ソウルの白い夏

 京城(けいじょう)(現ソウル)の小学校教師であった(ゼン)阜南(フナン)が、繁華街の書店から警察に連行されたのは昭和十四年(一九三九)の、朝鮮ではキムジャン――キムチ仕込みの季節が過ぎて、既に冬であった。

 休みを間近にして、旅行でもしようかとぼんやり考えていた全阜南にとっては、私服の刑事に声を掛けられるなど想像すらできないことであった。

 目に見えない窮屈さが漂う毎日を過ごしていた全阜南が思いつく気晴らしは、旅行くらいしかなかった。

取り立てていうほどの理由もなかったが、木浦(もっぽ)(朝鮮・全羅南道の一都市)あたりへでも行って、海を眺めていようと考えた。独り身の気楽さである。

 京城・本町の、丸善書店へ出かけた阜南は、観光案内や地図帳の並んだ一角で、時間表を手にして頭の中で計画を練っていた。

 夜行列車に乗り、大田(タイデン)で乗換えれば翌朝は木浦の海辺に立っている光景を思い浮かべて、冊子から顔を上げたときに、見知っている人物と偶然に目が合った。

日曜ごとの、キリスト教会の英語教室で一緒になる同年輩の男であった。親しく口を利いたこともなく、名前も知らない人物であるが、全阜南は、軽く会釈をして目の高さほどに手を挙げて挨拶をした。

男もわずかに頭を下げて応えただけであった。

店内は混み合っている。肩が触れ合うほどではないが、待ち合わせに丸善を利用する人たちも多いのだろう。

 全阜南が、朝鮮全図の冊子を手にしたときであった。

背後から肩を叩く者がいる。ぬめりとした、撫でるような肩の叩き方に、阜南は一瞬鳥肌が立つような寒気を感じた。

 ねずみ色の地味な背広の男は、朝鮮語訛りで訊いてきた。

「全阜南さんテスネ(ですね)?」

「そうですが……」

左肩越しに答えた。

「警察の者だ、ちょっとついて来てくれ」

急に居丈高な口調になった。

「どうして私が警察に?」

咄嗟のことで、つい声が大きくなった。周りの目がいっせいに阜南と刑事に向けられた。

「署で話す。タマッテ(黙って)ついてくればいいんだよ。時間は取らせない」

 有無を言わせず、京城本町警察署へ連れていかれたが、全阜南には思い当たる節がどこにもなかった。

 道すがら、京城師範学校を卒業してからの、これまでの日々を遡って考えた。

 京城府の東の外れにある、朝鮮人児童だけのS普通学校に――S小学校と呼び名が変わっていたが――勤めて四年になる。その間、何もやましいことをした覚えがないのだ。

思い当たることはないが、刑事に名前を呼ばれたことに一抹の不安がよぎった。身内の者に何かあったのではないか、それくらいしか思い浮ばなかった。

 連れていかれた小部屋から朝鮮人の刑事が出て行くと、誰も入って来る者もなく、夕刻まで三時間ほどほったらかしにされたままであった。いかに警察とはいえ、あまりにひどい扱いではないかと怒りがこみ上げてきた。タバコ一本さえ火を点けることができない。

 苛立ちが頂点に達したころ、日本人らしい刑事が入ってきた。

「どうしてここにいるのか、今日一日のことをよく考えてみろ」

刑事は穏やかな口調で言った。

「本屋に立ち寄っただけです。何もやましいことはしていません。警察に話すことなど何もありません」

全阜南は腹立ち紛れに、ふてくされた答え方をした。

「こっちは訊きたいことだらけだ。胸に手をあてて、よく考えてみることだな。明日訊くことにする、今日泊まっていけや」

「何で帰れないのです?」

「警察は何も用事のない人間を呼んだりしない。泊まっていけばいいんだ」

刑事は決め付けるように言うと、全阜南をコンクリートの床と壁だけの留置場に連れていった。

毛布一枚だけが部屋の片隅に置かれ、鼻をつく、饐えた臭いに耐え兼ねた房の中で、膝を抱えて毛布に包まった。

壁に凭れ目を閉じていると、ひと月以上も会っていない並城(なみき)タカエの、幼さを残した片エクボの顔と知り合ってから半年余りの日々や、母や弟の顔を思い浮かべながら、いつの間にか睡魔に身を委ねていた。

 朝鮮の中心都市京城は、四つの大門を持つ城郭都市である。

東に位置する東大門から、郊外に延びる路面電車が、農村の風景が広がる中を、ポプラ並木に導かれるようにして清涼里(せいりょうり)まで走っている。

清涼里には京城帝国大学予科が、一つ手前の停車場近くの清涼台に、三階建て赤レンガ造りの京城女子師範学校が広大な敷地に威容を誇っていた。

 並城タカエは、京城女子師範学校本科の二年生、十八歳である。

公立(こうりつ)仁川(ジンセン)高等女学校を昭和十三年(一九三八)に卒業すると、京城女子師範学校に入学し寮生活を送るようになった。滞りなく二年間の学業を終えれば、おそらく京畿道内の小学校に奉職することになるだろう。

 タカエの家族は仁川に住まい、父親の並城龍吉は、東京の青山学院を卒業した中学の英語教師、三歳違いの兄龍一は京城帝国大学法科の一年生である。

 父親のそばにはいつも英字新聞があり、欧米の事情にも明るかった。ドイツ軍のポーランド侵攻により第二次世界大戦が始まったときには、兄の龍一を相手に世界情勢について話し込んでいた。冷静でリベラルな考えをする父親の見解にはいつも説得力があった。

 母親のミサは、実家の父親が朝鮮総督府の官吏であった。二人兄妹の兄も、総督府に勤める、平凡な家庭に育った。

 寮生活を始めたタカエは、週末になると欠かさず仁川の家に帰ってきた。清涼里から電車と汽車を乗り継ぎニ時間余りで帰ることができた。家族四人で食卓を囲むと、タカエは学校のことや寮の生活の隅々まで、微に入り細に入り語った。

母親のミサは「よくそんなに話すことがあるわね」と言いながら、充実した生活を送っている様子の娘に目を細めている。

 十人ほどが一つ部屋で過ごす娘が、寮に帰る日曜日には、ミサは、同室者の分までお菓子などを持ち帰らせた。

「内地から送られてきたミカンなんてみんな大喜びよ」

北部の咸鏡(はんきょう)道や平安道から来ている朝鮮人の同室者には特に喜ばれた。北部ではほとんど生産されない果物なのだ。

「私、来週から教育実習にいくのよ」

進級してすぐの五月、タカエが、遠足前日の小学生のようにはしゃいだ顔で報告すると、

「いよいよ先生への第一歩だな。どこの学校へ行くんだい?」

父親の龍吉が心配そうに訊いた。

「学校近くのS小学校よ。半島の子供たちばかりの学校。五年生の男子クラスよ。自分から希望しました」

「五年生、六年生の中に入ると、タカエは背が低いから埋もれてしまうんじゃないのか?生徒が生徒に教えているといわれないようにしないとな。お母さん、タカエに先生らしい服を買ってあげたほうがいいんじゃないの」

兄の龍一がからかった。

 何の心配事もないような、温かい空気が食卓を包んでいる。

つい最近まで全天を覆っていた薄いセピア色の黄砂が取れると、透きとおるような青空の下、眩しいばかりの連翹を見ながら、タカエは寮からS小学校までを歩いて通った。

 教育実習初日の冒頭、十名ばかりの実習生を前に校長が訓辞をした。

――諸君は、これから二ヶ月近くの長期に亘って、教授法の実施訓練をするわけであるが、授業の進め方だけを学ぶのではない。小学校の第一の使命は、内鮮一体、皇国臣民の育成にある。半島の子供たちを、いかにして天皇陛下の赤子として有用な次世代の人間に育てるかが根本にある。そのことを基本において、授業を進める技術を学んでもらいたい

 並城タカエは、配属された二人の教生の一人として、五年生男子のクラスに割り振られた。

指導訓導は、京城師範学校卒の、四十歳くらいのベテラン男性教師、山口貫市という名前の訓導である。

山口は、懇切丁寧な指導であるが、二人の教生にとっては寝る間もないほどの厳しさでもあった。何度も何度も練り直して作成した毎日の授業計画案には、ことごとく朱を入れられ、やっと授業に臨むことができた。生徒に投げる質問と、予測される答えを幾通りも書き出しておく。そのための資料を用意するといった作業を続けた。

山口の模範授業は、一分間の誤差もなく計画通りにまとめるという驚嘆に値する完璧なものであった。

 クラスの性格や雰囲気というのは、担任の資質、性格を反映するのであろう。山口訓導のクラスは、統制がとれ、はみ出し者のいない、教師にとっては満足のいくクラスではないだろうか。

授業の始まる前には、全校生徒が運動場に集められ、毎日同じ行事が判で押したように進められた。国旗掲揚、東方(宮城)遥拝、校長訓辞と続く。宮城遥拝はお辞儀の角度まで決められ、両手は両わきに伸ばし……。だらしない手をした生徒には担任が容赦なく手の甲を叩いて回った。

 教室の黒板の上には〈皇国臣民ノ誓ヒ〉三か条が掲げられ、毎朝唱和が義務付けられている。

  • 私共ハ大日本帝国ノ臣民デアリマス
  • 私共ハ互イニ心ヲ合セテ天皇陛下ニ忠義ヲ尽クシマス
  • 私共ハ忍苦鍛錬シテ立派ナ強ヒ国民トナリマス

「小学校教育の第一の目的は何か?」山口は自問するように言う。

「……」

「国、総督府が目指すものは……、忠良なる皇国臣民となる子供を育てることです。しかしこれは私見ですが、この学校の子供たちは、大半が小学校を卒業しても上級学校へはいけません。すぐに大人の社会、社会人として独り立ちしなければならない。そのために必要な、社会生活の基本を教えることが大事なのです。嘘をつかない、言い逃れをしない、人に頼らない、といったことです」

 しかし指導訓導の山口がなんの手立てもできないことが一つだけあった。

 タカエたち二人の教生が、どう対処したらいいのか、路頭に迷う光景に遭遇したのは初日の昼食時であった。

 生徒たちが、持参した弁当箱を一斉に各自の机の上に出したときに、四、五人が席にいない。

「ちょっと待ちなさい。まだ席に着いていない人がいますね」

タカエは気を利かせたつもりで大きな声で言った。

教室中の手が止まり、皆の視線がタカエに集中した。

「いない人たちはどこへ行っているんですか?」

誰も答えない中で担任の山口訓導が重々しく言った。

「いいから食べなさい」

 担任に促されて、教室中にキムチの匂いが広がり、生徒たちは弁当を突つき始めた。

 タカエは自分の経験から、全員が揃ってはじめて食べ始めるものと思っている。

「いない子たちは家に帰って昼食を摂るのです。心配しなくてよろしい」

 担任は歯切れの悪い言い方をして、その場を収めた。

 翌日も数人が昼食時にいなかった。理由はすぐに判った。

 教室を出て行った子供たちは、弁当を持参できないのである。昼食の時間は所在なげに、運動場の片隅にいた。

弁当のある子供たちの、その中味にもタカエたち二人の教生は息をのんでしまった。粟飯や稗、コーリャンにキムチだけというのが大半だったからである。

 タカエは目の遣り場に困り、俯くとなぜか鼻の奥に込み上げてくるものがあった。

クラスの子供たちの家がどんな環境にあるのか、タカエには想像すらつかなかった。

 教育実習が始まってしばらくは、タカエは寮の食事に出される惣菜にも手を付けられなくなった。子供たちの弁当や、運動場に佇む子供が目に焼きついて離れないからだ。

「独身者はいいね、春、夏と長い休みは旅行ができて。春はどこへ行って来たの?」

 土曜日の放課後は寛いで、数人の教師が職員室の一角に陣取り、タバコをふかしながら雑談に耽っている。

 気楽な独身者といわれた教師は、五年生担任の全阜南である。色白な顔に、微かに笑みを浮かべて話を聞いていたが、

「江原道東海岸の、海金剛へ行きました。海はいいですね」と、目の前に海があるかのように、静かに答えた。

「でも全先生もそろそろ身を固めないと、な」

朝鮮人の主席訓導(教頭)がお節介を言った。

「そうだよ。我々朝鮮人は未婚の成人男子を〈総角(チョンガー)〉と言って、一人前と認めない風潮がある。父兄の手前もあるから早いほうがいいよ」

年配の朝鮮人教師が追い討ちをかけた。

「誰かいい(ひと)いませんかね」

一服吸い終った全阜南は、会話をはぐらかすようにして自分の席へ戻ってきた。

 教育実習が始まって一週間が過ぎ、並城タカエにもやっと周りが見え、話し声も聞える余裕が生まれてきた。

そんなタカエに、緊張から解放された土曜の午後聞えてきた「海はいいですね」という全阜南の独り言のような言葉が、新鮮で印象的であった。そのひと言と、さわやかな表情がタカエを虜にした。

日曜日に仁川の自宅へ帰ったタカエは、高台にある家の二階から、ただ海を見ながら何か温かで、満たされた気分を味わっていた。生まれて初めての、湧きあがるような昂揚感だった。

 全阜南の、遠くを見ている姿を彷彿させるようなひと言が、繰り返し聞くレコードの音楽のように、一人になった夜になってもタカエの耳朶に何度も何度も蘇ってきた。隣のクラス担任であるが、まだほとんど口を利く機会はない。

 恋心は、突然前触れもなく打ち寄せるものだと海を眺めながら他人事のように思った。

 同時にまた、こんな心持のままで授業をすれば、何か突飛なことや失敗を仕出かすのではないかとタカエは恐れ、冷静で落ち着いていられるかどうか自信がなかった。

全阜南が見ているところで取り返しのつかない粗相でもすれば、悪夢になるに違いない。誰よりも早く登校し、気持を鎮め、万全な備えをして一日を始めなければと戒めながら、フフッと独りごちた。

 月曜日の朝、ひと気のない職員室に入ると、校長室への出入り口の扉は既に開け放たれていた。登校して最初にやることは、校長室に出向き、神棚に拍手を打ち、校長に挨拶することである。

「少しは慣れましたか? うまくいっていますか?」

慇懃な口調の校長に訊かれた。

「はい、山口先生に懇切丁寧に教えていただいていますので、なんとかやっています」

タカエは直立不動で、緊張して答えた。

「他の先生にも、積極的に質問してもいいのですよ」

 校長の言葉にタカエは内心ギクリとした。全阜南のことが思い浮かんだ心の内を見透かされているのかと、頬が微かに紅潮したようだった。落ち着いて、と自分に言聞かせながら職員室へ戻って行った。

――しかし人間は、間違えてはいけないなどと意識すればするほど極度の緊張で、反って本当に間違ってしまうことがあるものだ。

 タカエたち女の教生は、出勤してきた教師にお茶を給仕する役目を担っていた。一人一人に緑茶と麦茶のどちらがいいかを訊ねて出すことになっている。日本人教師はほとんど緑茶を所望したが、朝鮮人教師は必ずしも緑茶とは限らなかった。

 全阜南が席に着くのを目にして、タカエは近くから緊張して訊いた。

「金先生、お茶はどちらになさいますか?」

全阜南は怪訝そうな目をしてタカエに答えた。

「麦茶ですけど……。僕は金じゃないよ、全だよ」

 ――選りによって全阜南先生だけを間違えるなど悪魔に魅入られて金縛りにあっていたとしか考えられない。悪夢だった。

 その日一日のタカエは、やることなすこと、すべてがチグハグだった。

「黙り込んで虚ろな目をしてどうしたの? 生徒の名前を何人も間違えたりして、今日一日変だったわよ」

 教生の仲間にも見抜かれるほど、ひどい顔をしていたにちがいないと思うと惨めだった。

 帰りの道には白い綿帽子の柳絮(りゅうじょ)が舞っていたが、タカエには〈全〉という漢字が舞っているようだった。

 追い討ちをかけるようにして、並城タカエの初めての恋をあざ笑うかのように、不運が続けざまにやってきた。

 名前を間違えたときから日を置かずして、タカエは無様な恰好を全阜南に見せてしまったのだ。

 教室から職員室へ戻る途中の、階段の踊り場で転び、(うずくま)ってしまった。軽傷ではあったが足首を挫いた。弾みで手にしていた教科書や資料を投げ出してしまったところに、後ろから来た全阜南に両わきを持って助け起こされたのだ。散らばった書類は全阜南が持ち、タカエは、阜南の肩に凭れたままで職員室へ戻っていった。

 恥ずかしさ、痛さ、申し訳なさがない交ぜになって、タカエは身の置きどころのない事態を呪わざるを得なかったが、身体を預けながら、全阜南の、ポマードの仄かな匂いに一瞬うっとりしたことを後々まで忘れなかった。

 全阜南と並城タカエの仲は、タカエの失敗や階段を踏み外した粗忽が、二人の間を急接近させるとは、神様にしかわからないことだった。

 教育実習も残り少なくなったころ、指導訓導の山口から、二人の教生は半日を費やして生徒を京城駅へ引率するよう命じられた。

「五年生男子のニクラスは、明後日、北支へ向かう兵隊さんの慰問、激励のために、列車の停車時間に合わせて京城駅に行くことになった。全阜南先生と君たち二人が行ってくれ」

 昭和十二年の日華事変以来、兵を運ぶ北行の列車の主要な通過駅では、オニギリやお茶の接待をする婦人たちや、日の丸の小旗を持った小、中学生も動員された。

「御国のために戦地へ赴く兵隊に、感謝と激励の気持を、生徒たちに身をもって実感させることは、どんな授業よりも、〈皇国臣民ノ誓ヒ〉の三ヶ条をただ唱和させるよりも、ためになることです。真の日本人としての精神を涵養する、絶好の機会ですから」

 指導訓導に言われて、タカエは改めて身が引締まるのを感じた。と同時にまた不埒なことであるが、全阜南と同道する時間の長さに嬉しくもあり、どう全阜南と接したらいいのかと考えると、期待と不安が入り混じった、落ち着かない、複雑な思いに駆られた。

 三人の引率者は、生徒たち百人ばかりの前になり後ろになりしながら、S小学校から京城駅までの片道一時間ばかりを往復し、激励の小旗で列車を無事送り出すことができた。

 道すがら全阜南とタカエは、雑談を交えて初めて親しく口を利き、タカエの不安やおそれは杞憂にすぎなかったばかりか、全阜南が一気に身近な存在となる糸口になった。

率直で歯切れのいい話しぶりと、一重瞼の涼しい目元の笑い顔は爽やかで、タカエの想像した通りの、好感のもてる青年教師であった。

 休みの日には何をしているのかなどと、とりとめもなく聞かれたが、質問するばかりではなく、全阜南も自分のことを話した。

「今日の兵隊さんたちは、どこまで行くのでしょうね。汽車の旅は横になれないから辛いでしょうね。疲れますよ」

 阜南は前年の夏に行った旅の話から、満員の、夜汽車の大変さへと話を続ける。タカエに語りながら、旅にも汽車にも関係のない連想を働かせていた。

 ――兵隊を満載した列車を見送りながら、この列車も遠慮会釈もなく朝鮮半島をわがもの顔で、ただそれだけのために朝鮮があるかのように、小旗の波の中を通り抜けていった。満員の夜汽車の中で、通路に横たわった阜南の顔を無視して通っていった乗客と同じだ。朝鮮人のだれもが、踏みつけられても文句ひとつ言いもしない。

「全先生は旅行がお好きなんですか?」

職員室で聞えてきた話を思い浮かべて、タカエは訊いた。

 阜南は、タカエの声に、ふとわれに返った。

「休みになると無性にどこかへ出かけたくなるのです。外国へも行ってみたい、アメリカとかヨーロッパとか。所詮叶わぬ夢ですが……。でも僕は、アメリカ人やイギリス人と不自由なく話がしてみたいので、キリスト教会の英語教室へ通っているんですよ」

「私の父は中学の英語教師なので、そこそこは英語を話せます」

言い終わってタカエは、余分なことを言ったと後悔した。図に乗って不必要なことがつい口に出てしまった。

「それはすばらしい、羨ましいです。それじゃあなたも英語に興味があるでしょう」

「女学校で少し習っただけですから……。どちらとも」

 一緒に教会の英語教室に行かないかと誘われて、タカエは英語よりも全阜南と共有できる時間に想像を膨らませ、ただ嬉しくて承諾したが、不承不承のような口振りで応えた。

 全阜南と教育実習を終えた並城タカエは、その後も日曜日ごとに会うことができた。教会へ行きさえすれば、会う日時や場所を確かめ合う必要もなく、こと足りた。

英語教室が終われば、そのまま二人だけの時間となり、あるときは京城市街を見渡せる南山のベンチであり、あるときは大河漢江のひと気の少ない畔であったりして、時間の経過は二人の逢瀬には無縁であった。

 九月に入ると、朝鮮の季節は、劇場の大舞台が変わるように一気に夏から秋になり、乾燥した涼気が肌に感じられるようになった。

 全阜南は、夏の休みを利用して江原道の景勝地、内金剛と、春にも訪れた海金剛へのスケッチ旅行に出掛けていた。

「阜南さんは、ほんとに海と絵が好きなんですね」

描き貯めたスケッチブックをめくりながらタカエが言う。

「蒼い海と、逆さ落しのような絶壁の岩と、樹々の織りなす海金剛は絶景だよ。タカエちゃんも一度連れて行きたいな」

 いつしか二人は、〈フナンさん〉〈タカエちゃん〉と呼び合う仲になっていた。

「海が好きだから、いつか客船にも乗ってみたいなあ。一度も船に乗ったことがない」

「私は、女学校の修学旅行で関釜連絡船に乗ったわ。内地の京都、奈良、東京へ行ったけど、釜山に帰り着いたとき、なぜだかホッとした気分になったことを覚えているわ。やっぱり自分が生まれ育った故郷ですものね」

 恋人同士の話など脈絡のないものであるが、阜南はしばしばタカエの疑心もないひと言に一瞬顔が強ばることがあった。

――何だって? 日本人のタカエの故郷が朝鮮だって。違うだろう、ここは俺たち朝鮮人の故郷で、日本人に自分の故郷と言って欲しくない――全阜南はタカエの言葉に違和感を覚えることもある。

 胸をときめかせながら二人だけのあいびきを楽しんでいる中で、他意はないのであるがタカエの話に、阜南はときどき不快になったり、疑問に思う言葉に遭遇した。

黙ってしまってタカエに、「どうかしました? 私が何か気に障ること言った?」と訊かれた。

 タカエの口から、内地人(日本人)に対して朝鮮人のことを〈半島の人、半島の人々〉という言い方がたびたび発せられることにも、阜南は密かに反発を覚えていた。

〈半島人〉や〈半島の人々〉という言い方は、〈チョーセンジン〉というカタカナ表現に見え隠れする、侮蔑的な表現を避けて、日本人社会で使われ始め、学校でも〈半島人〉と言うように指導した。しかし全阜南だけではなく朝鮮人の間では、そのもってまわった表現にかえって反感を抱く人間が多かったのである。

日本国内で北海道人や四国人、九州人などと、よほどのことがない限り言わないではないか、と阜南にも納得がいかなかったが、阜南はあえてタカエと議論するつもりもなく、自分の中で屈託した思いが、滓のように沈殿して残るだけであった。

無邪気に〈半島の人〉という言い方をするタカエを、阜南はいじらしいと思い、タカエが日本人であることを呪う気持にさえなった。そんなときに阜南は黙って彼女を抱しめたくなった。

 二人は、日曜日を終日タカエの寮の門限ぎりぎりまで共に過ごした。

 タカエは、土曜日の夜を仁川の家族のもとに帰りながら、日曜日には早朝から弁当やサンドイッチなどをこしらえると、いそいそと出掛けていった。

何か変だと、家族みんなが気付いていたが、両親もとりたててタカエを問いつめることはせず黙って見ているだけである。

二人が秋の好日を選んで、北岳山へ出掛けた日があった。

北岳山は標高三百四十ニメートル、白亜の朝鮮総督府と李朝の王宮であった景福宮の後ろに、屏風のように迫った、京城の城壁の一部をなす山であり、京城に住む人々が三角山と呼び慣わしていた、身近な親しみのある山であった。

「タカエちゃん、京城のサント・ヴィクトワール山に登ろうか?」

全阜南は、ニコニコしながら、タカエの反応を楽しむように言った。

「……?」

「三角山のことだよ。セザンヌが描いた南欧の山の名前なんだけど、その形が三角山によく似ているんだ。だから僕はそう呼んでいる」

 タカエと阜南は、絵の話、セザンヌの話をしながら北岳山(三角山)を目指した。

紺碧の空を遮るような眩しい紅葉を縫って、山道を登っていった。歩き易い道ばかりではない。途中には岩の露出した、登りにくい急な箇所もあり、阜南はタカエの手をとって引き上げる。タカエの手は阜南の手の中にすっぽり入ってしまうほどに小さく、きめ細かな柔らかい手だった。

前後に人がいないことを確かめて、握った手をそのままでしばらく歩いた。

手を預けているタカエも阜南も会話はぎこちなく、急に寡黙になってしまった。二人の意識は、汗ばんだ手に集中して、覚束ない足取りだ。

京城の市街を見渡せる展望台で、やっと口を利くことができた。

「S小学校はどこ? 仁川はどの辺りかしら?」「本町は?」

 チグハグな会話になっていた。手を握り合った、静かな興奮の余韻の中では、会話が弾まなかった。

 頂上まで登る必要もないという暗黙の了解は、タカエと阜南を人目のない方へと向かわせ、二人は山道から逸れて、南面した岩場の急勾配を、手をつないで下っていった。

 大きく枝を広げた松の傍にあった平らな岩に落ち着くと、タカエの手作りのサンドイッチが入った包みを広げた。

正面には京城市街と、緩やかに蛇行する漢江が見渡せるパノラマが平和に開けている。

 空腹を満たすと、ただぼんやりと街を眺めていたが、

「タカエちゃん、今何考えているの?」

阜南が呟くように訊いた。

「あなたが、今何を考えているのかなあ、と考えていた」

 遠くを見つめたままで

「何も考えていない」と独り言のように答えて、タカエの右手に手を伸ばした。

「タカエちゃん、オーストリアの、クリムトという画家知ってる?」

「……名前は聞いたことあるけど、詳しくはなにも知らない」

「『接吻』という有名な絵があるんだ」

握った手に力をいれた。

「……知りません」

タカエは、耳のあたりが熱くなって、緊張が身体全体を包む。

 阜南は、タカエの肩を包み込むようにして引き寄せると、右手をそっとタカエの顎に添え、上向きになった唇に口を重ねた。

鼻翼の巾ほどしかない、小ぶりのタカエの唇は、風呂あがりの、赤ん坊の肌のように柔らかく、微かに湿り気を帯びていた。

掌に包まれて微動だにしない小鳥のようなタカエの総身に、甘美という電流が走った。

阜南との、初めての口づけは、タカエに、クリムトの『接吻』というタイトルを生涯忘れられないものにした。

 街路樹の枯葉が舞い、小雪さえ散らつく、オンドルが恋しくなった昭和十四年(一九三九)十一月、朝鮮人の間で騒然となった〈創氏改名〉の法令が公布された。

 全阜南は、公布の内容を伝える新聞を手にしていた。

  ――内地式の氏を名乗る

   ――日本古来の家族制度の美風

    ――半島にも確立されん

 阜南は、自室に籠ってまんじりともせず、『京城日報』の、四段ぬきの大きな見出しに目を凝らし、記事を読み進んだ。

  ――日本古来の美風たる家族制度が朝鮮に確立され朝鮮の同胞にも内地人と同様『氏』を名乗ることになるといふ内鮮一體と家族制度の醇風を目指して一石二鳥の名案が近く朝鮮総督府によって実施される。……この法令によれば古来の慣習を一部清算し……姓の他に別に家の名称を現はし、日本式の氏、例へば金姓を名乗る家ならこれと関係のある金子とか金井とか従来の姓を利用して氏を名乗らせようといふのである。

 新聞を読み終えた阜南は、坊主頭にさせられたときの無念さに思いを重ねた。

髪の毛に続いて、こんどは名前まで刈り取るつもりか――と、どこにも悔しさの矛先を向ける宛てもなく、新聞を床に放り投げた。

 学校の教師や官庁の官吏に対して、坊主頭が望ましいという通達が発せられたのは、タカエがS小学校で教育実習していた直後の六月末である。

 校長室に朝の挨拶と神棚への礼拝に出向くたびに、校長は全阜南に嫌味を言った。まるでそうすることに快感を覚えているかのように。

――君のポマードの匂いはけっこう強いね。ちょっと少なめにしたらどうかね。

――体操の授業のあと、頭も洗えないね。臭くて生徒嫌がらないかね?

ポマードはどうでもいいのだ、暗に髪を切れといいたいのが見え見えの苦言を、遠回しに言った。

 全阜南は曖昧な返事をしながら、心の中では、大きなお世話だと、うそぶいていたが、朝鮮総督府の通達は、髪を切ることが望ましい、といいながら、命令と同じである。自発性の強要、督励、慇懃なる強制こそが総督府の常套手段である。

 阜南にとって坊主頭は、軍人のイメージに直結していた。威張り散らして、強さ、逞しさをことさらに強調しているような軍人の坊主頭と揉み上げ、髭面に、自分も同じような格好になるかと思うと、死ぬほどの嫌悪感を懐いていたが、命令に逆らうことはできなかった。髪の毛だけではなく、名前まで強要する総督府の所業に、阜南は身震いする憤りが背筋を貫く。

 ――日本古来の家族制度の美風――とはどういうことだ。朝鮮古来の姓や家族制度は、取るに足りないものだとでもいうのかと、阜南は心の奥で思いっきり欺瞞的な言辞に唾を吐きかけた。

 阜南とタカエは、鐘路の通りを和信百貨店方面に向かって歩いていた。

 京城はすでに、防寒着なしでは外を歩けなくなっていて、タカエはマフラーを首に巻いていたが、派手なマフラーをしてきたことを後悔していた。

「せっかく二人で選んだ柄だろう」

阜南はむしろ誇らしげに言った。大柄で純白に緑色の水玉模様だった。

鐘路は朝鮮人中心の街で、タカエはこれまで一度も歩いたことがなかった。マフラーが目立って、日本人であることがすぐに分かるに違いないと案じた。

 レストランでは既に、望むものを口にすることが困難になっていたが、ふたりは、唯一朝鮮人経営で知られる、和信百貨店のレストランへ向かった。朝鮮で初めて設置されたエスカレータを利用した。設置された当初は、エスカレータだけを目的にお客が押しかけたということはタカエも知っていたが、すでに物資統制の時代になり店内は閑散としていた。

 コーヒーを注文した。本物のコーヒーなのかどうか、黒豆やタンポポの根から作った代用コーヒーだったかもしれない。タカエにとってはコーヒーが目的ではない。阜南とともに過ごすことが大事であったが、その日の阜南からは、穏やかで涼しそうな表情が消えて、笑うことも少なかった。何かを言いたそうであるが、話すきっかけを探しているようだった。

 コーヒーが運ばれてくると阜南が

「愚痴を聞いてくれる?」ぽつりと言った。

「朝鮮人も日本人風の名字、名前にしろという法律ができたこと知ってる?」

「ええ、父と兄が話していたわ」

 タカエは、もし全阜南と結婚したら〈全タカエ〉になるのだろうかと空想したことがあった。

父と兄の話を聞きながら、阜南はどんな日本風の名字にするつもりなのだろうと考え、もし相談をされたら、何か自分が好きそうな名字を一緒に考えましょう、と言おうかとさえ思った。教育実習をしたクラスの子供たちの顔と名前も思い浮かべていた。

ほとんどの子が、金姓や朴姓、李姓で、名字を呼ぶことはなく名前を呼んだ。金姓の子たちは、金井や金子などそれぞれが違った日本風の名字になれば、分かりやすくていいと単純に考えた。

「僕は、名字も名前も変えないつもりだ。いや絶対に変えない」

阜南は思いつめて、宣言するように強い口調で言った。愚痴には程遠い言い方だ。

 日頃の静かな語り口と違う阜南の様子に、タカエは驚き、周囲を見回した。ふた組の客がいた。

 阜南は、飲み差しのコーヒーに手をかけたが、タカエの心配気な顔に気付き「少し歩こうか」と言うと、そそくさと席を立ち始めた。タカエは黙って従った。

コーヒーカップの中味は半分以上が残っていた。

 外は今にも雪が降ってくるのではないかと思えるほどにどんよりとして、足元から冷えてくる。

 和信百貨店を出ると、鐘路と光化門通りの交差点を右に折れて、朝鮮総督府の正面を迂回して、右側の建春門から景福宮に入っていった。正殿の勤政殿を遣り過ごし、方形の人工池の中に建つ慶会楼へと歩いて行った。

 慶会楼は、李朝時代の、外国使臣を接待するための宴会場であり、科挙の最終試験会場としても用いられた。冬の間は楼を囲んでいる四方形の池は凍結し、京城府民の、天然のスケート場に姿を変えるが、スケートにはまだ少し早く、訪れる人はほとんどいなかった。

 慶会楼を見据えて、阜南は思った。――何が科挙の試験会場だ。登竜門を見事通過した両班(李朝時代の特権階級)が何をしたというのか。この国を滅ぼした、秕政の元凶ではないか――。僅かな時間物思いに耽っていた。

 阜南は我に返ったようにして、

「僕の本当の名前知ってる?」慶会楼を見上げるようにして訊く。

「ゼン・フナンではないの?」

「それは、日本式の読み方。チョン・フナムというんだよ」

優しく諭すように言った。

「……?」

「タカエちゃんのクラスに、金石松という元気な子がいたでしょう。内地人の先生たちも、親しみを込めて日本語読みに〈イシマツ〉と呼んでいるでしょう。だけど本当の朝鮮での呼び方は〈キム・ソクソン〉というんだよ」

「全然知らなかった。初めて聞いたわ」

 朝鮮で生まれ育ったタカエが、十八年間に身近に接した朝鮮人といえば、住み込みで同居していたキチベ(お手伝い)のキミちゃんと、女子師範の同級生数人である。キミちゃんに至っては、母親のミサが一方的に呼んだ通称であって、本名はまるで知らず、彼女が朝鮮人ということさえ意識せずに、生活していた。しかも何人か替わった別人の、キチベの名前は、みんな同じ〈キミちゃん〉だった。

「金石松だって家族の中では〈ソクソン〉と呼んで、だれも〈イシマツ〉なんて言う人はいないよ。それは学校だけの名前さ。こんどの法律では例えば〈金山石松〉とでもいうような、何がなんだかますます本名とは縁遠い名前にしなさい、ということになったわけさ」

「でも日本人風の名字になって、名実ともに日本人になるって悪いことなの? 内鮮一体はいいことじゃないの?」

 無知としか言いようのないタカエの質問に、阜南は唖然となった。タカエを相手に愚痴をこぼし、いささかの鬱憤を晴らしたかった阜南は、その感覚の開きに苦笑するほかはなかった。それでも自分のやるかたない憤懣に、少しは共感してもらえたらと、話の矛先を変えて訊いた。

「タカエちゃんのお父さんの名前は何ていうの?」

「龍吉よ。龍山(りゅうざん)駅の龍に吉」

「朝鮮語読みにすると〈リュウキチ〉は〈ヨンギル〉になる。何か変な感じがしない?」

 タカエは頷きながら相槌を打った。

「もしも、例えば、の話だよ。日本人が創氏改名をしなければいけない、全員朝鮮風の名字にしなさいという法律ができたとすれば、そして君の家族は朝鮮風に〈全〉という名字にしたら、君のお父さんは〈チョン・ヨンギル〉と呼ばれるようになる」

「まったく別人に思えるわ」

「同じことを僕たち朝鮮人に強いているのが、こんどの法令なんだ。僕は絶対に変えないつもりさ」

 阜南の決意を聞いて、それが法律を破ることになり、阜南の身に何事も起きなければいいが、とタカエは危惧した。

同時にまた、本当の内鮮一体とは朝鮮人の名字や名前を日本風にすることではなく、日本人と朝鮮人が結婚して、名実ともに同じ民族となることではないかと、タカエなりに、浅はかかもしれないが、いつになく根詰めて考えていた。

 仁川の家の食卓で、内鮮一体や創氏改名が話題になった。

創氏改名ってどんなことと質問した母親のミサに、父の龍吉がわかりやすく説明していた。

「朝鮮人は伝統的に夫婦別姓だけど、戸籍上では姓はそのままにして、日本人と同じように一家全員に共通の氏を決めて届けなさいという制度なんだよ。その際、日本人風の氏にするようにという法令が公布されたんだ。それが内鮮一体の実だという意味さ。決して従来の姓を抹殺しようというんじゃないよ」

「それじゃ日本人と朝鮮人が、名前を聞いただけでは見分けがつかなくなるじゃないか」

兄の龍一が不服そうに言った。

「見分けがついたり、差別があってはいけない。そのために日本人と同じようにしようという、権利と義務が伴った、同等の日本人と見做そうという法令じゃないか。男子には当然徴兵の義務が生じるだろう」

「鉄砲の弾が後ろから飛んでこないように、同じにしようという訳か」龍一が言う。

 随分乱暴な言い方だ、とタカエは反発するように密かに思った。

「だいたい、朝鮮人は日本人よりも劣っている二等国民だ、と思っている日本人大多数の意識が一番の問題さ」

 タカエは、父親の見識に共感を覚えた。

世界に冠たる一等国民の日本人が世界をリードしなければいけないと、天皇を中心とした、全世界を一つの家のようにするという考えの、〈八紘一宇〉を声高に叫ぶだけの人たちとは少し違うと、父を誇らしくさえ思った。

こんな父親なら何でも理解し、冷静な判断も下せるのではないかと、タカエは深く考えることもなくて、不用意なことを口にした。

「内鮮一体を唱えるけれど、口先だけのことで、実質、一体となっているとは思えないわ。真剣に考えているのであれば、日本人と朝鮮人が結婚することこそ内鮮一体なのではないの。李朝の皇太子様に嫁がれた梨本宮家のお姫様のように……。私はこっちの人と結婚してもいいわ」

 タカエの言うことに家族三人は凍りついたように箸が止まった。

 食事のあと、タカエは父親の書斎に呼ばれ、陶製の大きな丸火鉢を間に、鞠躬如(きつきゅうじょ)となって父龍吉と向かい合っていた。

 着物の上から羽織った丹前姿の父は、二重ガラス戸を背にして、食卓での穏やかな表情は消えてタカエを見つめている。

「君は」と父は言った。

「君は……」と言うときは、いつもタカエにとって快い話ではなかった。

父の意に反して、女学校ではなく日赤の看護学校へ行きたいと言い張って、対立したときも同じ口調で諭されたのだ。

「君はこのところ、日曜はずっと出掛けている。どうしたのかと黙って見ていたが、龍一の友人が、君が若い男と一緒にいるところを見かけたそうだ。こっちの人(朝鮮人)らしいな。どんなつき合いなのか知らないが、やめてほしい。一度ちゃんと訊いてみたいと思っていたが、さっき君が『こっちの人と結婚してもいい』と言ったから、ここに呼んだのだ」

「……」

「私は、君がそんなことを考えることさえ承服できない」

「朝鮮の人だって、いまはもう同じ日本人でしょう」

「それと、朝鮮人との結婚を考えるなんていうこととは、話は別だ」

「結婚は、民族と民族、国と国とがするものではなく、個人と個人が……」

 言葉を遮るようにして龍吉は即座に言った。

「違う。日本では結婚は家と家との結びつきでもあるのだ。たとえ相手が日本人であっても、親の認めない結婚はあり得ないのだ。ましてや他民族の場合では、山ほど金を持った人でも私は認めない。風俗、習慣の違う者同士が一緒になれば、タカエの苦労は目に見えている。そんなことを、娘の幸福を願う親が認めるはずがない」

「でも……」

「でもも、何もない。即刻お付き合いをやめなさい。以後一人で日曜日に出歩くことは許さない」

 欧米の事情に通じ、自由主義的な考え方をする父を尊敬していたタカエは悲しかった。

 朝鮮総督府警務局では、地下に潜っている共産主義者や民族主義者の、朝鮮独立を期して設立していた上海臨時政府との繋がりを内偵し続けていた。教師という職業の者も、その対象の一つであった。口実を設けて訊問するには、理由など、なんでもよかった。

 警察は、朝鮮思想犯保護観察令や治安維持法、不敬罪の疑いのある者を簡単に連行、拘束した。

 全阜南の容疑はスパイであった。二晩留置場で過ごし、後になってわかったことであるが、留め置かれ調べを受ける間に、警察は、阜南の部屋の、家宅捜査を行うための時間を要する二晩であった。

 阜南は、朝鮮人とその上司とおぼしき日本人の刑事に、武道場のようなだだっ広い部屋の一角へ連れていかれ調べを受けた。

「一晩考えて思い当たることがあっただろう」

朝鮮人刑事が口火を切って尋問が始まった。

「ありません、何も思い付きません」

「手の掛かる奴だなあ。俺が声掛けた時に、おまえは片手を挙げて合図を送った奴がイタテワナイカ」

ややぎこちない朝鮮語訛りの日本語で言う。

「そういえば、顔を知っているだけの人に……」

 英語教室の知り合いと偶然目が合って、手を挙げたことを思い出した。

「違うタロ(だろう)、おまえが手を挙げて合図を送ったのは、白人の、外国人タ(だ)」

 そんな人は知らないと思いながら、知り合いの手前に、大柄な白人の男がいたことをかすかに思い出した。

「白人がいたような気がします」

正直に答える。

「何の連絡をした?」

「まったく知らない人です」

「ふざけるな、はっきり言え!」

刑事が思いっきり拳で机を叩いた。

「知らない、身に覚えのないことは答えられません」

阜南は、おずおずと消え入るような声になった。

「痛い目にあいたくなかったら、正直に答えろ。逆さ吊りになって、鼻から水を飲む経験もテきるぞ」

天井から垂れているロープを指差しながら言う。

 近くのソファで煙草を吸っていた上司の刑事が、咥え煙草のまま尋問の机についた。

「灰皿がないな。全、掌を差し出してみろ。灰皿代わりだ」

薄笑いを浮かべている。

 阜南は蒼白になり、立ち上がりそうになって腰を浮かしかけると、後ろから両肩を押さえ付けられた。

()刑事、例のもの見せてやれ」

呉とよばれた朝鮮人の刑事が、便箋大の藁半紙を机の上に広げた。

「おまえの部屋から拝借してきた。英語の本に挟み込んでいたものだ」

漢字とハングル交じりの、ガリ版刷の宣伝ビラで、表題には『우리教会는神社参拝를拒否합시다』(私たちの教会は神社参拝を拒否しよう)と書かれたものであった。

 阜南はビラを受取っていたことを認めながらも抗弁した。

「ずっと以前に確かにもらいましたが、忘れていました。でも私はただ英語教室に行っているだけで、キリスト教の信者でもなんでもありません。神社参拝にも行きます」

「『神社参拝にも』とはなにごとだ!」

言いざまに、手に取った革靴の底で阜南の左頬を殴りつけた。鼻血が飛び、白いワイシャツを染め、口の中にも血が湧き出た。

「皇民化教育の責務を負っている小学校の教員が、神社参拝に行くのは当たり前だろうが」

「……」

止まらない鼻血を袖口で拭った。

「話を替える」

日本人の刑事は穏やかな口調で言った。

「会って何の話をした?」

 阜南はきょとんとした、呆けた顔をしている。

「名前も知りません」

「丸善で会った白人はだれだ?」

「私には、何のことをおっしゃっているのか、皆目見当がつきません」

口の中で止まらない血を飲み込んで、泣いているような声になっている。

 それからは、丸善の白人のこと、神社参拝拒否のビラのこと、教会のことを繰り返し繰り返し訊かれた。

阜南にとっては、警察で勝手にでっち上げられたシナリオを聞かされる裡に、本当に自分が、その捏造された話の通りに関与したような錯覚さえ懐きそうになった。

同じことを執拗に訊かれる、拷問まがいの尋問であった。水一杯さえ与えられずに、夜更けまで尋問は続いた。

「抛りこんでおけ」

日本人刑事のひと言で、また警察の留置場で過ごすことになった。

 殴られた頬と口腔の痛さが、理不尽さと相俟って眠ることができない。舌先で切れた口の内側を舐め回すうちに、目を閉じるとタカエの唇の感触が全身をひと巡りした。

 タカエが英語教室に姿を見せなくなって、ひと月以上になる。日曜日には必ず会えることから、住所のちゃんとした地番を教えていなかったことが悔やまれた。何かあっても便りもできないでいるのだろうと、阜南はタカエを思い遣った。

 翌朝、阜南は何事もなかったかのように、あっけなく放免され、自由になった。

「おまえの嫌疑が晴れた訳ではないが、いま出してやる。ただし条件がある。おまえには今親しくしている内地人の女がいるだろう。条件は三つ。一つはその女と今後一切会わないこと、二つ目は教会の英語教室へ出入りしないこと。女ももちろん教会へ行くことはない。三つ目は、どんな外国人とも接触しないことだ。わかったか」

 尋問の調書に署名をした。事実と違う警察が作り上げた作文の調書に署名することには躊躇したが、抗議をしても通ることはないと諦めざるをえなかった。

「こっちにも署名、拇印を押したら帰っていい」

念書と書かれた半紙には、自由の身になる三条件が入っており、あて先は――朝鮮総督府警務局 F課長殿――と、青のインク文字で手書きされ、印刷された書式ではない。

 不思議に思いながらも署名を済ませ、本町通りを鮮銀(朝鮮銀行本店)前の停車場方向へただ歩いていった。そして目的もなく東大門行の路面電車に乗った。

 鐘路通りに折れて左手に和信百貨店が見えると、阜南は、ついひと月前にタカエと入った和信百貨店のレストランと不味いコーヒーを思い出していた。半年もそれ以上も以前のように思えるが、まだほんの先月のことだ。

 ……そのあと慶会楼へ……と、記憶が繋がったとき、阜南は「あっ!」と声を上げそうになって息を止めた。

……あのとき、白亜の大理石で偉容を誇る朝鮮総督府庁舎を指差しながら、

「ここに母のお兄さん、私の伯父さんがいるわ」とタカエが言った。

「何階にいるの?」

「それはわからないけど、警務局とか言ってたわ」

「怖そうなところにいるんだね」

「どうして怖いの?」

他愛のない会話を交わしたことが鮮明に蘇り、今しがた本町警察署で署名した念書の差し出し先と符号して、阜南は息を呑んだのだ。

 F課長というのは、タカエの伯父ではないのか。タカエと自分の仲を裂くために、何かうまい口実を設けて、言いがかりをつけ警察へ連行してしまえばどうにでもなる。スパイ容疑など最初からないのだ。念書など何の法的拘束力のないものでも、警察という公権力の下では、署名した人間には計り知れない重圧がかかる――。

 この三日間に及ぶ警察の尋問は、タカエの伯父、F課長の差し金によるものだと、阜南は確信していた。

 タカエが教会へ来なくなったのは、本人の意に反して、二人を会わなくさせるための禁足によるものだと阜南には容易に推測できた。

 このひと月余り、何故タカエと会えないのかと悶々とした日々を送ってきたが、見えない権力の卑劣さに胸が裂けそうになりながら、これでタカエのことはきれいさっぱり忘れてしまおうと心に決めた。

 また、一瞬なりともタカエとの結婚を夢想したことを胸にしまい込んで、朝鮮人としての矜持を大事に持ち続けようと誓った。

 教会のクリスマスを、興味をもって心待ちにしていたタカエにとって、一切の、一人での外出を禁止され、神聖なキリスト教のクリスマスとはどんなものか体験してみたいという好奇心を削がれただけでなく、阜南とどうしたら連絡を取り合うかの手段を思い付かないもどかしさが、タカエの精神状態を不安定にしていた。

 阜南とのことは誰にも話したことがなく、このことでは相談できる友人がいない。ましてや同性とはいえ、なんでも話ができた母親には言えない。

 そんなタカエのもとに教会の英語講師からクリスマスカードが届いた。

 ――そうだ、この先生に阜南さんへの伝言をお願いしよう――。

タカエは急に晴れ晴れとした顔になり、両膝を叩いていた。

 辞書を片手に、拙い英文だと思いながらも何度も書き直し、阜南へ伝達してくれるように手紙を認めた。返信は自宅ではなく寮あてにしてくれるように寮の住所を書き、タカエの希望する、会いたい日時と場所を告げたものにした。

 返信を受け取ることのできる期間は、卒業、退寮するまでの、残されたひと月ばかりであった。しかし返事は講師からも阜南からも届かなかった。

 タカエに残された最後の手段は、指定した日時と場所で、阜南が来てくれるかどうか、あてもないまま阜南を待つことだった。

 寮の門限ぎりぎりまで待ったが、阜南は現れなかった。日時を間違えたかもしれないと思うと翌日も待っていたが同じことだった。

 待つ間に、阜南が立ち寄りそうなところや、乗り降りする停車場と時間に頭を巡らせたが、そこはまた見知った人に出くわさないとも限らない。若い娘があてもなく人待ち顔で立っていることなど不可能だった。

 待ちながら、おそらく一生阜南に会うことはないだろうと感傷的になり、涙が溢れそうになるのをやっと我慢した。

 阜南の色白な顔や仕草を思い浮かべていたが、写真はおろか、阜南に繋がるようなものが手元に何もないことにも思い至った。阜南が旅行中に描いたスケッチの一枚でも持っていればと悔やんだが、いまとなっては詮ないことだった。

 物思いに耽って無為な冬の日々を過ごすうちに、年が明けた。昭和十五年(一九四〇)の正月である。

「今年は紀元二千六百年、大きな大きな節目の年だな。タカエは晴れて卒業、教師の第一歩を踏み出すことになるな。めでたい年の初めだ」

満ち足りた表情で、父の龍吉は雑煮の膳を前に言った。

 父は、タカエを書斎に呼んで阜南との交際を厳しく戒めたあと、そのことにはひと言も触れなくなった。以来阜南との連絡も取れなくなってしまった。父が何か画策したのだろうかと疑ってもみたが、タカエには皆目思い付くようなあてもなかった。

 阜南は元旦には登校していることだろう。教育勅語の朗読に続き校長の訓話、そして子供たちに紅白の饅頭を配り、無事式典を終えたことだろう。

 一つ一つの情景が目に浮かび、タカエは阜南に堪らなく会いたくなった。これまでにこの年ほど鬱勃とした正月を過ごしたことはなかった。

 母親のミサは、女の直感で、タカエが阜南に会いたがっている焦燥の気持がわかっていた。見兼ねてタカエに声を掛けた。

「タカエちゃん、お母さんは京城の三越百貨店の初売りに行くけど、一緒に行こう」

 母と連れ立って京城の街中に行けば、少しは気分も晴れるだろうと、これといった目的もなかったが一緒した。

 母は、気遣ってなにかと話しかけてくるが、タカエは口数が少なかった。

 ぼんやりとして電車内の広告を眺めていたタカエは、雑誌の広告に目が留まり、閃くものがあった。雑誌広告と丸善書店が、タカエの中で繋がっていた。

 電車を降りた、鮮銀前広場から見える三越百貨店の正面には、日章旗が交叉した図柄の下に〈奉祝 皇紀二千六百年〉と大書した垂れ幕が下がっている。

「お母さん、私ちょっと一人で本町の丸善書店に行っていい?」

「いいよ、私はずっと三越にいるわ」

 阜南がよく丸善に足を運ぶことをタカエは思い出したのだった。

 本を探すような素振りで、書棚の間を行き来しながら、タカエの視線はひたすら阜南の姿を捜していた。年恰好の似た人の近くで立ち止まり、また歩を進めることを繰り返したが、阜南はいなかった。

 かすかな望みが叶えられなかったタカエは、最後に美術・絵画関係の一角に近づき、画集を目で追った。クリムトという背表紙の文字を探したが、書棚には見当たらなかった。

冬の休みが明けて、清涼台の学生寮へ戻ると、届いているかもしれない郵便物を管理室へ受け取りにいったが、数枚の年賀状だけで阜南からのものは何もなかった。

 すべては終わったと頭では理解していたが、最後の一滴のような期待があった。タカエは未練がましい自分を嗤いたくなった。

 学校が始まり、図書館が開くのを待って、美術の書籍の並ぶ書棚に向かい、クリムトの絵を探し出した。初めて出会う『接吻』だった。白黒の写真であったが、タカエは『接吻』の絵から長い間目を離さなかった。

 描かれた女性は、目を瞑って顔を上に向けている。すぼめたような肩は、すっぽりと男性の胸に埋まっていた。絵の中の男女は、三角山中腹でのタカエの記憶と全く同じ姿をしていた。

タカエは阜南に抱きしめられたときの、阜南の掌の感触が残っている二の腕を一方の手で触ってみた。

 図書館の中は、タカエの他には誰もいなかった。

 タカエは『接吻』の一枚を、罪悪感もなく画集から丁寧に切り離した。十八歳の墓標にするために。

 月曜日早々からの、校長の長広舌が終わると、朝鮮人教師の間に、少なからず静かな動揺が広がるのが山口貫市にもわかった。

 昭和十五年(一九四〇)紀元節の翌日である。S小学校では早朝の職員会議が開かれていた。

――滞りなく、且つ例年にも増して皇紀二千六百年の記念すべき年の、紀元節の式典を厳粛な中で挙行できたことを慶ばしく思います。

 前日の緊張と興奮の余韻を引きずっているような校長の話から始まった。

 二月十一日は、日本本土のみならず朝鮮の主な神社でも、日本の建国から節目の皇紀二千六百年を祝う行事が挙行され、多数の参拝者が訪れていた。

 京城の朝鮮神宮は、天照大神と明治天皇を祭神とする、数少ない官幣大社の一つでもあり、朝鮮在住の各界著名人が参列する盛大な祭礼が催された。日中戦争は続いているとはいえ、国民は高揚し、華やいだ雰囲気を味わっていた。

 職員会議はいつ終わるかわからない校長訓話の独壇場で、身の丈百六十センチに満たない華奢な身体を、前日の式典同様黒の礼服に身を包み、拳を握り締めての演説である。

――この年を期して私は、ご存じのように校長室の神棚を一新し、教育現場として心機一転、さらなる精神の統一と国威高揚を期する所存である。

 しゃべり続けの校長の訓話が中断すると、一時的に緊張が緩んだ。室内中央のダルマストーブの火が小さく弾ける音が聞えた。

 山口貫市は、隣に座っている全阜南に声を殺して囁いた。

「あいかわらず長いね」

阜南は目で同調した。

――これから申し上げることは、該当する方々へのお願いであります。ご承知のように昨秋公布されました〈創氏改名〉についてであります。

室内に重苦しい空気が流れた。

――昨日より届出の受付が始まりました。朝鮮総督府では、これは決して強制するものではない任意の届出であると言っております。しかし半島の人たちも一視同仁の精神に則り、正真正銘の日本人、天皇陛下の赤子としての有難い制度でありますから、皇恩に報いるべく、積極的に〈創氏改名〉の届けをしていただきたいと思います。児童生徒の模範となるべく早急に対処いただきたい。

 何事もすぐに、すぐに、が口癖の校長らしい訓辞がやっと終わった。

 全阜南は、一言半句も聞き漏らすまいと校長を凝視していた。

 宮城遥拝、校長室の神棚への毎朝の礼拝、三か条の皇国臣民ノ誓ヒなど、次々と押し付けられる皇民化教育は、朝鮮民族を長期化する戦争の資源として考えているだけのことだ。全阜南はその覆い隠された総督府の魂胆を、校長の言葉の破片から嗅ぎ取ろうとしていた。

 内地人のほとんどが、朝鮮人が正真正銘の日本人になって欲しいなどとは思っていない。ましてや朝鮮人が日本人になりたいと考えるなどあり得ないことだ。朝鮮人も日本人も、双方から創氏改名という愚かな政策を冷笑している。

 速やかに創氏改名しろ、という校長の訓辞に、阜南は勃然として全身の筋肉が痙攣するほどの憤りを感じているが、素振りにも出さない。

――八月十日までにという通達ではありますが、私のほうからいつまでとは言いません。でき得る限り、四月の新学期からは新しい名前で皇国臣民の教育、錬成に邁進したいと思います。

 職員会議は、校長の一方的な話で散会となったが、ストーブの周りに集まっての、平素の和やかな雑談はなく、沈鬱な波紋が職員室全体に広がっていた。

――それにしても、と山口は心の中で溜息をついた。

総督府の為政者は、もう少し賢く穏便に事を運べないものかと、政治にはさほど関心のない山口でさえ首を傾げるような施策である。

 文化も習慣も違う他民族を、青竹を捻じ曲げるように、強引に日本名を名乗らせるなど愚策としか思えない。朝鮮人の心を逆なでして、何が内鮮一体かとも思った。しかし自分にも、他を批判する資格など微塵もないことがわかっていた。

 朝鮮は日本の一部、一地方であり、その歴史や文化や習慣が話題になることもない。力仕事や汚いものを扱う仕事は朝鮮人の領域であり、そのことに疑問を抱く日本人は、山口の周囲ではだれ一人としていなかった。

 日本人にとって朝鮮人は劣等民族であり、朝鮮人は一視同仁、内鮮一体のスローガンのもとで、限りなく日本人に近づくことが当然のことと、内地人のほとんどが信じて疑わなかった。

 忠良なる皇国臣民としての最終仕上げが、南次郎第七代朝鮮総督以下の為政者が打ち出した創氏改名の施行に他ならなかった。そこには朝鮮人の視点からの想像力の欠片もなかったのである。

 校長の話が、朝鮮人教師たちにもたらした深刻さは、根深く彼らの胸に突き刺さっていることを、山口さえ改めて感じていた。

 全阜南は部屋に閉じこもって、全一族の族譜(系図)の綴りを眺めていた。いままでに何度も手にし、あるページを暗記するほどに見てきたものである。

 昨秋までは、こんな古臭いものと思って見向きもしなかったが、あの〈創氏改名〉が公布された十一月以降、考えては見、見ては思いに耽った。

 族譜には、全一族の系図とともに、男性の生没年月日、官職の経歴や配偶者の名前などが記載されている。同じページには同世代が一目でわかるように書かれ、同一世代の名前には必ず共通した漢字が使われるのも特徴的である。

 阜南が見入っているのは祖父の世代の部分であった。

 そこには〈緑豆将軍〉として慕われ、朝鮮人のだれもが知っていて、歌い継がれてきた童謡〈鳥よ 鳥よ 青い鳥よ〉の主人公〈全琫準〉の名前が記載されているのだ。

 一八九三~四年の甲午農民戦争(東学党の乱)の指導者として、李王朝と日本の連合軍に立ち向かっていった英雄、〈全琫準〉である。この戦争がきっかけとなり、日清戦争へと拡大したものであった。

阜南は、〈緑豆将軍〉が自分の一族の人であるということしか知らなかったが、系図を丹念になぞり、緑豆将軍の〈全琫準〉が祖父の従兄弟であることを初めて知った。

李朝末期、朝鮮の穀倉地帯である全羅道の農民は飢餓に追い込まれていた。

飢餓寸前の元凶が、漢城(ソウル)から赴任する郡守を筆頭にした、腐敗不正官吏の跋扈であり、役人の収奪が頂点に達していたことに起因していた。

趙秉甲(ちょうへいこう)が古阜郡守に就任すると虐政はさらに進み、農民の生活は辛酸を極めた。

古阜郡民は、東学党の接主(一地方の指導者)であった全琫準を先頭に立てて、棍棒、竹槍、火縄銃などを手に郡庁を襲う農民一揆を起こした。甲午農民戦争(東学党の乱)である。国と国あるいは権力抗争によるものとは無縁の、農民の悲痛な叫びによる一揆、圧政に対する虐げられた者の反乱であった。

 阜南が、普通学校(小学校)以来学んだ国史は日本の歴史であり、朝鮮の歴史など無縁であった。しかも朝鮮の歴史の一端でも理解できるようになる前に、口伝えにでも話してくれたであろう父親を、七歳の時に亡くしてしまっていた。

 鮮明に記憶に留めている父親の印象は、舎廊房(サランバン)(居室)で一緒に夕食をしたあとに、酒に酔って、繰り返し繰り返し〈鳥よ 鳥よ〉を静かに口ずさんでいたことだけである。

阜南は族譜を眺めながら、そのときの、父の食卓の情景を思い浮かべ、その後の、日韓併合への無念の思いを懐いたままで死んでいった父を思った。

 ――俺は全琫準の同族なのだ。その俺がどうして創氏改名など受け容れることができるというのだ。すべての朝鮮人が創氏をしようと、俺は絶対にしない。俺には全琫準と同じ赤い血が脈脈と受け継がれ流れているのだ――

 阜南は力を込めて奥歯を噛みしめた。そのとき気持の強さに抗して、空咳をした。咳はしばらく止まなかった。こんな古い綴りものを開いて、古色蒼然とした紙の臭いを嗅いだから噎せてしまったのだと思った。

 S小学校では、校長の強い訓辞にもかかわらず、桜も散り、新緑が眩しい五月になっても、教頭以外の朝鮮人教師はだれ一人創氏の届出をしていなかった。

 校長の目には、お互いが牽制し、様子見しているように映った。その姿勢は校長の神経を苛立たせた。命令して強制できるものではないが、それに近い手を打たなければいつまで経っても届け出ないのではないか、総督府は何をやっているのか、生温い通達では、自分がいくら声を枯らせても、暖簾に腕押しとの思いが募った。

 新学期より全員が新しい名前で、と訓辞したにもかかわらず、五月になっても誰一人届け出ないことに、校長は自分が舐められていると歯ぎしりした。他校に比べて創氏率が低いなどということは、自分の沽券に係わることである。

 山口が校長室に呼ばれたのは、道庁で開催された校長会の翌日である。

 山口は内地人教師の中で最年長であり、校長からすれば、内地人の本音を語っても気を遣わなくてすむと勝手に思っている存在だった。

 大和魂であるとか神道といったものを好きではない山口にとっては、校長は距離を置いておきたい類の人物であった。出世願望が強く、夜郎自大な傾向のある性格にもついていけないと感じていた。

「私にもどこかで半島出身の先生方を警戒する気持がありましてね。たまには安心して本心を語れる、内地人の先生とだけ話をしたくなります」

「気疲れがするということですか?」

「そりゃ勿論ありますよ。表面上は私ら内地人の教師と同じような言動ですが、民族が違えば何を考えているのかわからないことがあるでしょう。〈創氏改名〉にしてもしかり……」

「……」

「掛け声が先行していた気味のある〈一視同仁〉を、名実共に同等にしようという有難い思召しとも気付かず、いまだもって創氏をしないというのは、私には解せませんね」

「それぞれ、やんごとなき事情があるんですかね」

山口は他人事のように言った。

「とにかく早く、なんとしても今月中には全員に創氏してもらわないと困る。山口さん、あなたにも協力をお願いしたい。教頭は創氏改名しましたが、なんといっても半島人ですから、妙に同僚の言訳を聞いてしまいます。皇国臣民とは何であるかを説いて、本当の日本人になることの利点を、半島人教師たちに折に触れて話してやってください」

「私にできる範囲で協力させてもらいます」

「ところで……、私の穿ちすぎかもしれませんが、全君は、一年前いや半年ばかり前あたりから様子が変だと思うのですが、近くにいることの多いあなたにも、訊いてみたかったものですから」

「私も同感です」

 校長はよく観ているなと、山口はすぐに返事を返した。

 それは全阜南の体調、顔色のことでもあったが、外見的なことよりも、むしろ精神的な面についての変調の方が気になっていた。

「一度あなたから、本人に訊いてもらえませんか」

 校長は日頃に似合わない低姿勢な態度で山口に言った。

 山口が話し掛けても、全阜南の返事は「別に……」とか「特に……」などと、会話にならないことが多くなっていた。俯き加減に、ぼそぼそと話す全阜南はそれまでの阜南とはどこか違っている。

 以前には、タバコを吸いながら、数人の話の輪にも入っていたが、最近はタバコもやめたようだ。

山口は、同じ学年の担当ということではなく、他の同僚教師と徒党を組んだりしないことや、校長と距離を置いて接するなど、山口と共通する点も多く、全阜南を好意的に見ていた。

しかし最近になって、特に創氏改名が取り沙汰されるようになって、朝鮮人教師の間にひとかたならぬ波紋が広がってから、全阜南の孤立した態度が顕著になったように思えた。

創氏改名のことと関係があるのは間違いないと山口は確信していた。

校長に言われてから、山口は少し注意深く全阜南の様子を観察するようになった。

 山口にも勧めながら、校長はタバコに火をつけた。

 表と裏が黒と赤に塗り分けられた、出退勤を示す木札を、校長の机の上に用意したという。

「毎朝ここへ来て、神棚に手を合わせ、そのあとで私の前に来て挨拶しますが、皆によく見えるようにここに置いておくことにしました」

 達筆が自慢の校長が、自分で新しい名前の木札を作ろうというのである。

 全阜南に訊くと、毎朝「まだかね?」と言われるという。

校長に声をかけられると、誰もが緊張するものだが、「まだかね?」の一言には、金縛りにあったように直立不動になるとも全阜南は言った。

遅々として創氏改名に踏み切らない職員に、痺れを切らせた校長のひと声で、土曜日の放課後に、全教職員が帰りを留め置かれて臨時の職員会議となった。

 校長の手元には、道庁の通達文書が届いていた。

――当校は道内の他校と比較して、教職員、生徒ともども創氏率が非常に低い。このことは極めて遺憾である。

 言葉に怒りの感情はないように聞えるが、目付きは険しく、両の拳を握り締め、微かに震えている様子だ。

――施行から三ヶ月が過ぎています。八月までにまだ時間は残されているというのは、皆さんには関係がないと思っていただきたい。生徒たちの創氏が進まないのも、皆さんの現状に比例しているものです。親たちは、担任の先生もやっていないのだからと、高をくくっているのですぞ。

 丁重な物言いから次第に激昂するように感情的になってきた。

――諸君がすぐにでも創氏をすれば、生徒の家庭でも一気に加速することは目に見えておる。役所に出向くためには学校を休んでもよろしい。来週早々にでも完了してもらいたい。

〈皆さん〉という呼び方が、いつの間にか〈諸君〉にすりかわっていた。

 全員伏目がちに押し黙っていたが、全阜南が籠もったような咳をした。

――まずは諸君が創氏改名をして、未届けの生徒の家庭を訪問してもらいたい。また、教頭先生とも相談をするが、来月早々には創氏した生徒だけを引率して、南山の朝鮮神宮へ報告の参拝を実施したいと思う。

山口貫市は、やりきれない思いに気持が塞いだ。生徒の家庭に行って何といえばいいのか。内地人の自分さえも暗鬱な気分になるのに、朝鮮人の教師は、そして創氏をしていない教師の苦衷はどれほどであろうかと、彼らに自分を置き換えて憂鬱になった。

 週が明けて、全阜南が二日続けて学校を休んだ。体調がよくないという。

 同僚の教師が山口に、胸に手をあてて言った。

「悪いんじゃないですか?」

 女性教師たちが、全阜南のことを白皙の美男子だと話しているのを聞いたことはあったが、山口にはそうとは思えなかった。咳き込むと頬に赤みが差すのが気になっていたからである。他の教師たちも気付いているようだ。

「創氏のことも気になっているのでしょう」

朝鮮人教師の一人が、同情しているように言った。

 山口が出勤して校長室に入っていくと、呼び止められた。

「今週から一丸となって全員が取り組んでいこうというのに、とんでもないことです。全君は何を考えているんですかね。精神が弛んでいるとしかいえませんが、山口さん、どう思います?」

「どこが悪いんですかね?」

山口は曖昧な返事をして退出した。

 全職員は神棚へのお参りを済ませると、校長に必ず呼び止められ、朝鮮人教師は自身の創氏届出とともに、生徒の進捗状況を報告させられた。

 校長の厳しい叱責の会議から十日と満たない期間に、雪崩をうったように、朝鮮人教師たちは創氏改名に応じていった。

 そしてどの教師も、夕刻からは休む日もなく家庭訪問に没頭して多忙を極めた。

 五月を過ぎると、いつの間にか蒸し暑い梅雨の季節になっていた。

 足を踏み入れる所もない、泥濘の農道は靴だけではなく、ズボンの裾まで泥まみれにした。蛇行するような歩きの中で、山口は怒りがこみ上げてきたが、それは校長でも道庁へのものではない、向け場のない怒りであった。心細く、悲しく雨に濡れた目尻から水滴が流れた。これが教師の仕事かと思うと胸が詰まった。本当に日本人と朝鮮人が対等になり得るのだろうかと自問自答しながら、同じ境遇に同僚も晒されていると思い、萎える気持をやっと支えることができた。

 ほとんどの教師が、日曜日も返上して生徒の家々をくまなく回った結果、創氏する家庭は一気に増えた。

 山口は、当初どう話を切り出せばいいのかと試行錯誤を繰り返すうちに要領も覚え、中には食事をしていけと引き止める家さえあった。

 ある日曜日、山口は今日ですべての家庭訪問が終わると、意気込んで出掛けた。

久しぶりに雨があがり、夏空のような好天のもとで一軒の家を訪ねたときのことである。

 横長な、キノコ型をした藁葺きの家であったが、敷地は広く、土塀に囲まれた小さな門のそばに、大きな柿の木があり、比較的裕福そうである。

敷地に足を踏み入れると、木の傍に立膝をして悠々と長いキセルでタバコをくゆらせている老人がいた。どこの何者がきたのか興味もなく、創氏改名など何のことだといった、のどかな風情である。

山口は軽く会釈をして、家の中へ入っていった。

 母屋へ向かうと、生徒の父親が部屋の外に出て、濡れ縁に立って待っていた。

 生徒の名前は梁善国といった。

 簡単な挨拶をすると、山口と父親は縁先に座って話を始めた。

 父親の日本語は、訥々として頼りなげであったが充分に会話は成り立った。

 どんなことを話せばいいのか、山口はそれまでの経験から、要領を得た内容を熱心に語った。

 子供は他の子供と同じものを欲しがり、少しでも違った境遇に置かれることを極端に嫌うこと、そして自分一人だけが他と違っていると寂しい思いをすることなどを話した。また既にクラスの大半の子が創氏改名を済ませて、善国は残り数人の一人であることを伝えた。

「名前の善国は変える必要はないでしょう。そのままにして〈ヨシクニ〉と読ませればいいことですから。名字はなんとかなりませんか? 〈梁川〉とでもして〈ヤナガワ〉だと問題ないでしょう」

「……」

「できるだけ早く新しい名前を届けていただけませんか。すべて子供さんのためです」

「先生様の気持も、善国の気持もよくわかります。でも……」

父親は、柿の木の下でキセルを咥えて煙をくゆらせている老人に視線を遣りながら、渋い顔をして答えた。

「アボジ(父)が、善国のハラボジ(祖父)が許してくれません」

 儒教社会の朝鮮では、家長が了承しないことには何ごとも始まらないのだ。家長は絶対的な存在であり、そのしきたりの厳しさは、日本人にはとうてい理解できない、想像以上のことだ。ましてや、事は宗族の姓・氏に係わることである。

 創氏改名の趣旨どころか、儒教世界を解せない、中華の外にいる倭奴(ウェノム)(日本人の蔑称)が朝鮮でのさばっていると考えている老人には、どんな理由も理屈も通じない。山口は諦めて帰るしかなかった。

 屋敷の中に入って来たときと同じように、軽く会釈をして出て行こうとすると、老人は大きな声で山口に向かって言った。

「ムオッシ コウコクシンミン ダ。ウェノミ」

 山口には〈コウコクシンミン〉だけが〈皇国臣民〉のことだと解っただけであった。

 翌日、全阜南にその話をすると教えてくれた。

〈何が皇国臣民だ。日本人奴が〉という意味の、軽蔑し、挑むような捨て台詞であった。

十一

 生徒の届出も着実に増えていくなかで、校長の大不満は全阜南の未届けと、阜南の担任クラスの、創氏した生徒数が極端に少ないことであった。阜南は体調が優れず、家庭訪問もほとんどしていなかった。

 校長は毎朝、阜南を責め立てた。

 阜南がいつも最後に登校して校長室に入っていくと、時折校長が声を荒げて非難しているのが職員室まで筒抜けだった。

 総督府が決めた創氏改名受付締め切りまで二ヶ月を割っても、全阜南が自身の創氏をしていなかったからである。

「何故できないのか、その理由を言ってみたまえ」

校長の激昂した怒声が頻繁になったころ

「理由は言えません」

咳き込んで答える阜南の声が聞えた。

 そんな二人のやりとりが続いていたある朝、教頭と内地人最年長教師の山口が校長室へ呼ばれ、四者の話し合いになった。

 しばしば学校を休む全阜南援助の対応と、創氏未届けの件が議題である。

 体調につぃては、この夏休みを待って、精密検査を受けることで了解されたが、創氏改名の届出については、話は平行線のままである。

担任が創氏改名をしないことの、子供たちへの説明ができないではないか、という教頭の説得も阜南には無力であった。

沈黙が校長室を支配して、数分が過ぎた。

理由を言わないと言い張っていた阜南が、三人を前にして決然と、そして理路整然と話し始めた。

「私は進んで創氏改名はいたしません。理由は、はっきりしています。創氏改名は任意のものであり、あえて日本式名字にしなければいけないという強制力はありません。また創氏改名を申し出なければ、自動的に現在の姓が氏として、名前もそのままに新しい名前として登録されるという決まりになっているからです。よって私の名字は、全〈ゼン〉、名前は〈フナン〉となるだけのことです。ご存じのように法定創氏といわれているものです。それで何ら問題はないと考えています」

 教頭の説得もなんの役にも立たなかった。校長は黙り込んでしまい、一言も発言しなかった。

 全阜南は、病状がどの程度のものか、ほぼ掴んでいた。春から較べても、はるかに病状は進行していた。微熱があった。咳き込んで止まらなくなったとき、頬が紅潮するのが自分でもわかった。聞き知っている症状そのままなのである。

教室では、できるだけ生徒と距離をおくことを心掛けた。

 今朝校長室で話した内容は、すべて嘘偽りのないものであった。校長に責められれば責められるほど、阜南には〈緑豆将軍〉が、ますます身近に感じられた。

 その日の放課後である――。

 教室に居残った三人の生徒が、どんな日本風の名前がいいか、深刻そうに話し込んでいた。

 切れ切れに聞えてきた子供の会話であったが、阜南は次第に興奮してきて、胸が高鳴ってきた。これはいけない、咳き込んでしまうぞ、と思ったが我慢できなかった。子供たちの近くに寄るのは避けた。

「君たち、名前なんか変えなくていい。いや、変えちゃいけないんだ。やめろ」

大きな声で叱りつけるように言い放った。

「もう帰れ」

それだけ言うと、阜南はその場に胸を押さえて蹲ってしまった。

 翌朝全阜南は、登校するといつものように校長室に入っていった。入るとすぐに、校長の斜め後ろの壁に、天井に接するようにして白木の神棚がある。

 神棚を見上げるように立ち、四十五度の角度で二回お辞儀をし、二回拍手を打つと最後に一礼して終わりである。阜南は決められた通りに拝んだ。

 阜南は校長に挨拶をしようと机の正面に立った。しばらく黙って立っていた。

 校長は新聞を大きく広げ、上履きの靴を履いたままの両足を、机の上に投げ出している。

 阜南を完全に無視している。

 阜南は怒りが腹の底からこみ上げてきた。そして憤りの激情で全身が硬直した。

おはようございます、と言おうとしたが、強ばった喉から声など出なかった。

 無意識のうちに、机の上にある両足首を掴み、渾身の力で撥ね上げていた。病んだ阜南の身体のどこに、そんな力がまだ潜んでいたのかと思うほどの強さであった。

 机の上に置いてあった湯呑茶碗を手にして、創氏届け出済みの名前が記載された書類の真上で、ゆっくりと傾けていった。音を立ててこぼれたお茶が、書類のインクの文字を、抽象絵画のように変えていた。

 全阜南は押し殺したような声で泣いていた。

 何かが倒れる大きな音に、校長室に駆けつけた教頭と山口貫市は、全阜南のくぐもった声を聞いた。それは若い魂の、行き場のない嗚咽のように聞えた。

 山口と教頭の視線の先では、床に倒れたままの校長は視界の隅にあるだけで、凛とした全阜南の立ち姿に射している朝の光ばかりが眩しかった。

十二

並城タカエは、アメリカとの戦争が始まった年に、京城女子師範学校を卒業すると京畿道金浦郡の朝鮮人児童が通う国民学校訓導の辞令を受けた。それから四年もの年月を過ごし、すでに二十二歳になっていた。

晴れがましい青春の真っ盛りのはずが、日米開戦と歩調を合わせているような四年間は、世の中の激変という外的要因によるものだけではなく、全阜南への想いを引きずったままに晴れない時間を無為に重ねていた。

いつか必ず全阜南と再会を果たせると信じて毎日を過ごしてきたが、全阜南の所在さえわからないままの時間が凍結したような毎日は、タカエにとっては青春がないのも同然であった。

夏休みに毎年道庁で行われる研修会が、全阜南とめぐり合える唯一の機会と期待をしたが、一度も会うことはなかった。

せめて教育実習で指導を仰いだS国民学校の山口先生にでも会うことがあれば、阜南の消息を聞くことができたかもしれなかったが、山口貫市は昭和十八年に補充兵として出征していた。タカエの学校でも男の教師が兵隊に取られ、女の教師ばかりが目立っていた。

兄の龍一も、京城帝大を卒業すると朝鮮銀行に職を得ていたが、すぐに出征していった。

一度休暇をもらったといって帰省したときには満州にいたが、そのあと転戦して南方の戦線にいることまではわかっていた。口には出さないが、両親の心配は見た目にもわかるほどにそれが顔に浮き出ている。

龍一の出征後、父親の龍吉は「この戦争はいつ終わるかわからない」と言っていたが、神風が吹く、などと非科学的なことを言わない父であるからこそ却ってその言葉には信憑性があるように、ミサとタカエには思えた。昭和二十年になっても戦争は永遠に続くようであった。

タカエの屈託した気持を和ませてくれるのは、生徒たちの元気や明るさであるが、昼食の時間になるとタカエの気分は塞いだ。

弁当のない子が何人もいた。また持参している生徒の弁当の中味にももう穀物類は少ない。野草で作った団子やドングリでできた豆腐もあった。タカエ自身も一握りの麦ご飯のおにぎりを生徒に隠れて食べた。

運動場に集められた朝礼では何人もの生徒が倒れ、クラスの子供が校長に叱責されるとタカエはただ悲しかった。朝食さえ食べていないことがわかりすぎるほどわかっているからだ。直立で立っている時間も長い。校長訓話に始まって、宮城遥拝、皇国臣民ノ誓ヒ唱和と続く。

登下校時には、天皇皇后の写真が安置されている奉安殿への敬礼が義務づけられ、天皇の赤子としての教育は徹底していた。

担任をしているクラスの生徒から質問されて、タカエは途方に暮れたことがある。

天皇陛下とイエス・キリストはどちらが偉いのかと訊かれ、タカエは答えに詰まった。子供たちの家庭にはキリスト教信者の家も少なくなかった。子供は深い意味を知りたいのではないことがタカエにはわかっていても返事に窮した。全阜南に助言を仰ぐことを空想した。阜南ならば生徒になんと答えるのだろう。

クラスに全という名字の生徒がいた。タカエは出席を取りながら全阜南を思う。

鍾路の和信百貨店から景福宮の慶会楼まで歩きながら、全阜南が言ったことがタカエの頭から離れない。

「僕の本当の名前知っている? ゼン・フナンじゃないよ、チョン・フナムだよ」と言った。そして「僕は創氏も改名もしないよ」と昂然としていた。

十三

 学校を飛び出した全阜南の、あの日の記憶は、年を経るごとに切れ切れになっていく。

 我慢の限界をはるかに超えた憤りから、校長の両足を撥ね上げた。それがどんな結果になるのかなどと考えるいとまもなく行動していた。

 夜になって、山口訓導が休職願の用紙を持って来てくれた。

「とりあえず休職願の手続きだけはしなさい。あとは僕がなんとかしてみる」と心に沁みるようなやさしい言葉をかけてくれ、病気療養を理由にした用紙に署名をした。その親切から幾ばくかの給料を受け取ることができた。山口貫市に感謝しなければならない。

 阜南は温暖な地を求めて、全羅南道木浦の外れにあるサナトリウム(療養所)に入った。

 阜南と同じく教師をしていた弟も、なけなしの給料の中から援助をしてくれた。そのせいで弟はいまだに結婚できないでいるが、一言の不満も口にしなかった。

 死んだ父親の従兄も、治療に専念するようにと助け舟を出してくれていた。裕福な暮らしをしているとはいえ有難いことだった。阜南は、朝鮮人の、宗族への情の深さに有難味をつくづく感じていた。

 死に至るしかない結核という不治の病は、ただ安静にして無聊を託つような贅沢な生活を送るしかないのだった。

 木浦の町から外れた山の中腹からは、阜南の好きな海が見渡せた。阜南は海を眺めて絵を描いた。絵を描きながら、きっぱりと頭から拭い去ったはずの並城タカエを思った。頬から顎にかけてまだ幼さの残るタカエの顔と、和菓子のような肌の感触が蘇ってくる。ほろ苦く懐かしかった。

会えなくなってからも、日本人と朝鮮人が心を通い合わせることなど所詮あり得ないとわかっていながら、なおタカエを恋しく思った。きっぱりと未練を断ったはずなのに。

 サナトリウムの生活は、半年も続かなかった。毎月の費用はひと月の俸給ほどの高額を要したからだ。療養所を離れて、阜南は小さな家を借り、母親と二人で住み始めた。

 木浦に移って二年ばかりの時間が過ぎた昭和十八年(一九四三)の秋ごろから、阜南の病状は一時的かもしれないが、快復に向かった。

 戦争は終わるどころか、伸びきった戦線は膠着状態となり、学校といえども男の教師が根こそぎ出征していった。教師不足に悩んだ道庁は、高等女学校卒の女子を、国民学校の代用教員に採用し始めていた。戦時下では個人的な事情が考慮されるわけがなく、阜南は木浦市内の国民学校への勤務を命じられ復職した。無理はしないと自分に言い聞かせてはいたが、一度病んだ体には楽な仕事ではなかった。栄養を摂ることが大事だとわかってはいても、配給も減らされる食糧事情は、阜南の体に過重な負担を強いた。

 騙しだまししながらなんとか教壇に立ち、一年ほどが過ぎた昭和二十年(一九四五)三月になった。春めいたとはいえ朝鮮半島の三寒四温の寒さは厳しい。学期末を迎え、ほっと一息ついた阜南のもとへ、徴用召集の通知が届けられた。

 朝鮮総督府は、前年九月に施行された国民徴用令の朝鮮人への適用に基づき、労働力不足を補うべく工場や土木現場への労働奉仕を強力に進めていた。徴用の期間も派遣先も明確にされず、有無を言わせない一方的なものであった。

 全阜南にもたらされた徴用令も、集合の日時と場所だけを指示しただけのものであり、仕事の内容も知らされず、阜南の健康状態など一切が無視されていた。

 阜南が連れていかれたのは、木浦の護岸工事現場であった。百人ばかりの朝鮮人壮丁が徴用されていた。

「アイゴー、病人のおまえに力仕事させるなんて、なんということだ。死ねというのか」

母親が天を仰ぎ、床に両拳を何度も打ちつけた。

 工事現場の責任者は、帯剣した数人の日本人退役軍人である。宿舎は建物とよべないような竪穴式の板屋根、板張りの床に莚が敷いてあるだけの、じめじめした湿気がこもっていた。阜南の体には最悪の環境であった。昼間の過酷な労働に、泥のようになって眠るだけの設備だ。薄暗い裸電球の下では、知らない者同士とはいえ、暇にまかせてあちこちからボソボソとした話し声が聞こえてくる。

 ――東京は焼け野原らしいぞ

 ――中国には大量のアメリカのB29が集結しているらしい

 ――フィリピンどころかグァム、サイパンも米軍の手に陥ちたというよ

 根拠のある情報かどうかわからないが、阜南は聞き耳を立てていた。

――日本は負ける

――負けるとわかっているのに、こんな作業を真面目にやる必要なんてないぞ

――朝鮮は、おれたちはどうなるんだい?

話が途切れると、いつの間にか部屋中は睡魔に覆われていた。

阜南は新学期が始まると、お情けのように徴用から解放されたが、八月になると二度目の徴用に呼び出された。そして熱暑の中で倒れた。

十四

 並城タカエは両親と、呆けたような無為な二週間を過ごし、一九四五年の八月が終わろうとしていた。

 八月十五日、よく聞き取れなかった終戦の詔勅が放送されてから、周りの様子は一変していた。朝鮮人の家々や公共の建物に、見たこともない、日の丸とちがう大極旗が掲げられていた。

「私たちは、どうなるの?」

母のミサが訊いても、父の龍吉にはラジオのニュースと、洩れ聞えてくる噂の範疇を出ない、曖昧な情報しかわからなかった。

 兄の龍一は出征し、安否も杳として知れず、三人はそのことを口に出さない。

 冷静で几帳面な父の龍吉でさえ、何をしていいのかわからず、ただ時間ばかりが経って、身辺のことに手がつけられないでいた。

 治安が維持されているという安心感から、龍吉がミサとタカエに言った。

「もう朝鮮も見納めだ、京城へ行こう。南山に登り、街の風景を目に焼き付けておこう」

 三人で出掛けていった。

南大門から参道を南山・朝鮮神宮へ向かったが、すでに社も鳥居もなかった。

 タカエは、展望台から正面の〈サント・ヴィクトワール山〉こと三角山(北岳山)を、両親に促されるまで、立ち去り難く見続けた。

 京城神社への道から、日出国民学校脇を本町通りへ下りて行った。

東京にも見劣りしない、最新の流行品がいち早く店頭に並ぶといわれた店々は、見る影もなく閉められ、通りの両側は、思い思いの場所や路上に、どこにそんな物があったのかと思える品々が雑然と並べられ、朝鮮人の間で売られていた。

戦争中に手に入れることも困難だった白砂糖や白米が、朝鮮の円形をした莚の上に山を成していた。

 タカエは無造作に置かれた書籍の中の、美術全集に目を留めると、丁寧に背表紙に書かれた画家の名前を追った。クリムトがそこにあった。

「この画集は全部色刷りですか? 中を見てもいいですか?」

 訊かれた中年の男が、何かを朝鮮語で言って、ニヤリと笑うと、改めて日本語で答えた。

「いいよ」

 ここはもう日本ではないと、タカエは一瞬身を引いたが、父親の助けを借りて、クリムトの一冊を買い求めた。

 ――あれからもう六年近くが、とタカエはほろ苦い感慨に耽った。

「変なものを買ったもんだな。もう私たちも、必要最低限のものを残して、不要不急なものを全部売りに出さなきゃ」

父親が、ミサとタカエに同意を求めるように言った。

十五

 全阜南は徴用現場から担ぎ込まれた病院のベッドで、渾身の力で啼く蝉の声とともに終戦の報を聞かされた。おれの体もよくここまで持ちこたえているなあ、としみじみ思う。

 ……戦争が終わった

 たったそれだけだった。阜南にはなんの感慨も湧かず、なにかを考えることなど面倒だった。十五分ごとぐらいに意識が薄れる。

 ……なんだか眠たくなってきた。ああ眠い、すこし寒いな。

 阜南は、戦争が終わったことを聞かされてから、昼夜の別なく数日を眠ったり目覚めたりを繰り返していた。浅い眠りの中を意識が行ったり来たりする。

母親がベッドの枕元にいることだけはわかっていた。オモニ、おれは大丈夫だよと言おうとするが、声にならなかった。

 ……おれは今ソウルの鮮銀前広場のような所にいる。目の前に三越百貨店が見える。確かにソウルなのだが、白衣の人々ばかりがせわしなく行き交い、街全体が白く眩しいのだ。街灯のアーチが見える。おれはなぜこんな場所にいるのだろうか。ソウルの本町通りみたいだ。チマ・チョゴリやパジ・チョゴリの韓服の人々が溢れ、朝鮮語が飛び交って喧騒を極めている。

……通りにいるのはS小学校の校長と山口先生ではないか。どうしてそんな所で洋装の店など覗いているのだ。よく見えなかったが、一緒にいるのは並城タカエじゃないか。

校長も山口先生も白衣のパジ・チョゴリ、タカエだって白のチマ・チョゴリというのはどういうわけだ。日本人がどうして韓服なんだ? 三人が見ているのはタカエのマフラーではないか! 白地に鮮やかな緑色の水玉模様が施された、まぎれもないあのマフラーだ。

 ……買うんじゃない、それはおれが買うんだ。

 ……頭のうしろから、おれを呼ぶ声がする。

 ――ヒョン(兄さん)、ヒョンニム(お兄さん)!

 ……なんだ、弟じゃないか。そんなに大きな声をださなくても聞えているよ。なに? 

マフラーを買うなって。なぜおまえがそんなことを言うんだい? これにはタカエの残り香がいっぱいなんだよ。

 ……どうしてこんなに眠いんだろう。もう疲れた、ひと眠りしよう。

――ハナ、ツゥル、セー、ネー(一つ、二つ、三つ、四つ)、アジョシ(おにいさん)、コォスルムトン エヨ(お釣りだよ)!

洋装店のアジュマ(おばさん)の、嘶くような溌剌とした声が、阜南には他人事のように遠くに聞えていた。

 全阜南の胸に聴診器をあて、手首で脈をうかがっていた医者が、阜南の腕を布団の中に入れ、首を左右に振った。(了)