存在と、敏雄は次から次へと精神的な試練に襲われ、自暴自棄な様子が一目瞭然であった。瑛根に対する口の利き方もぞんざいで他人行儀になっていった。

 京淑の手紙に目を通した敏雄は、

「自分は……」軍人風の言い方をした。「自分にとっては、この人は何の関係もない人です」

 父と子とはいえ、何ごとも事細かに話すような時代ではなかった。互いに饒舌や無駄口は男にそぐわない美徳でもあるというのが、男と男の暗黙の了解なのだ。その裏返しで敏雄は母親には何でも話し、ときには笑い声を立てながら語らっていた光景は、予科練に入る間際まで幼い子どものままであった。

「あなたのことを何か変だと母さんと話したことがありました。結婚する少し前のことはおろか、あなたが幼かったころのことや、親兄弟のこともほとんど聞いたことがないと母さんは言っていました。家には仏壇がない、先祖の墓参りもなければ、法事に出かけたこともない。あなたがゲタを履くこともなければ着物を着ることもない」

「…………」

「あなたの軍歴がどうなっているのか、そんな話も聞いたことがないので、不思議に思っていました」

 瑛根は自分で気付かなかっただけで、妻と敏雄には不可解に思えることがいくつもあったということを、初めて知った。

「弁解がましい話を聞かなくても、もうすべてわかったようなものです。わたしはこれから自分ひとりで生きていきます」

 動揺を包み隠すように敏雄は、冷徹な眼差しできっぱりと言い放った。

 瑛根は、朝鮮に一度行ってみるということを言う機会を失くしてしまった。

 玄界灘を覆う冬空はどんよりと湿気を帯びた日が続き、瑛根の心根を寒々としていた。

十六

 二日市の京淑の家族は、朝鮮に住む明一家の一日も早い引揚げと、前原町の松井田瑛根宛に出した手紙の返信を、家族の話題にも上らなくなるまで幾日もいく日も待ち続けた。

「ハワイへ行って帰って来るほど待っているね」

 小春日和の陽が射す縁側で、繕い物をしながらカズ代は独り言のように京淑に言う。

 義母さんの喩えはいつも的を射てわかりやすく、だけど他のだれとも違う言い方をすると京淑は感心してしまう。

「わたしは早くオトさんに会ってミシンを買いたいです。生まれてくる赤ちゃんの服を作ってみたい」

「あんた、ミシン使えるの?」

「使えません。でも奥さんが引揚げてきたら教えてくれます」

「奥さんじゃないよ、義姉(ねえ)さんと言いなさい。あの人結構気まぐれだからね。教えてくれるかどうか」

 口先とは別に、カズ代は、まだかまだかと長男一家の帰りに気を揉んでいるのだ。

「少し習えば大丈夫です。義母(オカ)さんはミシンしませんか?」

「わたしはしないよ。だけど自転車に乗りたい。自転車に乗れないのが悔しかと」

「赤ちゃんを生んだら二人で自転車の練習しましょ」

「そうしよう。乗れるようになったら二人でカフィとラムネを飲みに福岡まで行ってみよう」

「ラムネは二日市でも飲めます」

「だったらアップルパイにしたらよか」

 そんなものが今どき食べられるとも思えないが、カズ代と京淑は顔を見合わせて頷き合った。いつの会話もチグハグなのに仲がいい。

「ところで、正行と二人で生まれてくる子供の名前考えたの?」

義父(オト)さんと義母(オカ)さんは考えました?」

「わたしは考えないよ。名前なんて他人と見分けがつけばいいだけと思っとるからね」

「それじゃ赤ちゃんが可哀そうですよ。義母(オカ)さんらしいですね」

「そうかもしれんね。オヤジさんは、あんたたち二人が好きな名前付ければそれでよか、って言ってたよ」

「正行さんは『青葉』にしようと言っていました。男の子ならば『青葉』女なら『あおば』だそうです。私が京城にいたときまでの町の名前が青葉でした」

「『長谷辺あおば』ねえ。いい名前じゃないの。ちょっと変わっとるけど」

 昼間の女二人だけの話はとりとめもなく永遠に続くようである。

話を途切らせたカズ代が首をかしげるように京淑を見た。

「あらっ、だれか来たみたいよ。見てきて」

「はあ~い」

 大きなお腹も厭わず立ち上がり、玄関を覗いた京淑が、急ぎ足でとって返しカズ代の傍に戻ってくると、

義母(オカ)さん、こじきのような恰好をした人が二人も玄関にいるよ」怯えたように言った。

「どれ、わたしが追っ払ってやるよ」

 やおら繕い物をわきに置くと、カズ代は一人で開け放たれたままの玄関に向かった。

 京淑は柱の蔭に隠れるようにして遠くからカズ代の後姿を見ていた。

「淑子さん、早く来て」カズ代が奥に向かって叫んだ。

 逆光の中に、毛布で簀巻きにでもされたように、まるで芋虫のような恰好の人間が棒立ちになっていた。

「母さん、ただいま。帰ってきたよ」

 男とも女とも見分けのつかない片方が、力のない間延びしたような声を出した。

「明じゃないの! 淑子さん、昌子たちが帰ってきたよ」

 目を(すぼ)めるようにして凝視したカズ代は、裸足で土間に下りて京淑を呼んだ。

 明と夏子の足元には、柳行李、リュックサックが置かれ、肩には斜に掛けた頭陀袋を下げていた。

 逆光に目が慣れたカズ代と京淑の視線の先には、昌子と紀子の子供二人も両親の後ろにうずくまっていた。

 姉の昌子だけではなく五歳の紀子までリュックを背負っているのを目にしたカズ代は、哀れさがこみ上げてきて息がつまったが、自分を鼓舞するかのように明るく言った。

「昌子ちゃんも紀子ちゃんも早くおうちに入りなさい。……それから……淑子さん、すぐにお風呂を沸かして」

「昌子ちゃん、おかえり」

京淑が満面の笑顔で呼びかけると、

「ヨッちゃん、ヨッちゃんなの?」

 昌子は京淑にしがみつくと、子供らしくない嗚咽を漏らして泣き出した。子どもは子どもなりに精一杯の苦難を耐え忍んでいた様子が、カズ代と京淑の一層の涙を誘った。

「二人とも大きくなったね。よく頑張ったね、もう安心よ」

 カズ代と京淑は同じことを何度も何度も口にしていた。

 玄関先に残っていた紅色の鶏頭の花が生き返ったように眩しかった。

 引揚げてきたその日の夕食は、総勢八人の大家族の食卓になった。

 食卓とはいえ乏しい食糧事情に変わりはなかったが、カズ代は、厚揚げの煮付と自家栽培でとれたナスの味噌煮、目玉焼きを用意し、男三人のために合成酒の熱燗を食卓にのせた。昌子と紀子二人の子供には食卓代わりの掘炬燵が初めての経験で、中を覗いてはしつこく質問を繰り返して珍しがっていた。

 話を聞きたくて待ちきれないでいるカズ代が、明を急かせた。

「八月十五日を境に京城は様変わりしてしまいました。もう街も電車も朝鮮人の天下です。当然ですけどね」

 翌日の十六日から街には朝鮮人が溢れ出し、にわか作りの大極旗(国旗)を打ち振り、『解放』と大書きしたものを掲げ、万歳(マンセー)マンセーの声が通りという通りに満ちた。

「母さんが嫌いだった朝鮮神宮は放火されて焼け落ちました」

朝鮮総督府の中庭からは火山の噴煙のような煙が立ち昇り、それが三日も四日も続いた。文書という文書に火がつけられ、朝鮮総督府消滅の巨大な狼煙さながらであった。

「わたしたち日本人は不測の事態を考え、息を詰めて家に籠っていました。『日本軍は健在である。治安は保たれている』ラジオ放送は繰り返して安全を強調していました。一息ついてやっと本町通りへ出てみると、ほとんどの商店は閉じられ、舗道には朝鮮人の露店がひしめき合っており、米や砂糖その他どこにそんなものが隠されていたのかと思えるほど物が溢れていました」

 あれも言おうこれも話そうという思いの明の言葉は、上滑りして泳いでいる。

「わたしは怖くて家を一歩も出ませんでした」

夏子が明の思いを察して、話を引き継ぐように続けた。

「そのうち、朝鮮人が押しかけてきて物を盗っていく、という噂が広がりました。日本人はみんな荷物をまとめ、引揚げの準備を始めたのです。そんなとき、お義母さんもご存知の、行商のアジュンマが、ヨッちゃんと仲のよかった〈タマゴのお母さん〉が来てくれたのです。アジュンマはいろいろな食料を持ってきてくれました。地獄に仏とはこのことだと、わたしはアジュンマに手を合わせました。それで家財道具の処分の一切をアジュンマに任せたのですよ」

「アイゴー、アジュンマが!」

 京淑が朝鮮語で感嘆の声をあげた。咄嗟に出た言葉だったのだろう。

「そうよ、あの〈タマゴのお母さん〉が、この家はなんでも買ってくれたからと言って、京城を発つ日までよくしてくれたわ。その日は家ではなくて龍山駅近くのお寺にいたけど、アジュンマはわざわざそこまで来て、龍山駅まで荷物を持って見送ってくれたの」

 正行が明の盃に熱燗を満たした。

「一年以上酒なんて飲んでいないような気がする」

しみじみとした口調で飲み干すと、その後の一家について話を続けた。

「わたしは九月になってから、いつ、どうやって引揚げるのか聞き出すために、本町の三中井百貨店へ何度も足を運びました。三中井の中に京城内地人世話会がありました。そこに行かなければ釜山までの汽車の乗車証明書を発行してもらえないのです。どうにか引揚げの目鼻がついたと思ったら、こんどは家を明け渡してお寺に移れというのです」

 日本人の引揚げは京城駅ではなく一つ先の龍山駅からと決められていた。しかもいつどれほどの人間が釜山行の列車に乗れるのか皆目わからない。ようやく指定された日の汽車に乗れても、そのほとんどが貨車であり有蓋車は家畜を運ぶためのものか、吹きさらしの無蓋車に割り当てられることもあった。乗り込んだ貨車には身動きできる隙間もなく人を詰め込んだうえに、バネ仕掛けの緩衝装置もない汽車の振動が身にこたえ、うたた寝もできなかった。

「ヨッちゃんが親しくしてくれていたおかげで、わたしたちはほんとにアジュンマに助けられた。アジュンマが龍山駅に見送りにきてくれたときに、ポン菓子を作ってきてくれたの。お米は少しだったけど(ほしいい)(干飯)のポン菓子を、紀子が背負っていたリュックに入りきれないほど持ってきて。それが博多港に着くまでにどれほど役立ったことか。それからアジュンマがわたしに何と言ったと思います? 『おくさん、何年か経ったら帰ってきてね』と言うの、わたし、泣けて泣けてしかたなかったわ」

 京城で生まれ育った夏子には、アジュンマの言葉は胸が震えるほど身に沁みた。朝鮮人を劣等民族と見下す習性が身についていた夏子には、アジュンマの親切は思いもしないことだった。

 一心に明夫婦の話に耳を傾けていた京淑には、街の騒音や匂いさえも手に取るように京城の街が偲ばれたが、〈行商のアジュンマ〉という話を聞くと、小鼻の奥から熱いものが溢れ出してきた。故郷というのはその場所のことではなく、見知っている人々のこと、共に笑い泣いた人々のことをいうのだと京淑はしみじみ思った。足元から這い上がってくる京城の寒さや、子供の頃のしもやけや治りかけの痒ささえ恋しくなった。韓玉順の家のキムチ仕込みはもう終わっただろうか。玉順もお嫁にいったかもしれない。赤ちゃんが生まれたら一度朝鮮へ帰ってみたい。京淑はただ懐かしさで胸が締め付けられるようだった。 

 博多港で帰りを待つ人たちも、とにかく帰りたいという思いだけで、打算もなく理屈ぬきの気持に違いない。故郷にいる家族や友人との再会だけを瞼に描いている、ただそれだけのことであろう。せっかちな性分の朝鮮人が、あれほど我慢強く船を待っているということが京淑には信じられないことだった。いまも返信を心待ちにしている、アボジにちがいない松井田瑛根氏からなんの音沙汰もないのは、もう朝鮮に帰ってしまったのかもしれない。京淑はこれもパルチャ(運命)なのだ、と自分を納得させようとしていた。

 長男一家が引揚げて来てしばらくは、夫婦とも何もしない、持て余した時間を過ごしていた。

それまで正行と京淑が使っていた二階の八畳間を明の家族四人に明け渡し、大家族になった一家は何ごともない平穏な日々を送っていたが、主婦三人という生活には、いつの間にか少しずつ隙間風が忍び込んでいた。夏子は炊事に立つこともしなかった。

 炊事場は玄関から続きの奥まった土間に、カマド、流し、調理台、手漕ぎのポンプが並んでいる。カマドの煮炊きには材木の切れ端や松葉の枯葉を用い、ポンプの傍にはコンクリート製の水貯めが備わっているが、冬場になるとポンプは凍ることがあった。その度に熱湯を流し込んだ。

「おバアちゃん、オンドルないの? 寒いよ」

「ここは内地だからそんなものないと。炬燵があろうが」

 孫たちには穏やかな口調で答えていたカズ代だったが、寒い、寒いと子どもといっしょになって、一日中炬燵を離れようとしない夏子には、カズ代はキッと眉根を寄せた。

 それまでの長谷辺家の炬燵の火は、朝夕のカマドの残り炭火だけで過ごしていたのが、一日中木炭を足し続けることになった。炭俵は瞬く間に底を尽いて、乏しい物資の中でやっとの思いで買い足すしかなかった。

 食事の用意はこれまで通りカズ代と京淑だった。自分から声をかけて二人を手伝おうとしない夏子に、カズ代は風呂をたてる役目をやらせることにした。

 節をくり貫いた筒状の長い竹をポンプの蛇口にはめ込み、五右衛門風呂の水を満たすことから始めて、火を熾し、焚き口に係りっきりで風呂を沸かさなければならない。要領が悪ければ燃料効率も悪くなるものだ。火熾し竹をあやつりながら、燃料の木片を無駄なく燃やさなければならない。

夏子は何度やっても燻ぶる薪に癇癪を起こしそうになった。その度に、

「ヨッちゃん、ちょっと来て」と言い、結局は京淑がやることになるのだった。

「やったこともないのに、どうしてわたしがこんなことしなけりゃいけないの?」

明の前では夏子は不平不満を言い募った。

 なにかといえば自分の要領の悪さを棚にあげ、臨月の京淑を家政婦のように使う夏子に、カズ代は鬱憤が堆積していくのを堪え続けた。

 待ちに待った長男一家が、ともあれ無事に帰り、もてなしにも励んだカズ代だったが、興奮も冷めて家族の生活も平常に戻った。そのことはまたそれぞれの不平や不満が顔をのぞかせ、小さな波風が立ちはじめることでもあった。

親子とはいえこれまで全く違った生活を営み、生活のリズムが合わないことからくる反目も目につくようになった。それぞれに言い分がある。食料の配給不足からくる粗末な食事、石鹸などの生活物資不足などと八人もの家族は質素な生活を余儀なくされることによって、家族全員の苛立ちが目に見えて多くなった。雑炊、すいとんが続くと、苛立ちはすぐに顔に出た。

「夏子さんの、あの気分屋の性格はなんとかならんかね」カズ代が小声で京淑に愚痴を言った。

「義姉さんは悪い人じゃないですよ」気兼ねするように京淑が答えた。

「そうかもしれんけど、わたしと性分が合わないの」

「何かやることがあればいいのでしょうけど……」

「その気になれば家の中にだっていくらでもあるよ」

 ミシンがあればと口にしそうになって、京淑はふっとアボジのことを思い視線を落として物憂げな表情になった。また京城の家で何時間でもミシンに向かっていた夏子の後姿も懐かしく思い出していた。

 身一つで引揚げ、見知らぬ土地で知り合いや友人もなく、聞き慣れない九州弁に囲まれて、異邦人のような生活を強いられ疎外感を感じているに違いない夏子の気持に、京淑は同情もしていた。

 明は毎日学校時代の旧友を訪ね、朝鮮総督府時代の上司や同僚と会い、懸命になって職探しをしていた。いつまでも実家の親や弟に迷惑はかけられない。朝鮮から持ち帰った現金は一人当たり千円という制限があり、そのうちに底をつくことは目に見えていると焦る毎日で、夜になると時折夫婦で言い争う声も聞こえてきていた。

十七

 十二月に入ってすぐ、瑛根は敏雄の理解を得られず、京淑への返信もしないままに、闇船で朝鮮に渡る日を迎えた。

 最後まで敏雄と話ができなかった瑛根は、朝鮮人であることを告げた翌日から帰ってこない敏雄あてに、ひと月ほど朝鮮へ行って来る旨の置手紙をすると、身の回り品だけを詰め込んだ大ぶりのボストンバッグ一つを手にして、指定された時刻までに糸島半島の岐志漁港を目指した。

 薄暮の中、地元民が糸島富士とよんでいる可也山の山頂近く、流れの速い雲の間に間に満月が見え隠れしていた。満月というのは時として人間を不可解な行動に駆り立て、無意識のうちに大胆な行動をさせてしまうことがあるのだと、瑛根はどこかの本で読んだことがあった。かすかな不安が頭をよぎった。

 岐志漁港の魚を選別する粗末なトタン屋根の建物の中には、大作りの荷物を持ち込んだ二十人近い朝鮮人の幾組かの家族が出航を待っていた。いつ船が出るかはまったく知らされていない。

 瑛根は渡航費用の半額を船長と名乗った日本人に渡して乗船を待った。残りの半分は朝鮮上陸の直前に支払う約束になっていた。

待合所といった気の利いた建物などがあるはずはなく、選別場の一角におかれた石油缶に無造作に突っ込んだ薪が燃えているたき火だけで暖を取るしかなく、寒さが身に沁みたが文句一つ言えず、ただ出航を待つしかなかった。

 翌朝は夜明けにはまだほど遠い早朝五時に乗船し、乗り終わり次第出航となった。

 船内は狭く、どう見ても通常であれば五、六人が漁に出て生活するための広さしかない。詰め込まれた船内は同行の朝鮮人で身動きもとれなかった。

 雨が降っていた。だれかが「こんな天気でも大丈夫ですか」と心配気に訊いた。とうてい人間を運ぶような船ではない、中型の発動機漁船である。

 日本人の船長が自信ありげに答えた。

「昔から何回も釜山と往復していたから心配せんでもよか」

 発動機の音量がけたたましくなり、「出航準備完了」助手の機関士が船長に告げた。

停泊中から大きく波に揺れていた船体に、瑛根は昨晩の満月と併せて抱いていた一抹の不吉な予感を封じ込めようとした。

「戦争中にアメリカ軍が投下した機雷を用心深く避けながら、島つたいに航行するから、少し速度が遅いが、心配なか」

船長がうずくまっている二十人ばかりの船客に告げた。

 岐志漁港の先に見える姫島を迂回するように船が外海に出ると、船体は上下に大きく揺れはじめ、波が船腹を叩く音が身体にまで響いた。

 糸島富士も優美な姿を波間に見え隠れさせていたが、いつの間にか視界から消えていた。

瑛根は何度も乗った関釜連絡船の記憶から、あんな大きな客船でさえ冬の玄界灘は難敵だった、こんな情けないちっぽけな漁船が果たして無事朝鮮に辿り着けるのか、と神に祈る気持になっていた。

 姫島を過ぎるとすぐに、大きな揺れに皆が皆ひと所に坐っていることができず、重なるようにして船底を転げ回り、そのたびに悲鳴が上がった。四、五時間は続いた。

 遭難した船の噂をいくつも聞き知っている乗客の顔は、全員が引きつっている。やはり博多港で順番を待つべきだったという後悔も胸を締め付けている。

 島伝いにと船長は言ったが、どこにも島影は見えず、不安が増すばかりであった。

「壱岐島が近い。いったん壱岐に寄港する、三十分ほどだ」

 ゴムの合羽を着込んでいる船長が、船底の乗客に向かって言った。

 乗客はあまりの揺れに、乗り込んでいる全員が船酔いで、入れ替わり立ち代わり便所に立ち嘔吐したが、それも間に合わず、その場で吐いた。その上を転げまわり、全身が吐寫物にまみれた。

「立ちあがるな、船が転覆するぞ」

船長が必死の形相で怒鳴っているが、乗客たちはそれでも船底から外へ出ようとする。

「船が危ない、不要な荷物は海に捨てろ」

たて続けに大声を出した。不要不急の荷物など何一つなかった。

 狭い甲板は前後左右に海水が滝のように行き来した。

 瑛根は、船酔いだけではなく、氷室に閉じ込められたような寒さに全身が震え、頭が割れるような痛さに襲われ、思考停止状態だった。

「壱岐の岸壁はすぐそばだ。騒ぐな」

船長が安堵の声を出した。

波に煽られた船は接岸できずにいたが、船長の顔色に全員が胸をなで下ろしていた。この荒れ狂う冬の海で、転覆もせず、機雷にも触れなかったことは僥倖としかいえなかった。

 瑛根には船長の声も聞えていなかった。瑛根は急激に睡魔に襲われ、船底の床板に顔を押し付けうずくまっていた。

十八

大晦日まで二日を残した昭和二十年(一九四五)十二月二十九日、カズ代は正月の準備に忙しかった。

京淑は出産が今日か明日かという状態でなんの手伝いもできない。夏子もまた田舎のしきたりがわからないと言って、手伝おうともしない。

 女の手仕事をカズ代はひとりで黙々とこなしている。正月のお供えに使う軒先に吊るしておいた干し柿を下ろし、料理に使う(かぶら)を畑から抜いた。戦争中は正月どころではなかったが、戦争が終わってはじめての正月用に、なんとか手に入れたもち米で鏡餅と雑煮用の丸餅を、わずかではあるが用意した。小ぶりの鏡餅は、戦死した次男と三男の仏壇と床の間、家業の大工道具箱の上に飾らなければいけない。干し柿は鏡餅の手前に置くためのものだ。

 カズ代が脚立に跨り、勇ましい恰好で縁先の軒に吊るした干し柿を取り込んでいると、背後に人の気配があった。見下ろすように振り返ると、背丈のある青年が家の表札を窺うように立っていた。軍服に半長靴、襟元には白のマフラーをまとい飛行機乗りの軍人のようなたたずまいだ。

 カズ代は一瞬戦死したはずの息子の一人が帰ってきたのではないかと息をのんだ。

「こちらは長谷辺淑子さんのお宅ですよね」青年は小さく会釈をしながら言った。

「そうですが……、どちらさまで?」

「ええ、わたしは松井田という者です」

「松井田さん?」

 カズ代には咄嗟に思い浮かぶ名前ではなく、首を傾げていたが、

「長谷辺淑子さんから手紙をもらった、前原町の松井田瑛根の息子です」

「あっ、わかりました。ちょっと待ってください」

 カズ代は干し柿を取り落としそうになりながら、あわてて脚立を降りながら言うと

「淑子さんちょっと来て。早く来て」と甲高い声を出した。

 突き出たお腹をいたわるようにゆっくりと敷居を跨いで、京淑が玄関口に立つと、青年が歩み寄って上目使いに会釈をした。

「突然伺ってすみません。わたしは前原町の松井田敏雄という者です」

 三人は二メートルばかりずつ距離をおいて三角形の位置に立ち、お互いに顔を見合わせていた。

「松井田敏雄さん? それではアボジの……」

「そうです。松井田英助の、いや瑛根の息子の敏雄です」

 ――息子というのなら、わたしの弟ではないか。アボジはわたしと母を捨てて、日本で結婚していたのか。

京淑はすばやく頭を巡らせた。夫を待ちわびながらコレラに罹り死んでいった母親のチヨを思った。

――ひどい話ではないか。いまお腹の中に正行さんとの赤ちゃんがいる。その赤ちゃんをほったらかしにして正行さんが他の女と一緒になるなんて考えられない。そんなことをアボジはほんとうにしたのだろうか。信じられないことだ。

忠清道の祖母を思った。幼かった時代の苦労や福岡へ来た経緯など、取り留めのないさまざまな思いが京淑の頭の中をはじけるように一気に駆け巡った。

「あなたのオカさんは、どこにいるのです?」

 京淑は敏雄の気持を慮る(おもんばか)余裕もなく、不躾に口にした。

敏雄は予測もしなかった京淑のあてはずれな質問に驚き、あわてて答えた。

「母は死にました。六月の福岡の空襲で死んだのです」

 空襲の前に夫の正行と訪ねた店で、ミシンに向かっていたあの女の人がそうなのだろうか。陰気臭く、口数少なく返事をした初老の女性を、京淑は思い浮かべた。

 松井田敏雄の突然の訪問に虚をつかれた京淑は、陣痛がいまにも始まろうかという体調のこともあり、無愛想で挑むような対応になっていた。

「あなたはおいくつなの?」

カズ代が訊いた。

「二十歳です」

「それじゃ淑子さんの弟じゃないの。姉弟が初めて顔を合わせたわけね。すばらしいことじゃなかね、こんな所で立ち話する場合じゃなかよ。さあさあ中に入って話しなさい」

 京淑の挑むような表情をすばやく見て取ったカズ代が、場を和らげるように敏雄に向かって明るく促した。

 三人は掘り炬燵を囲んで対面したが、話のきっかけを掴めず京淑も敏雄も沈黙している。カズ代は京淑に代わって、京淑が一番訊きたいことを口にした。

「お父さんは元気なのですか? 一緒にいらっしゃればよかったとに」

「今日はそのことで伺ったのです。それが……父が……」

 何から話せばいいのか考え、敏雄は言いよどんだ。

 黙って敏雄を見ていた京淑が、身を乗り出すように卓に両手を置いた。

「アボジがどうかしたのですか?」

「いま壱岐島の病院にいるのです」

「壱岐島はどこなんです? 何があったのですか?」

京淑は顔を強張らせ急き込むようにして訊いた。

「またどうしてそげな所に?」

 思いもつかない場所の名前に、カズ代も次の言葉を失くしていた。

瑛根が乗り組んだ漁船は、大時化に翻弄され、人と荷物の過積載から転覆寸前となり、まるで漂流した難破船のようになって、からくも壱岐島の港に辿り着いていた。

 だれもそんな小さな発動機船で祖国を目指したくはなかったが、博多港で難民のようなその日暮らしの生活を続けることに限界があった。それぞれに伝を求めて漁船を探し、小さな船に先を争って乗り込んでいった。GHQ(アメリカ軍)が百トン以上の船舶の、朝鮮との往来を禁止していたことも、帰還を急ぐ人々が小さな漁船を求める理由だった。

 瑛根が乗り合わせた二十人ばかりの人々も、持てる限りの荷物を持ち込み、みすぼらしい恰好では故郷に帰れないと女たちは色あざやかなチマ・チョゴリに身を包んでいたが、壱岐にやっとの思いで接岸したときには、ずぶ濡れになって身一つで上陸した。

 瑛根が意識をとり戻したのは、壱岐の小さな病院のベッドであったが、自分はどこにいるのか全くわからなかった。漁船に乗ったことも思い出せなかった。ボストンバッグを携えてどこかへ歩いて行ったこと、青白く見えた満月を遮るようにして雲が流れていた可也山の景色が微かに思い浮かんだ。

 視線の先に、二重写しに見える、ぼやけた人が立っているのを目にして、瑛根は何か言葉を発しようとしたが、唇が硬直して動かない。

 瑛根は船底で意識をなくし、港近くの病院に担ぎ込まれていた。脳梗塞に見舞われていたのだった。何日間意識を失っていたのかもわからない。しゃべることも文字を書くこともできなかったが、病院の人間らしい人にボストンバッグに付けていた名前札を見せられて、瑛根の名前と住所なのかどうかと訊かれ、かすかに目で返事をした。

 松井田敏雄が父の異変を知ったのは、瑛根が家を出て一週間が過ぎていた。

 そこまでして朝鮮へ行こうとした父親の話に耳を傾けず、非難めいた態度に終始し何も知らないままになっていることを敏雄は悔い、父親の症状がどれほどのものかを案じた。母親の旧姓でもない松井田という戸籍名とは何者なのか、手紙を寄こした長谷辺淑子とは、ほんとうはだれなのか、父親が言いたかったことの真意はなんだったのか、もっと真摯に父親と立ち向かうべきだったとこの期におよんで悔やんだ。

 父親が壱岐から戻って来るまでに、一時も早く長谷辺淑子に会いにいこうと思った。なにかわかるはずだ。手紙の主がほんとうに父親の娘ならば、脳梗塞で倒れたことを告げなければいけない。前原からは博多駅へ出、鹿児島本線二日市まで二時間もあれば行けることだった。

「新聞の尋ね人欄にまで出して父親に会いたがっている娘がいるというのに、どうして真っ先に会いに行かず、後回しにしてまで朝鮮へ渡ろうとしたのか、それがわたしには解せないのです。それからこんなことを言ったら長谷辺さんに大変失礼かもしれませんが、長谷辺淑子、京淑なる人物が父の実の娘であるという証拠も確かめたい、いえ決して疑ってはいないのですが……。そのことを知りたくて今日こうして伺ったのです。確認した上で、わたしは早急に壱岐島へ父を迎えに行こうと思っているのです」

「アイゴー、わたしもあなたと一緒にその島へ行きたい。……でももういまにも赤ちゃんが生まれそうなのです。行って会いさえすれば証拠もなにもいりません」

「淑子さん、あの写真を見せたらはっきりわかってもらえると思うけど」

 カズ代に促されて「いま持ってきます」と京淑は立ち上がり、写真を手に戻ってきた。

「この写真を見ればわかりますよ」

 京淑はなによりも大切に持っていた一歳の誕生日の写真を、敏雄の前に差し出した。肌身離さず持っている父親と一緒のたった一枚の写真である。

 敏雄は手にしたタバコ箱大の、セピア色に変色した写真に見入り一言も発しなかった。

「裏には朝鮮文字と日本語で〈トルチャンチ 京淑満一歳ノ記念ニ〉と書いてあります」

「この筆跡はまぎれもなく親父のものです」

写真を裏返して、筆跡に見入っていた敏雄は低い声で確信に満ちた口調で言った。

「この和服の方があなたのお母さんですね」

「ソです、わたしは朝鮮で育った朝鮮と日本の合いの子、あなたは日本で育った合いの子。だけどわたしたちは姉弟。何か変な気持」

 初めて顔を合わせた時の挑戦するような態度を、どこかに置き忘れたように屈託のない京淑の言い方に、敏雄は次々に湧いてくる疑問を必死に押さえ込んだ。

 ――この人は、母親が違っていても素直に受け入れている。父親の所業にはなんとも思わないのだろうか。何か屈折した思いはないのだろうか。

 敏雄は、疑問を京淑にぶつけてみたいと思ったが、やはり口にしなかった。

「わたしは、アボジは死んだと聞かされ、お母さんが死んでからは、ずっと独りぼっちと思うと悲しかった。だけどアボジも生きていて弟までいた。だからお母さんが違っていても、弟に変わりはないでしょ。だから嬉しい」

 京淑には複雑な胸の内を、敏雄にわかり易く説明するのは難しい。思うままを率直に口にした。

「淑子さん、一度に家族が増えたようなもんじゃなかね。それにあと少しでもう一人赤ちゃんが……」

 カズ代は京淑の手を取らんばかりにして喜んだ。カズ代と京淑は、いつも喜怒哀楽をそのままに顔や態度に表した。

「わたし、嬉しいことがあったり楽しかったりすると、すぐカフィを飲みたくなるとよ。松井田さんはカフィ好いとる?」

「カフィ?」

敏雄が怪訝そうな顔をすると、

「コーヒーのことよ。コーヒー好き?」

京淑が改めて質問をすると、敏雄は頷いたが、どうしてこの時代にそんな物があるのかと不思議そうな顔つきになった。

「淑子さん、この間進駐軍の奥さんにもらった、取っておきのカフィ淹れてちょうだい」

 カズ代が満面の得意そうな顔で京淑に言った。

十九

引揚げてきてからの夏子は、何をする気力も起きてこなかった。どうして前向きに考えられないのか、考えようとしないのかを自分に問いかけることも億劫だった。

 そんな夏子に対して家族の人たちが、特に義母のカズ代が不満に思っていることもわかっていた。そんな自分に苛立ち、遣り場のない鬱屈した毎日に不満なのは、他ならぬ夏子自身なのだ。

 世界に冠たる一等国民意識が骨の髄まで沁みこんでいる人間にとって、引揚げてきた祖国の人々は、田畑にいる農民を見るまでもなく、肉体労働に勤しみ、汗を流して立ち働き、何の不思議も感じない様子が卑屈にさえ見える。女中を使った生活しか知らない夏子にとって、風呂ひとつ沸かすにも薪割り水汲みからしなければならない生活など惨めそのものに思えるだけでなく、これからどんな生活をしていけばいいのか想像するだけでウンザリで絶望的な気分に襲われた。

 東京の銀座にもひけを取らない京城・本町通りは華やかさに満ちていた。そんな中での生活を贅沢だと思ったこともなかった。こまごまとした日常生活の品々や野菜や魚などの食料も、御用聞きや行商の朝鮮人が持ってきてくれた。金さえ出せば自分の手を煩わせることなど何一つなかった。子どもの世話は女中に言いつけて、自分は街中に出かけて映画を楽しみ、親しい友人とお洒落なレストランで食事をし、ショッピングに熱中することができた。二重窓に護られた室内にオンドルの床と電気コンロで暖房をし、寒い思いをすることもなく快適だった。そんな平凡な生活は永遠に続くものと思っていた。それが今では隙間風の寒風に晒され、いくら布団を重ねても床から冷えてくる古い木造家屋で、厠は水洗になれた身には苦痛以外のなにものでもなかった。

 夏子には精神的苦痛も半端ではなかった。寒さを凌ぐために着る服さえなく、義母のものや京淑の洋服を羽織るしかない惨めさ、かつて女中(キチベ)だった京淑が自分を「お義姉さん」と呼ぶことにも違和感と、自分の境遇の激変を思い知らされる屈辱的な思いに精神が病みそうだった。

 昌子と紀子の二人の子どもと夫の明にさえ苛立ち、反感さえ覚えて悲しく孤独だった。

 たったの二ヵ月というのに二人の子どもと夫は、いつの間にか福岡の方言を口にするようになった。夫が方言に馴染むのは生まれ育った土地の言葉で自然であるが、子どもたちの話し言葉の中にも福岡の言葉が顔を出すようになることには、納得がいかないのである。どうして京城にいたときのままではいられないのだろうか。

「なにもあなたたちまで、田舎の言葉を使わなくてもいいでしょう」

 夏子が昌子にきつく言うと、黙り込んだ昌子は下を向いて泣きそうなか細い声で答えた。

「だって学校でクラスの子が『お上品ぶって東京弁使わんでもよかろうもん』と言って、からかったり虐めたりするから、仕方がないの」

 子どもは子どもなりに窮屈でいやな思いをしているということを汲み取ってやれない夏子は、自分を責め、ますます孤独になっていく。そしてはけ口は夫の明に向かい、夫婦喧嘩の原因となった。

 夫の明はやっとの思いで働き口を探し出してきた。学生時代の同級生のつてで、県土木事務所の臨時職員であったが、そのことが口論の元になるなど思いもしなかった。

 わずかではあるが、当面の糊口を凌ぐ程度の糸口が見つかり、明夫婦が喜び合ったのは短い時間にすぎなかった。

 夏子はそれまでの我慢を一気に吐き出すように明にぶつかっていった。

「わたしはこのままこの家に居ることに耐えられません。仕事も見つかったことですし、一刻も早くわたしたち四人だけで暮らす住まいに移りたい」

 なぜと訊かれても、夏子にはだれもが得心できる明確な理由はない。積もり積もった不服不満というより他にないからだ。

「とにかく生きていくことに目鼻がつくまでは勝手なことを言うな」

 明が強くたしなめても夏子は聞く耳をもたないほどに頑なだった。

「あなたにはわたしの精神的苦痛がわからないのです」

 二人の言い分はどこまでいっても平行線のままで交わることがない。

 明が譲歩して、家族の前で四人が別の住まいに移りたいと言うと、正行が異議を挟んだ。

「長男の兄貴たちがこの家に残るのが筋だろう。俺たちが出て行くよ」

 正論であったが、だれも本心を明かそうとはしない。長い沈黙があった。

 いつもは冗談を言い、明るくふる舞っているカズ代が、感に堪えかねたように決めつけるように言い放った。それは合理的でさっぱりしたカズ代の言い草だった。

「だれもがみんな少しずつ我慢をして食つないでいるのじゃなかとね。正行は自分が出ていきたいから、外に出るとは言っとらん。出たいと思っているほうが出たらよか」

 昭和二十年の大晦日である。

 カズ代は朝から炊事場に立ちっぱなしで正月を迎える準備に忙しかった。

配給の遅配や欠乏で正月らしい準備はできないとぼやきながらも、工夫を重ねて下ごしらえに余念がなかった。黒豆の代用に大豆を煮、体裁だけでも黒豆に似させるために黒砂糖を入れた。砂糖キビから採ったドロドロしているが貴重な甘味である。紅白のなますにする大根と人参はカズ代が庭先で作ったものだ。

「この忙しいのに、淑子さんが動けないのは(こた)えるよ」

カズ代は独り言をぶつぶつ呟きながらも、てきぱき準備を進めていった。

夏子はカズ代に言い付かったことをするだけである。

「おーいカズ代、淑子さんの様子がおかしかぞ」

忠一が大きな声で呼んだ。

「どうしたのよ? 産気づいたんじゃないと。お父さん、早く産婆さんを呼んできて」

――選りに選って大晦日の、忙しい最中に産気づくなどお騒がせな人だよ。

 同時にカズ代は嬉しさもこみ上げてきて元気な赤ちゃんが生まれますようにと、目を瞑って心の中で手を合わせていた。

こんな場合には男たちは何の役にも立たない。カズ代は夏子を頼るしかなかった。

「夏子さん、いま豆を煮ているカマドで、大きな鍋ですぐに湯を沸かして」

 産婆が着き次第、カズ代は助手役を務める心積もりでいた。

 煮ている最中の大豆が入った鍋を土間に置いたまままで、夏子が湯を沸かし始めたのを見て、カズ代は苛立ち声を荒げて言った。

「大豆は何時間も煮続けるのだから、七輪に火を熾してかけないと」

 突慳貪に言い置いて、京淑の元へ急いだ。

 産婆が介抱を始めて一時間もしないうちに新しい命が生まれた。

「男の子だよ、あなたたち(たらい)にお湯を張るの手伝って」

 手持ち無沙汰に炬燵にたむろしている男三人にカズ代は声をかけた。

 長谷辺家に生まれた初めての男の子の孫だった。

 カズ代の満面の笑みに、夏子はどこか冷めた目をしていた。

 安らいだ表情で床の中にいる京淑の枕元に、不自由な足も厭わず座った正行が、覚束ない手つきで生まれたばかりの赤ん坊を抱いた。

「よくやったな」正行がどう言ったらいいのかわからないという風情で、京淑にねぎらいの言葉をかけると、京淑は静かに頷いた。

 京淑の両目の目尻から大粒の涙が耳のそばまでつたった。赤子を抱いている正行の顔が涙で霞んで見えた。

 これまでに正行の、こんなに穏やかで湯上りのような柔らかな顔を見たことがない。吾が子を見る父親というのは、こうまでも無防備な表情を作り優しく抱くものなのかと、京淑は正行に見とれていた。

――わたしが生まれたときも、アボジは母の傍でわたしを包むように抱き、見つめたに違いない。そんなアボジが、わたしと母を見捨てるなどということはあり得ないはずだ。アボジにはアボジなりの何かの事情があったのだ。

 京淑は、いつまでも赤ん坊を手離そうとしない正行とアボジを重ね合わせて、アボジへの疑念や恨みがましい気持が消えていき、すべてを許せると思った。アボジに会いたいと心底思った。

「名前を付けないとな。男のときは『青葉』と決めていたけど、それでよかか?」

正行が言った。

「…………」

「いやか? 他に何かあるとか?」

「いやじゃない。いやじゃないけど少し考えたことがあるの」

 京淑は松井田敏雄にアボジの病気のことを聞かされてから、生まれてくる子供に、アボジの名前から一字とって付けたいと思うようになっていた。

「自分勝手かもしれないけど、アボジの『瑛』という字を使えないかと思ったの。でも、どうしてもというのじゃないです。わたしは日本語や漢字のことがよくわからないし」

「ちょっと待っていなさい。いま辞書を持ってくるから。その字の意味と読みを調べてみよう」

「長谷辺の家の子だから、わたしのアボジよりもお義父(オト)さんお義母(オカ)さんに聞いてみないと」

「それは考えんでもよか、俺たちの子供だ」

 正行は漢和辞典をめくりながら言った。

「見つかりましたか?」

「淑子、これはいい字だよ。〈水晶みたいな美しい石〉という意味で〈アキ〉とか〈テル〉と読むらしい。これにしよう」

 水晶、美しい石。京淑は、〈美しい石〉と頭の中で繰り返しながら朝鮮の紫水晶を思い浮かべた。

「おまえの弟敏雄さんの『雄』をとって『瑛雄 テルオ』というのはどうだ?」

「それじゃあんまりだわ。あなたの『正』とくっ付けて『瑛正(てるまさ) テルマサ』はどう?」

「わかった、そうしよう。いい名前じゃないか」

 京淑と正行のはじめての子は『瑛正(てるまさ)』と名付けられた。

 正行は筆、硯、半紙を用意すると、達筆で墨痕あざやかに『命名 長谷辺瑛正』と書かれた半紙を床の間の壁に掲げた。

 掛け軸の前に供えられていた正月用の鏡餅が、いつの間にか命名の半紙の前に移されている。カズ代の機転の利いたいたずら心と喜びが、鏡餅の位置を変えたのだった。        

「父を福岡まで連れ帰りました」

 松井田敏雄が京淑のもとを二回目に訪れたのは、年が明けて十日が過ぎた小雪が舞い始めた午後だった。玄界灘に接した福岡一帯は、冬になると晴れの日は少なく日本海側の山陰などと同じようなどんよりとした気候が続き、井戸水が凍ることもたびたびである。

 すぐにでも壱岐島へ行くと聞いていた京淑は、年賀を兼ねて、アボジの見舞いと子どもが誕生したことを敏雄に葉書で告げていた。

 床上げも終わり寛いだ時間を過ごしていた京淑は、訪ねてきた敏雄を家の中に引きずり込むようにして、アボジの様子を知りたい、早く話を聞かせてくれと、咳き込むように敏雄を急かせた。

「それでアボジはどうなんですか? 病気重たいですか?」

「まあ落ち着いてください、いま詳しくお話します。その前に無事出産されて、おめでとうございます」

 初めて会ったときからたった十日ばかりが経っただけであるのに、敏雄は落ち着き、京淑よりも年上のように大人びて見えた。お茶を持ってきたカズ代に新年の挨拶をすませると、瑛根を連れ帰ったまでを、おもむろに話し始めた。

「船底に倒れていた父は、からくも船長と機関士に助け出されて、一命を取り留めたのです」

 やっとの思いで壱岐島の港に漂着した船から、乗り合わせていた二十人ばかりの朝鮮人たちは、身一つで命からがら下船し、近くの公民館に収容された。人を乗せ運ぶことが違法な闇船には、乗船名簿などといった気の利いたものはない。船長は収容した人たちの員数だけを念のために数えると、一人足りないことに気づいた。同乗のだれもが自分のことに精一杯で、他人のことなど気遣っているいとまもなく、あと一人がだれなのか、どこに行ったのかわからなかった。

 船に戻った船長と機関士は、船底に、海水に濡れてうつ伏せに倒れている瑛根を見つけ、一枚の雨戸の戸板を持ち出して船に引き返し、町の病院に運び込んだ。

「こんなひどい状態で脳卒中に見舞われながら、生きていたことが奇跡だ」

 一息ついた医者は、自分に言聞かせるように、看護婦に指示をあたえた。

「今夜一晩は、患者の元を離れてはいけない。足先は温めながら、高熱を押さえるためには水枕と氷嚢を頭にあてがい、熱を冷ますしかない」

「こんな田舎町では何の処置もできない。とにかく動かさないこと、絶対安静しかない。早く手当てをしなければ、重い後遺症が残る」

 医者は身内に言うように、船長に告げた。

 瑛根がかすかに意識が戻り、医者に反応するまでに三日を要した。意識が戻ったことは、なんとか命だけはつながったことを意味した。

「わたしが壱岐に渡ってからも、医者は、父を福岡に連れ帰ることを簡単には承諾しませんでしたが、病院ももちろん満足な薬など、こんなご時世にあるわけないけど、壱岐よりはましだと言って、福岡の病院を紹介してくれました。いまはその病院にいます」

「アボジの病気は治るのでしょうか?」

「言葉、話をすることと左半分の手と足が不自由なのです。元通りにはならないと医者は言っています」

「話ができなくて、それから歩けないということですか?」

「左半分は感覚がなくて、物を掴んでも落としてしまいます。動かすことができるように訓練をすれば、少しは治るらしいです」

「早く会いに行きたいです」

「もう少し待ってください。上半身をベッドで起こせるようになればいいのですが……。右手は使えますから、筆談はできます」

「ヒツダンはどんな意味?」

「お互いが言いたいことを紙に書いて話すのよ」

 カズ代が言い添える。

「アイゴ、わたしは書くのは苦手です」

「アボジとあなたは、朝鮮文字で書けばいいでしょ」

「ソですね、それなら大丈夫です」

 どんな深刻な事態にも、どこか的外れでとんちんかんな京淑の受け答えは、いつも場を和ませる。

敏雄は笑いを堪えて下向いた。いつ言い出したらいいのかと思い煩っていたことを素直に言える、そんな雰囲気を漂わせているのが京淑だった。

「もう一つ伝えなければいけないことがあります。それはあなたのアボジ……」

 敏雄は京淑につられてついアボジと言ったことにドギマギしながら続けた。

「福岡の病院へ連れ帰った日に父が『博多港にある興生会へ行って、山村(宋)という人に会ってくれ』と言うのです。闇船ではない正式な帰還船でいつ朝鮮に渡ることができるのか聞いてきてくれ、ということでした。博多港にはまだ、朝鮮への帰りを待つ人々が溢れていました。山村さんに話を聞くことができ、進駐軍のGHQは、半年以内に朝鮮人の帰還を完了させる予定だと教えられました。そのとき山村さんにあなたへの伝言を預かってきたのです」

「山村さんはよく知っている人です。アボジの友人ですから」

 瑛根の乗った漁船が壱岐に漂着し、脳卒中に見舞われたことを聞かされた宋日浩(山村)は、嘆息し、やりきれないというように「またか」と力なく言った。

 関釜連絡船の定期航路として就航していた興安丸などの客船やアメリカ軍のLST(上陸用舟艇)は、釜山から日本人を運び、折り返すようにして朝鮮人を釜山へ運んだ。しかし自分の順番を待つ人々にとっては、じりじりとした日々を過ごし、しびれを切らせた者は、次々と闇船に乗り込んでいった。ただ待機しているだけの無聊をかこつ精神的な苦痛、経済的な逼迫、さらには劣悪な衛生環境から、発疹チフスなどの伝染病に冒され、体力を消耗して命を落とす人も少なくなかった。

 十月の中旬のこと、二日市興生会会員だった李(松本)アジュンマが宋氏のもとへ来て、手当てのついた漁船で朝鮮へ帰ると言いに来た。京淑と親しかった李アジュンマは、京淑にいよいよ朝鮮への船に乗ることを伝え、親切に感謝している旨伝えてくれるように言い置いていった。その李アジュンマの乗り合わせた漁船が、対馬沖で機雷に触れて爆破沈没、ほぼ全員が死亡した。

アメリカや日本の軍が戦時中に投下した機雷によって何隻もの船が沈んでいた。

 昭和二十年十月十四日、七百三十人にものぼる日本人引揚者を満載した珠丸(五百トン)が敷設されたままの機雷に触れ、爆発沈没したのが最大の事故だった。全員が祖国を目前にして死亡した。

「わたしはもう朝鮮に帰らなくてもいい、日本に居たい。ましてやこんな小さな船はいやだ。でもオヤジ(主人)が『自分は長男だ。どんなことしてでも帰る』と言い張ってきかないの。仕方ないね」李アジュンマは宋さんに愚痴をこぼして発って行った。不吉な思いを引きずるようにして帰っていった李アジュンマは、これもパルチャ(運)だと最後に口にしたにちがいなかった。

「あんなにいつでも元気がよくて、わたしにはほんとに親切にしてくれた李アジュンマが……。ドして自分が行きたい所へ行けないの、ドして住みたい処に住めないの」

 京淑はわが事のように嗚咽を洩らした。

「その話を聞いて、父が危険を犯してまで渡航しようとした気持が、わかるような気がしました。父が好きにしたらいい、自分が納得できるようにしたらいい、と思うようになりました」

「『日本へなんか来たくなかった。でも家族が生きていくためには日本へ出稼ぎに行くしか方法がなかった』。李アジュンマはいつもそう言っていたわ」

 京淑の目からはとめどなく涙が流れ、拭おうともしない。

 李アジュンマは二人の子供を朝鮮の家に残し、老いた義母に預けた。夫婦で仕送りをし、少しでも蓄えの目星がつけば朝鮮の慶尚北道に戻り、農業を続けるつもりでいた。しかし目論み通りに事は運ばない。何年経っても貯金らしい貯金もできないままに、戦争は終わり解放を迎えた。〈独立万歳〉〈解放万歳〉と浮かれたのは一陣の突風のようにほんの短い間のことであった。

 職を求めて日本へ来た人も、徴用令により連れてこられた人々も、思いはたった一つ、これでやっと国へ帰ることができる、ということだった。

「李家の長男のアボジを朝鮮に行かせてあげたい。なんとかして行かせてあげるのが、わたしたち姉弟ができる親孝行だと思う」

 京淑の口から「姉弟」という言葉が当たり前のように素直にこぼれた。

 敏雄には、京淑の口をついて出た「姉弟」に、父親に対するわだかまりが解けていく快い言葉に思われ、京淑に導かれてでもいるように

「わたしも姉さんと同じです」無意識のうちに言葉にしていた。自然に出た「姉さん」に敏雄自身が驚いた。

「抱っこしてごらんなさい」

 カズ代が赤ん坊を敏雄に差し出した。

瑛正(てるまさ)といういうのよ、アボジと同じ漢字」ほんの前まで泣いていた京淑が自慢げに明るく言った。

「あなたの甥っ子ね」

 カズ代の一言に敏雄は何と返事をしていいのか戸惑いながら、危なっかしく抱いた。

「二、三日中にもう一度おじゃましたいのですが、いいですか?」

「いいわよ、いつでも来てください」

 カズ代と京淑は、それがどんな意味かわからず、不思議そうに顔を見合わせた。

二十

 武装解除され解体が進んだ日本軍とはいえ、貯蔵されていた膨大な量の軍需物資はそのままに、少人数の残務整理を委託されている旧軍人の管理下にあった。しかし統制が弛んでしまった組織からは、缶詰などの食料品、被服、下着、布地といった日用品からタイヤなどの車両用品、車両そのものさえも、いつの間にか流出しはじめていた。鉄カブトは鍋や釜にたたき直されるなど、一見役に立ちそうにないと思える物さえ、いつの間にか姿を変えて闇市に流れた。それらは旧軍関係者の間に分散し、闇市で公然と売られていることに驚くこともない。流出する物資に群がる目敏い人間は、体を張って売買の利権にありつこうと必死であり、抗争に発展することもたびたびであった。

 日本の警察を無視し、無法地帯同然の朝鮮人、台湾人の集団、食っていくあても手段もない復員兵など、生きるか死ぬかの崖っぷちから不法な行動に走る一団となる場合もある。それはまた闇社会と背中合わせでもある。

 敏雄たちの予科練仲間は、伝を頼って落下傘用白布の売買に携わっていたが、それは違法なものではなく正規のルートから放出されたものであると聞かされていた。不用になった白布が役所の認可を得たものであれば、正々堂々と民間に払い下げになってもおかしくないというのが敏雄たちの理解であった。いっときも早く利権を嗅ぎつけた者の早い者勝ち、扱うものは何でもよかった。何の才覚もない者は、自分の身の回り品を一枚一枚剥がすようにして金に換え、食料に替えるしか生き長らえる術はなかった。 

正月明けすぐのこと、小雪のちらつく寒空の下、闇市の軒先を覗き歩いていた敏雄は、三十歳ぐらいの男に後ろから声をかけられた。旧海軍の軍帽に陸軍の防寒外套というチグハグな恰好をしていた。

「ちょっとすみません」と男は言った。

知り合いでもなんでもない。敏雄は男の身なりにゆっくり視線を這わせた。

「お願いがあります。聞いてください」

 揉み手をするような男の言葉には訛りがあった。敏雄はその男が日本人ではないと直感した。

「何でしょう?」

「この外套を、いま着ているこの服を買ってもらえませんか?」

 イカ焼きを買ったときに、ズボンのポケットから無造作に札を取り出したのを見られていたにちがいない。

「俺は外套なんか欲しくないよ」

「お願いです。わたしはどうしても今お金が必要なのです。この服を売って金を作るしかあてがない。だから買ってください」

「この寒空に、そこまでして何のためにお金が必要なのです?」

「わたしは故郷の済州島へ帰る金が要ります」

 済州島と聞いて敏雄の気持が動いた。

「済州島のどこですか?」

「済州島の南の方にある西帰浦(ソグィッポ)というところです」

 西帰浦という地名に敏雄は懐かしさを覚えた。予科練で飛行訓練をした慕瑟浦(モスリッポ)のすぐそばなのだ。国民学校や集落の上を低空飛行して、住民を驚かせ、楽しんでいた。

「あなた朝鮮の人?」

「そうです」

「だったら帰国船の船賃は無料で帰ることができると聞いていますが」

「それは釜山までのこと。そこから先は自分持ちです」

 戦前から家族とともに大阪に住んでいたが、軍属として徴用され、軍用船の調理場と燃料室の下働きを兼ねて働かされていた。終戦になるや、雀の涙ばかりの労賃を受け取り、大阪へ帰ってみると家族はみんな既に済州島へ戻っていた。

 朝鮮人軍属は戦地から直接朝鮮へ帰されることになっていたが、家族が日本に住んでいることを理由に日本への復員を許された。大阪へ帰って見ると戦災で焼かれた家はなく、家族と行き違いになり、そのうち手持ち金を使い果たしていた。

 敏雄は朝鮮人の元軍属から、言い値で防寒外套を買った。元持ち主の体温が残る外套に袖を通しながら、敏雄は父親を思った。父親の強引な渡航とその後を思わなければ、外套を買わなかったかもしれない。また会ったばかりの姉京淑へも思いが及んだ。父親の望郷の念と、まだ見ぬ父に京淑が寄せる想いは同じものなのだろうと。

 敏雄は自分の肉親二人の熱い思いと、済州島への懐かしさにほだされるようにして外套を買ったが、後悔することなどはなく、むしろ充足した心持ちを味わっていた。

 金を手にした男は、荒い木綿地の白いシャツだけで、闇市の人込みに紛れて歩いていった。

 京淑は、ガラス戸を通して久しぶりの陽が射しこむ縁側で赤ん坊を抱いて授乳をしていた。含ませた乳首に伝わってくる幼児の唇の柔らかさに、母親としての幸せを重ねあわせていた。忠清道の叔父の家で過ごしていた辛くて淋しかった日々も、この日の満ち足りた幸福の時のためにあったのではないだろうか。義母カズ代と出逢ったことが、運命の境目だったのだと思えるような至福の時間をもたらしてくれている。たった独りだった自分に、いま宝物のような子供がいるばかりか、夫がいて、生涯会うことがないと思いつめていたアボジがすぐ近くにいる。想像もしなかった弟までいた。血脈というもののいいところばかりが京淑の周りにあふれているようだった。近々訪ねて来ると言った弟に、今度は「敏雄さん」と名前で呼びかけてみようと思った。どんな顔をするのか考えるだけで胸が高鳴り、自分の気恥ずかしさにも頬が染まりそうな気がした。

 瑛正の掌を乳房に導きあてがうと、子供の意思で押し付けてきたと思ったのは、母親のひとりよがりの勝手な思い過ごしとわかっていても、京淑は薄目を開けた瑛正を見て、うっとりとして独り悦に入っていた。

「松井田さんがみえたよ」

 遠くでカズ代が言った。炬燵の居間に案内している様子に、京淑は胸をかき合わせながら立ちあがった。

 松井田敏雄は、縦長の大きな包みを脇に抱えていた。

 対座した京淑は、まじまじと敏雄を見た。初めて会ったときの印象が首に巻いた白いマフラーの特攻スタイル、その粋がったような装いにばかり目がいっていたが、目の前にいる敏雄は、カーキ色の地味な国民服を着ていた。太い眉と切れ長の一重瞼の目、大きめの輪郭の顔と恰幅のいい肩幅は、まるで写真の中にいるアボジだった。

「どうも」と敏雄は言った。寡黙で口下手であるが、人当たりは感じのよい青年である。

「これを……」遠慮がちに持参した包みを差し出した。「誕生のお祝いです」

「まあ、何でしょう。気を使わなくてもいいのに」

 カズ代は頭を下げながらありがたく受け取った。

「役に立ててください」

「開けてもよかろうか? 淑子さん、開けさせてもらいなさい」

 純白の布地だった。

「こんなにたくさん。買ったら高そうだし、欲しくても手に入りそうもないものですよ。嬉しいです。ほんとにいただいていいの?」

 京淑は目を見張り、布地に触りながら言った。

「落下傘用の布で、軍の払い下げです」

「そんなものがよく手に入ったわね」カズ代も感心したように敏雄に言った。

 敏雄は、それ以上は何も言わず、詮索しないでほしいというような表情を作った。

 京淑はアボジのその後も知りたかったが、同時にまた、いつ敏雄に向かって「敏雄さん」と呼びかけようかと機会を窺い、炬燵の中で手に汗していた。

 敏雄が京淑を真っすぐに見て、思いがけないことを唐突に口にした。

「あの……『姉さん』と呼んでいいですか?」

 突然呼ばれた京淑は、一度血流が止まり再び一気に流れ出したように心臓が脈打ち、敏雄をじっと凝視して言葉が出てこなかった。何ということだろうか。京淑は二十三年間の、堆積しているいろいろな思いが胸にこみ上げてきた。鼻の奥がツンとして、経験したことのない感情がほとばしった。どっちを向いて何と返事したらいいのか、嬉しいのか恥ずかしいのか身の置き所のないくすぐったさだった。生まれて初めてのことだった。ただ涙が溢れてきた。

 京淑の生い立ち境遇を知っているカズ代は、もらい泣きしそうになるのをこらえ、涙を見られるのをはぐらかすように努めて明るく言った。

「これで正行も『義兄(にい)さん』と呼んでもらえるわけだね。嬉しいだろうね。それともくすぐったいかね?」

「わたしも兄さんと呼べる人ができたわけですね、頼もしいです」

 目を赤くしながら微笑んだ京淑を見て、いつものことだが和ませるようにカズ代が訊いた。

「朝鮮語では姉さんのことは何というの?」

「『ヌナ』です」

「敏雄さん、朝鮮語でも『姉さん』と言ってあげてくれない。ヌナだって」

 カズ代の突然の申し出に応えて、戸惑いながらも敏雄が「ヌナ」と呼びかけると、京淑が声に出して嗚咽をはじめた。京淑は感極まっているようだった。同じ意味の言葉を聞いただけなのに、朝鮮語での語りかけに特別な感情がわきあがってきた。

 言葉には育まれた環境や習慣がぎっしり詰め込まれているのだ。ハワイ時代のカズ代にとってマザーやマムは単に母を意味する英語という記号だったが、『母さん』や『おっかさん』という日本語には味噌汁の味や匂いがこもった含蓄のある言葉だった。京淑はいまカズ代が感じていた同じ感情に満たされているのだろうと、カズ代は思った。

 泣き止んだ京淑が敏雄に訊いた。

「敏雄さん、わたしに子供が生まれたことをアボジに言いました?」

「敏雄さん」という言葉が、何の不自然さもなく京淑の口をついて出た。そのことに京淑自身が気付いていないような呼び方だった。

「ええ、もちろん。名前の謂れを話すと、父はみるみるうちに目をうるませました。言葉が不自由ですが、涙声で『キョンスク(京淑)が、キョンスクが』と言いました。そのあとは言葉になりませんでした。思うところがいっぱいあるのだと思いました」

 京淑は、敏雄の話に心底感動していた。

「できるだけ早くお父さんに会わんといかんね」

 カズ代は京淑の気持を共有するように、しみじみと独りごちた。

「もう少しすれば、病院のベッドではなく家で会えるのではないでしょうか。姉さんも産後ですし、少し暖かくなってからでも遅くないでしょう。ほんのちょっとの辛抱ですよ」

 これほど雄弁なのかと驚くくらい丁寧な、打ち解けた敏雄の思いやりのある口調だった。

「わたし、いい事を思いついたよ」

 カズ代が指でも鳴らすように突然言い出した。

「いただいた白い布を見て思いついたのだけど、淑子さん、あなたたちもう一度結婚式したらどうだろう。あなたのお父さんの前で、花嫁衣裳を着て結婚式をやってお父さんを喜ばせてあげましょう」

「この布とどんな関係があるのですか?」京淑が怪訝そうな顔をした。

「わたしに任せなさい。日本式でも朝鮮式でもないウェディングドレスを着て結婚式をしましょう」

 カズ代にはハワイの教会で何度も目にした純白のドレスが、瞼に焼き付いている。

「ウェディングドレス……は何ですか?」

「アメリカ式の花嫁衣裳のことよ。アメリカ人は純白のドレスが花嫁衣裳なの。どうやって作るのか、わたしが進駐軍(アメリカ軍)の奥さんに聞いてくるよ。ミシンも買おう。それで夏子さんに縫ってもらえばいい。これからはなんでもかんでもアメリカ式になるよ。緑茶よりカフィばっかりになるから」

 カズ代は独り悦に入っていた。

二十一

 ちょうど一年ばかり前のこと、警察がカズ代を訪ねてきたことがあった。

 どこで聞き込んで調べてくるのかわからないが、長い間ハワイにいたそうだなというから、そうだと答えると、英語はわかるかと言う。ちょっとはわかるが何十年前のことですか、すっかり忘れたと言った。それがどうかしましたか? と訊いた。

 巡査はカズ代の質問には答えず、一方的に「ラジオの短波放送でアメリカの悪辣な宣伝を聞いてはいないだろうな」と高圧的に言う。

「そんな放送があることも知りません」

「隠れて聞いているやつは、みんなそう言うのだ。もし聞いていることがわかればしょっ引くからな。それは非国民の最たるものだぞ」

 巡査の言い草にカズ代は、京城で警察署へ連れていかれたときのことが甦り、我慢ができなくなった。

「息子二人が名誉の戦死をして、靖国神社に祭られているのですよ。よくもそんなことが言えたものですね。出直してきなさい」

 カズ代の剣幕に巡査はすごすごと帰って行った。

 戦争が終わり、アメリカ軍が進駐してくると、鬼畜米英、本土決戦と勇ましかった在郷軍人会や国防婦人会の連中はどこに身を隠してしまったのだろうか。それどころか手の平を返したように、街に出ると進駐軍の兵士を遠巻きにして怯えた顔つきをしていたり、中には卑屈になって媚びへつらうような態度をする人間もいる。

 カズ代はアメリカ兵にも物怖じしなかった。裏表のない陽気なアメリカ兵はよほどカズ代には相性がいいのだった。片言の英語が通じることから将校の夫人に知り合いさえも作り、彼女たちから重宝されていた。

 カズ代は、ハウスと呼ばれるようになった将校や士官の家を訪ねては、何くれとなく婦人たちを助けてやった。愛敬のある性格がアメリカ人の気質に合っているようだった。

 何十年ぶりかの覚束ない英語が役に立つ。つい数ヶ月前まで敵性語だったものが友好語に変わる。世の中というのはわからないものだと、カズ代はクシャミをしたい気分だった。

 カズ代が仲良くなった将校夫人は、ミセス ハミルトン、ファーストネームはリンダという四十五、六歳くらいのシカゴ出身の白人、典型的なピューリタンのアングロサクソン系女性である。

 カズ代の英語は滑らかな会話とまではいかないが、対面しての身振り手振りを交えるとジョークさえ通じた。最初のころは「ミセス ハミルトン」と呼んでいたが、何度か会ううちに打解けてお互いをファーストネームで「リンダ」「カズヨ」と呼び交わすようになった。

 リンダがカズ代に、新鮮なラディッシュ(大根)やキャロット(人参)は手に入らないかと言えば、カズ代は近所の農家から手に入れたものを届けてやる。私鉄の電車に乗れば四つ目の駅の近さである。親しさが増すにつれて、二人は情も移り、お互いの心の機微にさえ立ち入った会話を交わすようになった。リンダが浮かない顔をしているとカズ代は、ハワイで聞き覚えた方言っぽい英語で「ウォツ マラー ユウ(What’s matter with you? どうかしたの?)」とたずねる。

「Nothing(何もないわ)」とリンダが答えるといった風だった。カズ代の耳に残っている発音通りに言えば結構通じた。リンダはカズ代にとっては何よりもコーヒーの供給源である。

 敏雄にお祝いの白布をもらってから日を措かず、カズ代はリンダを訪ねて行った。

 何ごとにも慎重な正行が、カズ代に言ったことを思い浮かべながらリンダのハウスへ向かった。

「おっかさん、結婚式をもう一度するのはよかばってん、そげなドレスなんて安請け合いしていいのかい?」と正行は心配げな顔をしたのだった。

 リンダは一人で寛いでいた。カズ代をリビングに招きいれながら

「カズヨ、もうコーヒーなくなったの?」と言った。

「今日は別のお願いをしたくて来たのよ」

 京淑が二十数年ぶりに、記憶にもない父親に会い、そのときにウェディングドレスを着て、父親の前で結婚式を挙げさせるサプライズを考えていること、しかし日本にはドレスを仕立てるための見本がないことを、カズ代は訥々と説明した。

「すばらしいアイデアね」

 興味津々といった顔付きをしたリンダは、視線を上に向けて何かを思い出そうとしているようであった。

「ちょっと待ってて」

 リンダは席を外し、奥から厚手のアルバムを抱えて戻ってきた。

「カズヨ、これ見て。わたしの結婚式の写真よ。あなたはこんなドレスが欲しいんでしょう」

「リンダ、あなたこれは何歳なの? いまと同じじゃないの、きれいだね」

「二十歳で結婚したの。このドレスは、わたしとわたしの母の二人で作ったのよ」

 リンダは思い出に耽って、恍惚とした表情を浮かべている。

「日本人にも作ることできるかな?」

「大丈夫、できるわ……でも、作る必要ないかもしれない」

「…………?」

「親友の娘が結婚したばかりなの。彼女のウェディングドレスを借りたら簡単よ。きっと貸してくれるわ」

 質素を旨とするいかにもピューリタンらしい考えだ。

 結婚式のアイデアがよほどリンダの好奇心をくすぐったのか、リンダは、カズ代に立て続けに質問を浴びせてきた。ティアラは? ベールは? どこで、いつ式を挙げるのか?

 カズ代は、京淑の父親が福岡の病院に入院中で、歩くのが不自由であることや、父親の快復を待って式を挙げることを話した。

「Wheelchairを使えばいいわ」リンダはこともなげに言った。

 カズ代にはchairはわかったが、Wheelが何なのか理解できない。

「Wheelは何?」

 リンダは手許の紙に車椅子の絵を描いてみせた。

 そんな便利なものがあるなど、カズ代には想像もできなかったが、リンダは自分が全部用意すると言い、自分も結婚式に参加すると一方的に決めてしまった。

 京淑と正行の、仕切り直しの結婚式は、意外な会場で行われることになった。

 カズ代の突拍子もない思い付きに応えようと、敏雄は瑛根が入院しているS仁会病院を訪れ、いつ退院できるのかの相談をした。

 瑛根の診察を終えた医師が、何か困ったという顔をしている敏雄に訊いた。

「もう少し暖かくなるまでは、ここで治療したほうがいいと思いますが、何か不都合なことがありますか?」

「いや、いま退院しても通院もさせられないのですが、一日だけ外へ連れ出すことはできないものかと思うことがありまして」

「それは無理です。自力で歩けるようにならなければ」

「実は……姉が結婚式をするのですが、それも父のためだけに、父に花嫁姿を見せたいがためだけに結婚式をするつもりでいるのです」

 敏雄は姉夫婦が式を挙げる詳しい事情を話した。

「姉も父も会いたがっていますが、姉は出産したばかりで動けなかったのです。ようやく外出できそうになりました。そうなれば一刻も早く会いたいというのが人情です。会場さえ決まれば……会場になりそうなところは、どこもここも空襲で壊されてはいますが、何とかして……」

 医師のそばに控えていた年配の看護婦が、

「差し出がましいようですが」と口を挟んだ。「院長先生のお許しがあれば、この病院で式を挙げさせられませんでしょうか? そうすれば患者さんを外に出さずに済みます」

「そうだね。終戦直後からの混乱や配給の遅配、栄養失調でここへ運び込まれる人も後を絶たない。気持が荒んでくるようなことばかり。病院を明るくする話題があってもいいよね」医師も同調するように言った。

「ええ、結婚式なんていい話じゃないですか。わたしたち看護婦も松井田さん父娘の祝いごとに全面協力しますよ」

 病院で結婚式など戦前戦中を通しても前代未聞のことであったが、院長の度量で会議室の利用が許可され日時が決まると、瑛根に悟られないよう看護婦たちの準備が進められた。看護婦たちとリンダ・ハミルトンが大乗り気だった。

 会場の飾りつけは激務の合い間を縫って看護婦たちが準備をし、進行にかかわる部門はリンダが受け持つことになった。当事者の正行京淑夫婦の知らないところで、計画は次々に準備されていった。

 京淑を連れてリンダのハウスに出向いたカズ代に、リンダは満面に笑みを湛えて得意そうに言った。

「アーミーのチャプレン(軍属牧師)と日系二世の通訳もオーケーよ。全部わたしに任せて」

 リンダは瑛根のために車椅子を軍から借り出し、ウェディングドレスも準備していた。この日は、カズ代と京淑の二人をドレスを試着するために呼んだのだと言った。

 京淑は見たこともない純白のウェディングドレスに目を見張った。

「これは何?」カズ代が指差すと、

「ティアラよ。頭につけるものよ。わたしの結婚式の写真と同じよ」

 ウェディングドレスを着た京淑が気恥ずかしそうに居場所がなさそうにしていると、リンダはビューティフルを連発し、全部アメリカ式なの、とわが娘の花嫁姿でも眺めるように誇らしげな眼差しを京淑に向けている。

「カズヨ、わたしのハズバンドも出席するのよ」

 当然でしょうといわんばかりにリンダは肩をすくめた。どんな式になるのか、カズ代にも京淑にもわからない。

二十二

「天満宮の梅も咲きよろうね」

 二月の中旬、翌日に結婚式をひかえてカズ代が京淑に語りかけている。住まいのすぐ近くの大宰府天満宮境内の梅は、二月の声を聞くと一輪また一輪と春間近を告げる。

「でも義母(オカ)さん、雪が降ってきましたよ」

「積もりそうな雪ね。明日は大丈夫かね」

 水気を含んだぼたん雪が舞い始めたが、夕刻にかけて急激に気温が下がり濃い粉雪に変わった。

 瑛根の病室からは、一晩中降り続いた雪に覆われ雪原に変わった焼け跡の街が広がっている。

 京淑と瑛根は初めて顔を合わせたそのときから、言葉を交わすということができなかった。瑛根の覚束ない口元から漏れる言葉は、日本語でも朝鮮語でもない単なるか細い呻きとしか聞こえない。京淑もまた立ち竦んだままである。

 式の前夜、京淑は、アボジと向かい合ういろいろな場面を幾度となく思い描くうちに、いつの間にか外は白みかけて一睡もしなかった。あれも話そう、これも言おう、あれも訊こうと頭の中に箇条書きにしていたものは、面とむかったと同時に消し飛び、手を差し出すでもなくぼんやりしていた。写真で見続けていた凛々しいはずのアボジは、顔が微妙に歪み、力なく半身を起してベッドに横たわっていた。あれほど言ってみたいと長い間切望していた「アボジ」の一言が、凍結してしまったかのようにどうしても出てこなかった。後ろに立っている夫の正行に「何か言ったら」と促されても何も言えなかった。恥ずかしいわけでも緊張で強張っているわけでもなく、ただ呆然としているだけの見つめ合うだけの対面だった。

 体調を訊きにきた看護婦が部屋に入って来たのをしおに、京淑はウェディングドレスに着替えをするために退出した。

 式の会場となった会議室は、看護婦たちの心づくしの準備で、物の乏しい中よくもこれほどにと思える飾りつけが施されていた。

 入口は七夕飾りと同様の笹竹でアーチが作られ、病院職員や入院患者の祝いの一言と名前が、色とりどりの短冊に書かれアーチに結わえられていた。『長谷辺正行さん、淑子さん 結婚おめでとう』と墨で書かれた横幕が、会議室の黒板に掲げられ、その前には小ぶりの演説台が置かれている。入口のアーチから演説台までは、飛び飛びではあるがバージンロードに擬した緋毛氈が真っすぐに伸びていた。その両脇に大きさも形も不揃いの、集められるだけの椅子が並んでいる。招待客はなく誰もが自由参加である。すべてのプロデュース、進行、司会はリンダに委ねられている。

 会場に足を踏み入れた人々は一様にリンダに目が行き、そこここでヒソヒソと言葉を交わしている。

 パーマをした黄金色の髪と、薄く灰色じみたエメラルド色の目のリンダは、それだけでじゅうぶん目立つのであるが、式の直前まで動き回り、いくらかの手直しや指示をしている。和服の老婦人と打ち合わせらしきことをしているのも目につきやすく、何もかもが好奇の目を惹いていた。

 身内の者たち全員がそろうと、リンダが開会を告げた。身内といってもカズ代夫婦と長男の明一家との六人だけである。

 松井田敏雄が見当たらないことに気付いたカズ代が、最前列の席から後ろを振り向いて会場を見渡したが、椅子に座った人たちの中にも、立って式を待つ人々のどこにも敏雄はいなかった。遅れて駆けつけるにちがいないと納得するしかなかった。

 会場には五、六十人の参列者がいた。寝間着の上からチャンチャンコを着込んだ患者や、首から聴診器を提げたままの医師数人、十人ばかりの看護婦が固唾を呑んで開会を待っていた。

 正面の演台にはリンダが連れてきた年配のアメリカ人牧師が立ち、牧師とリンダの間にアメリカ軍服姿の青年が控えていた。日系二世の通訳の兵士である。

 リンダの横にいる松葉杖を持った正行を演台の前に促すと

「アテンション プリーズ」と言いながら、リンダが精一杯の笑顔をほころばせながら、アーチのある入口を両手で指し示した。

 アーチの下に立ち止まり一礼した京淑と瑛根に一斉に注がれた参会者全員の目が驚嘆の眼差しで釘付けにされた。

 花嫁は文金高島田で現われるものと思い込んでいた人々にとって、見たこともないカラーの花(オランダカイウ)のような優美に広がる純白のドレス、頭のレースの飾りは、それを例えるものも思いつかない目も覚める西洋風の装いだった。また新婦の父親が座る椅子が何というものなのかその名称も知らない椅子だった。

「ほうー」という驚きの声の中を、京淑はドレスの裾を引きずるようにして進み、横に座る瑛根の椅子は、左右に車輪が取り付けられたものを看護婦がゆっくりと押して、緋毛氈の上を演台の牧師に向かって静々と近づいて行く。

 松葉杖の正行と京淑が演台の前に立つと、聖書を手にした牧師が英語で祈りを捧げ、おごそかに二人に口説を述べ始め、通訳が日本語で後を追った。牧師はさらに二人に語りかけ、二人はか細い声で「はい」と言い、差し出されたノートに何か書くように言われて署名をした。誓約書であった。署名の済んだノートをリンダが受け取り、見開きにして会場の人々に公表した。

 通訳が全員に起立を促した。

「これから二人の結婚を祝福する歌を全員で歌いましょう。賛美歌といいます」

歌詞は正面の黒板に英語とその読み方をカタカナでフリガナがふられていた。参会の日本人が歌えるわけはないが、構わず式は進められ、リンダのハズバンドを入れた四人のアメリカ人だけが歌った。

 十五分ばかりの式は終了し、正行と京淑は退出した。

「きれい!」あちこちから賞賛の声が聞こえてきた。京淑は唇に紅を引いただけだったが、顔は輝き純白のウェディングドレスは眩しかった。

 会場となった会議室から望める景色は、前夜に積もった雪で無残な焼け跡の福岡の街が、純白のウェディングドレスで装っているように白銀の別世界に変わっていた。

リンダが参会者に呼びかけた。

「この場所で三十分後に、簡単なパーティをします。是非参加してください」

 なるほどリンダの言う通り実にシンプルなパーティーであったが、だれもが自由に出入りし、ほのぼのとして心温まる一時間ばかりの時を過ごすことができた。

 全員が立ったままで会話を楽しみ、食べ物はクッキーとサンドウィッチ、飲み物はコーヒーとコカコーラである。会場にいるだれもがコカコーラを不思議そうにながめ、これはいったい何だという目をしている。病院内でもあり酒類は一切なかった。形式ばった挨拶もなく、いつ始まったのかも定かでないが、あちらからもこちらの人の輪からも笑い声が上がっていた。

「みなさんにご案内します」

リンダが通訳を介して言った。

「今日のサンドウィッチと飲み物は、わたしのハズバンドが提供してくれました。飲み物はコカコーラといい、アメリカ人が好きな炭酸飲料です。是非味わってください」

 一斉に拍手が送られると、リンダの夫は軽く手を挙げて拍手に応えた。

「クッキーはカズヨとわたしが二日懸かりで焼きました。思う存分食べてください。カズヨは花嫁の義母です」

「おう!」という声とともに、さらに大きな拍手が会場に響いた。

 十分ほど遅れて正行と京淑、車椅子の瑛根が再び姿を現すと、「おめでとう」という祝福の声と拍手が沸き起こった。

 リンダが京淑に寄り添って正面の演台まで導き、スピーチを始めた。

「今日の主役が来場しました。改めて紹介します、長谷辺正行、淑子夫妻と生まれたばかりの瑛正(てるまさ)、そして花嫁のお父さんです」

 瑛根もまた前夜から京淑に会ったときのことを考え続けて一晩中眠れなかった。いまさらどんな顔もなにもない、赦されないことは自明であっても土下座して詫びるしかない。ただひたすら謝るしかないと思い定めた。

 病室へ入って来た京淑を見たときの瑛根は、ほとんどそれが林チヨかと思った。もし京淑がきものを着て立っていたならば、「チヨ!」と口走ったかもしれない。

 我に返って「京淑か?」と言い、あとは「すまない、すまない」と不自由な唇から繰り返したが、必死になって口を動かそうとしても、どうにもならなかった。言葉にならないのだ。

 何も言わずベッドの自分を凝視し、涙が落ちるにまかせていた京淑に、京淑のつれあいが「何か言ったら」と言っても、京淑は一言も発しなかった。感情の高ぶりが頂点に達した人間というのは、言葉というものが思い浮ばないのだろう。

 結婚式後の、懇親パーティーの開場を待つわずかな時間に、京淑が瑛根に初めて言った一言は、瑛根には思いもかけないものだった。京淑は「アボジありがとう」と日本語で言い、「アボジ カムサハムニダ」と朝鮮語で繰り返した。日本語の「お父さん」は、数限りなく耳にし、何の抵抗もない音で、おそらく初めて呼ばれたときから特別な感情を覚えた記憶もない。しかし京淑の発した「アボジ」は、体の奥深くに眠っていた幼かったころの子守唄が蘇ったようだった。鳩尾(みぞおち)のあたりが熱くなったかと思うと、瞼も同時に熱くなり、瑛根の両目からはこらえていたものが溢れ出た。

 京淑もまた頬のあたりに流れる涙を拭おうともせず、また「アボジ」と言い、人目も憚らず車椅子の瑛根の頭を抱しめた。京淑は憑かれたように「アボジ」を繰り返した。

 京淑の腕に頭を包まれたままの瑛根は、自分には娘に会う資格がないばかりか、身勝手で自分のことしか考えてこなかったのに、なぜ京淑は慈しむように「アボジ」と呼んでくれるのだろうかと胸が詰まった。それだけではない。京淑は「カムサハムニダ」とも言った。

 瑛根には何と答えたらいいのか、何一つ思い浮かぶ言葉が見つからなかった。ただ涙を流しているだけの自分が誰よりも矮小で何の価値もない人間に思えた。

 自分の身勝手、わがままで日本人に成り変わり、朝鮮を捨て、チヨと京淑をいつかは日本に呼び寄せるという言い訳を自分に納得させ、結果的に京淑を見放したことの理由を、瑛根はこれまでに何百回何千回考えたことだろう。誰一人として共感を得ることのできないこともわかっている。幼児的で病的なほどの夢想のためだった。

 自分(朝鮮人)をがんじがらめに縛りつけ、腐臭が立ち込めている儒教社会から脱出したい、出自の身分が重きをなす社会、〝孝〟を第一の生活などたくさんだという思いから日本へ逃れた。しかし日本もまた瑛根にとっては〝忠〟を強要する閉塞社会であった。

 束縛から解放され自由でありたい、無国籍のコスモポリタンでありたいという希いは所詮空想の世界だとわかっていながら、どうしても自分に折り合いがつけられなかった、周りの人間に犠牲を強いてさえも。それなのに京淑は「ありがとう」「カムサハムニダ」と言った。恨みつらみや非難の言葉を羅列してもおかしくないはずなのに、何に対して「ありがとう」なのだろうか。齢をとれば、人間は若い時には解らなかった多くのことが薄皮を丁寧に剥がしていくようにして、事の道理が見えてくると思っていた。それなのに京淑の言葉の真意さえもわからない。馬齢を重ねれば重ねるほど解らないことが深まり広がっていくということがわかった。

 娘の発した素朴な朝鮮語の『アボジ』の一言は、瑛根の朝鮮人としての魂の根源を揺さぶった。瑛根は、自分はコスモポリタンでもなんでもなく髪の毛一本一本まで、体の隅々まで朝鮮人なのだと思い知らされた。夢を糧にニセモノの日本人と幻想のコスモポリタンを三十年近く自作自演で演じてきただけだったのだ。

 クッキーやサンドウィッチもほぼ食べ尽し、談笑の声も静かになったのを見計らって、リンダが全員に呼びかけた。

「最後に正行淑子夫妻に挨拶をお願いしましょう。ベビーも一緒にね」

 指名された正行が簡潔に式への出席の謝辞を言い終わり、京淑に何かを言うように目線を送った。

 抱いていた瑛正を近くにいた夏子にあずけ、京淑は深呼吸して話し始めた。

「今日の結婚式はわたしたちの二回目のものです。ここにいる父とわたしが二十二年ぶりに会うことができるとわかると、義母カズ代が父を喜ばせるためにもう一度式をやるように言いました。……」

 ときに清音と濁音が逆転したように発音される話し方を聞いて、京淑が純然たる日本人でないことがわかり、それなりの複雑な事情があることははっきりしていたが、来場している人々はみな、温かい眼差しで京淑の挨拶に聞き入っていた。

「……わたしが父の消息を知りたくて日本へ来たのも、思いもよらず生きて父に会えるのも、今日こうして式をやれたのも全部義母(ハハ)カズ代のおかげです。義母(オカ)さん本当にありがとう。義母の友人のリンダさんはウェディングドレスを用意してくれただけでなく、式、パーティーの進行全部をやってもらいました。そして病院の皆様の助けで、父を喜ばせることができました。わたしはほんとに幸せ者です。わたしたちは今日のことを一生忘れません。皆さん、ほんとうにありがとうございました」

 拍手が止んで通訳の兵士が、「花嫁のお父さんは言葉が少し……」と言いかけたときに、会場にいたすべての人々が自分の目を疑うような光景に遭遇していた。

 車椅子に座っていた瑛根がだれの助けも借りずに、いとも簡単に自然に立ち上がったのである。

 会場に居合わせた医者が「えっ!」と声をあげただけでなく、ほとんどの人たちが小さく感嘆の声をもらし、手を口元にあて驚きの表情になった。さらにそれに倍する驚きの場面が待っていた。しゃべれるはずがない瑛根が、途切れ途切れではあるがスピーチに及んだのだ。

「今日は……ほんとにありがとう……ございます」

ぎこちないがはっきりわかる言葉を発し、一礼するとゆっくりと車椅子に座ったのである。そして一枚の半紙を正行に渡し、読んでくれるように目で合図した。短い文章ではあるが瑛根の思いが溢れていた。

 ――こんな身に余る場を設けてくださった皆様、長谷辺家のご家族にどんな感謝を捧げていいのかわからない、わけても長谷辺のお義母さんには京淑も自分も生涯御恩を忘れることはない――と綴り、

 ――京淑は李瑛根の娘、敏雄は松井田英助の息子。二人はかけがえのない自分の子たちである。瑛正(てるまさ)はわたしの初めての孫だが、どの国やどの民族の子でもない、未来の国とこれからの時代の子です。願わくば長谷辺のお義母さんのような、視野の広いコスモポリタンな感覚を持った人間になってほしい――と、切々とした真情が鉛筆書きされていた。

 会場を揺るがすような拍手が沸き起こった。

 万雷の拍手の中、一人の看護婦が正行に小さな紙切れをそっと渡した。

――松井田敏雄氏、昨日盗品売買の容疑でxx警察へ拘引さる――

二十三

 結婚式から一ヵ月足らず、急に春めいてきた三月の中頃、京淑には嬉しい知らせがありながら、同時に自分の力ではどうにもならないやりきれない日々があった。

 警察に拘引されて結婚式に参列できなかった弟の敏雄が、証拠不十分で釈放されて、二日市の家に元気な姿をみせた。京淑にとっては、長雨のあとの晴天のような日だった。

 瑛正(てるまさ)の誕生祝いとしてもってきた落下傘用の高級白布が盗品だったことから、敏雄は窃盗団の一味の嫌疑をかけられ、警察に連れて行かれたのが結婚式の前日であった。有無を言わせずの事態ゆえ、式に出席できそうにないことを正行や京淑に知らせるいとまもなかった。

「あの白布をわたしが購入したときには、軍の払い下げ品という触れ込みでした。貴重な情報だと思ったわたしは、ひと商売になる、儲けた金を元にすれば何か始めることができると考えたのです。手に入れた布の一部を祝いの品にすれば、姉さんにきっと喜んでもらえると、勇んで持ってきました。しかし好事魔多し、とはこのことです。白布は何の役にも立ちませんでしたが、それがきっかけになり、父親を感激させ、しかも少々不自由とはいえ、歩くことも話すこともできるようになりました。これもすべて長谷辺のお義母さんの、結婚式を挙げたらどうかという素晴らしいアイデアと行動力によるものです」

 敏雄の話に耳を傾けながら京淑は、敏雄が弟ではなく兄ではないかと思えるほど、短い間に堂々とした大人に成長していることが、嬉しく頼もしかった。

 京淑の結婚式に出席できなかった言い訳よりも、訪ねて来た目的は父親のことだというように、敏雄は話題を変えた。

「姉さん、親父はもう朝鮮に行かないと言っていますよ」

「死ぬ思いをしても行きたかったのになぜ?」

「心境の変化の理由は私にはわかりません。日本にいる朝鮮人の帰還希望登録が今月(三月)中旬だったのですが……何もしませんでした」

知り合いの宋日浩(山村)が登録申し込みの有無を、見舞いを兼ねて訪ねてきた折りの話から、瑛根は決断したようだった。

 八月十五日以後の朝鮮は、三十六年間にわたる日本の束縛からの解放という喜びも束の間のことであった。際限のない政争と政情不安、経済的な困難などから祖国への帰還を躊躇し、日本に留まろうとする人々が増えていった。一旦帰国した人たちの中から闇船で日本に舞い戻ってきた人の伝える朝鮮の実情は、決して喜びに溢れた前向きの情勢ではなく、帰還を思い留まらせるほどの悲観的な情報ばかりであった。

宋(山村)の話では、一度朝鮮に帰ってしまえば再び日本へ戻ることはできないということもはっきりしていた。

宋から聞き及んだ朝鮮の実情だけが、瑛根を日本に留まる決断をした理由ではなかった。夢想とわがままと打算ばかりで生きてきたこれまでを思い起こしながら、瑛根は朝鮮への未練を断ち切り、日本で生きていくことを決断した。

 ――おれはもう朝鮮のことをいっさい口にしない。しかしあえて日本にこだわることもしない。流氷か浮草のように、なるがままに淡々と身を任せることにした。こうなることがおれのパルチャ(運命)だったのだ。

 自分がこれまでにやってきた所業に後ろめたさは尽きないが、瑛根は居直るように決断をしたのだった。朝鮮を自分から遠ざけ、親や弟、妻の永姫を悲しませ続けたこと、日本を欺き続けていること。それでほんとうにあらゆるシガラミから自由になれたと言えるのか、自由な身分の人間などどこにもいない、そんな世界などないとわかっただけである。瑛根には、朝鮮に対しても日本に対しても後ろめたさだけが残っている。どの国にも属さない無国籍者ほど自由からほど遠く厳しい生活を余儀なくされているではないか。ロシア革命から逃れてきた白系ロシアの人を瑛根は知っている。どこの国家や社会にも属さないことが、逆にもっとも自由から遠い地点に追いやられている。そのことに気付くのに瑛根は三十年以上の時間が必要なほど自分は愚か者だったと、自分を罵り嘲っていた。

財産や資産、何か目ぼしい業績のひとつを残したわけでもなかった……。しかし愛情らしい愛情を注ぐこともしなかった娘と息子、さらには珠玉のような孫までもいる。自由など自分の心の持ち様ひとつではないか。じゅうぶん過ぎる人生ではないかと思い、瑛根はまだ自由が効かない右腕を擦りながら瞑目した。

死んだとだけ聞かされ、せめて死因だけでも知りたいと日本に来てしまった京淑にとっては、アボジの決断は理解に苦しむ成り行きであった。後遺症が心配とはいえ、順調に恢復に向かっているアボジが近くにいて、死んだはずの人にいつでも会えるというのは奇跡としかいいようがない。

朝鮮にはもう帰らないというアボジの決断は、京淑には単純にほっとして嬉しいと思う反面、揺れ動く奥深い心の底での葛藤が手に取るように伝わってくる。故郷とはその場所のことではなく、親や兄弟姉妹、親しかった人びととの再会の時間のことなのだ。京淑の瞼に忠清道のアボジの実家や桑畑や、身内の人びとの顔が蘇ってくる。京淑にとっては悲惨な時間を過ごした忠清道であっても時が経てば懐かしく思い出されるのだ。アボジの心中はいかばかりであろうかと、京淑は複雑な思いに捉われていた。敏雄にはわからないアボジの本心を推し量ることができた。

アボジの複雑に交錯する胸の内には共鳴しながら、義姉の夏子が口にする京城への望郷の切々には、京淑は嫌悪感をおぼえた。

――あなたはあれほど日本人であることを誇っていたではないですか。なにごとにつけ朝鮮にまつらうものに拒否反応をしていたではないですか。こんどは帰ってきた日本を毛嫌いして愚痴の数々、どこまで自分さえよければ自分以外の人はどうなってもいいと思い上がっていられるのですか。

義兄夫婦が撒き散らす鬱憤は、大世帯の家族に憂鬱の日々を強いていた。カズ代と夏子の間には会話もなく、本来は明るく闊達なカズ代が塞ぎ込み、京淑に話しかけることも少なくなってしまった。前庭の菜園に出ることもほとんどない。

 そんな陰うつな日々が続くなか、なにが原因だったのか――たぶん夏子の子どものことだったと思う――カズ代と夏子が激しい口論になった。単なる嫁姑の諍いではなく、夏子の鬱が爆発したことが原因だった。

 口論の最中にカズ代が激しく咳き込み始めた。梅雨入りしたと思われる季節の変わり目であった。二人の言い争いをしおに義兄一家は家を出た。

 これから平穏な毎日になると心中密かに喜んだ京淑に、心痛めることが起きてしまった。口論のあと咳が続いたカズ代が、夏風邪だろうぐらいに軽く考えていた体の不調は、往診に訪れた医者に肺炎だと告げられ、すぐに入院する破目になった。

 ひどい咳が治まり一週間ばかりで退院にはなったが、戦争直後の物資欠乏の世の中では有効な医薬品があるはずがなかった。充分な栄養を摂り体を休ませるしか治療の方法もないと医者が言った。

 京淑は家事、子育て、夫の世話に忙殺されながらも、自宅療養のカズ代の看病を何よりも優先させた。

「栄養のあるものを摂ることが何よりの薬だとお医者さんが言っていますよ」

 カズ代の枕元に座った京淑が、優しく語りかけるたびに、

「なあに、生タマゴでも飲み込んでいれば直に治るよ」と言いながら「それよりも美味しかカフィ、コナカフィが飲みたいねえ」

 少女から青春時代を過ごしたハワイ島の懐かしい風景の数々を回想しているのか、病気のことなど気にもかけていないような表情を浮かべている。

 昼間もほとんど横になっているカズ代は、穏やかだがどことなく元気がない。とり止めのない雑談を交わしていた九月中旬の昼下がり、カズ代が問わず語りに話し始めたことに京淑は息をつめて聞き入った。

「わたしは九歳の時に独りで船に乗ってハワイまで行ったとよ……。ハワイへ移民していた伯父さん夫婦の養女になって、ハワイ島へ行くことになった。実のお父さんが日露戦争で戦死して、それから一年もしないうちに何が原因だったのかわからなかったけどお母さんも死んだ。二人兄妹の兄は、男だからと日本に残って親戚に引き取られ、わたしはハワイへ行くことになった。子ども一人で移民船に乗っていたのはわたしだけだった。若い女の人たちがたくさん乗っていたよ。あなたにはわからないだろうけど、その人たちはみんな写真花嫁といってね、独身で移民していた日本人の男と、写真の遣りとりをしただけで会ったこともない男たちと結婚する女性たちだった。みんな粗末な日本の着物を着て、持ち物らしい持ち物もなくホノルルの港に着いたよ。おおぜいのそんな人たちと一緒だったから子どものわたしも、なんとかハワイまで行くことができた。

 あなたが母親を亡くして、お父さんの実家へ引き取られ苦労した話を聞かされたとき、わたしと同じじゃないの、と涙がこぼれそうになったよ。

 伯父さん夫婦をお父さんお母さんと呼べるようになるまで、夜の寝床で毎晩泣いて一年くらいはお父さんなんて呼べなかった。いつも『あの~』と言って話しかけていたものだった。伯父さんの家にはわたしより年上の男の子二人がいたけど、あなたと違うのはみんな優しい人ばかりだった。貧乏で大人たちの仕事は大変だったけど、頑張ればそれだけ収入も増えると、わたしたち子どもも一緒になって砂糖キビ畑やパイナップル畑で働いたものよ。辛いと思ったことはあまりなかった。ハワイはのんびりした風土だからそれがよかったね。シュガーケイン トレイン(砂糖キビ列車)に乗せてもらうのが楽しくてねえ。

 教会の白人の英語教室にも行かせてもらった。あなたが学校へも行けなかったと話してくれたときには、ハワイと朝鮮の違いをしみじみ思ったわ」

 京淑は、カズ代が両親を亡くしていたというのは初めて聞く身の上話で、自分に優しくしてくれたのは、同情からきたものだったのだと考えるのは当然だと思っていると、カズ代らしい察しのいい感が働いたようにカズ代は続けた。

「あなたと知り合って、あなたの生い立ちを聞いて、わたしと同じような境遇だなとは思ったけど、人間なんて同情して慰め合ってもどうなるものではない。ただただこの子は明るくてクヨクヨしないいい子だなあと感心していた。父親のほんとの死んだ理由を知りたいという気持ちだけは、わたしも自分の父親が戦場でどんな死に方をしたのかと思うと、いたたまれない気持ちが晴れることはなかったから、なんとしても願いを叶えてあげたかった。

 そんなわたしたち二人が、こうして親子になっているのだから、人の一生なんて不思議なものね。こんなに静かで幸せな気分の時間が過ぎていくのが、なんとも言えずいい気持ちね、柔らかいバスタオルに包まれているようだね」

 京淑にとって義母カズ代は、国境もない果てしなく広がる、明るい大草原のような人だ。心が通じ合った人がそばにいるというのは、どれほど安らかな気持ちでいられることなのかと、京淑はしみじみカズ代に感謝していた。この人のためならどんな辛いことでも厭わない、長い患いであろうと献身的に看病すれば、きっと元気になってくれると信じた。

――二人で何もかも放り出して、自転車に乗っておいしいコーヒーとラムネを飲みに行く約束したでしょう。

 カズ代が咳き込むたびに、京淑はどこからでも駆けつけて、昼夜も厭わずカズ代の背中を擦り続けた。

 カズ代の容態は一進一退を繰り返していた。少し元気を取り戻し、恢復に向かったかと思うと、医者の往診が必要なほど胸を抱え込んで苦しんだ。それでも孫の瑛正が伝い歩きを始めると、

「もうすぐテルちゃんの一歳の誕生日、朝鮮ではトルチャンチだったね。早く元気にならんといかんね」と言って自分を励ますように口にしながら、京淑を喜ばせた。

 しかし寒さが増し空気が乾燥する日々が続くと、カズ代は喘ぐように苦しみ、京淑と話をすることも辛そうだった。

「こんな隙間風が吹き込む家ではオフクロも辛かろ。お医者さんにお願いして入院させてもらったらどうだろう」正行が京淑に言った。

 しかし家にいてほしい、自分がなんとかすると思っている京淑は、カズ代を病院になんか行かせられないと正行の提案には首を横に振った。数日前にカズ代が独り言のように呟いた言葉が脳裡から離れないからだ。これまで聞いたこともない弱気な途切れとぎれのか細い声だった。

やっと聴き取れる声でヨッちゃんと呼びかけ、目を閉じたままカズ代が洩らした。

「役目は……果したね。――ヨッちゃん、……カフィが……飲みたい」

 カフィが飲みたい、とカズ代が言うのは元気な証拠だと京淑は自分に言い聞かせ、大急ぎでコーヒーを淹れ枕元に用意した。

「オカさん、カフィができましたよ」

 目で頷くだけで起き上がろうとしないカズ代に、京淑は湧き上がってくる熱いものを小鼻の奥に閉じ込めて、冷ましたコーヒーをガーゼに浸し、何度も何度もカズ代の唇を濡らし続けた。

二十四

 カズ代の通夜での不思議な光景のことである。

 昭和二十二年(一九四七)三月下旬、桜の蕾も脹らみ始めた季節だった。桜の花びらが目に入ってくることを嫌ったカズ代は、時節を測ったようにして逝った。肺を患って一年持ちこたえることができなかった。

 京淑にはもう流す涙が一滴も残っていないほど泣きはらし、長時間正座し続けていることも意識にないまま、喪服に身を包み弔問客に頭を下げていた。身内の末席にアボジと弟の敏雄が連なっていたが、言葉を交わすこともなく、顔を白布に覆われたカズ代の遺体と祭壇に飾られた遺影ばかりを見ていた。

 弔問客が途切れ、アボジと敏雄に目を移したときだった。京淑はあり得ない光景を目にした。アボジと敏雄の間に、アボジの大柄な体に身を隠すようにして母親のチヨが座っていた。そんなことがあるはずがない、幻だ。

 京淑は目にハンカチをあて、改めてアボジに目をやると、チヨは張り巡らされた白黒の鯨幕に触れるようにして、伏し目がちに京淑に目を向けていた。喪服の着こなしは昔のままに整っている。京淑は幻を見ているのだと自分に言い聞かせた。正行に言おうものなら一笑に付されるどころか、カズ代の死に悲嘆に暮れるあまり、気がおかしくなったのではないかと余計な心配をさせるにちがいなかった。

さらにこんな話はだれにも信じてもらえないだろうが、母チヨの膝には瑛正が抱かれていたのだ。これまで夢枕に立ったこともないチヨが、選りによってこんな日にどんな思いから京淑の視界に現れるのだろうか。京淑は耳を打つ鼓動を鎮めるように目を閉じた。

――わたしの願いを叶えてもらって、ここまで娘のように心を込めて接してもらったカズ代に、母はきっとありがとうございましたと、どうしてもお礼を言いたかったにちがいない。

そう思うと京淑は、動かなくなったカズ代と遺影に両手を合わせた。

カズ代が残した私物に手を付ける気になれない京淑であったが、「形見分けしなくちゃね」と、義姉の夏子言われた。〈カタミワケ〉という日本語の意味がわからない。箪笥の抽斗を開け、中身を無造作に畳の上に並べながら、「なんにもないわね」と夏子が渋い顔をしている。物のこだわりがなかったうえに、高価なきものに関心がなかったカズ代の箪笥には、目ぼしいきものもなく帯も装飾品もごくわずかだった。

 丁寧に折り畳まれたバスタオルが何枚も仕舞い込まれていた。その中の一枚を広げた夏子が京淑に声をかけた。

「淑子さん、あなたの名前が書かれた紙があるわよ」

二つ折りにされた紙切れを開くと短い文章が書かれていた。〈リンダニモラツタ(リンダにもらった)アナタニアゲル〉

生前に口頭で伝えることもできただろうに、なぜわざわざ紙片にしたのだろうか。

「こんなもの、誰がいつ着るというのよ」

ぶつくさ独りごとを言いながら夏子が手にしているのはムームーだった。カズ代が思い出の品としてハワイから持ち帰ったものに違いなかった。夏子がムームーを自分の胸にあてがったときだった。同じような紙片が落ち、そこにも京淑あてのカタカナだけの一行が書き添えられていた。〈イツノヒカ ハワイヘイキタカツタ(行きたかった)カズヨ〉

 いつの間にこんな手の込んだことをしたのだろうか。カズ代が自分の寿命を予知していたとしか京淑には思い当たる節がない。病の床でいろいろな思いを綴るカズ代の姿を想像すると、紙片を握りしめた京淑は、声を上げて泣きそうになり、独りになりたくて二階の部屋へ駆け込むようにして両手で顔を覆っていた。京淑には、カズ代が人間とは思えない天使のような人だとしか言いようのない神々しい存在に思われた。

 好きなだけ自分のものにした夏子が、畳紙(たとうし)もなくむき出しになった礼服を指さしながら怪訝そうに言った。

「これだけがつい最近着たような畳み方してあるわ。不思議ね」

 京淑は通夜の情景を思い浮かべ、ハッとして金縛りにあったように全身が硬直していた。チヨが身に着けていたものは、この礼服に違いない。この世からあの世へのドアを押したところで、カズ代とチヨが初めて出逢い、チヨがあの世への道案内を申し出たにちがいない、チヨが通夜に連なったことは決して幻想ではない、これは現実に起きたことなのだと京淑は信じた。

カズ代とともにあった身の周りの品々が指を折っても余るほどになり、箪笥の抽斗がいとも軽々と開けられ、京淑の胸にもぽっかり穴があいたように寂寥感が漂う。京淑は寂しさをこらえながら、空になった抽斗を虫干ししようと引っぱり出した。

 抽斗の底には湿気を取るために、もぞう紙が丁寧に敷きつめられている。小物入れだった抽斗の紙を取り払ったときだった。京淑は張り付いたように置かれている封筒に目を留めた。分厚いもので、しかも小さな字で「淑子様」と書かれ、糊で封までほどこされている。中身は思いもおよばないものだった。

 淑子様からはじまる手紙と、表紙に長谷辺淑子と書かれた郵便貯金通帳とハンコだった。

手紙を広げながら京淑は思った。衣類の間に挟まれていた数枚の短い文の紙は、ほかにも別な場所に大切なものが仕込んであるよ、と気づかせるためのカズ代の用意周到さだったのではないか。そのためにどれもこれもが京淑あてになっていた。

 わずかに漢字が混じっているカタカナの手紙を読み始めた京淑は、全身が毛羽立ち、湧き上がってくるものに目が霞み、読み進めることができないほどだった。

――貯金通帳の名義は前年の新円切り替えの折に京淑にしたこと、お金は全部京淑が自由に使うこと、この金はへそくりでも何でもなく、カズ代が夫の仕事場を手伝ったときの報酬として夫から正統にもらって貯めたものであり、女は決して男の従属物ではないという意味のことを主張した結果であると書かれ、元気になったら二人で自転車とミシンを買い、女性だけの楽しみを満喫するつもりでいた、と(したた)められていた。

 そこまではどうにか涙を拭いながら読んだが、その続きは読み進められなかった。

 ……ワタシワ(は)アナタガ カンガエルヨリモ ジフビャウ(重病)。……それは自分が一番よくわかる。寿命がそう長くないが思い残すことはない。わたしにとってあなたは息子の嫁、あなたにとっては義母という関係以上に、わたしの分身ではないかとさえ思っている、そうであるならあなたが生き続ける限り、わたしも生き続けることになる。それがわたしとあなたがめぐり逢った縁というものだ。こんな深い契りを持たせてくれたあなたに心からありがとうと言いたい……そんな内容を訥々と、長い時間をかけて書いたであろうことが偲ばれる手紙だった。

 貯金通帳はミシンと自転車を買ったとしてもあり余るほどの額だったが、カズ代の降り注ぐほどの親愛の情だけで胸が溢れ、その金に手を付けられるものではなかった。

 カズ代を亡くした悲しみ、寂しさ、懐かしさとさまざまな感情が幾重にもよじれ絡まり、滂沱として京淑の内を流れる。

 神も仏も信じないと言って憚らなかったカズ代の額縁に入った写真に見入りながら、京淑は、折り目がすり切れそうになった手紙を開かない日はない。(了)