捨子花(1)

プロローグ

 墓場まで持っていこうと誓っていた決心を破って、すべてを話してしまおうと思ったのには理由(わけ)があります。

 私も今年七十四歳になり、あと四~五年も生きればと、正直死ぬことを考えるようになりました。私自身のことだけでいえば、悔いが残るものはない、むしろ幸せな人生だったと言えるのではないでしょうか。

 私の名前は金伊礼(キムイレ)、学校は普通学校(小学校)の三年生までしか行っていません。学があるわけでもないので、頭で考えるのではなく、心で感じることを頼りに生きてきました。

 私が生まれたのは、韓国という国が日本に併合された年ですから、人生の半分は日本人のように生きてきたともいえます。十五歳のときから三十五歳までの二十年間を、当時京城(けいじょう)(現・韓国ソウル)にいた日本人の家庭で、住み込みの女中として過ごしました。私のような年端もいかない娘の女中のことを、日本人はキチベと呼んでいましたから、私はキチベをやっていたのです。

 二十年も他人の、しかも他民族の家で暮らしていれば、小さな行き違いによる不平不満はありましたが、揉め事になるようなことはありませんでした。

 十七歳から世話になった有福家は快適だったという思いしかありません。でもまさかその有福家と縁が切れることのない一生になるとは夢想もしませんでした。だって一九四五年夏を境に日本人は朝鮮からいなくなり、わが国は日本の支配から解放されたのですから、縁がなくなって当たり前のはずですからね。

 韓国人は、親戚身内をそれはそれは煩わしくなるほど大切にします。叔父叔母はもちろんのこと、会ったこともないような一族の人間関係まで、まるで兄弟姉妹のような付き合い方をしますが、他人となると掌を返したように、身も蓋もないほどに素っ気なくするところがあるかもしれませんね。そんな世の習いの中で、赤の他人の、しかも他民族の日本人と深く関わることになってしまったことは、そういう巡りあわせだったとしか言いようがありません。

 今は四十一歳になる息子の(キム)寿福(スボク)夫婦と中学生の孫娘、国民学校(小学校)の男の子の五人家族で、ずっとソウル住まいです。

 息子の姓と、母親の私の姓が同じ「金」なのには理由があるのです。韓国では母親の姓と子供の姓は違っていることが多いのですが、私たちの場合は偶然ではなくて、息子は私の実の子ではなくて養子だから同じ「金」姓になってしまいました。

 私は何もせずに老後を送っていればいいのかもしれませんが、根が貧乏性なのか今でも仕事を持っています。仕事しているといっても、ソウル市内に持っている三つの茶房(タバン)(喫茶店)は、ほとんど他人に任せていて、退屈しのぎに三つの店を見て回るだけですが、一応経営者ですから、それなりに気苦労はあります。

 三つもお店を持っていることも、元を辿れば長年家政婦として仕えた日本人の有福一家へとつながります。よくよく縁があったということでしょうか。女手ひとつで、息子を高校はおろか大学まで行かせることができたのも、国中が貧しかった一九五〇、六〇年代に商売ができたこと、商売の元手が有福家と深い関わりがあったからにほかなりません。

 この国の人たちは皆、子供の教育に熱心で、少しでも上級の学校へ子供を行かせるためには田畑を売ってでも学費を用意します。象牙の塔といわれる大学のことを、貴重な農耕牛を売って学費を捻り出すことから、牛骨塔(ウゴルタップ)という言い方をしますでしょう。寿福は学校もよくできたので、私も力が入りました。名門の京畿高校からソウル大学という、人も羨むこれ以上ない学校を卒業し、新聞社を経て今は通信社に勤めています。

 二年前の一九八二年、日本の高校歴史教科書が、中国や韓国への「侵略」を「進出」と書いたという教科書問題が起きたときのこと、国を挙げて反日運動が広がりました。

 私には何が問題なのかわかりませんでしたが、そのとき新聞社にいた寿福は家へ帰ってきてから「とんでもない、絶対に日本は許せない」と息巻いていました。

 それから数日して、寿福が私にお願いごとがあると言うのです。

「オモニ(お母さん)、新聞社の仕事なんですが、私に協力してくれませんか」

と低姿勢に言ってきました。

「私が、おまえの仕事なんて手伝えるわけがないよ。私は新聞をめったなことでは読まないでしょう」

 まともに学校も出ていない人間が、新聞や本など文章を読むことが難儀なことだと想像できないでしょう。今の時代はニュースだってなんだってテレビが何でも教えてくれるから不自由はしません。そんな私に何を協力しろというのでしょうか。

「日本は、ウリナラ(わが国)を奪い、ウリマル(韓国語)を取り上げて日本語の使用を押し付け、日本風の名前に変えさせるという人の(みち)(もと)る悪行を働きながら、今になってその事実を覆い隠そうとしているのです。それはだれが考えても許すことのできない所業なのです。新聞社では、あの日帝時代の三十五年間を、身をもって経験してきた各界各層の人たちから、どんな小さなことでも日本を許せないと思った思い出を拾い集めた聞き語りの特集を記事にするのです。オモニは長い間日本人の家で食母(シンモ)(家政婦)をしてこられて、私たちの知らない世界で、たくさんの嫌な思いや納得のできない不愉快な経験を持っておられるでしょう。そのことをどんな小さなことでもいいから話して聞かせてもらえばそれでいいのです。いやなら実名を出さなくてもいい」

 そりゃ一緒に生活していれば腹立つこともあるし、怒られて反論したくなることもたくさんあったけれども、それは身内の場合も同じです。今だって年甲斐もなくムッとすることはあるのです。

 小学生の孫が「ハルモニ(お祖母さん)の料理は味が薄くて、甘い」と言うことがあります。子供に悪気はなくて、率直な物言いをするのですが、そんなときは内心では少し腹が立ちます。

 私が作り覚えた料理の味は、有福という家の、日本人の口に合うものを長年作ってきたから仕方がありません。またカレーライスを食べるときに家族みんなが

「どうしてご飯とカレーを混ぜないの?」と言いますが、有福家にいた時分レストランに連れていってもらったときに

「混ぜっ返して食べるのははしたないから止めなさい」と言われて以来できなくなってしまい、それが習慣になりました。習慣というのはどうしようもないでしょう。

 ああ、私は有福家の日々や、日本時代のことは出来るだけ話したくない、懸命にあの時代に触れることを避けてきたのに、こともあろうに寿福に、いろいろな思い出を話してくれと頼まれるとは。私が有福家の人々と過ごした十七年余は、記憶という抽斗(ひきだし)にして頭の中にしまい込んでいます。ときどき独りになると引っ張り出してはこもごもを懐かしんでいるのです。

 私たちが〈解放(ヘバン)〉と呼んでいる一九四五年八月十五日から、この国では反日が正義になりました。寿福も嫁も孫たちも、徹底した反日教育を受けて育ちましたから、私とは日本に対する感覚に大きなズレがあります。

 私が渋々昔のことを話し始めると、寿福が

「それは違う」とか「そんなはずはない」と口を挟んでいましたが、そのうちに寿福の顔が強ばってくるのが分かりました。

 韓国人は、だれもが日本に対しては同じ考えや思いを持っているものだと、寿福は頑なに信じていますから。私の複雑で屈折した思いは、言葉足らずもあって簡単には伝わらないのです。しかも本心を話そうと思えば、どうしても寿福の生い立ちに触れないわけにはいきません。でもそれは出来ない相談です。何故なら全部を話してしまうことは、寿福と寿福の家族のこれからにも大きな影響をあたえてしまうことになってしまうから……。

 だから私は話せなかったのです。寿福の意に添った話にならないことは、なんとなく予想していました。だから話したくなかったのに……。

 紹介者が描いてくれた地図を手に、初めて有福家を訪れた日のことを金伊礼は印象深く覚えている。昭和二年(一九二七)二月のことである。

 龍山方面行きの電車で、京城駅の先の岡崎町電停で降りると、なだらかな坂道を、チマ(スカート)をやや持ち上げるようにして一〇分ほど歩き、南山の麓に建つ有福家を目指した。途中の家並みは大方が日本人の住む家だと見当がついた。ほとんどの家は二階建てで、しかもその日は門前や玄関先に日の丸の旗が竿の先に掲げられていた。紀元節とよばれる、日本の国が始まった祝日だった。途中で通りかかった小学校から普段の下校時の様子と違う、どこか華やいで楽しそうな子供たちの弾んだ声が聞えてきていた。

 有福家は狭い路地に面した板塀に囲まれ、正面は引き戸の門になっていた。脇のくぐり戸を押すと吊り下げられている呼び鈴が鳴った。

 広々とした洋間の応接間に通された伊礼は、主人の有福(ありふく)啓司(けいじ)の前に緊張して椅子に掛けて向かい合った。

「今日しか時間が取れなくて、急に来てもらって悪かったね」

少しも偉ぶったところのない話し振りに伊礼はほっとした。

 伊礼が差し出した書面にざっと目を通すと

「いくつか訊いてもいいかな」と主人が言った。

「イェー(はい)」つい朝鮮語で答えてしまった。

「日本語はわかるのでしょう?」

主人の有福啓司が笑いながら言った。

「この自己紹介は自分で書いたの?」

「いえ、李先生に書いてもらいました」

紹介者の名前を出して正直に答えた。

 (キン) 伊礼(イレ)

 明治四十三年(一九一〇)四月十日生 十七歳

 住所 京畿道安城郡金光面○○里一一七

普通学校三年中退後、家事手伝い

  十五歳より二年間、京城日本人商店の裏方手伝い

 有福家に金伊礼を紹介したのは、有福啓司が勤める裁判所の事務官である。金伊礼とは直接の知り合いではなかったが、互いの知人を通じて事務官に勧められた伊礼は、有福啓司が裁判所の検事だと聞かされて、この話は断わろうと思った。検事というものがどんなことをするのかもわからないが、裁判所の人と聞いただけで身が竦んだ。

 朝鮮人の家では、幼いこどもが泣き止まないときや、駄々をこねているこどもを黙らせるときに母親が言ったものだ。――日本人の巡査が来るよ――子供たちにとって巡査は恐ろしいものだった。

 金伊礼には検事も警察官も同じであり、怖い人たちなのだ。そんな人の家で働き、同じ家に住まうなど考えもしなかった。

 有福啓司は、金伊礼の自己紹介の書面に目を通しながら、家族のことやこれまでの仕事の内容などを質問したが、それは金伊礼の日本語の理解度や、話し振りに表れる人となりを知るための軽い気持であった。

「カナは読んで書くことができます。話もわかりますが、漢字は難しいです」

 自分の名前は書くことができると答えた。

「子供は好きですか?」

「はい、大好きです」

 有福は妻の(みち)を応接間に呼んだ。

 鶯色の和服を着た迪が、娘を連れて入ってくるのを見ると、伊礼は腰を浮かせて軽く会釈をした。

「金伊礼さんだ。うちに来てもらおうと思っている。どうだ」

自己紹介を書いた紙を妻に渡しながら主人が言う。

「来てくださると助かるわ」

「それじゃ決まりだ。金さん、いいでしょう?」

「こずゑちゃん、ご挨拶なさい」

「お幾つテスカ(ですか)?」

 伊礼がこずゑに訊いた。

 こずゑは、はにかむようにして二本の指を立てた。

「食事はまだでしょう、食べていきなさい」

 主人が妻の迪に目配せした。

「なにもないけど、今日は紀元節だから赤飯作りました。是非食べていって。遠慮はいらないわ」

 畳の部屋にはすでに食卓が用意されていた。

伊礼が有福の家に同居するようになってあてがわれた部屋は、炊事場そばの三畳の小部屋で、誰からも干渉されない住み心地のいいものであった。食事は自分の部屋で摂ることもできた。私物も少ない伊礼にとっては三畳の広さで充分であるが、畳部屋の寒さは、口に出せないが身に堪えた。床の温かいオンドル部屋が恋しくなると同時に、二十ワットの裸電球に寂しさも募った。

 借家であったが、部屋は全部で八部屋、二階が有福夫婦の寝室と主人の書斎、子供部屋、一階には広々とした応接間、食堂、座敷、納戸である。南山の麓に建つ家の応接間や二階の部屋からは龍山の町や漢江の流れが眺望できた。

 伊礼が住み込んでから何事もない穏やかな日々であったが、夫人の迪は、使用人と主人の分け隔てには厳しく、伊礼になついている一人娘のこずゑが、伊礼の三畳の部屋に入ることにもうるさかった。家の中の食事を伊礼が伴にしたのは、挨拶に訪れた日だけのことで、一家の食事中は給仕をし、自分の食事は炊事が終わったあとに一人で済ませる。

 主人の朝は、法律で決まっているかのように寸分たがわず同じである。居間に飾られた神棚を拝むと食卓についた。朝食には味噌汁が欠かせなかった。家族の口に合う味を出すまでには半年以上を要した。

「レイちゃん、お味噌が多すぎよ」とか「ダシがきいてないわね」と迪は簡単には納得しなかった。

 主人が役所へ出勤するときは、迪と伊礼は必ず玄関で見送った。

 伊礼は有福家では「レイちゃん」と呼ばれるようになった。

「前の家では何と呼ばれていたの?」

「キミです」

「キミちゃん」とか「キミ」と呼びすてにされることもあった。伊礼はなぜ自分が「キミ」と呼ばれるのかわからなかったが、その商家ではこれまで何人かの朝鮮人の娘を使ってきて、人が入れ替わっても呼び名はいつも「キミ」だということにしているから、伊礼も「キミ」だった。店先で働く男の使用人も日本風の名前で呼ぶ習わしであったから、使用人同士の本名さえ知らずに過ごしていた。

「キミちゃんか。それも変だね」

主人と迪が「伊礼だからレイちゃんでどう?」と言って以来、伊礼は「レイちゃん」になった。伊礼は主人を「だんなさま」夫人の迪を「おくさま」と呼ぶようになった。

「レイちゃん、だんなさまから電話で、忘れ物をしたから届けて欲しいというの。お役所まで行って来てちょうだい」

 裁判所など行ったことのない伊礼は、心の中で(ひる)んだが断わることはできない。教えられたとおりに岡崎町の電停から街の中心部にある裁判所まで出掛けて行った。

 来意を告げて裁判所の門から前庭に入っていくと、見たこともない光景に遭遇した。

 編み笠を被り、薄汚れた白衣のパジ・チョゴリ(男子用韓服)を着た三人の男が腰縄に繋がれ、数人の巡査に見守られて建物の中に入っていくところであった。

 伊礼は、巡査の制服だけでなく、縄に繋がれた罪人の俯きながら歩く姿に身が竦んだ。こんなところに勤めるだんなさまは、いったいどんな仕事をする人なのだろうかと伊礼には皆目見当もつかなかった。

 有福啓司は、九州帝国大学を卒業すると朝鮮総督府裁判所の検事として奉職した。最初の赴任地は、朝鮮半島最南端の街釜山の、地方法院の支庁勤務である。その後、全羅南道光州、慶尚北道大邱(たいきゅう)の地方法院を経て、一年半前に京城地方法院に赴任していた。

朝鮮の中心地京城は、地方に較べると案件も多く多忙を極めた。帰宅も遅く、仕事を家に持ち帰ることもたびたびである。都会であれば事件も多く、案件の量も質も想像以上であった。

 難解そうで手間がかかりそうな事件をあてがわれると、有福啓司は、が然張り切った。証拠や資料を丹念に検証した。現場へ自ら出向くこともしばしばだった。レンガを歪みなく一個一個ていねいに積み重ねるようにして、妥協することがなかった。

 迪は、慶尚北道大邱府で生まれ育った。

迪の父親は、大邱駐在の日本軍の連隊から日露戦役で出征し、戦後除隊すると、大邱の外れで郵便取り扱いの利権を手に入れ、郵便取扱所の所長となり、そこに居を定めた。特定郵便局の前身である。

 郵便業務には金融業も含まれ、日用品の物品販売所も併設していた。郵便取扱所とはいえ、父親が剣を腰に吊るして仕事していたのを、迪は覚えている。尋常小学校の先生も同じ格好で軍刀を腰にしていた時代で、近所に住んでいる日本人は、鉄道で働く四、五軒の家と駐在所の巡査一家だけだった。

 迪が尋常小学校にあがる頃、両親に連れられて行った大邱の街中の、祭のような華やいだ商店街で新しい着物を買ってもらい、心をときめかした記憶がある。のちになってそれが日韓併合の祝いの賑わいであったことを知った。

 迪が通った尋常小学校は、卒業するまでの間にみるみるうちに生徒の数が増えていった。日本人が急激に増えたことが子供ながらも実感できた。

 迪は、大正五年(一九一六)大邱公立高等女学校へ進んだ。満十二歳の年である。開校したばかりの、大邱初の高等女学校で第一期生となった。

 迪の家は裕福であった。裕福になったのだ。父親が、朝鮮人の田畑を少しずつ買い集め、郵便取扱所だけではなく、買い集めた農地の地主となり、朝鮮人の小作人を使って、果樹園経営さえ始めていた。

 迪の父親が、首尾よく農地を購入していった背景には、朝鮮総督府が行った土地調査事業がある。

 総督府は、土地や山野、森林の所有が曖昧で法的に未整備であった制度を改めるため、日韓併合後八年の歳月を掛けて土地所有調査を実施した。「朝鮮版太閤検地」だ。

 所有の不明確な山林農地は国有化され、さらに国策会社の東洋拓殖を通して民間に払い下げられた。迪の父親は、その恩恵を受けた日本人の一人だった。

 迪は、経済的に恵まれた、何の苦労も知らない三姉妹の長女として成長し、できたばかりの高等女学校に進学することは当然のことであったが、高等女学校へ進めることこそが特権階級を意味する時代だった。また朝鮮にあっては、日本人であることが特権階級なのである。高等女学校を卒業すれば、花嫁修業に専念するだけの、順風満帆が約束されたようなものだ。

 そんな迪の周りで、はじめて不安に(おび)えるような事件が起きた。

 大正八年(一九一九)迪が大邱高女四年生に進もうかという三月、朝鮮全土を揺るがす反日運動が起きた。万歳事件である。のちに三・一騒擾とよばれるようになったものだ。

 三月一日の京城で、朝鮮の独立宣言書が読み上げられたことに端を発した騒ぎは、燎原の火のように瞬く間に朝鮮全域に広がっていった。

 大邱でも「マンセー(万歳)マンセー、チョソン トンリム(朝鮮独立)マンセー」の喊声を上げて、白衣の朝鮮人が街の至る所を練り歩き、軍隊が出動する騒ぎが一ヵ月以上も続いた。

「うち(郵便局)が襲われるかもしれない」

迪の父親は、夜中も剣を(かたわら)に置き、家族が出歩くことを禁じた。不測の事態を考えた父親は、警察に警官の配置さえ要請した。

 迪は怯えたが、どうして朝鮮人が騒ぎを起こすのか、皆目わからない。これまでに朝鮮人と直接交わることもなかったが、街中へ行っても学校の行き帰りに朝鮮人とすれ違っても、なにごともなく日本人も朝鮮人も平穏に暮らしているのに、としか思えなかった。

 学校は日本人だけであるが、朝鮮語の科目さえ設けられていた。迪は熱心ではなかったが、片言ぐらいの朝鮮語なら理解ができる。朝鮮人も日本人も仲良く暮らしていけばいいではないかと、その程度にしか朝鮮や朝鮮人のことを理解していなかった。

 自分たち日本人が、朝鮮人の鬱屈した思いの上に胡坐(あぐら)をかいて生活していたと考えるようになったのは、日本に引揚げ、随分歳をとってからのことである。

 有福啓司と迪が結婚したのは大正十二年(一九二三)の初冬のことである。迪の父と親しい大邱歩兵八十連隊の、高級将校の夫人が口を利いて話がまとまった。

 見合いの結婚であったが、有福にとっては、迪との見合いの席が全く初めての顔合わせではなかった。

 有福啓司には、大邱は縁者も知り合いもいない、単なる勤務地であったが、全羅南道光州から転勤して一年、三月十日の陸軍記念日に役所の上司とともに将校クラブでのパーティに招待された。三百人はゆうに超えるパーティであったが、長年大邱に住んでいる著名な人々や、府庁、裁判所、郵便局などの日本人役職者が参集していた。

 会場は、軍楽隊の演奏やきれいどころの舞踊など盛大なものであった。そんな中にあってシャンデリアの輝きのように光彩を放っている三人の若い女性がいた。大邱の美人三姉妹と評判の娘たちであり、その長女が迪だった。迪の、さくら貝のような耳朶と透きとおるような白い肌の(うなじ)、襟足のわずかな後れ毛は、そこに集まった男たちの視線の集中砲火を浴びて、後ろ姿が眩しかった。

 有福の近くにいた将校夫人たちの話し声が聞えてきた。

「彼女は軍人嫌いだというから、将来有望な青年将校を紹介できないわ」

 目線を送りながら噂し合っていた。聞えてくる話に、あの三姉妹はどんな家の、どんな男と世帯を持つのだろうかと、他人事のように有福は想像するだけだった。

 迪が軍人嫌いだと噂し合っていた夫人たちの一人の口利きで有福と迪は結婚した。啓司二十八歳、迪十九歳であった。

 式を挙げて四ヵ月しか経っていない翌年三月に、有福は定期異動で京城勤務になった。

「大邱美人を京城へ(さら)っていくのね」憎まれ口を叩いて仲介の将校夫人は有福の栄転を祝ってくれた。二人は京城の南山麓の三坂町に居をかまえた。

 大正十四年(一九二五)五月、連翹(れんぎょう)の花が真っ盛りの頃、迪は朝鮮総督府附属病院で長女を出産した。

 十日ばかりの入院の間、日本人の助産婦が付添っていたが、大邱の母親は別便で送るほどの祝いの品々を抱えて上京し、ひと月以上も京城に留まった。母親にとって京城は初めてであったが、迪夫婦にしても同じである。

 迪は、長女の名前を京城に因んで『京子』はどうかと提案した。下に「子」が付く名前がモダンに感じられたこともあったが、啓司は『こずゑ』と命名した。

「僕は年がら年中書類の作成、資料調べと下ばかり向いて仕事しているから、木のてっぺんを連想できてすくすく伸びていくような名前がいいな」

 啓司の訳のわからない屁理屈で長女の名前は『こずゑ』となった。

 こずゑのお宮参りは南山中腹の京城神社へ出向いた。

「もう少し遅ければ、できたばかりの朝鮮神宮へ行けたのにね」

迪の母親は残念そうだった。

「そうよ、十月だったら朝鮮神宮お宮参り第一号だったかもしれないわ」迪も同調した。

「仕方ないよ。でもいいじゃないか、新しくあんなモダンな京城駅も竣工になる記念すべき年だと思えば、こずゑの未来は洋々たるものになるだろうよ。それに……」と啓司は言葉を継いで言った。「普通選挙法も施行され、新しい時代の子だよ」

啓司は法律家らしい感慨を口にしたが、迪には関心がなく返答のしようもなかった。ただ朝鮮も京城も大きく変わろうとしていることだけは確かだった。

 お宮参りをすませた親子は、その足で日本人街の本町(現・忠武路)の写真館に向かい記念写真を撮った。啓司は出来上がった写真の裏に「大正十四年五月こずゑお宮参り記念、同年朝鮮神宮創建、京城駅竣工」と書いた。

「この子がお嫁にいくころはどんな世の中なんでしょうね」

迪と母親は、こずゑの未来を祝福するように感慨深げに話した。

「本町を歩いていても、若い人は洋服の人がずいぶんいるんだねえ。京城は大邱と違って大きな街だし、東京とかわらないでしょう」

 洋装が増え、断髪の女性も見受けられ、時代は変貌しつつあった。

 翌大正十五年(一九二六)十月には、大理石五階建ての、内地にもないような威容を誇るエメラルド色のドームを中央に戴く朝鮮総督府庁舎が、李朝の宮殿である景福宮を人の目から遮るようにして建てられた。

 伊礼が短期間のうちに有福家の一員として溶け込んでいったことの大きな理由はこずゑにあった。こずゑが一気に伊礼に懐いてしまったのだ。朝起きてから夜寝るまで、覚束ない口ぶりで「レイたん、レイたん」と何度呼んだことだろうか。

 こずゑは、伊礼のおさげ髪の先についている赤いリボンが気になってしかたがない。頭の真ん中をきれいに二つに分け、三つ組みにした髪を一つに束ね、さらに背中に垂らし、先端にリボンを編み込んでいる。テンギというものだ。

「これ、なあに」

 伊礼が繕い物をしたり洗濯物に火熨斗(ひのし)をあてながら座り込んでいると、髪の毛とテンギに触れて何度でも同じことを訊いては(まと)わり付いている。背に負われたときも、伊礼の髪の毛に鼻を押しあて、匂いを嗅いでこずゑは育った。こずゑの幼年時代は伊礼なしでは考えられない。

「レイちゃん、こずゑのいうことを何でもかんでも聞いてあげちゃだめよ」と迪が釘を刺したほどであった。

 迪は、伊礼との主従のけじめをはっきりさせてはいたが、迪自身が、まるで妹のように伊礼に接し、京城に来て以来周りに知り合いのいない迪の恰好の話し相手でもあった。

 伊礼はよく働いた。家の中で見かけないなと思うと、庭に下りて草木の枯葉を集めていたのが、いつの間にか炊事場で鍋釜を磨いている。

 家には御用聞きや物売りが来て、買物に出ることはめったにない。食材の野菜や果物、魚やワカメなどの海産物、卵売り、糸、毛糸、素焼きの甕さえ日本人も朝鮮人も売りに来た。

 お嬢様育ちの迪は、行商でやって来る物売りのあしらいが苦手であるが、伊礼は物売りとの交渉ごとを見事に(さば)いた。

「レイちゃんは若いのにたいしたものよ。厚かましい押し売りのような人だって手もなく追い払ってくれるのよ」

迪は啓司との食卓の話題にした。

 迪が言われた通りの値段でお金を払おうとすると、相手が日本人であれ朝鮮人であれ、

「おくさま、それはアンデヨ(だめです)」

と言って値切った。迪の傍らで行商とのやり取りを黙って見ていた伊礼は、何か口に出したい思いがあふれて我慢ができなくなるとつい朝鮮語を口にした。興奮すると日本語を忘れ、自然と朝鮮語になる伊礼は正直だった。

 値切りなどやったこともなければ、そんな行為がはしたないとさえ思う迪であったが、伊礼は意に介さない。一年も経つと、迪は財布ごと伊礼に渡し、行商からの買物を任せてしまった。

 それでも、働き者で弱音を吐かない伊礼が半ベソを掻きながら帰ってきたことがあった。一家で風邪をひき、こずゑも熱を出したときのことである。それまではこずゑが病気をすると迪が医者に連れていくのが常であったが、迪まで臥せってしまい、一人元気な伊礼がこずゑを近所の町医者へ連れて行き、帰って来るなり涙をこぼしはじめた。

「おくさま、私にもできないことがあります。ごめんなさい」

と泣き声になった。

 根雪になって滑りやすくなった坂道を、三歳のこずゑを背負って病院へ急いだ伊礼は、受付で困り果ててしまった。診察の申込書に必要事項を記入するように言われたが、漢字が読めず書けないのだった。受付の日本人看護婦に教わりながら、やっとの思いをしてカタカナで書くしかなかった。そのあいだに後からきた人々に先を越された伊礼は、窓口で悶着を起こしてしまった。

 こんなに熱を出している子供を、どうして早く診てくれないのか? と看護婦に食ってかかった。なんと不親切な対応だとまくしたて、最後は朝鮮語だったという。そのことを迪は後になって医者に聞かされて知った。

 医者はさも愉快そうに迪に話した。

「うちの看護婦も忙しい最中に一字一句を質問されて、つい事務的な受け答えになったみたいですよ。しかしお宅のキチベはしっかり者ですね。私が『どうしました?』と症状を訊いたら『風邪です』というから『風邪かどうかは医者の私が決める』というと『いや、これは風邪です。早く治して下さい』という。本当に面白い」

「紙に書くことがそんなに大事なことですか? 苦しんでいる人を早く診てあげることがなにより大事でしょう。あの看護婦は、私が朝鮮人だから意地悪したのです」

 看護婦のせいにしながら、伊礼の本心は、字が読めない苛立ち口惜しさが自分に向いていることを自覚していた。それは思い過ごしだと、迪がいくら言っても伊礼は聞き入れようとしなかった。

 伊礼の、こずゑを思う一心に、迪は有難いと思うと同時に、伊礼の直截的で朝鮮人らしい行動に、かわいらしい、伊礼らしいと微笑ましく思った。

 京城の秋は、夏から回り舞台を半回転させたようにして突然訪れる。澄みきった青空が全天を蔽い、乾燥した空気が街中に溢れている。伊礼は秋を心待ちにしていた。

 昭和四年(一九二九)の秋夕(チュソク)(日本の旧盆にあたる)に、伊礼は、京畿道南端の安城郡の実家へ久しぶりの休みをもらって帰っていった。京城駅から京釜線の汽車で、天安まで二時間半、さらに朝鮮京南鉄道京畿線に乗り継ぎ、一時間半ばかりの農村地帯に家があった。自作と小作を兼ねた実家には、両親と二人の弟、二人の妹の六人が生活している。伊礼は金家の長女であるが、口減らしのためには京城に出るしかなかったうえに、わずかな給金のほとんどを実家に送金していた。伊礼と上の弟はまともに普通学校(小学校)を卒業することもできなかったが、下の弟はどうにか卒業し、二人の妹は伊礼の助けもあり、普通学校を卒業することができた。伊礼が爪に火を灯すようにして、一年がかりで貯めたお金をはたいて、両親にも、弟や妹にもお土産をと苦心するが、思うにまかせない。

 伊礼の家族思いと乏しい懐具合のことがわかっていた有福夫婦は、家族全員への土産を持たせた。

「レイちゃん、久しぶりの帰郷だね。本町へお買物に行きましょう。気を遣うことないのよ、私に任せといて」

「そんな……」使用人の帰郷に土産を持たせるなど異例のことだ、とんでもないと伊礼はかぶりをふった。

「いいの、いいの。だんなさまも『たくさんお土産もたせなさい』と言ってくれているのだから」

 こずゑを連れて三人で繁華街の本町へ出かけていった。

秋夕(チュソク)って、家中がにぎやかで楽しみなんでしょう?」

「はい、アボジ(父)の兄弟、私たちの叔父さんやイトコたちもみんな集まります」

 秋夕には遠くに住む兄弟や親戚が本家に集まり、盛大に先祖の供養をする、ご先祖をなによりも大切にする朝鮮人にとって、絶対に蔑ろ(ないがし)にできない行事なのだ。

「レイちゃん、私ね、今日洋服を買うことにしたの。あなた、洋服持ってないでしょう。あなたにも一つ買うから安城に帰るときに着ていきなさい」

迪は一方的に決めてしまった。

 洋服なんて着て帰ったら、あんな田舎ではなにを言われるかと、伊礼は買ってもらうことへの気兼ねよりも、田舎の、好奇の目のほうが気になった。京城では確かに洋服を着て歩く人も多く見かけるようになってはいたが、それでも日本人でもまだまだ和服の人が多い。ましてや朝鮮人が……、と思うと伊礼は尻込みしそうになった。

 帰省の汽車の中も思いやられる。チョコレート色の車体に青い線がはいっている三等車は、ほとんどの乗客が朝鮮人だが、洋服姿を見ての、非難がましい好奇の目、なかには聞こえよがしに嫌味を言う女もいることだろう。しかし一方では、都会に住んでいる誇らしさを感じたいとも思う年若い娘心も持っていた。三越百貨店の包み紙が、伊礼の誇らしげな気持を代弁してもくれるだろう。

 ――お嬢様育ちのおくさまには、こんな私の気持はわからない……。伊礼の中で複雑な思いが交錯した。

「買い忘れた物はないの? なければ明治製菓のレストランへ行って食事しよう」

最初からそのつもりであったのか、迪はこずゑの手を引いて足早に二丁目のレストランへ向かった。伊礼は両手いっぱいの荷物を持っていた。

 カレーライスを食べはじめると迪が伊礼に注意した。

「ぐちゃぐちに()ねまわして食べるのははしたないからよしなさい。こずゑが真似をするといけないから、ちゃんとそのままで食べなさい」

 伊礼にはそれがどうしてはしたないのか、なぜ混ぜて食べてはいけないのか理解できなかった。ビビンパを食べるときは何度も何度も混ぜ合わせて食べていたし、家族のだれもが同じようにして食べたものだ。

 この日のカレーライス以来、有福の家族に連れられてレストランで食事をするときは、伊礼は気を遣ったものだ。デザートにアイスクリームを食べたのも初めてのことだった。

 帰りがけに、迪は、サイコロキャラメルを買おうと言い出した。

「これもお土産になさい。妹たちや近所の子供たちにも配ったらいいわ」

 赤と白の水玉模様が小さな箱になり、サイコロの目と同じように描かれたかわいいキャラメルだ。売り出されて間もない人気商品だった。伊礼には、田舎の子たちが目を輝かせた顔がずっと忘れられなかった。

 伊礼は持ちきれないほどの土産を抱えて安城の実家へ帰っていったが、一週間ほどして京城へ戻ってきた伊礼は、いつもの元気がなく浮かない表情をしている。

 夕食をすませ、土産話でも聞こうと寛いでいる啓司と迪に、伊礼が話し掛けた。

「だんなさまとおくさま、実は……」ひどく畏まっている。

「何かあったのかい? 元気なご両親や弟妹の様子でも聞きたいと思っているのに」

啓司がやさしく言うと、下を向いたままで伊礼が話し始めた。

 いつもと違う様子の伊礼に気づいているらしいこずゑに、じっと見つめられて、伊礼は目頭を熱くした。

「……私、お嫁にいくことになりました」

「えっ、ずいぶん突然の話ね」

夫婦が声を合わせるように訊いた。

「それでいつなの?」

「十二月です」

「もう日にちがないじゃないの。私、困っちゃうなあ」

迪の口から咄嗟に出た。

「おいおい、おめでとうが先だろう。うちのことは後で考えることだ」

啓司が迪をたしなめた。

 伊礼が安城の実家へ帰っていったのは、京城へ戻ってからひと月も経たない十月の下旬、もう雪でも降ってくるのではないかと思える底冷えのする日だった。三寒四温といわれる朝鮮の気候は、冬の訪れも早かった。

 有福夫婦は、これまでの、伊礼の手抜きしない働きの労に報いる気持と、お祝いの意を込めて、螺鈿細工が施された小ぶりの箪笥一棹と箱型の鏡台を贈った。

 夫妻は、朝鮮の嫁入りには新婦の家の負担が大きいことを聞き知っていた。婚家の両親へは布団一組、新郎の兄弟姉妹へも服の一式を用意するなど、それが習慣とはいえ過重な負担を強いられていた。

 両親が決めてしまった結婚とはいえ、突然仕事を辞めることの後ろめたさと、過分な贈り物に伊礼は何度も何度も頭を下げた。

 有福家を辞する日のことである。

 伊礼は、迪が淹れてくれた日本茶を飲み終わり、通いなれた坂道を、後ろ髪を引かれるような思いで岡崎町の電停へ向かっていると、こずゑが大声をあげて泣きじゃくりながら裸足で伊礼を追って来た。

「こずゑも行く、こずゑも行く」

こずゑは伊礼のスカートの裾を掴んで離さない。

あとから小走りでついてきた迪がいくら制止してもこずゑはチマを引っ張って離さない。伊礼は途方にくれて一旦家へ引き返すはめになってしまった。

 荷物を玄関に置くと、迪と伊礼は応接間でとりとめのない話を始めたが、こずゑが伊礼の傍を離れようとしない。そのうちにこずゑは玄関に置いた大きなカバンを引きずって応接間まで持ってきてしまった。

 ここまで慕ってくれるこずゑのことがいとおしくてならない伊礼であったが、まるで親子が引き裂かれるような思いで有福家を後にするしかなかった。

 伊礼のいなくなった有福家では、迪がなにかにつけ不便を(かこ)っていた。伊礼は、自分がいなくなった後のことを考えて、後任のお手伝い探しを出入りしている卵行商のアジュマ(おばさん)に頼んでいたが、来てくれたのは、週に二回ほどの通いの、中年女性だった。伊礼になにもかも信頼をおいて、任せきりだった迪には、言われたことだけをするオモニ――日本人の家庭では、中年女性の家政婦を「オモニ」と呼んだ――に欲求不満が募った。オモニは無口な上に日本語が覚束ないことが、迪にとっては不足だった。ないものねだりであるが、伊礼の、愛嬌のある日本語の話しぶりが懐かしかった。

「もしもし、おくさまですか。私レイです」

「まあレイちゃん、どこにいるの?」

水原(スイゲン)(京畿道)です、水原の郵便局です」

周りに気兼ねしている様子が電話口からもわかる話し方である。

「電話してくるなんて、どうしたの?」

迪の問いかけには答えず、伊礼は家族のことを訊いてきた。

「こずゑちゃんはどうしていますか? だんなさまは元気ですか?」

 嫁ぎ先から礼状を兼ねた、カタカナで書かれた年賀状が届いて以来のことであった。途中で伊礼は涙声になった。

「もうお嫁さんは嫌です」伊礼は彼女らしくないか細い声で言った。

 離婚したいと言いたいらしいと迪は察しはついたが、覚束ない日本語では要領を得ず詳しい事情はわからなかった。

「まだ一年も経っていないじゃないの」

「…………」

説明できない伊礼のもどかしい様子だけが押し黙った受話器から伝わってきた。

 親の言いなりに嫁いだ伊礼が、迪には可哀相でならなかった。働き者の、妹のような伊礼に辛い思いをさせる相手と婚家とはどんな一家なのだろうと思わずにはいられなかった。後になって伊礼は淡々と話したものだ――。

 水原の、両班とは名ばかりの自作農みたいな家だった。両班とは、使用人を抱え小作人に田畑を作らせる地主であり、自ら耕作などしない特権階級だと伊礼は思っていたが、使用人はおろか小作人さえいない、農家そのものだった。夫と舅姑も働こうとしない自作農に過ぎず、見栄と自尊心ばかりの家族であり、形式だけが何より大事であった。伊礼は早朝から夜遅くまで身を粉にして働く労働力に過ぎなかったうえに、夫は自分が気に食わないことがあれば、伊礼を理由もなく殴る、蹴るの暴行を働いた。

 伊礼にとっては、儒教の悪しき習慣ばかりを色濃く残した家であるばかりか、一回りも年上の夫は、離婚歴があり、「三去の悪」という理由から前妻を離縁していた。

 三去の悪――男子の子供を生めない妻、夫の浮気を嫉妬する妻、夫の両親に従順でない妻などの、女には理不尽な、離縁の理由とされた悪しき風習だ。

「だんなさまとおくさまは、好き合って結婚しましたか?」

「そんなことはないわ。親が決めて親の言う通りに結婚したのよ」

「おふたりはとても仲がいいから、好き合って結婚したのかと……」

「お見合いをしたのよ。顔も覚えていないままで結婚させられた。レイちゃんと同じで親には逆らえないのよ」

「私の結婚なんて、ただ男の子を生むため、夫と夫の両親に仕えて一生働くためだけだったのです……」

伊礼はしみじみと語ったのだった。

 朝鮮社会にあって、結婚はなべて男系社会の宗族維持継承だけのためにあった。妻の地位は低く、子無きは去れ、男児が生まれなければ両班の家にあっては、シバジと呼ばれる代理妻さえ容認されていたのが李朝の儒教社会なのだった。シバジとは、男子を生むことを職業として、そのことのためだけに両班と交わる、最下層身分の女性のことである。

 京城という都会の、しかも日本人家庭を見てきた伊礼にとって、嫁ぎ先も、朝鮮社会も自分がシバジと同じような境遇にあるように思え、耐えられないことであった。

 電話口で迪がふと洩らした。

「レイちゃん、私ね、今お腹に赤ちゃんがいるの」

「まあ……。おくさま、私にお手伝いさせてください」

 お嫁にいくことを有福夫妻に告げた日から一年が経った、秋風の立つ秋夕の前に、伊礼は実家にも知らせず、婚家を飛び出して有福家に戻ってきた。

 長く背中に垂らしたおさげもテンギもなく、娘でなくなった証しの後ろに束ねたマングジャ((まげ))に薄緑色のかんざしを挿して、螺鈿の鏡台だけを大事そうに抱えて戻ってきた。

 有福啓司は、迪が第二子の出産を間近にした昭和五年十二月いっぱいで検事の職を辞し、弁護士への転職をはかっていた。

 世の中は世界的な不況に曝され、それに伴なって犯罪の件数も増え、啓司にとって、裁判所の仕事は昼夜を分かたず、徹夜を余儀なくされるほどに忙しかった。さらに弁護士事務所の開設準備に追われ、家庭を顧みる余裕もなかった。伊礼が戻ってきて、家のことのみならず、事務所の準備にも獅子奮迅の働きで、有福夫婦にとっては、これ以上の頼もしい働きはなく、伊礼の存在が有難かった。啓司は、のちに場所を変わることになるが、最初の弁護士事務所を裁判所に向かい合っている西小門町(さいしょうもんちょう)に構えた。

木々の葉は枯れ落ち、陽射しはあったが底冷えのする一日をかけて、伊礼は用意した甕にキムチさえ漬けてしまった。多忙を極めている最中のことである。

 キムチを漬けたいという伊礼に従って、好きにしたらいいと、迪は金だけ渡すと、伊礼は家に出入りしている卵売りのアジュマを鼓舞して、両手を真っ赤にしながらも二人だけでキムジャン――キムチを漬ける朝鮮の恒例行事――をやり遂げてしまった。

「これでキムチは春までダイジョウブです」伊礼は満足げだ。

 臨月を迎えた迪は縁先に坐ってキムチ漬けを見ていただけである。

 買い込んだ小魚や昆布、大邱の迪の実家から送られてきたリンゴなども採り入れた手の込んだキムチを二つの甕に漬けた。

「栄養満点のキムチを食ベルト、元気な赤ちゃんを生んでくださいね。ワダカルシューム錠よりも身体にいいですよ」

 変な日本語になっていたが、言葉足らずの口ぶりに伊礼の溢れる思いが込められていた。

 安産と胎児を思って栄養剤を常用していることを知っている伊礼の言い草が迪にはおかしく、そしてありがたかった。

 迪は暮れも押し迫った十二月下旬に男児を出産し、「毅」と名付けられた。政友会総裁犬養毅の名前に因んだものだ。

「レイちゃんがいなかったら、いろいろなことが重なり過ぎて、お正月も迎えられなかったな。レイちゃん、たいへんだったね」

啓司は、こずゑと伊礼にお年玉を渡しながら、一年を述懐するように言った。

「それにしても僕の、裁判所最後の仕事はなんともいたたまれないものだったよ。毅の誕生と思いが重なってねえ……。そのことも検事を辞めたいというきっかけになったのかもしれない」

「どんな事件だったのですか?」

迪は興味のある表情になった。珍しいことだ。

 滅多に仕事の話、関わった事件のことなど迪に語ることはない啓司が、嘆息するように話し始めた。

「赤ちゃんの捨て子殺人と死体遺棄事件だったよ。お正月早々こんな話やめようか」

側で眠っている長男に目を向けながら啓司がためらいがちに言った。

「そんな事件のこと、新聞には出ていませんでしたね」

「それは載らないさ。総督府の、相当の地位にある人、Kさんの娘が生んだ子供だから、手を回して世間に知られないよう手を打ったのさ。僕は、去年の宇垣総督主催の園遊会で、Kさんとほんの少しだけど言葉を交わしていたので、そりゃびっくりしたよ」

「私もお会いしたかしら?」

「君は、裁判所仲間の奥さんたちとずいぶん楽しそうにしていたから会っていないよ。Kさんは、奥さんとその娘さんも一緒だったよ」

 朝鮮総督主催の園遊会は、官公庁に勤める等級が奏任官以上の高等官と呼ばれる人たちや、朝鮮各界の著名人が招待されるもので、有福啓司は奏任官であった。K氏一家は、園遊会を満喫し楽しんでいる風情だったという。人の裏事情はわからないものだ。

 ――それはそれまでの朝鮮には事例も判例もない、捨て子事件であった。

 発端は朝鮮総督府高官K氏の、未婚の娘に不義の子が生まれたことにあった。

不義密通の子など絶対に容認できないK氏が、娘を問い詰めてわかったことは、真剣に娘の結婚相手として考えることができるような人物ではない。さらに朝鮮人であったことから、有無を言わせず事のすべてを隠密に葬らなければ、娘の将来のみならず、K氏自身の経歴に傷がつき将来にも支障を来たすことになると危惧する由々しき事態であった。自分と自分の家族が傷つかず、完璧に処理をするために金を使うという姑息な手段を考えるしかなかった。

 京城に住む、いやK氏にとっては全朝鮮にいる日本人の間に、とりわけ朝鮮総督府のすべての職員に知られることなく、迅速に事を運ばなければならない。その一心から、ただ功利的な感情に縛られ、生まれてくる命に一顧だにすることもなかった。

 ――じゅうぶんな金品を付けて養子に出すこと、日本人以外すなわち朝鮮人に仲介を依頼すること――。それがK氏が決めたことであるが、信頼のおける仲介人に思い当たる人物がいず、思い余って頼み込んだのは、家に出入りする海産物行商のアジュマであった。

 狡猾で逞しそうなアジュマであるが、むしろそのほうが金銭で片付けるのに好都合であろうとも考えたのである。またK氏は決して自分の娘の不義であるとは言わなかった。知人に頼まれてやっていることであるが、このことは絶対誰にも言ってはいけないと念を押した。

「ケンチャナ(大丈夫)、任せてください」アジュマは自信ありげにニヤリと笑った。

 事件が発覚したのは六月初旬の、大雨が降った後のことであった。

 東大門から外れた、京城郊外の貧民窟が集まった一角から赤子の死体が見つかった。土に埋められた死体の半分ほどが剥き出しになり、野犬に(かじ)られた無残な状態にされていた。雨で土砂が流され、露わになった部分が野良犬に襲われたものと思われる。発見した貧民窟住民の東大門警察署への通報で発覚した。犯人はすぐに判明し、同じ貧民窟の集落に居住する崔某という夫婦者が東大門署に拘引された。

 崔夫婦は、黄海道で農業に従事していた。永年続く旱魃や水害に小作の仕事も減らされ、農業に見切りをつけて京城へ職を求めて流れ着いたが、京城にもまともな生活ができるような仕事も家もなかった。あるときは京城の南に流れる漢江の岸辺に(むしろ)を被って過ごし、雨に降られれば、そのままの恰好でわずかな身の回り品を持って橋の下に移動するだけである。

 崔はまだ三十歳になったばかりで若く、子供がないのが救いだった。小作の仕事で露命を繋いでいたが、疲弊した農村では小作の仕事さえも競争である。小作料の値上げに耐えられない農民は、京城や満州へと流れていった。

 元手もなく知り合いもない崔夫婦の稼ぎは、漢江の岸辺に打ち上げられた流木を拾い集め、京城府内の民家一軒一軒を回り、集めた流木を薪として売り歩くことである。二人が手分けして稼げる額は日に一円になるかならないか、なにがしかの食料を手に入れるのが精々であった。

 京城の冬は零下十五度、二十度という人間の行動さえも凍らせてしまう寒さで、漢江の流れも厚い氷の帯になる。氷上を牛車や自動車さえも行き来した。

 崔夫婦は足も手も霜やけどころか黒褐色の丸太のようになっていた。流れの止まった河には売り物の薪にする流木もなかった。

浮浪の二人は橋の下暮らしから、地方の農村から流れ着いた人々が集まる貧民窟の一角に、四方を莚や板切で囲った雨露を凌ぐだけの、不法占拠した掘立小屋に住み着いたが、そのとき心ならずも子供が生まれ、極貧の生活をさらに圧迫していた。それから一年にも満たず、細君が授乳を続けていたころ、まだ乳が出ることを理由にして、生まれて間もない乳児を二十円という、崔夫婦にとっては大金に思える金とともに引き取らないかという話が持ち込まれ、金に目が眩み安易に引き受けた。しかし二人の幼な児を育てることが負担になると、引き取った子供を絞殺し、近くの雑木林の中に埋めてしまったのである。

 検事局に持ち込まれた嬰児殺害遺棄事件は、取調べに際して日本語が通じないことが予測されたこともあり、担当は有福啓司が主となり、他に朝鮮人検事の(シン)(ビン)()との協同起訴事案となった。

 自ら現場へ足を向け、警察任せにしない有福のやり方は、梅雨の時季と重なって難渋した。土幕と呼ばれる貧民窟の集落の路地は、道路の体をなしていない泥濘(ぬかるみ)のうえに、坂道ばかりである。一応は家屋と呼べるものから上に登るに従いさらに貧相となり、弥生時代の竪穴式住居を思わせる住まいは土幕と呼ばれていた。どこが入口かも判然としない莚で囲っただけの崔夫婦の土幕は、一カ所に小さな窓もどきのくり抜きをつけた作りであった。内部には、地面に莚やゴザを敷いているだけで、わずかな鍋と食器、水瓶があるだけだ。どんな生活であったかは、周りの住民から聴き取りをする必要がないほどに一目瞭然である。水は坂の下から運び上げ、便所は板切れや莚で囲っただけの共同便所である。集落には異臭がたち込め、汚水が道に流れ出している。

 有福と申は、天候に関係なくゴム長靴を履いて村に入るしかなかった。

 物珍しげに有福たちを見ている子供たちは、裸足はもちろん半数の子供は上衣も着ていないうえに、腹が異様に膨らんだ栄養失調状態のような子供も散見された。幼な子を持つ有福は目を背けて歩いた。明るくはしゃいでいる子供たちの様子がなおさら痛ましい。親の仕事の多くが運搬人夫や土木人夫の雑役で、月の収入は一定せず、二~三十円程度である。

 被疑者の崔夫婦が、二十円という養育費に釣られたことも充分納得できた。しかもその月は長雨続きで、仕事がなく収入がゼロに近かった。

 殺された嬰児がどんな手蔓で崔夫婦のもとへ至ったのかが判ったときには、有福啓司と申敏熙は、――ほんとうなのか、なにかの間違いではないのか、と互いに押し黙ったままで顔を見合わせていた。

 総督府高官のK氏に行き着いた二人の検事は、東大門警察に捜査を精査することを命じ、上司への報告もすぐに行ったが、警察の捜査に手違いはなかった。

 K氏宅に出入りする海産物行商のアジュマから始まり、殺人にまで至った経緯は、アジュマの知っている朝鮮人の産婆に伝えられ、崔夫婦に辿り着くまでにさらに三人の朝鮮人が介在していた。

K氏の知り合いから頼まれているという話は堅く守られ、崔夫婦に持ち込まれた事情は、金持ちの両班家でシバジ(代理妻)が生んだ女児になっていた。またK氏から行商のアジュマに渡された金額は、公務員初任給の二倍には相当する百五十円の大金であるにもかかわらず、崔夫婦が手に入れた額は、わずか二十円と数枚の産着だけになっていたのである。

 崔夫婦だけが罰せられることに、有福にはやりきれなさと、崔夫婦への哀れみだけが胸のシコリのようにいつまでも残った。また申敏煕には同じ民族としての向けどころのない憤りが渦巻いていたが、自分ができることは何一つない、という無力感だけが沈殿していた。

 土幕民による嬰児殺害死体遺棄事件は、新聞記事にもラジオのニュースになることもなく一切が伏せられたままで、崔夫婦には十年と五年の刑期が確定、結審した。

 事件を担当した有福啓司は弁護士へ、同僚のまだ若い検事の申敏煕は平壌の地方法院へ転勤していった。

 「焼ッキ栗ィ―、アマーイヨ、ホッカホカの焼ッキ栗ィ―」

 冬の民家の路地を焼き栗売りの、間延びした声が通り過ぎていく。冬の夜を実感できる京城の風景であった。帰宅途中に通りかかると、啓司は買って帰ることがある。

 毅が生まれた後、迪は産後の肥立ちが悪く、啓司の帰宅時に床に着いていることが度々であったが、そんなときに啓司は「温かいよ」と言って、迪の枕元に焼き栗を持っていった。

 迪が寝込むと、伊礼は多忙を極めた。家事のすべて、毅とこずゑの世話に加えて迪の看病と早朝から深夜まで、休んでいる暇など露ほどもなく、立ったままで食事を済ませた。

 病弱であった迪が、毅の出産後母乳がほとんど出ず、母乳の代用品として《粉末純乳『ラクトーゲン LACTOGEN』》を乳児に与えるしかなかった。広告記事に『お母様が病気の為に完全な母乳の出ない時はラクトーゲンでお育て下さい』とある。

 伊礼は日に何度にも分けて、夜更けにも起き出して母乳の代用品を作り、毅に飲ませた。

「おくさま、朝鮮人はおっぱいがたくさん出るように、ワカメを食べるのです。毎日食べてください」

料理に工夫を凝らし、ワカメのスープ、ワカメの味噌汁と毎日欠かさず食卓に用意した。それでも母乳が出ない。

「ワカメが嫌いになりそうなくらい。飽きちゃったわ」

 伊礼の思いを台無しにするようなことを、無神経に口にする迪に、伊礼は気分を害することもなく迪を励まし続け、献身的に尽くした。昼間は毅を背に負ぶって家事をこなし、啓司やこずゑの、身の回りの世話、幼児の面倒と忙殺される毎日である。毅に湯をつかわせ、かぶれ予防の天花粉を使い、やっとの思いでこずゑと毅を寝かせつけると、その後で片付けものをしなければならない。

 有福家は、伊礼なしでは何事も回らなくなっていた。伊礼は三畳の部屋に戻ると、着替えることもなく、着の身着のままのかっこうで倒れ込むようにして朝まで目が覚めなかった。

 迪は、伊礼に感謝こそすれ文句を言うようなことはあるはずがないのに、不平不満が口の端から漏れてしまう自分自身に嫌気が差していた。自在にならない体調から気分が塞ぎ、些細なことでこずゑを叱り、帰りが遅く酒臭い啓司に、夜遊びをしているのではないかと猜疑心を募らせる。

家に届いたばかりのラジオのことで伊礼に八つ当たりする。座敷に敷いた布団の中から、食堂居間に置かれたラジオがよく聴き取れない、向きを変えろといって不平を言う。

縦長アーチ型の木製筐体ラジオは、食器棚の上に収まって迪の方に向けるのは簡単ではない。ラジオは大邱の実家が、毅の誕生祝いの一つとして贈ってくれたものだった。

 朝鮮でラジオ放送が開始されて四年、受信機は百二十円という到底庶民がた易く手に入れることができるようなものではなかったが、孫の顔を見るために上京した迪の父親が、即座に買い求めたものだ。

「汽車の食堂車の中にラジオがあるのに驚いた。文明の利器は動いている汽車の中まで……。これからの子供には絶対必要だ」父親は興奮気味に「汽車の中まで」と繰り返した。

 時間を持て余している迪にとって、物珍しかったラジオが無聊を慰め、気分を落ち着かせるにちがいないと、啓司も伊礼も期待していたが、あるときは逆に迪を苛立たせた。雑音がひどく、聴き辛ければ何とかしろと言って伊礼を悩ませ、時間帯によっては朝鮮語の放送に切り替わると、ラジオを切ってしまえと声を荒げた。放送開始からJODKのコールサインで始まる京城中央放送局では、日本語と朝鮮語を混在させて放送していた。

「病院へ行っても何の病気なのかはっきりしないのだよ」

啓司は申し訳なさそうに伊礼に愚痴を洩らした。

 週に二日は半日をかけて、迪は京城帝国大学附属病院へ通院した。電車で三~四十分の距離であるが、その日の体調や天気によってはタクシーを利用した。治る気配は見えなかったが、着ていく服にあれこれ思案することだけでも、イライラから解放されるようだった。そのときどきによって現れる症状は違い、また重複した症状がでることもあった。

 倦怠感、眠れない、頭が重い、食欲不振、のぼせ、生理不順などに悩まされていた。医者は不定愁訴であろうと言った。原因のわからないものだ。

 迪の、日々の病気の度合いは、こずゑや毅の顔色に如実に反映し、迪の状態を物語っているように伊礼には思える。

「お母ちゃま、いってらっしゃい」

こずゑが伊礼のチマに隠れるようにして言うときは、迪の症状はよくなかったが、

「お母ちゃま、お土産お願いね」と明るく言う日はさほどではないのだった。

 迪のイライラが頂点に達したのは、昭和七年(一九三二)こずゑの尋常小学校入学式の日だった。

 伊礼は毅を背に負ぶって、こずゑの登校の準備をし、迪は髪を整え化粧を終えると、一人で着物の着付けを始めていた。

「レイちゃん、ちょっと手伝って。着付けがうまくいかないの」

苛立ち、癇癪をおこしている様子がありありだった。

 この日のために新調した訪問着は、数日前に、本町の三中井百貨店呉服部から届けられた。季節に合った、満開の桜の図柄が配された淡い紫色の訪問着に、二重太鼓にする西陣織の帯であった。

「全部で二百円ほどかかったけど、園遊会にも着られるからね」

迪はこともなげに言った。

伊礼にとっては考えられない額である。そんな贅沢を、と思う伊礼は、迪の無神経な言葉に顔を強張らせた。

「枕を取って」

伊礼には、なんのことかわからない。

「枕よ! それから仮紐も早く」

迪は、伊礼が日本人ではないことをすっかり忘れてしまっているのだ。

 和服のことがなにもわからない伊礼に向かって大きな声を出す迪に、伊礼は立ち竦んでなにもできない。

「レイちゃん、なにしているのよ。早くしないと遅れてしまうわ」

 ――ミチゲッソ……伊礼は胸の奥深く呟いていた。「ミチゲッソ」という朝鮮語しか出てこなかった。不満や怒りがこみ上げてきたときに咄嗟にでる言葉だ。「頭にくる」とでもいえばいいのだろうか。伊礼の目にはうっすらと涙が宿っていた。

 迪もまた、伊礼の顔色が変わったことに気づいていた。初めてのことだ。「ごめんね」が口に出せなかったが、心の中で詫びていた。そんな簡単なひと言が言えない状態の自分を責め、心の中を音もなく涙が流れた。

――日本の着物のことなんてわかる訳ないよね、そんなつもりじゃなかったのよ、どうしたらいいのかわからないの、気が狂いそうだったのよ。レイちゃん。

京城師範附属尋常小学校へ入学し、前髪も後ろ髪もまっすぐに切り揃えたオカッパ頭のこずゑは、岡崎町の電停から黄金町五丁目まで三十分ばかりの電車通学を始めた。

 当初こそ伊礼が校門まで同行したが、すぐに電車にも慣れ友だちもできると、一人で通学するようになった。

「こずゑね、駅の名前全部言えるよ。岡崎町、……京城駅……鮮銀前でしょ、それから黄金町で曲がるでしょ……永楽町、若草町、櫻井町……黄金町五丁目で降りるの。レイちゃん全部言える?」

「レイちゃんは電車に乗らないから全部言えないです」

「こずゑは、反対からも全部言えるよ」

こずゑは自慢げに何度も繰り返した。

 こずゑは学校の授業、通学中のこと、友だちのことと家に帰り着くと事細かに話したがり、迪も伊礼も熱心に耳を傾けた。ことに迪はこずゑが帰宅するのを楽しみにし、こずゑの成長に歩調を合わせるように、床に臥せることが少なくなった。ときには、帝大病院からの帰途、学校に立ち寄り一緒に帰って来ることもある。

 迪とこずゑが帰って来るなり、こずゑがはしゃぎながら言った。

「あのね、お友だちのお母さんと四人でオレンジジュース飲んできたよ」

「そうなの。本町の金剛山レストランへ行ったのよ。楽しかったわ。これはレイちゃんにお土産」

台湾バナナを取り出しながら、迪が晴ればれとした顔をしている。

「こんなに高いものを。ありがとうございます」

伊礼は、バナナよりもなによりも迪が不機嫌からほど遠く、明るいことが何よりありがたかった。

こずゑの入学以来、迪は授業参観や父母会の集まりなどと学校へ出向くことが多くなり、そのことに導かれるかのように、徐々に体調を戻していった。

 迪に、親しく口をきく友人ができたことが大きかった。こずゑのクラスメイトの母親で榎元サヨといった。住まいも目と鼻の先にある鮮銀(朝鮮銀行)社宅に、京城中学一年生の息子と、こずゑと同級生の女の子がいて、迪より十歳ばかり年上である。

 榎元サヨは何かと理由をつけて、迪を街中へ誘い連れ出した。東京の生まれ育ちで、東京の高等女学校卒業というのがサヨの自慢である。しかしサヨが自分や家族を自慢するのも、ことさら自慢しようなどという意識がないことが迪には救いであり、可笑しくもあった。あっけらかんとしている。

「有福さん、映画見に行かない?」などと軽く言う。

家庭の主婦らしくない誘いに、迪はあっけにとられた。

「どこで何を見るのですか?」

「京城日報に出ていたでしょう、『白蓮』という映画よ。私とっても興味があるの」

京城日報が後援しているという映画だった。京城日報は、朝鮮で最大の発行部数を誇る総督府お墨付きの日本語新聞である。

「歌人の柳原白蓮の自伝が映画になり、入江たか子が主演よ」

 柳原白蓮は本名燁子(あきこ)、華族柳原家の出で、実家の窮乏を救うために九州の炭坑王といわれた伊藤傳右衛門に嫌々ながら嫁ぐ。しかし革命家宮崎滔天の長男龍介と恋に落ちて伊藤傳右衛門に三下り半を突きつけて出奔し、世間の耳目を一身に浴びた女流歌人である。

「奔放で一途に恋に落ちるなんて、私憧れてしまうわ」

榎元サヨは陶然とした表情で続けた。

「白蓮さんの歌集を読んだら、映画がもっと楽しみになるわ」

 迪と榎元サヨは、永楽町の映画館、中央館へいそいそと出かけていった。

 映画が終わると二人は、本町入口の三越百貨店のレストランへ足を向けた。

「三越でコーヒーをいただいて帰りましょう。三越のコーヒーは原豆(ウォンドゥ)コーヒーといって、京城で評判なのよ」

 コーヒーを飲みながら時間を忘れて、観てきた映画の感想を交えながらおしゃべりに興じていた。

「昔と違って今は、惚れ合った男と女が結婚するような自由恋愛の人も多くなりましたね。うちの子たちが大人になるころには、白蓮さんみたいな女性も多くいることでしょうね」

迪は思い煩うようにサヨに目を向けて言った。

「羨ましいわ。でも間違っても相手が朝鮮人というのだけはだめね」サヨが決め付けるように言った。

啓司が事務所から帰って来る時間にも、迪は伊礼と台所に立っていたり、毅の世話をしたりと床に就いていることもない。

「食欲もあって調子良さそうじゃないか。どうしたんだろうな」

啓司が訊いた。

「良くなって『どうした?』という言い方は変ね」

「それもそうだな。医者はなんと言っている?」

「少々疲れても、動いたり出掛けたりした方がいいとおっしゃっているわ」

 暫しの団欒ののち、啓司は持ち帰った仕事をするために二階の書斎へ上がっていった。

迪は毅の相手をしながら、こずゑの勉強を見ている。

 伊礼がお茶を淹れて書斎へ出向くと、啓司は書類から目を逸らして伊礼に話を持ちかけた。

「おくさまに最近何か変わったことあった?」

「ずいぶん元気になられて、昼間も起きていらっしゃいますよ。ラジオを聴いていたり本を読んでいられたりです。でも……」

「でも何だね?」

「兵隊さんを乗せた汽車が停まるときに、近所の奥さんたちと京城駅へ行かなければいけない当番の話が来ると、途端に不機嫌になってしまわれます」

「そうなのか」

啓司は何かに思いを巡らせているように天井に向いて目を瞑っている。

 昭和六年(一九三一)満州事変、七年(一九三二)上海事変と続く戦争の戦雲に、関釜連絡船から朝鮮鉄道京釜線、京義線、南満州鉄道へと繋がって多くの将兵が中国へと向かって行った。

 途中の釜山や京城、新義州では日本人の婦人会がオニギリや茶を用意し、小中学生や高女生には日の丸の小旗で見送る動員がかけられた。京城の街の中では、本町入口の三越百貨店前や京城駅前には、武運長久を祈って、赤糸で結び目をつくる千人針に協力を呼びかける光景が繰り広げられていた。

 迪は、茶菓子の接待で京城駅に行くことが苦痛なのではなかった。近所の婦人たちと数時間を過ごすことが嫌だった。隣近所の家々に軍人の家庭が多いのが、迪が近所付き合いを避ける理由のようだ。大邱時代からの軍人嫌いは、迪の中ではどうにもしようがなかった。

「それで、湯茶の接待当番のときは、おくさまが行くのかい? 行ったという話は聞いたことないけど」

「いえ、私が行きます。おくさまに無理はさせられません。一軒から一人出たらいいのですから」

 伊礼は啓司に向かってゆっくりした動きで、団扇を使いながら答えた。書斎の窓は開け放たれているが、昼間の残り熱で夏の夜はまだ暑い。

「レイちゃん、ちょっと手伝って」

一階にいる迪に呼ばれて伊礼は階下へ降りていった。

 一抹の不安を抱きながら細々と始めた啓司の弁護士事務所であったが、安田銀行(のちの富士銀行、現みずほ銀行)京城支店をはじめ、京城府内に店舗を構える大小の日本人が経営する会社の顧問弁護士となり、二人の弁護士と女子事務員を雇員としていた。

 弁護士の一人は、朝鮮人の申敏煕である。申はかつて京城地方法院時代に、捨て子事件を共に担当した検事であったが、平壌、釜山と転勤していた。

 啓司が弁護士になったのちも、音信交友は続き、申の京城出張の折には、時には本町の小料理屋で日本酒を酌み交わし、あるときは申に連れられて鍾路のスルチプ(居酒屋)でマッコリを飲む親しさであった。

 申には、京畿道金浦郡に住む、年老いた両親がいたが、職業柄とはいえ地方勤務が続き、両親の傍に住んであげたいという希望は簡単には叶えられずにいた。

「有福さんと仕事をした京城時代は検事見習みたいなものでしたが、その後は希望を出してもなかなか京城へは戻してくれません。やはりどこかの帝大法科出身でなければ……」   

申敏煕は日本へ留学し、中央大学法科を卒業していた。

「学閥みたいなもののほかに、やはり私は朝鮮人ですから……」

 朝鮮人であるために不遇を託っているという思い込み、(ひが)みのようなことを口にした。

「そんなことはないと思うが……」

啓司も歯切れが悪かった。裁判所の内情がわかる啓司にも、そんなことは絶対にないとは言えなかった。

 啓司は、申敏煕が裁判所を辞める決心をした夜のことをよく憶えている。

 鍾路の通りから、映画の優美館のある路地へ入ったスルチプ(居酒屋)で久しぶりに酒を呑んでいた。安定を欠いた二人掛けの木製の卓を挟んで、すり鉢状の器に入った白濁のマッコリをパガチ(瓢箪状の杓文字)を使って手元の器に入れるのであるが、申が推奨するだけのことはあって、啓司の口にも合って食べ物も酒も美味であった。

「料理もおいしいし、なかなかいいね。しかしさすがに内地人(日本人)の客はいそうにないね」

「朝鮮人の庶民の飲み屋ですよ。一日中肉体労働をした男の、ささやかな楽しみですかね」

啓司は申を自分の事務所に誘っていいものかどうか躊躇していたが、意を決したように言った。

「申君どうだい、裁判所を辞めて僕のところへ来るかい?」

「私に、有福さんの期待に応えられるような仕事ができますかね?」

申は言葉とは裏腹に、目を輝かせた。

「君も知っての通り、民事だけではなく、南次郎総督になってから、〈皇国臣民ノ誓詞〉の制定、〈神社参拝励行〉など矢継ぎ早の政策で警察にしょっ引かれる人間も増え、政策に批判的な内地人だって増えて、僕のところもなにかと手薄なんだよ。君が来てくれたら僕も鬼に金棒さ」

 昭和十一年(一九三六)の、朝鮮思想犯保護観察令の制定から、信条思想に絡んだ朝鮮人の検挙なども増えていた。

「確かに世の中は厳しくなっていますね。大学卒の朝鮮人などは目を付けられやすいでしょう。私だって対象になっているかもしれませんよ」

客を装った刑事が耳を澄ましているかもしれず、周りを気にしながら声を(ひそ)めて呟くように言う。

「そっち方面には極力関わらない仕事をすればいいよ。今何がいちばん大変かというと、土地、不動産に絡んだ(いさか)いなんだよ。お墨付きをもらった宅地開発業者と、不法占拠している者、昔からの土地所有を主張する朝鮮人地主の、三つ巴係争だけでもいくらもあるよ。君と僕が関わったあの捨て子事件の現場もその一つさ」

急激に膨らむ京城府の人口に、住宅の不足は深刻な問題なのだ。

 申敏煕は、収入の安定している裁判所の仕事を辞めることに不安はあったが、有福の熱心な誘いと、両親を思う気持に背中を押されて、啓司の事務所の人となった。昭和十二年(一九三七)の春である。

「朝鮮人は〈忠〉より〈孝〉です。親や先祖を(ないがし)ろにする者は、人でなしなんですよ。決心がつきました。誘っていただいてありがとうございます」

 晴々とした顔で申は啓司のうつわにマッコリを満たした。

 完璧な日本語を駆使し、経験も積んだ申敏煕は、啓司の弁護士事務所にとって大きな戦力となった。

 有福啓司は、自分の家を建てた。朝鮮で生まれ育った迪と違い、四男一女の末っ子とはいえ、家を構えるのは内地、それも実家のある福岡に、と気持のどこかに思い定めていたのに京城に自分の家を持とうと決心したのは朝鮮を永住の地にすることを意味した。

「この分譲地を買って家を建てようと思っている」

啓司は、京城日報の広告を見せながら迪の反応を待った。既に決めたことである。

  櫻ヶ丘住宅地分譲 

奨忠壇公園より東五丁(約五五〇米)

第三区完成特価売出

売価 坪当り二拾圓ヨリ二拾五圓迄

即売又は年賦売 諸施設完備

「子供たちの学校まで遠いのかしら?」

 啓司の問いかけに迪は的外れではあるが、母親らしい気配りの質問をした。

「毅は近くなるのじゃないか。こずゑは今とあまり変わらないだろう」

 こずゑは志望通りに京城公立第一高等女学校に入学していた。三月の中旬に結果が判り、合格者名が掲載されている翌朝の京城日報を取りにいった伊礼が、早朝からひとりで騒ぎ皆を起こしてまわった。

「ちゃんと名前が出ていますよ」

伊礼はわがことのように喜んだ。名前はイロハ順でもアイウエオ順でもない受験時の申込み受付順になっていた。

 前の年からこずゑに漢字を教わっていたこともあって、〈有福こずゑ〉を捜し当てた後は、合格者の、読むことができる名前を声に出して懸命に読み始めた。

「榎元さんも合格です」

迪と親しい榎元サヨの子供である。そんな一途さが、有福一家が伊礼を大好きな理由であり、微笑ましいと思うのである。

 毅もまた京城師範附属小学校の二年生になっていた。引越した後も電車通学に変わりはないが、前年の三月に起きた京城師範第二小学校生徒二名の交通事故死亡の事件は、過度の心配を迪にもたらしていた。学校前の電停へ急ぐ朝鮮人の二年生男児二人が、トラックにはねられるという惨事である。このころから車の数が急激に増え、交通事故も多発していて、迪の心配も一概に神経質過ぎるとはいえない。

 昭和十三年の夏に、百坪ばかりの敷地の新居へ移った。部屋数は三坂町の借家とあまり違わなかったが、啓司の念願だった赤レンガの洋風建築である。レンガの家という啓司のこだわりのほかに、伊礼の意見も取入れて一階のほとんどの部屋にオンドルを施した。

「オンドルの部屋は朝鮮の気候に合っています。冬暖かいのはもちろんですが、夏涼しいですよ。だんなさまは暑がりですから」

 有福家にとって伊礼は、使用人というよりも家族の一員として皆が認めている。伊礼の小さな部屋もオンドルになり、伊礼は満面の笑みで感謝と嬉しさを顔にした。

 赤レンガの大きな煙突は、こずゑと毅がことのほか喜んでいる。

「こずゑも毅もレイちゃんも、あんなに喜ぶとは思わなかったですね」

迪も満足そうな顔だった。

 三坂町とは路面電車の通りと京釜線の線路を挟んで向かい合っている青葉町も考えたが、啓司は迪のことを思って、京城の街の東側に位置する櫻ヶ丘の分譲地にした。

「榎元さんの家とは遠くなるわね」と迪は言ったが、啓司は櫻ヶ丘に決めたことの理由は告げずにいた。三坂町も青葉町も、二十師団が拠点を置く龍山に近く、電車で軍人と乗り合わせる機会も多く、軍人嫌いの迪のことを考慮して櫻ヶ丘にした。

 子供が夏休みに入るのを待って引越しになったが、伊礼の弟妹三人が手伝いに駆けつけた。伊礼がいつの間に手伝いに来るように連絡をつけていたのか、有福家の四人は知らなかった。なにごとにつけても伊礼の手際のよさは驚くばかりだ。

 二十五歳になる伊礼の上の弟は、京城に用事があると、野菜や芋などを持って何度か三坂町の家に来たことがあったが、下の弟と末の妹は初めてである。下の弟は安城で運転手をしている。荷物の積み下ろしなどお手のものである。二十三歳になる。妹は小学校高等科の二年生だが、こずゑより二歳年上だ。

 三人は伊礼の指図の下で、テキパキ働く。伊礼と妹は白衣のチマを腰の部分で縛り、弟たちは白布を頭に巻きつけ、噴出す汗をもろともせずに、弟たちは「ヌナ、ヌナ」と、妹は「オンニ、オンニ」と伊礼を呼びながら、休むことなく働いている。「ヌナ」も「オンニ」も〈お姉さん〉のことだが、こずゑと毅が伊礼をオンニと呼んで真似して喜んでいる。有福家の四人は目を見張って見ているばかり、自分の物をノロノロと片付けているだけだ。勝手を知り尽くしている伊礼が、大きな声で、日本語と朝鮮語を交えて弟妹を自由に使う様は見事というしかない。

 忙しく立ち働く中で、伊礼と妹はいつの間にか食事の用意までしてしまっていた。

「食事の用意ができました」

伊礼がみんなに呼びかけた。弟妹が持ってきた冷麺が出来あがっていた。

「引越しソバならぬ引越し冷麺だな」

啓司が満足そうに言った。

 引越しが済むと弟二人は安城へ帰っていったが、妹の伊信は新築の家に二泊した。伊信と仲良くなったこずゑが「京城初めてなんでしょう。私が案内してあげる」と言って引き止めた。

 伊礼の三姉妹の名前は、上の妹が伊智、下が伊信である。

「儒教の〈仁義礼智信〉から付けた名前だね」

啓司の独り言に伊礼が勝手に応える。

「アボジがそうだと言っていました。意味はよくわかりませんが、上の弟は仁植(インシク)、下が(ウィ)(シク)といいます」

「徹底した儒教の民族だね。それにしてもよくできているよ」

啓司が感心している。

「儒教ってなあに?」

毅が興味ありげに訊いた。

「内地人は神様を拝んでいるだろう。それと同じように朝鮮の人たちは、昔から先祖を大切にし、ご先祖さまを拝む儒教を信じているんだよ」

「ふうん。でもおとうちゃま、朝鮮の人とか朝鮮人と言ってはいけないんだよ。半島人と言え、と学校で教わったよ」

「そうだったな。福岡のお祖父さんやお祖母さんは九州人というからね。半島人も内地人もみんな同じ日本人さ」

取り繕うように啓司が説明した。

「それじゃ明日は日本の神様が居る南山の朝鮮神宮へ行きましょう。伊信ちゃん、いいでしょう? おかあちゃま、お小遣いちょうだい」

こずゑが会話を和ませるように明るく引き取って言った。

 翌朝、伊礼と伊信が朝鮮語で盛んになにやらやり取りしている。

「どうしたの? 何かあったの?」

迪が心配そうに訊いた。

「この子が昨日着ていたチマチョゴリしかないから、街へ行くのが恥ずかしいと言っているのです」

「あら、それは気づかなかったわね。昨日の引越しで汚れてしまったからね。こずゑの服を着ていけばいいじゃないの」

迪はこともなげに言って、白地に薄青色の縦縞で、白襟が付いたワンピースを持ってきた。

 伊信とこずゑ、毅の三人は嬉々として出掛けていった。

「おねえちゃま、アイスクリーム食べよう」

毅が秘密を共有するように持ちかけた。街には朝鮮人のアイスクリーム(アイスキャンデー)売りがあちこちにいて、大声で「アースックリ、アースックリ」と購買心をそそるような呼びかけを耳にしていたが、日頃は「お腹を壊すから、いけません」といつも母親にたしなめられているのだった。

「伊信ちゃん、アイスクリーム好き?」

毅が訊くと伊信はこっくり頷く。

 三人は南大門前で電車を降りると、朝鮮神宮のなだらかな上り坂の表参道から急な石段を登っていった。

「この石段は三百八十四段あるんだよ。だから〈サンパイシヨウ(参拝しよう)〉って言うんだよ」

毅が自慢顔で伊信に説明した。

 参拝をすませると、こずゑが言った。

「毅、おみくじ引いてみよう。なに年生まれか社務所の人に言うのよ。あなたは午年、私は丑年。伊信ちゃんはなに年生まれ?」

 朝鮮社会では干支で年齢を判別するほどに、なに年生まれかという聞き方は庶民の間に浸透していることなのだ。伊信は即座に答えた。

「ブタ年の生まれよ」

「………?」

こずゑと毅はあっけにとられて顔を見合わせている。

「ブタ年なんてないよ」

毅が笑いながら抗議口調で言い、こずゑは吹き出した。

 伊信は年号と干支の一覧表を掲示している看板を見ながら〈大正十二年 亥年〉を指差した。

「ブタじゃなくてイノシシだよ」

こずゑが教えた。

 朝鮮では亥は〈テジ〉と言い、また〈テジ〉はイノシシとブタの両方を意味した。

 三人はそれぞれのおみくじを引くと大笑いしながら、もと来た階段から本町へと下りていった。関心はおみくじからアイスクリームに移っていたが、リヤカーに幟を立てたアイスクリーム売りを見過ごして、本町の店でアイスクリームを買った。三人は口裏を合わせて、母親の迪にも伊礼にもアイスクリームを食べたことを言わなかった。

 伊礼は翌日久しぶりの休みをもらうと、明治町の食堂で働いている上の妹の伊智と待ち合わせ、三姉妹揃って鍾路の和信百貨店を目指した。三人は腕を組み手をつないで歩いた。

 昭和十年の火災の後、十二年十一月に新改築し、京城で初めて設置されたエスカレーターに伊信を乗せてやるために和信百貨店に出向いたのであるが、姉二人も行ってみたかったのである。

 伊信にとって百貨店は都会そのものであり、エスカレーターを経験したことはどんなお土産よりも心に残るものだった。姉二人と和信百貨店のレストランで洋食を食べ、七階建ての屋上から見た、京城の眺めも忘れられないものとなった。また夜の本町の、まるで昼間のような明るさや、浴衣の日本人のアスファルトに響くゲタの音が耳にこびりつき、安城の両親と学校のともだちに、初めての京城をどう伝えようかと心をときめかしながら、二泊ののち安城の家へ帰って行った。

 昭和十五年(一九四〇)という年は、神武天皇以来の皇紀二六〇〇年にあたり、元日からお祝いの雰囲気が街中に溢れ、百貨店には日の丸が描かれた奉祝紀元二千六百年の垂れ幕が下がり、京城府民の間でも高揚感が溢れ、朝鮮神宮への初詣客も三十万人ちかくまで膨れ上がった。しかし朝鮮人にとっては気が重い新年であった。

 前年に公布された〈創氏改名〉の受付開始が二月十一日と決められ、強制ではないとはいえ、日本風の名字を届け出ることが通達されていた。

 男系の宗族社会である朝鮮人社会にとっては、夫婦の姓の違いは当然のことでありながら〈創氏改名〉では、家族は一律同じ名字を届けるようにという受け容れ難い法であった。先祖代々の姓を日本風に変えるなど暴挙というに等しかった。

「私の一存で決められるものではありませんが、いまのところ日本風に創氏、改名ともにするつもりはありません」

 事務所での啓司の問いかけに、申敏煕は苦渋を滲ませた表情で答えた。

「親父が健在のうちは、なにごとも親父が絶対です。親父がだめだといえば従うしかないのですが、子供は学校で、新しい名前を早く届けるように言われ、泣きそうになりながら訴えるのです。親として、なんともやりきれない気持でいっぱいですよ。有福先生だから本音で言えますが、〈創氏改名〉なんて朝鮮人の気持を逆なでする愚策です。日本人の思い上がりの何ものでもありません」

 法律、法制に精通している申は、姓は申(シン)、名は敏煕(ビンキ)とすればいい、法定創氏にすればいいと考えている。法定創氏とは、家長の姓をそのままに家族全員の名字にするということである。

「しかし子供には通じません。子供は日本人らしい、山本とか田中とかの名字に変えてくれというのですから、痛ましくさえあります。もうどうでもいい、なるようになれと投げやりな気持にもなりますよ」

 弁護士事務所の経営者としては、仕事の上でできれば摩擦がすくなく穏便に事が進むように創氏改名を素直に受け容れて欲しいと思っているが、事はそう簡単ではないようだと、啓司は申敏煕に理解を示さざるを得なかった。

――日本古来の家族制度の美風 半島にも確立されん――

 新聞に掲載された見出しであるが、啓司にはそれが朝鮮総督の独りよがりで、鼻白んでいる朝鮮人の心情が目に見えるようであった。また朝鮮に住む日本人の間からも

「どこぞの受付で『山本さん』と呼ばれて俺のことかと思ったら、隣の朝鮮人なんてこともあるんじゃないか」などと揶揄するような冷ややかな話が漏れ聞えてきた。

 日本人の、根拠のない優越意識が損なわれるという、鼻持ちならない矮小さ、侮蔑に満ちた言葉に、啓司はそれが自分自身でもあることに、顔が赤らむほどに恥かしかった。

 二月初旬の京城は、根雪の上にまた水気のない雪が積もり、地面から吹き上げてくるようだ。伊礼は三日の休暇をもらい、指も曲がらないような極寒の中を安城の実家へ帰っていった。旧正月を過ごすためである。朝鮮人にとって正月とは旧正月のことである。

 迪は、伊礼に持たせるお土産に、背負うほどのミカンを用意した。荷物の多い伊礼には迷惑だったかもしれないが、伊礼の家族に食べてもらいたいという迪の思いだけである。ミカンをほとんど産しない朝鮮では貴重である。年末に啓司の九州の実家から二箱ものミカンが届いていた。

「喜んでいただきます」

伊礼は迪の心遣いを素直に受け取った。

「こずゑ、レイちゃんは荷物が多いから京城駅までお手伝いをなさい」

 迪の言付けにこずゑは喜んで従った。こずゑにとって伊礼は母親以上に母親であり、姉であり、最も信頼のおける友人でもある。

「あのね、レイちゃん……」

こずゑは電車内の広告を見ながら伊礼に話しかけたが歯切れが悪い。電車の中は数えるほどのまばらな乗客しかいない。

「元気がないね。どうかしたの?」

「ううん、どうもしないけど訊いていい? あそこに〈中将湯〉って広告があるでしょう。生理不順とか婦人病って書いてあるでしょう」

「…………」

「私まだ始まらないの。友だちが、遅いんじゃないって言うの、生理のことよ。レイちゃん初めてきたのはいつ?」

「なあんだ、そんなこと。心配することないよ。私はこずゑちゃんの家に来た少し前だから十七歳になったばかりのころだよ」

「ああよかった。おかあちゃまにも訊けなくて、レイちゃんに訊こう訊こうと思っていたの」

「急に背が伸びて、なんとなく肥えてきたかなと思っていたらすぐに生理が始まったの」

「そうなんだ、心配することないのね。あのお薬飲もうかなと思っていたよ」

「始まったらレイちゃんに言いなさい。なんでも教えてあげるから」

話し込んでいるうちに南大門前まで来ていた。

「神宮前テ(で)コザイマス」

朝鮮人車掌の声に合わせて頭を垂れた。朝鮮神宮に頭を下げる決まりになっていた。

 抱えきれないほどの荷物を提げて実家に帰り、旧正月を過ごした伊礼は同じくらいの量の荷物を持って、一日遅れで有福の家へ戻ってきた。

「大雪が降って汽車が止まり、汽車の中は人と荷物が重なるようにして帰って来ました。こんな寒さに、オンドルにちゃんと火が入っているのかと心配していましたよ」

 伊礼は安城の実家から持ってきたトック(餅)をさっそく夕食の食卓に用意した。(うるち)米から作った棒状の餅を小判状に薄切りにし、鶏肉をダシにしたクッ(汁)の朝鮮の雑煮である。餅は歯応えのある固さだ。

「いただいたミカンを近所にも配りました。みんな大喜びして、お返しにトックをたくさんいただきました」

「ありがたいことだけど、春窮期を前にして、みんな大変だろうに。レイちゃん、お断わりしなければだめじゃないか」

啓司が気遣った。

「シュンキュウキってなに?」

毅が訊いた。

「朝鮮の貧しい農家は、春になると食べるものがなくなって野草や木の皮を食べて、次の収穫があるまで我慢するんだよ。学校に弁当を持っていけない子供たちもいるんだ」

なぜ食べ物が枯渇するのかを毅に理解させることは難しい。

「学校で給食はないの?」

「そんなものはないよ。給食があるのは毅の師範第一附属小だけくらいなんだよ」

啓司の説明に毅が頷く。新聞にも〈春窮期を前にして〉という連載記事が毎日掲載されていた。

「残さず食べなさいよ」迪が毅に言うと

「レイちゃんまた作ってね。とってもおいしかった」

こずゑが伊礼の喜ぶ顔見たさに言った。

 三月の声を聞くと、盆地状の京城の街には中国大陸から春の到来を告げる、セピア色の黄砂が吹き渡ってきた。中国戦線の戦火が止むことのないままに、黄砂の中には硝煙も混じっているにちがいない。膠着状態のまま長引く支那事変は解決の様子もなく、米英との関係も悪くなる一方であるが、カーキ色の国民服が蔓延(はびこ)っていることのほかには、内地と違い、京城府民の間にはまだのんびりとした生活がある。

 三寒四温の朝鮮の気候そのままに暖かい陽射しの中、有福家では、こずゑと伊礼が賑やかに雑談しながら、家族全員の蒲団や毛布を庭に出していた。

「お友だちの榎元さん知っているでしょう。あの子ね、京中(京城中学)生から付け文もらったのよ」

「あら、まあ! それで榎元さんどうしたの?」

「学校の帰りに岡崎町の電停で降りたのが二人だけだったんですって。『これ』と言って紙切れを押しつけると走って行ってしまったんだって。付け文なんて、もらっても渡しても退学になるんだよ」

「そんなことわかっているのに返さなかったの?」

「あの子はオマセなのよ、不良よ。生理だって高女に入学してすぐだったのよ」

「榎元さんのお母さんも発展家だからね。おくさまが言っていたよ」

 こずゑが急に話をやめて黙り込んだ。

 こずゑは、干した蒲団の間からレンガ塀に目がいくと、どこから紛れ込んだのか二匹の赤犬が体を塀に擦り付けるようにして寄せ合っていたが、一匹が後ろから前足をもう一匹の犬の背に乗せ、前の犬はじっと動かないままに、尋常ではない様子で圧し掛かり始めた。

 こずゑは手が止まり、伊礼の声も耳に入らなくなった。一点に視線は絞られ、頬は強張っている。

 上になった犬は、精いっぱいに後足を踏んばり、盛んに尾を振りはじめた。

「コジュヱちゃん、どうしたの?」

こずゑは犬から目を離さず、伊礼の問いかけにも上の空の様子だ。

 伊礼は、こずゑの視線の先の、二匹の赤犬に気づくと咄嗟に機転を利かせておどけた言い方をした。

「まあ、そこに犬の夫婦がいたのね」

 犬の交尾に耳朶を熱くしたときから日を置かずして、こずゑは初潮をみた。満年齢で十六歳を前にした春のことであった。

 昭和十六年(一九四一)十二月八日の日米開戦は、朝鮮半島に住む人々にとっても朝のラジオの臨時ニュースから始まった。

 ――帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋上において米英軍と戦闘状態に入れり――

「今日は夕食いらないよ。福岡県人会の恒例の集まりだ」

啓司はゲートルを丁寧に巻きつけながら、見送りを待っている迪と伊礼に告げた。ラジオからは、くぐもったアナウンサーの声で開戦のニュースが繰り返し聞えてくる。

 県人会は二ヵ月に一回の、社交クラブみたいなもので、致し方ない付き合いだが、朝鮮に近いこともあって福岡県の出身者は多く、啓司の仕事の上では同県人の(よしみ)から紹介も絶えない貴重なお付き合いの場でもある。秋の京城神社の例祭では、博多風の山車(だし)や祭りの装いで本町から明治町(現・明洞)と練り歩くことが県人会最大の行事になっていた。

 有福啓司と時田太一が親しく口を利くようになったのも、県人会の集まりがきっかけである。時田太一は、朝鮮人児童だけが通学する、京城府郊外往十里の国民学校の教師であるが、朝鮮在住の日本人教師にありがちな選民意識のような不遜さや気負いがない。いつも一歩下がったような静けさと、教員らしくない教師でアイロニカルな剽軽(ひょうきん)さも持ち合わせている彼を、啓司は好感をもって見ていた。

 例会では啓司と時田はいつも隣り合わせに席を取った。

「とうとう大変なことになりましたね。虎穴に入らずんば虎児を得ず、ですかね。虎の尾を踏むとも言いますが」

時田は啓司に同意を求めるように小声で言った。

「支那も抱えての開戦ですからね。これはちっとやそっとでは終わらないでしょうね」

啓司は時田だけに聞えるように囁いた。昭和十二年から続く、解決の目途(めど)もない支那事変に二人とも共通して厭世的な気分を抱いていた。

 壇上では威勢のいいスピーチが続いている。

「……ここは皆さんに、国にご奉仕する意味からも心を一つにする意味でも積極的に愛国債券をご購入いただきたい」

 真珠湾攻撃の成功を記念して、朝鮮殖産銀行では(くじ)の番号が入った懸賞付き債券を発行するようだ。

「県人会としても是非々々協力したいと考えており……」

自分の演説に酔ったような幹事役のスピーチである。

「有福先生、この後ちょっとお付き合いいただけませんか」

時田はお猪口をかざす仕草をした。

「ますます締め付けが厳しくなって、飲食街もこの先足が遠のきそうですから、今のうちに行きましょう」

 啓司と時田は、本町の通りから明治町に抜ける路地へ入っていった。酒が確かに飲めそうな、勝手のわかった小料理屋に目星をつけて暖簾を潜った。

 酒を飲めるのかどうか訊きながら卓についた。

「まだ大丈夫ですが、これから先商売そのものがどうなることやら……。でもお酒ならたっぷりありますから、いつでもいらっしゃって。たいした食べ物はありませんよ、こんなものしかなくて」

顔見知りの女将は、トラジ(桔梗)のおひたしを突き出しに用意していた。

「いらぬお節介なことを考えましてね。有福先生に訊くだけなら迷惑にならないだろうと思って……。まあ聞くだけ、聞いてください」

時田はお燗の二合徳利を手にしながら切り出した。

「何か私で役に立つことがあれば……」

「私が受持っている生徒の家庭のことなんですよ。よくできる子の家なのですが、その親が親戚の借金の保証人になっていたため、田畑の大半を失くしまして、生計が立ち行かなくなり、私の生徒も、その兄も学校をやめざるを得ないような困難に陥っています。兄というのが今、京城帝国大学(城大(じょうだい))法科の二年で、法律家を目指していまして、私としては、このまま見過ごすことがなんとも忍びがたくて、何かできないものかと……。朝鮮人が城大にいくことが、どれほど大変なことかと思うと、あまりにももったいなくてね。なんとか助けてやる手立てはないものかと思いましてね」

 時田はしみじみと言う。

「朝鮮人が城大に受かること自体大変なことでしょうが、法曹の世界に入ることや、高等文官試験に合格するなど並大抵ではないでしょう」

「その通りです。それが経済的な理由から学校を断念しなければならないとすれば、無念以外のなにものでもないでしょう」

 啓司は、時田の話に耳を傾けながら、申敏煕の仕事のことを思った。

 兵役義務のある日本人の若者が兵隊にとられ、そのうちに自分の事務所も人材不足に陥るのは目に見えている。もっと朝鮮人を活用していくようにしなければと啓司は考えることもあった。

 いくら真の日本人になれと、掛け声だけ、形だけ取繕ってもだめだ。申敏煕のように有用な人材を育てなければと密かに思っていた。

「私も経済的に恵まれず、上級学校を諦めかけたことがありますから、その兄――成田というのですが、成田君の気持が痛いほどわかります。私はお金の掛からない師範学校に首尾よく入ることができましたが。弟のほうも勉強がよくできますから、もったいなくて」

「有用な人材というのは、内地人とか朝鮮人とか言っている場合じゃないですね。一億国民が一丸とならないと、ね」

「どうでしょう有福先生、成田君が勉学を続けるいい方法はありませんか?」

 成烈(ソンヨル)――創氏名を成田烈(なりたれつ)といった――は、時田太一の口添えによって、啓司の弁護士事務所の助手となっただけでなく、四月から高女の五年生になるこずゑと、国民学校六年生となる毅が共に受験を控えた一年間になることから、二人の家庭教師をするよう啓司に言われた。こずゑは女子専門学校(女子大)を、毅は最難関の京城中学を目指さなければならなかった。

 時田の、なんとかしてあげたいとの思いに共鳴したこともあるが、弁護士事務所の日本人弁護士が、いつ軍から召集されてもおかしくなかったことから、啓司は人手不足になることも予測し、成田烈を助手として採用した。家庭教師と助手の一石二鳥であり、成田烈にはこれ以上の好条件の話はなかった。

 真珠湾攻撃に大戦果を収めた日本軍は、返す刀で二ヵ月後には英領シンガポールを陥落させた。破竹の勢いである。これで石油やゴムなど豊富な資源を確保できると国民は狂喜乱舞した。京城でも歓喜の輪が一気に広がり、府内には花電車が繰出し、大人から幼稚園児まで日の丸の小旗を手にして、旗行列が街中を埋め尽くした。

 新聞は、――昼酒も(よろ)し、祝陥落――と(あお)っていた。

 毅は黄金町五丁目の学校から、日の丸の旗を振りながら南山の朝鮮神宮まで行進した熱気のままに、同級生三人を連れて意気揚々と帰ってきた。

――見よ東海の朝明けて、旭日高く輝けば……愛国行進曲を歌いながら帰ってきた。歌いながら行進した余韻を引きずっているのであろう。

「レイちゃん、おやつある? 友だち三人いっしょだよ」

 めったに友だちを連れてくることなどないが、三人も一緒とは、小学生とはいえシンガポールの陥落に興奮しているのがわかる。

「たいしたものはないけど、ポン菓子ならたくさんありますよ」

「なあんだポン菓子か」

不服そうな顔をしながら、入れ物ごと持ち出して食べ始めた。

 日米開戦前から物資の統制は続いており、砂糖、小麦粉など食料品の調達も少しずつ困難になっていた。以前には迪と伊礼の二人掛かりでクッキーなども焼いたものだ。啓司の嗜む日本酒も配給となり、晩酌の量も減った。

「全部食べちゃったよ」

 食欲旺盛な育ち盛りが、四人で食べれば仕方がないと伊礼はあきらめ顔で、翌日以降はどうしたものかと頭を抱えた。こんどはいつポン菓子作り商が近所に来ることだろうか。

 伊礼はポン菓子が大好きだった。出来上がったポン菓子ではなく、出来上がるまでの作業工程が好きだった。レンガで囲った即席のカマドの上に圧力釜を乗せて手で廻す。パイナップルのような型をした鉄製の圧力釜に、穀類とサッカリンを入れ、加熱しながら十五分ほど手動で釜を回転させ、頃合を見て円筒状の網を釜にあてがって、バルブをハンマーで叩けば釜の中の穀類が弾け出る仕組みである。ハンマーで叩いたときの爆裂音からポン菓子とよばれた。

 爆裂音を怖がりながらも、ハンマーが振り下ろされる瞬間のぞくぞくする、張りつめた緊張にそそられる快感が、伊礼は好きだった。小学生のこずゑと毅は両耳を手で塞ぎながら逃げ回ったものだった。

 遠くからカシャッ、ガシャッという錆びた金属板が擦れ合うような音が聞えてきたかと思うと、外で遊んでいた毅が、迪の留守を見計らったようにして、騒々しく家の中に駆け込んできた。

「レイちゃん、レイちゃん、お醤油のビンとかお酒のビンとか空きビンない?」

「ないよ」

「な~んだ、ないのか」

気勢をそがれて友だちを連れて出て行った。

 遠くから聞えてきたのは、飴売りのハサミの音だ。廃品のビン類や不要になった金属類と引き換えに飴がもらえるのは、子供にとっては飴が欲しいのではなく、取引する面白さが魅力である。金属類は鉄やアルミ、銅といった、種類にもよるが量や重さによって貰える飴の数が決まる。

 朝鮮人の飴売りは、分銅を使ったチキリという竿秤(さおばかり)で、持ち込まれた金属の重さを量り、板で作った四角い盆の上で、白い粉にまぶした棒状のべっ甲色をした飴を、小さく切って渡す仕組みになっている。

「あの飴だけは絶対にだめですよ」と迪は毅に厳しく言い渡していた。「何で作っているのかもわからない上に、飴を棒にするとき唾をつけて伸ばすのですよ。不潔きわまりない」

 毅は不服そうに頷くだけだった。

 家の庭や外を走り回って、シンガポール陥落の兵隊ごっこをしていた毅は、友だちが帰っていくと、伊礼の前に擦りむいた肘の傷を差し出しながら言った。

「負傷したんだよ。薬を塗って包帯してよ」

「これくらいの傷は唾でもつけておけば治りますよ。平気平気」

「だめだよ、僕は傷病兵なんだから。レイちゃんは、その白い服着ているから従軍看護婦なんだよ」

 割烹着を着て夕食の準備を始めていた伊礼は、毅の勝手な見立てに吹き出してしまった。

 夕食の食卓を囲みながら「たいそうな騒ぎだったわね」所用で出かけていた迪が、旗の行列や花電車を見たことを話題にした。

「僕たちも朝鮮神宮まで行進したんだよ。そのあと遊んでいてケガしちゃったよ」

毅が袖をまくって包帯を見せた。

「おおげさな……」

こずゑが馬鹿にしたように言うと

「そんなことないよ、痛いんだから。そうだ、みんなからお見舞いを貰わなくちゃ」

毅のひょうきんで天衣無縫な発想に家族中が笑った。

「毅ももうすぐ六年生なんだから、遊びをひかえて勉強を頑張らないと中学に受からないぞ。四月から家庭教師も来るんだからな」

父親が諭すように言った。

「僕はね、今日学校で言われたんだ」

毅が改まったように話し始めた。

「こんどの陸軍記念日に、一日体験入隊の一人に選ばれたんだよ。傷病兵はだめだから早くケガを治さなくっちゃ」

 軍人嫌いの迪が、キッとした険しい表情になった。

「そんなのお断りして、他の人に代ってもらいなさい」

「まあまあ、それはいいじゃないか」啓司がとりなした。

 新聞社の京城日報が主催して、府内の国民学校五年生の中から数百人を選抜して歩兵連隊への体験入隊を企画したものであった。

 成田烈(成烈)は城大法文学部の二年生、満二十歳である。幼少の頃から秀才の名をほしいままにし、名門の京畿中学から京城帝大予科、法文学部へと進んでいたが、家の没落から経済的に困難な状況となり退学さえも余儀なくされていた。弟、(ソン)(フン)の担任時田太一の尽力は、成田烈には生涯忘れられないものになった。学業を続けられる上に、法律関係の助手というこれ以上ない好条件に成田烈は涙した。

「書状を書かせたら、しっかりした文章を書いてきました。こいつは使えますよ。城大生はさすがに違いますね」

弁護士の申敏煕が、ベタ褒めしながら啓司に言った。

「うちの子たちの家庭教師もやらせることにしたが、正解だったね」

「『学業を続けられるのなら、どんなことでもします』と言っていましたから、真面目に取り組むと思いますよ」

 啓司は、時田が何とかしたいとこだわった気持は充分わかっていたが、申の話と合わせて、そんなに非の打ち所のない人間がいるわけがないとも思った。

 成田烈は、啓司の事務所では目いっぱい頑張った。やっとありついた条件のいい仕事であり、自分の学費を稼ぎ出すだけのものではなく、両親を含めた五人の家族が食べていくための、しがみついてでも続けなければならない生活の手段であった。

 田畑を失くした両親は、小作に甘んじるしかなく、国民学校高等科を卒業したばかりの妹は、高等女学校に行きたいと懇願したが、叶わなかった。泣きじゃくったがどうしようもなく、近所の軍関係の工場の補助として、なんとか職にありついた。

 成田の妹は、上級学校へいけない無念をのみ込み、自分より成績の劣った、高等女学校へ通う同級生の目を避けるようにして、近所の被服工場へ通勤した。

 成田烈は、弟の勲だけはどうしても中学へ行かせてやらなければと心に決めていた。

 弟は、国民学校の六年生になったばかりであるが、自分が卒業した京畿中学へはおそらく入学できるだけの成績であり、なんとか学費を捻出する方策を考えておかねばならなかった。

 成田烈は、通学にも弁護士事務所への通勤にも一切電車に乗ることなく歩き通し、昼食も抜いて、一銭二銭ばかりずつの貯金さえ始めた。

「勲、なにがなんでも中学へ行かなくちゃだめだ」

烈は強い口調で励まし続けた。

「おまえから両親には言いづらいと思って、俺から話をしたが、優柔不断な口ぶりだった。俺がなんとかするから、そのつもりで勉強しろ」

「兄さん、僕も働きたい。泥棒と物もらい以外は何でもするよ」

「京畿中学は簡単ではない。働くのはいいけど、勉強はこの一年、決しておろそかにしないと誓えるか? 勉強だけではない、素行の点数も大事だ」

「わかっているよ、入試には口頭試問というのもあるんでしょう。僕、頑張ります。……それから、ニワトリと犬を育てたい。卵を売りにいけるし、犬だって売れるよ」

 兄と弟の二人三脚がはじまった。

 勲は、幸運にも新聞配達の仕事を見つけてきて、四時起きの生活になった。

 成田烈は、東崇町の大学から櫻ヶ丘の有福家までの道を足早で歩いた。家庭教師の初日である。最寄りの電停からは、簡単な手書きの地図を頼りに赤レンガ造りの家を目指した。電停から延びた、舗装をしていない、なだらかな坂道の両側の、粗末な朝鮮の茅葺きの家が並ぶ一角を抜ければ、櫻ヶ丘の新興住宅が広がっているはずだ。

 時間を気にしながら歩を進めると、前方の道の真ん中に立ち止まって身動きしないでいる女学生がいた。その先には三、四人の子供と赤犬が見えた。

 女学生はただ立っているのではなく立ち竦んでいた。様子がおかしい。

「どうかしましたか?」

 成田が二、三メートル行き過ぎても、動こうとしない女学生が気になって訊いた。女学生は、血の気を失ったような顔と怯えた目をして、返事をしなかった。

「なにかありましたか?」成田は繰り返して訊いた。

「蛇が……」

たむろしてこちらを見ている数人の子供に目を向けて、女学生はやっと聞える震えるような声を出して言った。

「蛇がどうかしましたか? どこにいるの?」

「あの子たちが、蛇をグルグル廻して……、怖くて通れません」

 犬が道にいるらしい蛇に向かって、後ずさりするようにして、しきりに吠えている。

 そのままでいるように言い置くと、成田は、電信柱のそばでニヤニヤ笑いながらこっちを見ている子供たちに近づいていった。

 成田がなにか二言三言言ったかと思うと、子供たちは一目散に路地に消えていった。

「もう大丈夫。早く来なさい」

成田が笑顔で呼ぶと、道の反対側をおずおずと歩いてきた。

 朝鮮人の子供たちは、通りすがりの子供が日本人だとみると、しばしばチョッカイを出して挑発したり、女の子だと、卑猥な言葉を投げつけてからかったりした。朝鮮人の子供の世界にも、子供なりの方法で反日的な気分は漲っていた。そんな朝鮮人の微妙な気持というのは、成田には充分理解できることだ。

 成田が、レンガ造りの家を捜すようにして、女学生を振り返ると、後からついて来ている。スカートの裾に印象的な白線の入った、どこかで見たことのある制服を着ている。成田は立ち止まって女学生に尋ねた。

「この近くに、有福さんという家、知りませんか?」

「……? 私の家です」

こずゑは不思議そうな顔をした。

「よかった。僕は今日から家庭教師をすることになった成田といいます」

「私たちの先生だったのですか。私は有福こずゑです」

 成田(成)烈とこずゑの初めての出会いであった。

 応接室に通された成田が、迪に挨拶をすませると、迪はこずゑと毅に向かって、成田に挨拶するように促した。

「途中で先生に助けてもらったの。ありがとうございました。こずゑです、よろしくお願いします」

こずゑは改めて自己紹介した。

「自分は、京城師範第一国民学校六年の有福毅であります」

おどけた、軍人を真似た言い方である。

「ふざけるのはよして、ちゃんと挨拶なさい」迪がたしなめた。

 毅は、母親の忠告を無視するように、こずゑと成田に向かって、

「蛇を振り回していたのは、電停ちかくの朝鮮人のやつらだろう? 僕には、蛇を投げて寄こしたんだよ。僕、どうしたと思う? 振り回されてのびている蛇の尻尾を掴んで、投げ返してやったよ」

 迪とこずゑは、怯えきった顔で毅を穴があくほどに見ている。

 毅は、少々のことでは怖気づいたり驚いたりしない。物怖じしない性格のうえに、六年生になると急に体が大きくなった。しかしやる事といえば、幼くいつまでも子供だった。

 伊礼が飲み物を持って応接室へ入ってくると毅が、

「この人は従軍看護婦のレイちゃんであります」

勝手なことを口にして伊礼を成田に紹介した。

 成田は毅に気圧されていた。この子は利発だが無邪気そうな分少々手強いなと内心警戒した。

 愛国班というものがある。内地の隣保班(隣組)組織に匹敵するものだ。十戸を一班として班長を決め、近隣の共同活動を推し進めることを目的としている。

 朝鮮内のほとんどの家が愛国班の班員となり約四百万世帯が組み込まれた。当初はさほどの締め付けはなかったが、戦争が長引くにつれ、上意下達の連絡網の様相を濃くしていき、宮城遥拝、物資の配給制、金属供出といった朝鮮総督府の施策の、実行組織としての役目を担うものとなっていった。特に配給制度、食料や衣料などの切符取得には、愛国班への参加が必須となった。

 京城の住民にとっては、愛国班常会への出席、朝鮮神宮への参拝、防火訓練、兵隊を満載した北行の汽車が止まる京城駅での茶の接待など、気の休まることがないほどに行事が続く。これらの活動に参加しないことは、配給品が受け取れないことを意味した。

 伊礼は常会が苦痛だった。迪が櫻ヶ丘に引っ越したあとも近隣との付き合いを嫌がり、夜の常会への出席も伊礼が代理で出ることになる。伊礼は朝鮮神宮参拝も防火訓練も平気だが、常会だけは苦手である。

「あんたのとこは、ご主人も奥さんもほとんど出てこないね」

班長に嫌味を言われたが、伊礼は気にしなかった。どんな活動にも有福家として欠席したことはなかったからである。

伊礼は防火訓練も街頭での千人針も先頭になって立ち働いた。しかし自分が朝鮮人だというだけで何かと疎外感を味あわされていた。

 班長の家で開かれる常会では、誰も親しく声をかけてこないばかりか、ヒソヒソ声で避難がましいことさえ言われた。

「半島人はあれだからダメよ」

冷たい視線を向けながら言うのは、伊礼が片膝立てて坐っていることを指していた。ひそめた話し声ほどよく聞えるものだ。

「そうだったんですね。私は朝鮮人の金伊礼だったですね。てっきり有福家の一員で日本人のつもりになっていました」

伊礼は大きな声で返事しそうになった。有福家の中で、自分が朝鮮人だと強く思ったことがないほどに溶け込んでいたからだ。

 常会の終わりにもらった食料配給の明細を見て、伊礼は班長に質問をした。

「うちは大人三人、高女生一人、国民学校生一人なんですが、ちょっと少ないと思いますが……?」

「道庁、町内会が決めたとおりに配分してますよ」

班長は額に皺を寄せて答えた。歯切れの悪い言い方だ。朝鮮人は割り当てが少ないということを曖昧にして、面と向かって言いにくそうだった。面倒なことを避けるようにして、常会はその場で散会になった。

「いやな思いをさせたわね」

迪はすまなさそうな顔をして続けた。

「毅が地域の学校じゃないから、私にもよそよそしいのよ。あの人たちは何でも自分たちと同じじゃないと気がすまないのよ。日本人の悪い癖ね」

 迪はますます近所付き合いをいやになったようだった。

 毅のことでは、迪はしばしば学校から呼び出しを受けた。

 六年生になってひと月ばかりのころ、全国の国民学校生徒に、シンガポール陥落記念としてゴムまりが配られたあとにも担任から呼び出され、迪は、こんどは何事かと憂鬱になりながら学校まで出掛けていった。

 配られたゴムまりに自分の名前を書くように言われたが、毅だけが書いていなかった。

 担任は毅の頬に往復ビンタを見舞ったが、それでも書いてこなかった。学校全員が名前を書けば、何も書かれていないのが自分のだとわかるから必要ないと、屁理屈を言ったという。

「勉強はよくできるのですが、このままだと素行の点数が悪くなって、中学の入試にも影響します。それだけではない、毅君はクラスのリーダー的存在ですから、ほかの生徒に及ぼす影響も大きいのです」

毅は身体も大きい上に級長である。

「ゴムまりがなくなったらどうする?」と言われて「そのときはそれまでです」と平気な顔して答えたという。物に拘泥しない、あっさりとした性格をしていて、親に怒られてもケロッとしている。興味はすぐに次に向いているような無邪気さだ。

 迪に話を聞いた啓司が、

「おまえは、先生に怒られても屁とも思っていないのだろう?」と言うと、

「屁と思っているよ」とぼけた返答をした。

「ばかもの!」

 父親に一喝されてシュンとなったが、すぐに元気になった。

 家庭教師の成田烈には、成田が返事に窮するようなことを質問して困らせた。

「先生は、女の裸見たことある?」

 勉強に飽きると突然質問して、休憩をしたがった。他意はないから憎めない。成田のほうがドギマギした表情を見せると、

「俺、たくさん見たことあるよ。小さいときはオネエと一緒に風呂入っていたからね」

人を喰ったことを言って悦に入っている。

体だけは大きくなり「おねえちゃま」と呼んでいたのが、いつの間にかオネエなどと生意気な口を利くようになりながら、まったくの子供のままである。

 成田烈は、同学年の弟、勲と比較して見ることができた。勲は、何事も真正面から生真面目に取り組む努力秀才型であるが、毅は頭の回転が非常に速い天才型である。

 こずゑと毅の家庭教師は、週二回が昭和十七年の四月から十二月まで続いた。

 毅の京城中学受験は決まっていたが、こずゑの目指す女子大(女子専門学校)は、朝鮮にはなく、内地の学校へいくしかない。国立の東京女子高等師範学校(現お茶ノ水女子大)と奈良女高師(現奈良女子大)は相当に難関である。この二校以外では、女子の最高学府は東京の私学がほとんどであったが、啓司と迪は東京へ行くことに難色を示していた。京城から遠いという理由である。

 何度も話し合った末に、奈良女高師と、啓司の郷里福岡の福岡女専(現県立福岡女子大)を目指すことで妥協していた。合格しなければ花嫁修業が暗黙の了解である。

 どうしても大学へ行きたいこずゑは必死で、成田烈との勉強も真剣であった。卓を挟んでの講義も熱が入ると、二人の間隔も狭まることもある。

「レイちゃんにだけ言うけど……」

 口癖になった言い方で、こずゑが伊礼に愚痴をこぼした。

「成田先生の学生服がすごく臭うの、汗臭くって。それで一所懸命になると次第次第に近づいてくるのよ。毅に訊いたら『俺はなんともないよ』って」

「男は、どいつもこいつも、汗臭いのよ」

「レイちゃんから言ってあげてちょうだい、お願い」

「あんた、学生服はちゃんと洗いなさいって、言ってあげますよ」

 伊礼は、こずゑが成田烈に関心があるのではないかと直感的に察した。ただ服が臭うだけだったら、「先生、お洋服が臭うよ」とあけすけに言うのではないか。女は、気になる異性に突慳貪(つっけんどん)にしたり、無関心を装ったり、身なりをあげつらってみたりするものだ。

 成田は、背はさほどではないが、凛々しい眉毛に鼻筋が通った美形といっていい男である。迪は「ちょっと上原謙に似てるね」と言っていた。上原謙は当代の美男映画俳優であった。

 こずゑ、毅、成田の三人は、夏休みの一日を纛島(トクソム)で遊ぶ計画を立てた。纛島は京城府の東南部に位置し、東大門から京城軌道の電車で三十分ばかりの漢江の岸辺で、府民の恰好の水遊び場である。

 なだらかな砂浜では漢江の水泳を楽しむことができるだけではなく、貸しボートを利用して、ゆるやかな流れに乗ってボートを漕ぐこともできた。近くには大きな船を留めて、飲料水やちょっとした食べ物を売る売店まであった。

 戦時中とはいえ、京城はまだ切羽つまった雰囲気にはほど遠くのんびりとしていた。

「お友だちも誘ったら」という迪の提案に乗って、毅は二人の同級生を誘い、こずゑは、特別に親しいわけではないが、母親同士が仲のいい榎元サヨの娘加代子に声をかけた。

 迪と伊礼は物資統制の中、本町まで出掛け、手を尽くして購入したパンで六人分のサンドイッチを丹精込めて用意してくれた。

 湿気の少ない纛島(トクソム)の夏は、焼け火箸が突き刺さるような太陽光線が降り注いでいる。

 パラソルを広げて荷物を置いたところには、毅たちは寄り付こうともしない。成田も行動範囲の広い毅たち三人に注意を払っていなければならず、こずゑ一人が、ほんの少し水に浸かっただけで、いつの間にか荷物番にまわっていた。榎元加代子も毅たちと一緒になって泳ぎ呆けていた。

 榎元加代子は、水の中にあっても臆することなく、初めて会ったばかりの成田の近くにいた。加代子はこずゑに較べると、行動も身体つきもはるかに大人びていて、異性への関心も強いことを、こずゑは知っていた。クラスは違ったが、学校の中では加代子の大胆な言動はよく知れ渡っていた。

 成田が一人水からあがってくると、加代子がボートに乗りたがっていると言ってきた。成田は加代子にいささか手をこまねいている風であった。

「こずゑさんも一緒に乗ってくれるといいんだけど……」

「荷物があるし、毅たちも見守っていなくてはいけないから、加代子さんと二人で乗ってきて」

 気にすることないよ、と言いかけて、こずゑは言葉を飲み込んだ。余分なことを口走って、わずかに波立った動揺から、却って本心が出てしまうのを成田に覚られたくなかった。成田さんはただ私の家庭教師にすぎないのだからと、こずゑは頭の中で繰り返していたが、視線は、毅たちからは外れ、ボートの二人をずっと追っていた。

 毅がパラソルの側に戻ってくると、お金をくれと言った。

「オネエ、アイスキャンデー買っていいだろう」

母親に禁止されていることをわかった上でねだってきた。

「ダメ」

こずゑは強くたしなめた。本心はそれくらいいいだろうと思っていたが、加代子と成田のことに苛立っていた気持が毅へ転化されたものだと、こずゑは気づいていなかった。

 纛島(トクソム)の水遊びをきっかけに、榎元加代子が急に馴れ馴れしくこずゑに接してくるようになったことを、こずゑは訝しく感じていた。

 学校から帰る電車の方向も違い、クラスも違うのに、偶然を装ったようにして加代子はしばしば下校を一緒した。とりたてて話すこともないのに、である。

 加代子はいささか厚かましく、周りに気を遣うような子ではないことは承知していたこずゑだが、何か下心があることは薄々わかった。近づいてくる目的は成田烈だった。

「お休みの日に、三角山(北岳山)へ行かない? 紅葉がきれいでハイキングに最適だって。成田さんも誘って行こうよ」

 北岳山は朝鮮総督府と李朝の宮殿景福宮の後ろにひかえる屏風のような山である。

 ――私をだしにして成田さんに会いたがっている――。こずゑは決していい気持はしなかった。

「受験勉強が遅れ気味で焦っているのよ。遊んでいる余裕ないわ」

「どこへ行くつもり?」

「まだはっきり決めていない」

こずゑは曖昧に答えた。

「私は上の学校へはいかない。お父さんの銀行に就職するつもりだから。……ねえ、光化門の電停まで一駅歩かない?」

 こずゑは西大門二丁目から電車を利用していたが、加代子の強引さに引きずられるように光化門の電停まで一緒した。

 ――私はいつも他人の意見にずるずると従ってしまう。どうしてこうも優柔不断なのかと、こずゑは自己嫌悪に気持が塞いだ。

 それとなくハイキングを断わったこずゑに、追い打ちをかけるように加代子が言った。

「ねえ有福さん、成田さんの住所を教えてくれない。私、彼に夏のお礼状を書きたいの」

直截であけすけな加代子の申し出に、こずゑはドギマギし、怯んだ。

「私、成田先生の住所なんか知らないわ」

「それじゃこんど手紙書いておくから、あなたから直接渡してくれない?」

 いいとも嫌とも答えずに、曖昧なままでこずゑは「う~ん」と漏らした。

 拒否したつもりだったのに、日を置かずして加代子から手紙を押し付けられてしまった。家に帰り着くなり、こずゑは伊礼にことの経緯を話した。

「レイちゃん、私もういやだ」

 預かった封書を前にして、こずゑは口角を下げて、半ベソを掻いている。加代子の図々しさも、自分の優柔不断もいやだと言いたいのだが、気持をうまく表現できずにいた。

「私が成田先生に渡してあげる」

伊礼があっさりと引き取ってくれた。

 伊礼はこずゑとは違うことを考えていた。

「成田先生は手紙を受け取っても、お返事書かないと思うよ。成田先生はこずえちゃんのこと好きなんじゃないかと思っていたの。だから……榎元さんに返事しないよ。あっ、こんなことおかあちゃまに言ってはだめよ」

 ――レイちゃんは心で感じたことをそのまま、なんの飾りもなく言う人だ。

 こずゑは自分の胸の奥深くにある秘密の感情も、伊礼に見透かされているのではないかと恐れた。と同時に成田先生は返事を書くわけがないという伊礼の確信に満ちた言葉に、ふんわりとした暖かいものが、こずゑの心を満たした。

 榎元佳代子からの手紙を伊礼から渡された成田は、困惑し気分を害していた。

 封書の裏面に差出人の名前もなく、伊礼に口頭で伝えられただけで、それが、おそらくこずゑを介して、こずゑに押しつけられたものが自分にもたらされたものであることは明白だった。校則に違反し、こずゑの迷惑も考えずに無理やり頼み込んだものだと察しがついた。

 嫌な思いをしたこずゑへの申し訳なさと、成田は妹へも思いが伸びた。

 あれほど行きたかった高等女学校へも行けず、軍需工場の下働きに甘んじなければならない妹の境遇と比較して、色恋沙汰にうつつを抜かしていられる加代子の能天気加減に怒りさえ覚えていた。

手紙を無視しようと思った。しかし何の返事もしなければ、こずゑを通してやんやの催促さえし兼ねない加代子の性格を斟酌して、成田はどう対処すべきか困り果てた。当たり障りのない穏やかな返事を書くしかないだろう。

 加代子の手紙の文面から、加代子は有福家や弁護士事務所へさえ押しかけてこないとも限らないと、成田は危惧した。加代子には家庭教師も事務所の仕事も成田の生活が懸かっていることなど考えも及ばないことだろう。

 弁護士事務所の手伝いは成田にとって、これ以上にない充実をもたらしていた。

 仕事は多岐にわたっていたが、そのほとんどが実益を兼ねた修業でもあった。訴状や答弁書、準備書面の下書きさえ任され、夜更けまで働くこともしばしばであった。事務所に持ち込まれる諍いの内容は、日本人と日本人、日本人と朝鮮人、朝鮮人と朝鮮人の、ことに不動産にまつわる争いであった。

 債権債務に係わる保証人の事例では、成田にとっては、我が家の現在の困難を思い、身につまされるような経験さえすることがある。情の入り込む余地のない法の冷厳さに、身が竦むこともあったが、成田が弁護士を目指す決意を新たにできる場でもあった。

 父は縁戚の保証人であったがために、田畑を売り払う不運に、異議を差し挟む余地がなかったのかもしれないが、債務の詳細にわたって検証し、法的な申し立てをすれば、いささかなりとも田畑の一部は手元に残ったかもしれない。しかし父には、どんな手立てをすればいいかの知識も、ましてや弁護士の力を借りるだけの資金もなかった。貧乏人には法さえも味方をしない、不満があっても泣き寝入りせざるを得ないのだ。

 成田は父の無念を思い、金持ちの牽強付会ともいえる強弁が認められることのある理不尽さを、弁護士事務所で目の当たりにすることができた。そのことによって、どうしても法曹界に身を置きたいという成田烈の思いは揺るぎないものになっていった。

 有福家の四人と、伊礼、成田烈の六人は、京城駅二階の食堂で満ち足りた気分で卓を囲んでいた。駅の食堂とはいえ、そこは白布のテーブルクロスが掛けられた高級レストランである。

 この春、毅は京城中学に、こずゑは福岡女子専門学校に合格し、福岡へ向かうこずゑの出立を前に、全員が見送りのために京城駅へ出向き、汽車の発車時刻までの時間を食事を摂りながら過ごしていた。

 戦時中で贅沢は慎まなければならなかったが、合格のお祝いはすでにすませていたこともあり、軽い食事である。周囲に気兼ねしながらも、おだやかな笑いを交えた幸福な時間であった。

「毅に口頭試問の話を聞いたときは、ほんとに肝を冷やしたわね。無事合格したからいいようなものの」

 迪が、家族全員がほとほとあきれ返ってしまったという話題を持ち出していた。

 毅の口頭試問では、本籍地を訊かれ、両親の年齢を訊かれた。

「父は数え年四十八歳ですが、母は何歳か知りません」

毅は堂々と答えた。

「君は母親の年齢も知らないのか?」

 試験官が額に皺を寄せて厳しい顔をすると、毅は間髪を入れず答えた。

「『女性に年齢を訊くのは失礼だ』と母は申しまして、教えてくれませんので知らないのです。中学生になれば女性に年齢を訊いてもいいのですか?」

 反論された試験官を含めた数人の試験官が大笑いをしたという。

「一本取られたと思って、それが決め手になって合格したのかもしれないな」

 啓司は、こいつは何の悪気もなく思った通りのことを言い、我が道を往く人生を送るのだろうと、頼もしくもあり、不安もあると口にした。

「そんなことはありません。堂々の実力での合格ですよ。合格者のトップクラスだと僕は思っています」

 成田は、早くから毅の合格に太鼓判を押していた。

「弟も毅君のお陰で合格できました。毅君に感謝しています」

 毅が使った受験用の問題集を、気前よく成田の弟に貸してくれたことに感謝しているのだ。参考書や問題集は、成田の弟にとっては高価すぎて手が出るものではなかった。ただひたすら教科書を見て、復習をするしかなかったからである。

 新聞配達もこなさなければならない弟の勲は、時田先生の補習授業にも出ることができない日もあった。毅が貸してくれる問題集がどれほど役立ったかは、成田兄弟が身に沁みてわかっていた。

「みんな一生懸命勉強して、偉くなってほしいです」

 伊礼の単純でわかりやすい言い草を潮に、一行はプラットホームへ向かった。

 こずゑの乗る〈特急あかつき〉は既にホームに入線していた。車体に赤のラインが入った二等車である。

 デッキの側まで来ると、成田が、三越百貨店の包装紙に包まれた物を、こずゑに指し出しながら、消え入りそうな声で言った。

「僕は貧乏で、お祝いも餞別も差し上げられません、これは気持だけです。ごめんなさい」

 こずゑがデッキに足を掛けると、伊礼が突然泣き出した。感情を抑えることができなかった。

「コジュヱちゃん、休みになったら早く帰ってきてね」

「レイちゃんも元気でいてね」

 伊礼と目が合うと、こずゑも涙ぐんでいた。

 途中、大邱駅では迪の両親である、こずゑの祖父母が五分間の停車を楽しみに待っているはずだ。関釜連絡船が着く、朝の下関港には福岡の伯母が迎える手はずになっている。

 一人になったこずゑは、出発間際に成田から受け取った包みを膝の上で広げていた。

 其の中には新しい便箋の用紙の束と、ピンクのコスモスの刺繍が施された絹のハンカチといっしょに、青いインクで書かれた、達筆の懐かしい字体の短い手紙が添えられていた。

 ――勉強される平安文学の土産話を楽しみに待っています。有福こずゑ様――。

 最後に、成田烈の住所と名前が(したた)めてあった。

 成田がわざわざ書かなくても、こずゑが住所を知っていることは成田にはわかっていても、改めて住所まで添えてあった。こずゑには成田烈の丁寧さが嬉しかった。

 生まれて初めて家族から離れたこずゑの生活は、学校の寮から始まった。

 街の様子も聞えてくる言葉も、福岡の何もかもがこずゑの目には異国のように映った。

 寮生は福岡はもちろん九州一円から、満州や北京からも来た人たちがいて、心細くなったこずゑは、京城の街や家族に思いを馳せて枕を濡らすこともあった。こずゑにとっては、両親よりもレイちゃんが近くにいないことがことのほか淋しかった。

 誰にも相談できないことや困ったことがあると、レイちゃんがいつも機転の利いた助け舟を出してくれ、一気に気持が晴れた。

 どうしてレイちゃんは、あんなに明るく、クヨクヨしないで済ませることができるのだろうかと、こずゑは自分の不甲斐なさに嫌気がさした。

 母親の迪から初めての手紙が届いた。

京城を発ったあとの家族の様子が細々と書かれ、一人一人のことが手に取るように瞼に浮かんでくる。

  ――レイちゃんが書いた手紙を同封します。私にも読ませてと頼んでも、頑なに拒否して見せてくれませんでした。恥ずかしいからいやだと言うのです。

「それじゃ、こずゑに読まれても恥ずかしいでしょう?」と言ったら、「こずゑちゃんは私の国語の先生だからいいのです」と言います。どうやら初めて日本語で書く手紙だから、最初は先生のあなただけにしか見せたくないらしいです……。

小春日和の縁側で、漢字やひらがなを教えた日々が懐かしい。

こずゑは迪の手紙を読み終わると、封を切るのももどかしく伊礼の手紙を食い入るようにして読み始めた。

――コズエチヤン 元気ですか 私モ元気です。コズエチヤンのヘヤエ行グド(部屋へ行くと)イナイノデさみしいです。早くカエデ(帰って)キデグタサイ(来てください)成田グンワ(成田君は)、ゼンゼンイエニ、キマセン(全然家に来ません)

エギのオミヤゲ(駅でもらったお土産)ナニガ入でいましだか(入っていましたか)。成田グンワ コズエチヤンオ好きだからイショゲンメイ(一生懸命)カンガエデ カイモノ(買物)シダヨ。イモド(妹)の伊信ワ エノモドさんのイエデ(榎元さんの家で)ハダライデイマス(働いています)。オグサンガニュインシダガラデス(奥さんが入院したからです)。カンジ(漢字)がカゲマセン(書けません)コメンナサイ。テガミマデマス(手紙待っています) 伊礼ヨリ――

 カタカナ、ひらがな、漢字が入り混じった文面から、伊礼の、気持ばかりが溢れて文字がでてこないのに、鼻の頭に汗かきながら何度も何度も書き直した様子が目に浮かぶ。二時間も三時間も掛けて書いてくれたのだろうと思うと、こずゑは涙が止まらなかった。取り立てて言うことがないにもかかわらず、成田烈のことに触れる伊礼の気持が嬉しかった。

「誰からの手紙を読んで泣いているの?」

同室の子に訊かれて、こずゑは「お姉さんから」とごく自然に答えていた。

 こずゑが旅立って時間が経てば経つほど、こずゑへの想いがいや増していることに、成田は締め付けられるような恐怖感さえ抱いていた。

 彼女が有福啓司の愛娘であり、それ以前に自分が朝鮮人という宿命から、どんなに努力をし、ひとかどの地位や人物になろうとも、誰からも祝福されるような関係をこずゑとの間で築くことなどあり得ない、そのことを抜きにして可能性を追求しても行き着く先は明白だった。

 成田の夢を実現するためには、生活の手段を得続けていくためにも、修業の場としても有福事務所の存在は大きい。そのことを無視し、こずゑへの想いを伝えてしまうことは、禁断の果実に手を触れ、虎の尾を踏むことを意味した。それでも成田は自分に課した強い自戒を破ってしまいそうになる気持の昂ぶりに恐ろしくなった。

 一度は書き始めたこずゑへの手紙を破り捨てたときに、まるで心が通じていたかのようにして、こずゑからの手紙が届けられた。

拝啓 その後いかがお過ごしでせうか。

京城は昌慶苑の桜が咲き誇ってゐることでせうね。こちらは疾うに花びらが散ってしまい、葉桜の夏のよふな日々が続いてゐます。

  京城出発の折りには、お見送りまでいただきありがたうございました。

慣れない土地、環境ゆへ慌しい日々を送るうちに、かれこれひと月も過ぎよふとしてゐます。新入生ゆへ様々な行事も重なり、また時節柄、授業もほんの数へるほどしかなく右往左往の生活を余儀なくされてゐます。なにが大変かと云へば授業もそこそこに勤労奉仕も始まり、福岡の郊外にある飛行機の工場へ出向くことが義務付けられてゐることです。「ざっしょのくま」と云ふ西鉄の電車で三十分ばかりのところです。「雑餉隈」と書くんですよ、変な地名でせう。お国のためと思えば不平不満など云ってはいられないと心を引締めて頑張ってゐます。

勉強の方は、ほんの緒についたばかり、なにか方向性の一端でも見へたらまたお便りいたします。

いただいた便箋をさっそく使わせていただきました。きれいな刺繍の入ったハンカチは勤労奉仕なぞにはもったいなくて持っていけません。大切に使わせていただきます。

最後になりましたが、学業、父の事務所のお仕事と大変でせうが、呉呉も御身体を大切に。

大事なことを忘れていました。もし私宛お手紙をいただくよふなことがあれば、決して成田先生のお名前をお書きにならないよう是非是非お願いいたします。もしよろしければ妹君の名前でお送りいただきますよう。すべての書簡は寮の舎監からの手渡しのため要注意です。

それでは夏休み帰省の折りにもお会いできれば嬉しく思ひます。 

乱筆乱文お許しくださいませ。          かしこ       

 手紙を読み終えて眼を瞑ると、いつのことだったか、こずゑのすぐ側に立っていたときに桃の果実のような香りがして、匂いを嗅いだことを悟られないようそっと退いたことが思い出された。

そのときは、そんなことはないと打ち消しながら、知らず知らずのうちに女性を意識していた。あれは胸元から立ちのぼってくる匂いだったのだろうか。それとも肩まで流れた黒髪の匂いだったのだろうか。

 鼻腔をくすぐった匂いの記憶と、妹の名前を使ってでも成田の手紙を待っているという文面から、成田の胸にはあかあかとした明かりが灯った。

 有福啓司が仕事を終えて事務所を出ようとしたときに、見知らぬ若い娘が入ってきた。

 申弁護士と成田は、部屋の奥で仕事を続けていたが、入口すぐの衝立で仕切られていて、誰が入って来たのか見えなかった。有福が相手をしているが、二人の話は途切れ途切れで、奥までははっきりとは聞き取れない。

「……ああ……が、こずゑの……えのもと……」

「お忙しいようで……すみません」

「お~い、成田君ちょっと来てくれ」

 おおきな声を出して有福が成田を呼んだ。

 成田は来客が榎元加代子だと直感的に察した。なんということだ、と舌打ちしそうになった。

「こずゑの同級生の榎元さんだ。彼女がこずゑの寮の住所を知りたいというんだが、僕はちょっと急いでいるんでね。僕の机の上に、こずゑの住所書いた紙があるだろう。……あっ、彼は事務所を手伝っている成田……」

「私、存じ上げています。去年の夏、こずゑさんや毅君と一緒に漢江へ泳ぎに連れていってもらいましたから」

「ああ、そんなことがあったね。顔見知りだったらなおさらだ。成田君に任せるよ」

 有福は懐中から取り出した財布を開け、札一枚を出すと

「せっかく来てくれたんだ、仕事はもういいから明治屋へでも行って、何かご馳走してやってくれ。ちょっとしたものなら食べさせてくれるだろう」

それだけ言い置くと、急ぎ足で薄暮の中に消えていった。

 成田は、榎元加代子がいつか事務所へ現れるのではないかと考えないわけではなかった。前年の秋から、加代子から何通かの手紙が届いていたが、成田は無視し続けていた。しかし無視することが拒否を意味するものだと思っていたのは、成田の独り合点のようで、加代子にはまったく通じないことが成田には理解できない。

 悪い予感が当たって、いま目の前に加代子がいた。

 気が重くなりながらも有福にいわれて仕方なく、成田は加代子を連れ立って事務所近くの食堂へ入っていった。

 加代子の目的はわかっていた。こずゑの住所を聞き出すのであれば、有福の家に電話をするなりハガキで問い合わせればすむことだ。

 住所を書いた紙を受け取った加代子は、無造作に上衣のポケットにねじ込むと、

「こずゑちゃんの住所はどうでもよかったの。私、成田さんにお会いしたかっただけなんです」

「…………」

成田は何も言わない。

「何度かお手紙を差し上げたのに返事をいただけないものですから」

「僕にはお会いしても話をすることもないし、それ以上に僕には時間もないのです」

 成田は学生服の上着を脱いで、周りを見回した。若い男女が二人でいるところを警察の人間にでも見られたら、どんな難癖をつけられるかもわからない。どんな言い訳も通じない世の中である。ましてや自分は朝鮮人で、有無を言わせない尋問さえされかねない。成田は仕事の延長を装ってそれらしい書類を小脇にしていた。

「ずいぶん冷たいのね」

「そんなことはありません。いま言った通りです。僕にはしなければいけないことが山積しているのです。遊んでいる暇は、これっぽちもありません」

親指と人差し指を近づけて言った。

「私の想像するところ、成田さんはこずゑさんのことが気になっているんじゃないですか?彼女美人だし……」

「そんなこと、考えたこともありません」

「彼女は遠くにいることだし、福岡でうまくやっているかもしれませんよ。私いま朝鮮銀行で働いているの。日曜日はお休みだから、一日くらい時間とっていただけないかしら。またボートにでも乗せてくださらない? それだけのことよ。漢江の人道橋の下がいいわ」

 無理無体を言う、なんと身勝手な女だろうと、成田は呆れていた。

榎元加代子は事務所に訪ねてきた日以来、たびたび電話を架けてきて、成田は困惑していた。丁重にではあるが、きっぱりと私用の電話はしないように伝えると、ときには事務所の前で成田が出てくるのを待つようになり、どこか高飛車な態度を取って成田に向かってくることもあった。朝鮮人は日本人の言うことをきくものだとでもいうような、見くびった調子の言い方さえした。

「最近電話が多いぞ」

申弁護士には嫌味っぽく皮肉を言われた。

「もてる男はつらいね。そろそろメッチェンから電話がくるよ」とか「鮮銀の君のお出ましだ」などと面白可笑しく、からかわれもした。

メッチェンは若い女性、娘を意味するドイツ語だが、大学予科の学生や高等学校の学生が隠語のようにして気取って使った呼び方であった。英語やフランス語よりもドイツ語を選択する学生が圧倒的なことによるものだ。

有福がいないときには、申弁護士に「日本の女もいいかもしれないぞ」とニヤニヤしながら朝鮮語で囁かれることもあった。ただ成田は嫌味や冷やかしに密かに安心し、まるで加代子に関心があり、別のどんな女性にも関わりがないように思われていることは好都合だった。

成田のこずゑへの想いは、誰にも悟られてはいけないただ独りの世界なのだ。

「榎元さんは君に関心があるようだね」

有福啓司に言われて、さも自分も加代子に興味があるかのような素振りをしていた。

 四月の終わりにこずゑの初めての手紙が届いてからは、十日も空けずして頻繁に便りがあり、成田はいつしかそれを心待ちにするようになっていた。

「有福のお嬢さんも随分たびたび手紙を送ってくるもんだ」

母親に指摘されて成田は返事に戸惑った。

「家にも頻繁に書いているみたいだよ。きっと心細くて淋しいから、手紙でも書いて気持を紛らわせているのだろう」

突き放したような答え方をしてはぐらかしていた。

 こずゑが書き送ってくる内容は、日用品の不足や食料事情など日常のこもごもや学校、寮の生活にも慣れ、親しい友人もできたことなど取り留めのないことであったが、文末には必ず、夏休み帰省の折には会って二人で話がしたい旨書き添えられていた。

 ペン先に込められた、こずゑの思いが一字一字に表れていることに、成田は自分と同じ思いを抱いているのだと敏感に感じ取っていたが、六月下旬ごろからこずゑの手紙がぱたりと途絶えた。

 体調でも壊したのではないかと危惧したが、こずゑの留守宅に問合せることもできず不安ばかりが膨らんでいった。

 もう帰省してもいい頃だという七月下旬になっても、何の便りもなかったが、月が変わろうかという末日になって、こずゑが既に京城へ帰って一週間以上経っていることを有福啓司の一言で知った。

「こずゑは無事帰ってきたよ。就航したばかりの博釜連絡船を利用したそうだ」

 下関、釜山間だけだった連絡船に加えて、博多港からの便が開設されていたことを指している。

 成田もこずゑも指折り数えて楽しみにしていた再会を、こずゑはなぜ教えてくれないのだろうと、成田は不信感が募った。連絡をくれない理由がどこにも見出せない。

 成田は思いきって有福家へ電話を架けた。伊礼が電話口に出るにちがいなかった。

「まあ成田君、久しぶりじゃないの。コジュヱちゃんが帰って来ましたよ。私、嬉しくて嬉しくて」

伊礼は途中から朝鮮語になった。感情がこもってくると日本語よりも朝鮮語のほうが意を伝えるのに便利なことは成田にはよくわかる。成田も朝鮮語になった。

「こずゑさんの元気な声だけでも聞きたくて電話しました。いらっしゃいますか?」

伊礼がこずゑを呼ぶ声が受話器から伝わる。しばらく間を置いてこずゑが電話口に出た。

成田は手紙が突然来なくなったことへの不満を飲み込んで、早く会いたいと告げた。

しばらくの沈黙のあと、事務的な声で、こずゑは「わかりました」とだけ答えた。

成田は次の土曜日に総督府図書館に朝からいる、午後一時にロビーで待っていることを告げて電話を切った。何か様子が変だ。こずゑがほんとうに来てくれるのかどうか、成田は確信が持てないままで土曜日を待った。

 約束の時間通りに図書館のロビーに現れたこずゑは、成田が見違えるほど大人びていた。

高女時代のおさげ髪は頭の後ろで束ね、襟足がすっきりと見える。ふっくらとしていると思っていた頬から顎にかけて細くなっている。母親の迪とそっくりに見えた。

「元気でした? すこし痩せましたね。」

ぎこちない口ぶりになった。

「そうですか」

愛想のない返事だった。

「すこし歩きませんか。南山へ行きましょう」

もともとが口数の少ない成田は、なにを話したらいいのか手をこまねいている風だった。長谷川町から南大門前を通り、照り返しの強い朝鮮神宮の参道の坂道を歩いた。

「急に手紙がこなくなったので、なにかあったのかと心配していました」

「成田さんこそ何か心境の変化があったのじゃないですか?」     

 不可解なことを言うと、成田は横に並んでいるこずゑを覗き込むようにした。

 大鳥居から石の階段を避けて、ひと気の少ない京城神社の方に向かった。

 京城を一望する見晴台で歩みを止めた。大樹の下は心地よい日陰となり、蝉しぐれが降り注いでいる。

「いつ帰省されるのかと、首を長くして待っていましたよ」

成田の言い方は非難めいたものになった。

「榎元さんと随分親しくされているみたいで……。私のことなんかお義理みたいなものだと……」

「榎元さんがそんなこと言ったのですか?」

「彼女が手紙に書いてきました。ちょくちょく成田さんとお会いして、親しくさせてもらっていると。お母さんの入院先にも、一緒に見舞いに行ったり、とか」

「一度だけ、それも三十分事務所の裏の食堂で。彼女がこずゑさんの住所を教えてくれと言って、事務所へ突然来たのです。有福先生が、こずゑさんの友人がせっかく来たのだからと食事代をくれて、しかたなく一緒しました。たったそれだけのことです」

「たびたび会っている、休みの日には、漢江でボートにも乗せてもらったと……」

「とんでもない。嘘です」

成田は言葉が詰まってしまうほどに憤りが間欠泉のように吹き上がってきた。

「成田さんがおっしゃるとおりなら……それはひどい」

「僕の言うことと榎元さんのどっちを信じるんですか。彼女の言っていることは根も葉もない捏造です。どんな魂胆で……。彼女のお母さんが入院していることだって初めて聞きました」

「彼女は何でも自分の思いどおりになると思っているんだわ。欲しいものはすべて手に入れないと気がすまないのよ」

 こずゑは成田を軽蔑もし、受け取った手紙を封も開けずに破り捨てたことを心底後悔していた。それ以上に、まるで勝ち誇ったような加代子の文面に憎しみさえ抱き、自分を卑下していた一人合点の浅はかさを恥じた。

「ごめんなさい」

こずゑは成田烈の顔を真正面から見つめて、素直に謝った。

「心はすっかり晴れたのに、急に夕立雲が……早く山を下りましょう」

「こずゑさんと僕の気持が晴れ晴れした分、榎元さんの気持が曇ったのかな」

「そんなことを言うものじゃないわ、悪い人ね」

 言い終わってこずゑは自分の言葉にハッとした。成田と同じ感情を共有したと思ったからこそ出た言葉だ。こんどは自分が加代子に対して、勝ち誇った優越感に浸っている。それは加代子が抱いた感情と同じではないか。加代子を非難する資格はない。あさましいと思った。

 急に黙ってしまったこずゑに

「どうかしましたか?」

成田が怪訝そうに訊いた。

「ううん、なんでもない。会えてよかったと胸いっぱいになっていたの」

「夏休み中は何度でも会えますよ」

 横に並んで歩きながら素肌の腕が微かに触れ合った。

 有福家にも伊礼にも、いつ終わるとも知れない戦争は大きな影を落としていた。

 毅は夏休みになると、ほとんど毎日勤労動員で朝早くに家を出る。

「公立勤労中学へ入学したようなものだな」

皮肉を口にしながら出かけていった。仁川近くの軍需工場建設現場での整地作業にたずさわっている。

 伊礼の二番目の弟、義植は、自動車運転の技術を見込まれ、軍属として全羅北道群山の航空部隊に所属しているらしい。しかし部隊が移動すれば、マリアナ群島などの南方戦線へ連れていかれることも必至だ。

 戦況には何の知識も関心もなかった伊礼が、弟が軍属になったことから、にわかに関心が高くなり、新聞を手にしている啓司をつかまえては戦争のことを聞きたがった。

 行商のアジュマを相手に伊礼が大きな声でまくし立てていた後に、何を話していたのか訊くと、啓司から得た戦争の情報を教えてやったのだと得意満面の顔をしている。いろいろ教えてやったお返しにアジュマがもたらした受け売りの話を、迪に言う。

「おくさま、アメリカは朝鮮人が住んでいるところには爆弾は落とさないそうですよ。だから京城は安心です」

何の根拠もない説だが、朝鮮人の間ではそんな噂もあるのかと、迪は朝鮮人社会に密かに蔓延っている他人事のような流言にうそ寒さを感じた。

 伊礼は口では朝鮮には爆撃がないと言いながら、町内の防火訓練には一生懸命だ。週に一度はバケツリレーの防火訓練だが、迪が作ったモンペにチマを押し込んだ奇妙な格好で、伊礼はいつも先頭に立って訓練に励んだ。その一方で伊礼は各家庭に一つずつの防火用水は必要ないといって憚らない。ボウフラが湧くからあんなものは困ると言う。言うことが矛盾しているのが、迪には可笑しくてならなかった。

 こずゑは夏休みの期間中、長谷川町の総督府図書館に熱心に通った。土日は欠かさなかったが、そこが成田烈との逢瀬の場だということは、家人はもちろん誰も知らない。

 閉館時間になると二人は申し合わせて外に出、途中からこずゑが乗る、光化門の電停までを歩き短い時間を共に過ごした。帰る方向が同じはずなのに、成田が電車に乗らないことがこずゑには不思議だった。学生は電車に乗るな、歩け歩け、の標語に忠実だからだと思っていたが、そのほかにも理由があった。

「学校が休みの間は、あの辺りに住んでいるのです」

成田は、景福宮、朝鮮総督府の西方に位置する、仁旺山の中腹あたりを指差して言った。帰る方向が違うからである。

「いつもは従兄妹が住んでいる借家なんですが、夏休みの期間中江原道の実家へ帰っているのです。兄は京城高等工業生、妹は李花高女の学生です。僕は留守番を兼ねて勉強部屋に使わせてもらっています。一石二鳥というわけですよ」

「ひとりで?」

「そうですよ、勉強に集中できます。家賃もいりません」

「……従兄妹の方が払っているからでしょう?」

「いや、ちょっと違います」

「……?」

 朝鮮の借家や下宿は伝貰(チョンセ)とよばれる契約の仕方をする。借主は家主に毎月家賃を払うことはないが、入居時にそれ相当の多額の金銭を家主に預ける。家主はその金を自分の裁量で自由に運用し、運用益を得て家賃の代用としている。退去時には預けた金の元金は借主に返金する仕組みである。成田が居候している借家は、従兄妹の実家が伝貰の契約をしているから、月々の家賃は必要なかった。

 こずゑが学校へ戻る日まで数日を残すだけになった八月の終わり、いつものように図書館の地下食堂で寛ぎながら

「もっと長い時間いろんな話ができるところがあればいいのに……」

こずゑが珍しく愚痴をこぼした。

 成田は、どう答えればいいのか逡巡していたが、意を決したように言った。

「いまからすぐに仁旺山へ行きましょう」

 成田にとってはそれが精いっぱいの答えだった。心の底の思いどおりに、従兄妹の家へ、とはどうしても言えなかった。

 仁旺山に登るとはどういうことか二人にはわかっているが、どちらからもはっきりと従兄妹の家に行こうと言うきっかけがつかめないままに、終点孝子町の電停で降りた。

 順化病院のわきからなだらかな坂道を進み、狭くなった石段を登りはじめると、成田が立ち止まった。

「中腹というのはちょっと大袈裟だったですね。家はこのちょっと先なんです」

 成田の後ろにいたこずゑが山を見上げるようにした。

「結構急な登りですね。この暑いのに頂上まではたいへんだわ。成田さんがいるお家にしましょう」

 高いレンガの塀に囲まれ、観音開きの扉を押して中に入ると、狭い中庭と、屋根が反り返った小さいが朝鮮風の一軒家になっていた。庭に面した濡れ縁から中に入った。

 男の一人住まいに足を踏み入れることは、こずゑにとっては勇気のいることだが、成田と二人っきりになれる喜びのほうがまさった。

 成田は広げたままの本やこまごまとしたものなどを片付けたり、湯呑を用意したりと落ち着きがなかった。

 こずゑも、どこに居たらいいのか戸惑って、上り込んだ濡れ縁の近くに手持ち無沙汰に座っているしかない。油紙を敷きつめたオンドル部屋の床は、冷たく気持がよかった。

 座った膝の高さほどの、八角形をした一人用食卓の膳を間にして、二人は俯き加減に対座した。いざ二人だけの世界になってみると、何を話していいのか沈黙が支配している。

 寡黙な成田がやっと口を開いた。血流が鼓膜を打つのがわかる。

「榎元さんから手紙をもらってはっきりしたことがあるのです。それは……僕にとってこずゑさんの存在がとてつもなく大きいということでした。しかし、あなたは一年間一緒に勉強した間柄でしかない。それどころか、僕の恩人である有福先生のお嬢さんです。そんな人に、しがない学生に過ぎない者が想いを寄せるなど不埒なことです、あってはならないことだと自分を強く戒めていました。三月に京城駅を発たれたときに、深く考えもせず、便箋など渡したことを反省し、恥じていました。だっていかにも便りをください、と言っているようなものでしょう。自分の軽率な所行を責め、今後一切あなたに会うことはすまい、勿論手紙を書くなどしてはいけないと考えたのです」

 冷静に話しているつもりでも昂ぶっていて、成田は湯呑を手にして続けた。

「……もっと深く考えれば……民族の違いということから来る、いろいろな障害に責任がもてない事態も起きてくると……」

「…………」

こずゑは、じっと成田の眼を見て耳を傾けていた。

「……そんなことを真剣に考えていたときに、そう、四月の終わりです、あなたから初めての手紙が届いたのです。気持に踏ん切りがついたと自分では思っていたのに、手紙には、妹の名前で出してくれと書いてありました。僕は勝手に、あなたは何度でも手紙が往復することを考えているのではないかと嬉しくなってしまいました。いい気なものです」

 今この世で自分だけを想ってくれている男性がいるという嬉しさが、咲き誇っている花畑のようにこずゑの心を一つに染めていた。男性が日本人だとか朝鮮人だとかは、こずゑの念頭になかった。

 この一年、自分が思っていたことをいま成田に洗いざらい言わなければと、こずゑは考えていた。

「去年のちょうど今頃、あなたへの手紙を榎元さんに託されたことがありましたね。私は困ってしまってレイちゃんに相談し、私の代わりにレイちゃんがその手紙をあなたに渡しました。困ってしまったと言いましたが、ほんとうは榎元さんに対抗意識があったのだと思います。何が書いてあるのかわかりませんから、あなたが榎元さんに関心を持つことに、無意識のうちに嫉妬していたのです。そのときレイちゃんが私に言いました。『成田君は榎元さんに返事は書かないよ。成田君はこずゑちゃんのことを好きなんじゃないか』

 レイちゃんの言葉に触発されるようにして、そのとき私もあなたのことを好きになっていると確信したのです。それからの私は、何が何でも奈良女高師、福岡女専に合格し、両親の期待ではなく、あなたの献身的な受験勉強の助けに報いなければいけないという気持が励みにもなり、それまでの我慢だと心に誓いました。そして三月の京城駅でいただいた贈り物を汽車の中で広げ、中に入っていた添書きを見たときの嬉しかったことといったらありませんでした」

これだけを、こずゑは一気に話した。

 こずゑが話し終わると成田は、二人の間にあった小さな膳を横にずらし、ゆっくりと手を伸ばしてこずゑの手を取った。こずゑは握られた手をそのままにしていた。握り合った手はほのかに湿り気を帯びていた。

「こずゑさん……好きです」

「…………」

こずゑは口を真一文字にして俯いている。

強い力で引き寄せられ、「イヤ」と小さく洩らしたときには、こずゑは成田の腕の中に抱きしめられていた。微かに震えていたが、成田が唇を重ねてきても、こずゑは拒まなかった。長い時間唇を合わせたままだった。

こずゑは唇がとろけて流れ出しているのではないかと錯覚するほど、成田の唇は熱く、優しかった。

西日が仁旺山に遮られ、凌ぎやすくなった坂道を孝子町の電停まで歩きながら

「なんとしてでも弁護士の資格を取ります。こずゑさんのためにも」

改めて心に誓うように成田は言った。

「無理しないでね。父に精一杯協力してくれるように言いたいけど、私からいえないわね、ごめんなさいね」

「なあに、こずゑさんは冬休みに早く帰ってきてくれたらそれで充分です。僕の頑張りの源です」

「明後日福岡へ戻るけど、手紙くださいね、きっとよ」

 成田は別れがたく、どこまでもついて行きたかった。さよならとは言わず「元気でいるんですよ」とだけ言い、手を握った。

 こずゑが京城を発って三日後に成田のもとへ、釜山の消印が入った手紙が届いた。

 前略

  あっといふ間に夏休みが過ぎていきましたが、

  いつでも会へるといふのは、すばらしいことでした。

  しばらくぶりにお会いしたときの落ち込んでいた気持が嘘のやふです。

   でも神様はちゃんと私たちのことを見

  ていてくれたのですね。

  いまから博多行きの船に乗ります。

  また会へるのは十二月ですね

  すこしの辛抱です。   こずゑより

 わずかな時間に書いたものとはいえ、変な文章だなと思いながら繰り返し読むうちに、成田は声を上げそうになった。何の説明もなかったが、仕掛けが施されていたのだった。一番上のひらがなだけを右から読んで、成田が気づいてくれたらというこずゑの密かな願いが込められているのだった。

十一

 昭和十八年(一九四三)、降り頻る雨の中で、戦地へ赴くことになった二万五千の学徒の出陣壮行会が、神宮外苑競技場(現国立競技場)で挙行された。

 スタンドを見送りの女子学生、家族など五万人が埋め尽くしていた。

「がんばって」「生きて帰ってきてください」の声が飛交う中を、それぞれの学帽、学生服、ゲートル姿に三八式歩兵銃を肩にした学生は、ぬかるみを踏んで整然と行進し、最後に準国歌「海ゆかば」を全員で合唱し出征していった。

 国に殉じる覚悟や学業半ばで戦場に赴く複雑な思いが交差する壮行会であった。

 日本人学生にとっては、学業兵役免除が解除された召集であり、皇国の臣民、日本人とされていた朝鮮人学生にも出征の強要はすぐそばに忍び寄っていたが、成田烈にはそれが自分に降りかかってくるなど考えてもいなかった。しかし神宮外苑の壮行会が挙行された新聞報道と時を同じくして、朝鮮、台湾の学生に対しても志願兵を募集することが発表された。志願は名目であり、半強制的なものであることは明白であった。

 十月二十日発表、十一月二十日募集締切と、朝鮮人学生に考えるいとまもなく、短兵急で目に見えない圧力がかけられていた。

 成田は奈落の底に突き落とされ、呆然となって、胸中にさまざまな思いが渦巻きはじめた。

 志願出征は、成田の稼ぎが大きな比重を占めている家族にとって、糧道を断たれるも同然である。爪に火を灯すような生活から火が消えてしまうことを意味した。断固として志願を忌避しなければならない。また学業の中断はいままでの蓄積が水泡に帰すに等しい。たとえ生きて帰って来たとしても、兵役には限定された期間があるわけもなく、またゼロから勉強し直さなければならないどころか、生還できる保証はどこにもない。いやむしろ戦死する確率の方がはるかに高い。――志願してはいけない、それだけが成田の思考のほとんどだった。

 そして、成田はこずゑを激しく思った。こずゑに無性に会いたかった。手紙ではなく、こずゑを前にして、何もかも思いのたけをぶちまけてしまいたかった。同じ地に立ってすべてを理解してくれるのは、こずゑしかいなかった。

 志願兵の募集が始まって二週間過ぎたが、志願してきた学生は百五十三名に過ぎなかった。目算が狂った朝鮮総督府は、志願促進の一大キャンペーンを展開せざるを得ない事態に陥っていた。対象となるすべての朝鮮人学生に志願させることを目論んでいたからだ。

 昭和十三年(一九三八)に施行された陸軍特別志願兵制度は、昭和十五年(一九四○)には三千六十名の募集に対して八万五千名近くの応募者を集め、学生を対象とした今回の制度にも予定数の志願があると、総督府は高をくくっていた。

 志願促進のためにありとあらゆる手段が講じられた。京城府民館に集められた学生を前に、朝鮮の著名人による講演会、学校を通しての説得、愛国班の班員による家庭訪問と、学生に対する説得は熾烈を極めた。

 追い詰められた朝鮮人学生は、志願しなければ逃亡するしかない。だが逃亡すれば、残された家族は非国民よばわりされ、どんな圧力が家族にかけられるか想像にかたくない。

 成田烈の家に、愛国班の班長や町会の役職の人間が入れ替り立ち代わり訪ねてきては、成田が早く志願書をだすようにとやんやの催促だった。

「国を乗っ取り、日本姓を強要し、アイゴー、今度は大事な大事な息子まで戦争に連れて行こうというのか」

成田の母親は両拳を床に打ちつけて泣き叫んだ。

 家族にとっても、わずかひと月の間に、まるで死が約束されたような地へ行くことを迫られる究極の決断は、到底受け入れることのできるものではなかった。誰のために、どの国のために戦う戦争なのか納得できるものは微塵もなかった。

 ビルマやフィリピン、インドネシアをヨーロッパの呪縛から解き、独立させるための聖戦だといいながら、朝鮮の独立など眼中にもない矛盾した所業ではないか。

 朝鮮人学生たちは「志願で出ていく馬鹿もいる」と密かに口の端に上らせていた。知識人でもある大学生は冷めた眼を持ち、どんな説得、強要にも肯首するはずがないのは明らかだった。

馬に水を飲ませることはおろか、川へ連れて行くこともできない当局の担当者たちは、警察の強権さえもちらつかせて志願を迫った。

 成田からの手紙に書き連ねられた学徒出陣が予想される文面に、こずゑは手の震えが止まらなかった。

 こずゑは、町で見かけた白木の箱に入った戦死者の変わり果てた姿に、両手を合わせることもあったが、成田の手紙は一気に、遺骨の入った箱へ結びつく事態を連想させられ、返事も書けなくなった。

 いますぐにでも京城へ帰り、成田のそばに行かなければと焦る気持を抑えることができず、ただ震えていた。

 成田との将来を夢想し、空想の中で満ちるような幸せを味わっていたこずゑが、それ以外の未来を描くことはなかった。

 ――彼は必ず弁護士の資格を手に入れるだろう。そして申敏煕弁護士のように、父の有能な片腕となって日本人社会にも朝鮮人社会にも通用する仕事をする。しばらくすれば弟の毅も弁護士となり、父の事務所は、京城でも指折りの弁護士事務所となっているのだ。

 家庭にあっては、彼の両親と同居なのだろうか。ちょっと不安はあるが彼と一緒なら安心だし、両親に可愛がってもらえるように努力をすればすむことだ。レイちゃんみたいなお手伝いさんなら是非いて欲しいけれど、あんな人はそうそういないだろうな。それから苗字も変わっている。「有福こずゑ」という名前は好きだけど、「成田こずゑ」というのも悪くないな――

 成田の手紙は、そんなこずゑの空想を粉々に砕いてしまうほどの衝撃的な内容だった。

 一刻も早く京城へ帰りたかった。学校も勤労動員も、もうどうでもよかった。京城へ帰省する前に成田が志願し、入営してしまえば簡単に会うことができなくなると、詳しい事情がわからないこずゑは焦っていた。関釜連絡船の予約を入れようとすると、簡単ではないことがわかった。ひと月ばかり前、玄界灘を航行中の関釜連絡船、崑崙丸がアメリカ軍の魚雷攻撃を受け沈没するという事件が起きたばかりで、夜間航行が中止となり船便の数が極端に減っていたのである。こずゑは十二月第一週を過ぎてようやく京城の家に帰り着くことができた。

 帰心矢の如し、成田に会いたい一心で荒れる冬の玄界灘に船酔いすることさえなかった。

 こずゑの帰省を心待ちしていた家族の中に伊礼がいなかった。誰にも言えなかった胸の内を思い切って相談できる伊礼がいないことはこずゑには辛かった。

 どんな困難や悩み事があるときも決して落ち込んだ様子も見せず、ウィットの効いた対応をする伊礼がそこにいるだけで救われるのだ。

 努めて明るく振舞おうとするこずゑに、啓司が言った。

「成田君が学徒兵に志願したよ。来年の一月には入営だ」

「まさか。朝鮮の学生も対象になっているのですか?」

 志願学徒の募集が始まったことをもう既に知っているというのは素振りにも見せてはいけないが、まさか志願をしてしまったとは、初めて聞かされることであった。

 男が出征していくのが日常茶飯事となり、学生も学業半ばで出陣していくとはいえ、こずゑにとって、これまではどこかよそ事であった。身近でしかも愛する人が出征することは耐えられそうにない。

「朝鮮の人がどうしても志願しなければいけないことなのですか。徴兵ではないのだから忌避できるんではないのですか」

「名目上は志願だが実質的には徴兵と同じことだ。朝鮮人も皇国臣民の一員として志願してよろしいという陛下の思し召しだから、喜んで志願すべきだというのが、総督府が言っていることだからね。それにしても……お父さんの事務所も成田君が抜けるのは痛手なんだよ」

父の啓司は仕事のことも交えて説明した。

「男子たるもの、お国のために一身を(なげう)って戦地に赴くというのが日本人なんだよ。僕だって資格があれば喜んで戦うよ」

毅が大人びた口を挟んだ。

「やめて。お母さんは軍隊も軍人も嫌いです。お役目以外は志願なんて考えないで」

迪がキッとなって反発した。

「レイちゃんはどうしたの?」

 伊礼の父親が急に亡くなり安城へ帰っているという。

「私がお葬式に安城まで行ったのよ、田舎だった。野辺送りはたくさんの幟を立てて、アイゴー、アイゴーと泣く人たちがおおぜいで列を作ってね。朝鮮のお葬式は大掛かりだから、死んだあとの法事も多く、レイちゃんも当分帰って来られないわよ」

久しぶりの家族そろっての食事であったが、明るい話題にはならず、しんみりとした食卓になってしまった。

「お父さん、成田先生に会えないかしら?」

こずゑがさりげなく訊いた。

「明日は事務所に出て来ると思うから若草町まで来れば会えるよ」

「私、明日事務所へ行きます」

「夏休みに帰って来たときも会っていないから、そうしなさい。成田君もいつ帰還できるかわからないからね」迪が口を添えた。

 こずゑが事務所へ出向いた日は、温度計は零下を指し、伊礼が漬けたばかりのキムチがまるで氷漬けのようになり、電車の窓から垣間見える錐先状のポプラの枝が曇天を恨んで突き刺すように伸びている。こずゑは、九州にはない朝鮮の冬を実感し、心の中には既に小雪が舞っていた。

「やあ、いらっしゃい。こずえゑちゃん久しぶりだね。ずいぶん大人になって、ますます美しく。学校はどうですか? あっ、僕が訊いてもしかたがないか。その後の成果報告は成田先生だったね」

申弁護士が明るい声で迎えてくれた。

「ご無沙汰しています。いつも父がお世話になっています」

笑顔を作って大人びた挨拶を返した。

「同じ学生同士。応接でゆっくり話していってください」

「お久しぶりです」

突然事務所に現れたこずゑに驚きながら、成田はさも三月以来だというような口ぶりで挨拶した。さぞ沈痛した表情をしているだろうと思っていたが、事務所の中の成田は夏と変わりはないように見えた。

 一刻も早く成田の顔を見たいと思い事務所まで足を運んだが、胸がつまってなにも話せない。

「学徒出陣に志願なさったんですって。昨日父に聞きました」

 こずゑは事務所の中に話し声が聞こえるようにしながら、そっとメモ紙を差し出した。

――いつ、孝子町へ行けますか?

会う約束をすることが目的であり、事務所に長居をする必要がなかった。

こずゑは約束した日に、曇った冬空に落葉が吹き寄せる木枯らしの中を、孝子町の電停から記憶を頼りに一人で成田のもとへ向かった。

成田は、綿入れのチョゴリ(上着)にパジ(ズボン)の韓服を着て、門の前に立ち、こずゑを待っていた。

成田の姿が目に入ると、こずゑは、会いたかった願望と、会えなくなる悲しさがない交ぜになって、胸がふきこぼれるように突き上げられて、両の目に涙が溢れてきた。

成田はこずゑの両肩を包み込むようにして部屋に導くと、立ったままで強く抱きしめ、何も言わず唇を重ねた。長い時間だった。

「やっと二人になれたね」

やさしく成田が言った。

こずゑは、取り出したコスモスの刺繍がはいったハンカチで涙を拭いながら、うなずいただけだった。

二人が座った油紙を敷きつめたオンドルは、頬まで火照ってくる温かさで外の木枯らしから隔絶された別世界である。座っている座布団を通して床の熱が伝わってきた。

「志願してしまったことを言わなくて悪かったね。心の余裕も、どう伝えていいのかも思い浮かばないままに今日になってしまった」

「そんなことはいいの。往かないで、お願い」

「だれが往きたいものか」

成田は握り締めた両の拳を小刻みに震わせていたが、両手でこずゑの手を取った。

「お願いだから志願を取り消して」

「そんなことができるくらいなら最初から志願なんかしない。なにか志願しないですむ方法はないかと乾いたタオルを絞るようにして考えたよ。たった一滴でもいい、奇跡のような妙案がないものかと。そんなものがあるわけがない。両親のこと、こずゑさんのことを考えると気が狂いそうだった。死んだらどんなに楽かと思った」

 こずゑの両眼から流れ出た涙がオンドルの床を濡らした。

「僕は戦争にいくのが怖い。死ぬことが恐ろしい。敵兵に銃を向けて引き金を引くなんてとてもできそうにない。でもそんなことを考えることも許されないのが軍隊です。兵隊を逃れる方法が思い浮かばないわけじゃなかった。一つは逃亡することだった。二つ目は自殺すること、三つ目は、いったん兵隊になって隙をみて軍隊から脱走するという手段だった。しかし二つ目は何の意味もないだけでなく、両親にはこれ以上の親不孝はなく、君を奈落の底に突き落とす悲しみを与えるだけだ。一つ目と三つ目は、逃亡しても生き長らえる保障は何もない。そんなことばかり考える堂々巡りの日々が続いているうちに、志願の強要に屈せざるをえなくなってしまったのだよ」

 こずゑの止まない涙を指先で拭いてやりながら成田は続けた。

「こんな僕を、優柔不断で、臆病な小心者と思う? そう思って(わら)う人がいたらそれで結構。矮小で、卑屈で、みすぼらしくても人間は生きる価値がある。生きていなくてはいけない。僕はそう考えている」

「死ぬなんていや。絶対に死なないと約束して」

成田への一途な想いの丈の、感情が(ほとばし)り出るだけの言葉しかこずゑからは出てこない。

「朝鮮人学生の間で密かに流れている噂があるんだ。九月に同盟国のイタリアが全面降伏をすると、連合国側はカイロで会談をして戦争終結後の話し合いをした。その中で朝鮮の独立が取りあげられたということだ。噂というのは、日本は戦争に負けるというものなんだ。こずゑさん、こんなこと誰にも言っちゃいけないよ、わかったね」

「日本が戦争に負けて朝鮮が独立したら、成田さんと私はどうなるの? 日本はどうなるの?」

「政治のことは僕には皆目わからないから、国がどうなるのか想像もつかない。日本と朝鮮は、民族は違うけど文化は似ているうえに、僕たちは普通学校(小学校)から日本人としての教育を受けてきた。思考回路はまるで日本人さ。僕は日本人対朝鮮人ということを深く考えたことはないし、考えないようにしている。僕の夢は弁護士になって、困っている人や力のない人を助けることに一生を捧げたいということなんだ。……そして個人の生活のうえでは、もし結婚を考えることがあれば、その人が何国人かなんて関係ないと思っている。なぜなら結婚はあくまで個人と個人の結びつきで、民族の違いや家と家の格式の違いなんていうのも何の意味もないと思うから。もし結婚する相手が……こずゑさんならば……いいな、と思う」

 口にすると同時に成田は、軽率だったのではとわずかに悔やんだ。追い詰められて刹那的になっているのではないのか。こずゑは結婚を考えるような年齢ではない。

 話に聞き入っていたこずゑは、顔を上げて、じっと成田の眼を見つめた。

「『こずゑさん』と言わないで。『こずゑ』と言って」

「『こずゑちゃん』と呼んでいい?」

 こっくり頷くと、こずゑは、胡坐をかいている成田のチョゴリの胸にしがみついていった。

 こずゑを受け止めた成田は、強く抱きしめたままで床に倒れ込むと、こずゑの唇を吸い、舌を絡めていった。こずゑは、無意識のうちに両腕で成田の首を抱いた。

 床のオンドルの熱が背中から太腿、脚の先まで広がった。

 長い長い接吻と抱擁だった。

唇を離して「熱いわ」と、こずゑが小さく洩らした。

 成田は、こずゑのカーデガンをとってやりながら「抱きたい」と小さく言った。

成田は、家具の前に折り畳んでいた布団を延べてこずゑをいざなうと、眼を閉じて仰向けになったこずゑの、ブラウスのボタンを丁寧に外していき、下着を脱がせ、自分のパジ(ズボン)の紐を解き、下穿きをもどかしく取り払うと、緊張した裸身をこずゑの柔肌の上に重ねていった。

 明るかった窓はいつの間にか、夜の帷に包まれようとしていた。

 こずゑに会い、思いの丈を吐き出してしまえば、落ち着きを取り戻し、自分なりに納得できる折り合いをつけられるのではという考えは、却って不安と恐怖心が膨らむばかりであった。

 身体検査も終わり、出征が取り消しになるような疾患でも見つかればという何の根拠もない淡い期待も簡単に裏切られた。

 入営が刻一刻と近づくなか、暮れも押し迫った十二月二十八日、太平通りの京城府民館で、小磯朝鮮総督臨席のもと出陣学徒壮行会が挙行された。

「諸子は……半島二千五百万同胞の儀表(模範)たるべきものとして最善の道を進みつつある……諸々の雑念環境から脱却して白紙に還りあたかも日の丸の旗を自らの心とし……」

小磯総督の大上段からの訓示が始まったとき、遮るようにして一人の学生が声を上げた。

 苦渋の決断を迫られ、向けどころのない憤怒が渦巻いている学生には、総督の訓示は白々しく聞くに堪えなかった。

「小磯総督におたずねいたします。総督はわれわれが出征したのち、朝鮮二千五百万の将来を確実に保障し得るや否や、明確な答弁を望みます」

 拘束されるかもしれない、わが身の危険を顧みず飛び出した学生の質問に、総督は言葉を失い訓示を中断した。気を取り直したように

「そのような疑心をもつ者は、皇国臣民としての訓練がまだ不足しているためといわないわけにはいかぬ」総督はいきり立った。

 会場には不穏な空気が流れ、混乱を恐れた官憲は発言した学生を連行していった。

 万感胸に迫る思いの万分の一も権力者にぶつけることのできなかった学生たちは、壮行会の後、街に繰り出し気勢をあげ、電車さえも止めてうっぷんを爆発させた。誰憚ることなくアリランを歌い踊った。交番を取り囲み、机の上の書類に小便をする輩さえいた。警察は、戦場にいく学生の無法に手出しをしなかった。抑圧すればどんな騒動に発展するかもしれないと恐れていた。

 成田もまた、鍾路の通りを占領する京城帝大学生の輪の中にいた。アリランを喉を嗄らして歌いながら、とめどなく涙をながしていた。

〈撃ちてし止まむ〉の垂れ幕が寒風に旗めく、本町入口の三越百貨店の前に迪とこずゑの姿があった。こずゑは手袋もせず、晒しの布を手にしている。

――成田先生に千人針を――という、こずゑの提案に、迪も同調し街角に立った。入営までに間に合うかどうかわからなかったが、こずゑは立たずにはいられなかった。武運長久を祈る千人針は、一針一針赤い糸を、道行く人に縫ってもらうお願いをしなければならない。

 こずゑは、第一高女の一級下の知り合いを訪ねて千人針を頼んだ。一学年下が寅年生まれで、寅年の人は自分の年齢の数だけ縫うことができる、とされていたからである。

 正月の三が日を過ぎた翌日に、伊礼が戻ってきた。

 千人針のことを知った伊礼は

「コジュヱちゃん、心配しないで」

と言いながら、こずゑから晒しを取りあげ、猛然と縫い目を増やしていった。電車の中といわず、所かまわずしゃにむにお願いする伊礼の厚かましさ逞しさに、迪もこずゑも目を瞠った。

「成田先生に届けてきなさい」

伊礼は、こずゑが二人になりたい気持も、出かけていく理由が見つからず悩んでいることも、何もかもわかっていた。孝子町の家のことだけは伊礼は知らない。

 一月二十日と決められた成田の入営の日も、こずゑが学校へ戻らなければならない日も目前に迫っていた。わずかな機会を見つけて二、三度の逢瀬は果たしていたが、千人針を持参した日が、二人になれる最後の日になった。

 二人は無言だった。話をすることは無駄な時間に思われた。顔を紅潮させた成田に抱きしめられ、熱い唇に覆われると、疼くような幸せな気分がこずゑの全身を貫き、駆け抜けた。一つになりたい、つながっていたいと激しく欲した。

 成田は一つに融合したままで、こずゑの髪から耳たぶ、頬を撫でた。両肩をなぞり、両の乳房をいたわるように手のひらに包み込んだ。乳房の形も固さも温もりも、掌に記憶させようと、強く弱く愛撫を続けた。

「もっと強く抱いて」

 こずゑは成田の頭を掻き抱いて、呻くように口にした。

「こずゑ、こずゑ」

 両腕をこずゑの後ろに回してきつく抱き締め、名前を繰り返し喉の奥から叫び続けた。

 成田の腕に頭を預けたままで長い間なごりを惜しむような時を過ごした。

 成田が天井に視線を向けたままで、独り言のように言った。

「こずゑちゃん、僕のわがままを聞いて」

「ええ、いいわ」

どんなわがままでも受け入れようと、こずゑは自分を納得させた。

「あそこに立って」

頼りない冬の陽が射し込んでいる濡れ縁との仕切りの障子窓を指差して

「一分間だけでいい、あの障子の前に立って、美しいこずゑちゃんの全身を僕に見せて」

 思いもしない成田の言葉に、こずゑは一瞬怯んだ。短い沈黙のあとに

「いいわ、あなたが望むことだったら」

「ありがとう。僕はこずゑちゃんと巡り合えたことに感謝する。僕はなんとしてでも君のところへ還ってくる」

 こずゑは一糸纏わぬ姿を成田の眼に晒した。

「どっちを向いて立っていればいいの?」

「前も、後ろも、横も全部」

 逆光線の中に立つこずゑの裸身を、成田は瞬きもせず凝視し続け、最後に眼を瞑ると、心のシャッターを押し続けた。 

十二

 こずゑが体の変調に気づかされたのは、学校が始まって間もない四月中旬のことだった。始まったといっても授業らしい授業にはならず、福岡近郊の工場での勤労動員であったり、校庭を掘り起こして作った畑の農作業、防空壕造りに忙殺されていた。

 歯を磨こうと歯磨き粉をつけた歯ブラシをもっていったときに、歯磨き粉の匂いに経験したことのない吐き気におそわれたのだった。周りに人がいないことが幸いしたが、こずゑはしばらくその場を動けずにいた。

 妊娠したことがわかったこずゑは、不思議な感覚を味わっていた。きらきら輝く生き物が芽生え、こずゑと成田の未来を祝福しているように思えた。この生命がある限り、成田は必ずこずゑのもとへ還ってくるという、確信めいた光が降り注ぎ、こずゑの心を満たした。この光は一瞬にして成田のもとへ届き、過酷な戦場にあって、いっときの至福の時間を共有したにちがいないと信じた。

 心を通い合わせた二人が結ばれ、新しい生命を宿したことは、こずゑの中では自然で(やま)しいことなど微塵もなく喜びであった。しかし外部の世界にあっては、こずゑの負うべき課題はあまりにも大きく、純粋な思いが通る道理がなかった。

 時間だけはすさまじい早さで過ぎていき、考えなければいけないこと、決断していかなければならないことがあまりにも多すぎた。意を決して両親には現実を話さなければならないが、どう話すべきか相談する人は誰もそばにいない。最大の理解者になるであろうレイちゃんも遠い。

 どうしても京城の家に戻らなければいけない事情ができたと寮監に伝え、京城へ帰ることを決断した。連絡もせずに突然帰宅すれば、何事かと家族が驚くことは目に見えているが、その勢いで話してしまうしかないと、こずゑは釜山行きの船に乗っていた。

 降り立った七月初旬の釜山のだらしなく降り続く梅雨空は、晴れ間の見える気配さえない。

 こずゑは釜山から京城の家へ電話をいれた。

「まあ、どうしたの? 何かあったの?」

電話口に出た迪の驚いている様子が目に見えるようであったが、

「手紙では用を足さない、どうしても会って話がしたいと思って。夜着くからね」

短く伝えて受話器をおいた。

 京城までの七時間ばかりの車中、こずゑは、まんじりともせず両親と向かい合った場面を繰り返し繰り返し想像し、想定される叱責や質問にどう答えるかを考え続けた。

 京城駅の改札口には伊礼が迎えに来ていた。

「おくさまに迎えに行くように言われました。何か大きな病気でもしたのじゃないのか、学校をやめたいと思って相談しに帰って来たのじゃないかと、心配されていますよ」

「そんなんじゃないの。レイちゃんにはちゃんと話して、相談もするからね。心配しなくていいよ」

 こずゑは伊礼を安心させようと無理に笑顔を作った。

 両親とこずゑが向かい合っている食卓の上には、伊礼が淹れてくれたお茶と急須だけが載っているが、だれも手をつけようとはしない。

「話すことがあるんだろう。ちゃんと分かり易く話しなさい」

 父の口ぶりは穏やかだが、何事かが起きる予感への緊張の切っ先が、こずゑに突き刺さるように向かってきた。

「わたし、赤ちゃんができたんです」

 こずゑは啓司の顔をしっかり見ていた。

「いまなんと言った。もう一度言ってくれ」

 聞えないはずがない、啓司の動揺が露わになった。「……もう一度」と口に出して落ち着こうとしている。

「赤ちゃんがいるのです、妊娠したんです」

「それはどういうことだ? 親の承諾も得ず、結婚したというのか?」

 冷静を装った口調とは裏腹に、食卓の縁に置いた手の腕が小刻みに震え始めた。

「いいえ、結婚はしていません」

「結婚していないのに、どうして子供ができる?」

「…………」

こずゑには答えようのない質問だ。

「誰だ、相手はだれだ?」

「今は言えません」

「誰かも言えないような……道理に外れたことを……」

 啓司の溢れ出る激情が障害となって言葉が途切れ、呻くような声を発すると、腰を浮かせるやいなや、啓司の平手がこずゑの左の頬を打った。こずゑには父親の掌の筋まで見え、卓上の湯呑茶碗が音をたてて倒れて転がり、お茶が流れ出た。

 啓司は食卓越しにこずゑの髪を掴んだ。

「あなた、やめて! 毅、レイちゃん!」

迪が啓司にしがみつきながら、切り裂くような叫び声を上げた。

 ただならぬ雰囲気に、自室に籠って息を顰め耳をそばだてていた伊礼は、迪の悲鳴にも似た呼び声に部屋を飛び出していった。

 これまでに見たこともない形相で、浴衣の裾を乱した啓司が、こずゑの髪を鷲づかみにして立っていた。迪は啓司の腕に取り縋り、懸命に啓司の腕を振り解こうとしていた。

 こずゑは、たじろぎもせず、昂然として椅子の背もたれを後ろ手にもってしがみついていた。

 伊礼は啓司に背を向けてこずゑに抱きついていった。

 二階から駆け下りてきた毅は、呆然として立ち尽くしていた。

 一時の興奮は和らぎ、これ以上の醜態は見せられないと、啓司は二階の書斎へ上っていった。机に向かって額に手をおき、啓司はこずゑが生まれてからの日々の記憶に思いを巡らた。

 こずゑには一度たりとも手を上げたことがなかったばかりでなく、迪がうるさく叱っているときに、迪を(たしな)めさえしてきた。夢に向かってすくすくと育っていき、幸せな人生を送ってほしいとの願いをこめて〈こずゑ〉と名づけた。これまで親の期待を裏切ることなく、これからも平穏な一生を送るにちがいない、またそれ以上のことも啓司は望んでいなかった。こともあろうに、そのこずゑが……。啓司はやはり冷静ではいられなかった。

 親元から離したことが間違いだったのだ。こずゑが情を通じた奴とは、いったいどこのどんな奴だ。こずゑがいかに心を許した奴でも、こんな無責任な、理性を持ち合わせない奴など絶対に許せない。啓司は憤りが沸沸とこみ上げてくるのを抑えることができなかった。

 相手は誰だと訊いたときに「いまは言えない」とこずゑが毅然として答えた。

「いまは言えない」とはどういう意味だろうという疑念が啓司を苛立たせた。毅然としたこずゑの態度にも啓司は思いを馳せ、一方ならぬこずゑの、決意さえ込められている確信に充ちたような返事に啓司は怯んだ。

 啓司はその夜一睡もできなかった。検事時代の最後の仕事が思い起こされた。

 総督府高官K氏の娘が生んだ子供の行く末の事件に係わり、悲惨な状況で死んでいった幼児の死体検分にも立ち会った。犬に食い千切られ、むき出しになった足の骨に目をそむけた。

 棄てられ土に埋められた幼児、追いつめられ殺人まで犯した土幕民の朝鮮人夫婦、不義の子を産み落としたK氏の娘、苦渋の選択を迫られ、金品を付けて養子に出したK氏。

 法は事件に連なった人々の深い思いを斟酌することなく、冷厳な処置をした。

 啓司には後味の悪い、やるせない思いだけが沈殿して忘れることができない。わが身に訪れた不測の事態をどう考えたらいいのか、何一つ答えが思い浮かばないままに、窓は明らんでいた。

 迪もまた眠ることがなかったばかりか、朝になって起き出すこともできなかった。

 こずゑの妊娠は、自分の娘時代を考えても想像だにできないことであった。幼い恋心を抱いたことはあったかもしれないが、恋愛の経験もなく、親の勧める通りに結婚をし、それが早いのか遅いのかもわからず、有福啓司と一緒になった。平坦な結婚生活を送り、二人の子供をもうけた。いささか無鉄砲で自由奔放な毅にはハラハラし、軍人を目指すような言動には気を揉み、恐怖さえ抱いているが、こずゑのことで心配するようなことはこれまでに何一つなかった。

 迪は注意してこずゑを見守っていなかった自分を責めた。母親としての務めを果たしていないと夫に責め立てられても言い訳もできない。申し訳ない気持で迪は胸が張り裂けそうだった。法を犯すことになる堕胎という大それたことも頭をよぎったが、法律家の夫を思うと、犯罪に手を染めることは埒外である。寝床の中で呆けたようになり、考えることは死ぬことだった。こずゑとお腹の子供を道連れに死んでしまえば申し訳が立ち、すべてが解決するのではないかと、死ぬ方法ばかりが頭の中を駆け巡っていた。

 伊礼は、何事もなかったかのように、いつもの朝と変わらず坦々と家事をこなしていたが、前夜の、こずゑの堂々とした振る舞いに、相手が成田烈しかいないと直感を働かせていた。成田烈とこずゑの間にははっきりとした将来の約束があるに違いないと伊礼は確信していた。成田烈の出征に際して、千人針を準備し始めたときの、こずゑの切羽詰った真剣な眼差しにも並々ならぬ思いが感じられた。伊礼が集めてきた数と早さに「レイちゃんありがとう」を、こずゑが何度も口にした熱意は、尋常なものではなかったと伊礼は感じ取っていた。頬を殴られても泣き叫ぶこともなく、相手が誰かを何度きかれても頑なに口を閉ざしていた裏には、母親になることへの決意と、成田が日本人ではないがゆえの、親の反対が目に見えていることに立ち向かう困難さを思ってのことに違いないと伊礼は察していた。

 こずゑの揺るぎない毅然とした姿に、伊礼はどこまでもこずゑの味方になろうと、母親そのものになっていた。

 啓司は仕事が手につかず、何の方策も思い浮かばないままに無為な日々が過ぎていく。

産まれてくる子供をどんな環境におけばいいのか相談できる人間もいない。迪は、死んでしまいたいというばかりで相談にもならなかった。

腹の膨らみも、そう思って見ると日に日に大きくなっていくようだ。総督府高官K氏の苦悩の深さ、大きさが身に沁みて理解できる。

妙案などどこにもなかった。考えられる対処を何度も何度も頭の中に箇条書きしては消し、また同じことを繰り返した。

家族以外には誰にも知られず、どこで出産し、だれが、どうやって育て面倒を見ればいいのか。啓司にもK氏が選択した養子に出すという手段しか思い浮かばなかったが、幼児の無残な死体が啓司の頭から離れない。どんな理由にせよ、産まれてくる子供は自分の血を引いた子供に変わりはない。悲惨な育ちをすることは家族に耐えられることではなかった。しかし家長として究極の決断をしなければいけない。

啓司は、迪、こずゑ、毅の三人を前にして自分の決断を伝えた。

「父無し(ててなし)子として育てるわけにはいかない。養子先を探す。これは考えに考えた末の結論だ。こずゑの将来を思えばこれしかない」

「いやです。私にそんなことできません! いやです、いや!」

 こずゑは拳を卓に打ちつけて泣き伏した。

「どこで、どうやって育てると言うのだ? できもしないことを言うんじゃない。これは命令だ」

 啓司は大声をあげた。

「おネエ、お父さんが言うとおり、それしかないよ」

 毅が言った。日頃に似合わない粛然とした口調だった。

こずゑは泣き止まなかった。

「どこに養子に出すのです?」

迪は、精神に異常を来たしているのではないかと思えるような、呆けた言い方をした。

「それを今から知恵を出して相談するのだ」

養子先のあてなどどこにもなかった。

台所の隅に立膝をして座り込み、チマに顔を埋めて話を聞いていた伊礼が、遠くから「だんなさま」と啓司に向かって言った。伊礼は泣いていた。これまで伊礼の泣いているところなど、誰も見たことがなかった。

「だんなさま、おくさま、私は有福家の家族ではありませんが、私にもお手伝いさせて下さい。その前にコジュヱちゃんと二人だけで話をさせて下さい。お願いします。余分なことを言ってすみません」

「いや、レイちゃん、私が悪かった。レイちゃんも家族だ、こっちへ来なさい」

 伊礼はこずゑの横に座り、こずゑの手を握りながら啓司を見据えている。猛獣と対面しても怯まないほどの眼差しだった。

「私はコジュヱちゃんの気持を聞いてあげたいのです。それから私のできることがあれば何でもします。だんなさま、お願いです」

「レイちゃん、ありがとう。レイちゃんは、こずゑが最も頼りにしているお姉さんだものな」

 啓司は深々と頭をさげた。

「こずゑ、それでいいか? 二人で話をしたら、それをみんなに聞かせてくれ」

 こずゑは下を向いたまま無言でこっくり頷いた。

 家族の話し合いがもたれた翌日、伊礼は三日間の暇をもらい、行き先を聞かないで欲しいと告げた。伊礼には期するところがあり、安城の実家へ帰っていった。

 伊礼もまた、産まれた子供を養子に出すしかないと考えていた。何年か前に聞いた捨て子事件のこともしっかりと頭に入っている上で、養子先を懸命に探したあげく、思いついて実家へ向かったのだった。

 伊礼の弟、仁植夫婦には、父親の死と入れ替わるようにして昨年十二月に男の子が誕生していた。

義妹は授乳ができると伊礼は咄嗟に思った。老いてはいるがまだ元気な自分の母親もいる。それ以上に赤の他人ではない安心感はなにものにも代え難い。充分な養育費を渡し家計の足しにもなると説得すればなんとかなる、と伊礼は直感から行動を起した。

 出産の場所も実家を説き伏せ、助産婦の手配まですませて、伊礼は意気揚々と京城の有福家へ帰ってきた。

「だんなさま、こずゑちゃんが言った通り、子供は養子に出すようになりましたが、約束をして欲しいことがあるのです。お産は安城の私の実家でします。病院ではないけどわかってください。私は助産婦さんのお願いもしてきました。私の甥を今年とり上げた人ですから絶対大丈夫です。それから……これが一番大事なことですが、養子を引き受けてくれる家はどこかを絶対に聞かないで下さい、こずゑちゃんにも教えられません。私を信じて下さい。養育費のお金が必要ですが、家賃の伝貰(チョンセ)わかりますか? その伝貰と同じような考えで、まとまったたくさんのお金が要ります。その家は、子供が大きくなるまでの費用を、預かったお金を運用した利益で養います」

「わかった。私なりにできるかぎりのお金は用意するよ。一つ条件があるけど、レイちゃん、やってくれるか? 一年に一回でいい、子供がちゃんと育っているのかどうかだけ、国民学校に入るときまで教えてもらえるよう、レイちゃんから頼んで欲しい」

「わかりました。私から約束するように言います。私が約束します」

 伊礼が実家へ出向く前日に、こずゑと伊礼は長い時間をかけて話し込んでいた。

私の赤ちゃん。養子なんて絶対いやだ――と、言い張ったこずゑを説得するつもりは、伊礼にはなかった。ただひたすら、こずゑの思いの丈を聞いてあげようと思った。

 少しずつ冷静になると、こずゑは「女は悲しい」と、ぽつりと言った。自分の力だけで育てようとすれば困難が多すぎた。

「父親がわからない子供を女手一つで育てることは、結婚して夫婦で育てる人の何倍もの苦労は目に見えている。そんな払う必要のない税金を払うようなことをなぜしなければいけないのだ。産まれてくる子供にも過重な負担になるだけのこと」

 父親の言い分は理が通っている。

「人間はなんてエゴイストなんでしょう」

 こずゑは独り言のように呟いた。

「エコ……スト? それは何?」

伊礼が聞いた。

「人間は、いや大人はみんな自分勝手、ということよ」

「でもコジュヱちゃん、今は生まれてくる赤ちゃんにとって、母親として何ができるのかを考えてあげることではないかな。何もかも捨てて、赤ちゃんだけを自分のそばにおくことが、赤ちゃんの幸せかどうか」

 こずゑには冷酷なことだとわかっていても、伊礼はきっぱりと言い切った。

「成田さんが還ってきたらどうしたらいいの?」

 伊礼を頼りきった安堵の言い方だった。

「その時はすぐに結婚しなさい。そして養子に出した家から子供を返してくれるように、二人でお願いすればいいよ」

 こずゑが、にっこりと、やっと笑顔を見せた。

捨子花(2)へつづく