越年蜻蛉

 キーセンパーティ――この言い方ほど野卑な言葉はない。毛村(けむら)雄平(ゆうへい)がそう思ったのは毛村自身が妓生同席の韓国料亭を経験し、日本人団体客の目にあまる行状の一端を知ったからにほかならない。

『妓生』と書いて〈キーセン〉と読むが、十世紀にはじまる高麗時代から存在した。本来は都にあっては宮廷の、地方にあっては役所に所属する官妓であり、上流階級の貴人の風流を取り持った。宴席では音曲を能くし舞を舞い、詩文を好んだ貴顕に詩を贈られれば即妙に返歌を作るほどの教養を具えていた。正三品や四品、従○品といった官位さえ贈られた官妓もいたのである。それが今では似ても似つかない、娼婦と変わらない買春ツアーの慰み者へと変貌してしまっている。

 毛村が二十七年ぶりにソウルへ行くことになったのは、日本人観光客の、観光というより買春が目的のツアーが非難の的になっていた昭和四十七年(一九七二)の六月下旬である。ソウル行きの機内はスチュワーデス以外全員男性ともいえるような異様さだった。

難産の末に成立し日韓の国交が回復した条約締結から七年が経過していた。

 毛村雄平が建設本部長を務める中堅建設会社が、韓国企業と合弁でソウル市内にホテルを建設することになり、第一回目の打ち合わせに、毛村に白羽の矢が立ってのソウル訪問である。

 毛村雄平は生まれてから十八歳まで、日本の支配下にあり当時京城(ケイジョウ)とよばれた現在のソウルで生活していた。官立京城工業学校の建築科在籍中に終戦を迎え、育った土地への惜別と傷心を胸に日本へ引揚げたのである。

――どうしても外せない用事ができた。昔朝鮮にいた君なら、韓国人の気持や考えることの機微もわかろうというものだ。私より君のほうが打ち合わせには適任かもしれないな。

 社長の加藤はひとり納得したように頷きながら、平取締役の毛村に代役を申し付けた。

 ソウル行きが決まると毛村は、旅券、査証の取得、コレラの予防接種と慌ただしい準備の合間を縫って、学生時代の韓国人同級生、(ユウ)哲暉(チョルヒ)に連絡をとった。何日の何時という約束はできないが、仕事の都合をつけて、半日ほどの時間をとることを決めて再会を約束した。

 ホテル経営の主体となる合弁会社の相手側韓国企業との初回の打ち合わせは、仲介役の日本商社ソウル駐在員がしばしば渋面を見せるほど難儀をきわめた。打ち合わせに三日を要しながら、二日間は外堀を堂々巡りするような核心に入らない無為な時間だった。

――こんな重要な打ち合わせに代表理事(社長)が来ないとはどういうことだ。

 全権を委任されているといくら毛村が申し立てても、格下の人間で用を済ませようとするのか、韓国人を見くびっていると言って、相手側の代表理事はツムジを曲げて会議出席を拒否した。肩書が何より大事という韓国社会の常識を毛村は思い知ることになった。

 礼を失しているという言い分には納得がいったが、建物の位置や向き、客室や諸施設の配置についての、毛村がもってきた日本側の大まかな素案に対して、〈風水〉を最優先して考えるべきだという韓国側の主張に、毛村は呆気に取られ言葉を失うほどだった。それは建設費用や機能性などを考慮に入れない荒唐無稽な申し出であった。

――これでは話は一歩も先へ進まないどころか、計画そのものがとん挫する。

 毛村の失望は大きかった。何のためにソウルへ来たのか意味がなく、無駄足になってしまうと落胆した。

風水――大地にも生命が宿っているとする、古くから韓国社会に根強く残る土俗信仰に則って墓地や建物の位置を決めることが、一族の安寧や企業の将来に繁栄がもたらされると多くの韓国人は頑なに信じているのだ。

 なんと非科学的で時代がかった考え方をするのか、毛村は四百年も五百年も昔の李朝時代に引き戻されているようだと嘆息し、反論する気力も失せていた。

「風水というものがどんなものか私は知りませんが、いまどき因習に囚われた考えはどうかと思いますが……」

 毛村が、あきれた、理解できないというニュアンスで穏やかに反論すると、

「日本では工事に入る前に、神社の僧侶みたいな人間(神官)を呼んで、儀式をするというではないですか。それこそわれわれ韓国人には理解できません」

 対座している二人の理事(取締役)の上席、朴理事が即座に返した。毛村は黙り込んでしまった。

「今夜は私どもで一席設けておりますので」

 三日目の会議後、商社の駐在員小西が宴席の案内をすると、下役の金理事が訊いてきた。

「場所はどこですか?」

接待は当然のことだというように尊大な口ぶりであるが、顔はほころんでいる。小西が料亭の名前をいうと、

「ずいぶん洒落た所をご存じなんですね。日本人は滅多に出入りしないでしょう」

 政府の高官も利用する仁寺洞(インサドン)の料亭だという。仁寺洞は鍾路(チョンノ)の大きな通りをパゴタ公園の脇から北へ入った狭い通りである。通りに面した商店街は、韓国風の平屋造りで古美術商や現代の高麗青磁や李朝白磁を商う店、工芸的な木工品を並べた店が軒を連ねている。昔からその裏手一帯には高級料亭が何軒も集まっていた。

韓国人二人の理事と、毛村、小西の四人は、雨の中を二人がやっと通れる足場の悪い路地を料亭へ向かった。開け放たれた観音開きの門をくぐると、こじんまりした韓式家屋の反り返った瓦屋根が中庭を間にして降りしきる雨を撥ねていた。

 通された十畳ばかりの、くすんだ黄色い油紙を敷き詰めたオンドル部屋には、壁に掲げられた漢詩の書と李朝の花鳥風月を描いた屏風以外食卓も何もない。ほどよい冷たさの床が快かった。

 満載した四人分の料理が白布のテーブルまるごと運ばれてきた。大胆な配膳の仕方は、日本人の毛村の感覚では情緒もなにもなかったが、銀製や真鍮製の食器には色とりどりの十種類以上の料理が盛られている。後から運ばれてきた汁物の配膳が終わると、三原色が縞模様になった厚手の座布団の席に着いた。二人ずつ向かい合わせに座ったが、隣りがずいぶんと離れていて遠い。

 琥珀色の酒がはいった小ぶりのグラスを取り上げた朴理事が乾杯を促した。舌に心地よいトロリとした甘い酒である。

「これは梨薑(りこう)酒という果物から造った食前酒ですよ。先に飲んでおけば悪酔いしません」

 朴理事の梨薑酒についての講釈に頷きながら飲み干すと、間を置かず、彩りも艶やかなチマ・チョゴリ姿の、四人の若い女性が丁寧なお辞儀をすませて、それぞれの男性の右側にチマを広げ、舞い降りたようにして席にはべった。緊張して能面のように無表情である。

 朴理事が自分の側についた女性に二言三言話しかけると、女性が席を立った。

「気にいらなければ女を取り替えることができるのです」

 注がれたビールのグラスを手にしながら、朴理事は毛村に要領を説明する。教えられても初めて経験する韓国式の宴席に毛村にはそんな余裕はない。交替した別の妓生が朴理事の横についた。

「食べたいものに目を向けて料理の品名を言えば、横についている妓生が食べさせてくれますデスよ」

 金理事は毛村の落ち着かない様子を楽しむように、韓国人らしい言い回しの日本語で言い添えた。手元には、菜箸ほどもある長さの、銀製の細長い箸とスプーンが置かれている。

「この()たちはあまり日本語がわかりませんよ。日本人の団体客用にはべる女たちは、日本語が上手らしいですな。小西さんはよくご存知でしょう」

 朴理事はなんでもわかっているといわんばかりに商社駐在員の小西に言った。

「どうしても同席させられる機会が多いですからね」小西がムッとした胸の内を抑えて素っ気なく答える。

 小西は、本社から言ってくる、取引先の使節団や招待旅行の接遇の多さにうんざりしていた。

 貸切バスで料亭に乗りつける日本人団体の狂態は、韓国人のみならず日本人の小西さえも目をそむける光景だった。

 市内の北の外れには、市民の目を避けるようにして、外面だけは豪華に飾り立てライトアップされた料亭が数軒、日本人の団体客を当て込んで建てられていた。宣伝文句は〝伝統ある建築美の韓国式割烹〟〝絢爛たる美、食卓狭しと並ぶ料理〟などの美辞麗句を並べ立てていた。韓国情緒にも料理にも関心のない、一夜の交歓だけが目的の取り繕った宴会が毎夜繰り広げられていた。すぐに破り捨ててしまう安っぽい包装紙のような、形式だけの宴席である。

 バス一台の宴席となれば三、四十人の客に同数の女性が同席し、総勢七、八十人の宴会となる。日本旅館の舞台付大広間ほどの会場である。靴を脱いだときに手にした番号札は、相方の女性を決める目印である。番号を呼ばれた女性は、片足を立膝し、チマを大きく広げて入口で挨拶しながら一人一人が客の横にはべっていく。そのたびに「おぉ~」という意味不明な歓声であったり笑いが起きたりした。それだけで十五分や二十分の時間を要した。

 宴がはじまっても男女の間に会話もほとんどない。言葉がよく通じないこともあるが、宴会や料理には大した興味もなく、女性をホテルへ連れ帰ることで男たちは頭がいっぱいになっている。酔眼で女性をなめ回し、大胆に手を出して女性に拒絶される光景も見受けられる。三人一組のバンドとチマ・チョゴリの歌手が、アコーデオンとギターで韓国の曲を歌い奏でる。それは誰もが知っている民謡の〈アリラン〉であったり〈トラジ〉であったりのお茶を濁すだけの数曲で退出する。真剣に耳を傾ける者などいないのだ。料理を堪能しようという者もいないままに、早々に席を立ちはじめる者までいる。次々に席を立ち、最後まで酒を飲む者は数えるほどになってしまい、足早にホテルへ引き上げていく。幾夜となく繰り返される場面に、小西は辟易し、異様という言葉しか思い浮かばなかった。

――日本人はセックスアニマルだ、という理事二人に小西は返す言葉もなかったが、同時に、やに下がって尊大に酒を注がせている理事たちのさもしい感情の機微を小西は見逃してはいなかった。

毛村雄平は自分についた妓生の顔を見たときに息が詰まるほど驚き、まともに目を合わせようとせず、正面にばかり目を向けていた。

――仕事を忘れて今宵を楽しみましょう。朴理事の勧めにも虚ろな返事をし、手元の酒にばかり手を出していた。理事二人は代わる代わる食卓に並ぶ料理の説明をして指差しながら盛んに食を勧めた。

――これは桔梗の根、トラジの和え物ですね、この魚はいしもち、サンチュの辛子酢の和え物、サツマイモの蔓、ゴマの葉のナムル……。多品種の料理が並んでいる。

「マッコリはご存知でしょう。マッコリはサバル(丼)を両手に持ってあおるようにして飲みますよ」

 朴、金の両理事は毛村に勧めて返杯を繰り返した。右隣の妓生が毛村の口元に左手を受け皿のように添えて箸を運んだ。毛村はわずかに口を突き出すだけで、横を見ることができないでいた。

「毛村さんは京城工業学校の建築科を卒業されたと聞いています。優秀だったんですね。われわれ韓国人はもちろん、当時の日本人にも難関だったそうですね」

「いや、学校と同窓生の名誉のためにも私が卒業したとは言いたくないのですが……、まあドサクサに紛れて卒業させてもらったということでしょうか」

「そんなことはない、ご謙遜を……」

「朴さんはどちらの学校を?」

同年配の朴理事に毛村が訊いた。

「私はペジェ(培材)中学、三年生で終戦、解放になりました」

 培材中学は朝鮮人だけの旧制私立中学だった。話の向きが昔のことに及びはじめると、毛村はますます横についた女性のことが気になってしかたがない。学生時代に見知っている女学生の横顔にあまりにも似ている。似ているというよりも生き写しなのだ。密かに思いを寄せていた女学生である。一歳違いの兄、未野(みの)秀國(ひでくに)が学科は違ったがラグビー部の同級生であった。痩身で足が速くキック力があることからフルバックのレギュラーポジションを早くから守っていた。未野とは好対照に背丈も体重もあり、相撲部や柔道部からも誘われていた毛村であったが、二人は気が合い朝鮮人と日本人を意識することもなく互いの家を行き来する仲でもあった。

 未野の父親は不動産関係の商売をしていた。未野が「不動産屋のことは朝鮮では〈福徳房〉というんだよ」と教えてくれ、暮らし向きは裕福そうに見えたから、手広く商売をやっていたのであろう。妹とは挨拶を交わす程度にしか話をした記憶はないが、毛村は未野の家へ行くことに胸をときめかせた。一目ぼれであったが気になってしかたがなかった。「俺より一歳下で、梨花女子に行っているよ」「東京の大学へ行きたいそうだ」などと妹のことを切れ切れに未野は話した。梨花高等女学校は、朝鮮上流階級の子女が通う学校である。

 毛村は妹の名前をどうしても思い出せない。未野の妹というだけで名前を訊きそびれていたのかもしれない。小ぶりの耳と上品に見える瓜実顔のあごのラインが印象的で、兄に似て細身のしなやかそうな体型をしていた。

 毛村は、途切れ途切れの記憶という古い日記をめくる。たびたび未野の家に遊びに行っても妹と顔を合わせることなく、半年近く経ってしまったことがあった。切ない時間を過ごせば過ごすほど会いたい思いが募り、たった一度だけ未野秀國に誘われもしなければ用事もないのに、朝鮮総督府のわきを入った孝子町の未野の家に出向いたこともあった。妹に会いたい、それだけのためだ。目を瞑り思い浮かべて自分を慰めたこともあった。

 いま横にはべる妓生は、まさかと思うが未野の妹の子供なのではないだろうか。とうてい他人の空似とは思えない。名前を訊いてみようかとも思ったが、本名を言うはずがない。言っても源氏名に決まっている。ましてや親や親族のことを訊いても答えるはずがなかった。

 男の本性は皆同じで、おまえの下心は見透かしているとでもいうように、朴理事が酔いにまかせて毛村に言った。

「今日の()たちは、そのへんの偽キーセンとは違って、簡単にはホテルへは行きませんよ。でもあなたの腕しだいです」

 卑猥な眼差しを毛村に投げながら上腕をさすり、声に出して笑った。

 下世話な話題を遮るように、鼓を抱えた韓服の男と伽耶(カヤ)(グム)という楽器を持った中年の女性、純白の絹のチマ・チョゴリに扇を手にした若い女性の三人組が部屋に入ってきた。

 伽耶琴の女性が歌い、立ち方の若い踊り子が舞った。チマを膨らませ大ぶりの扇を両手に持って孔雀のように大きく広げ、途切れることなく回転しながら舞った。日本舞踊が静ならば、動が韓国舞踊の基本のようだ。

 歌い踊った時間は十二、三分だったが、毛村が右を向いて舞いを鑑賞している間じゅう、視界の中には、側についている妓生の生気に乏しい横顔があった。薄いベージュ、くすんだ(わら)色のチョゴリ(上衣)が首筋から顔にかけてグラデーションがかかったようにその色は溶け合っていた。化粧のせいだけではないようだ。

 三人の楽士が演奏を終えて退室すると、向き直った妓生が空いたグラスにビールを満たした。

 ずいぶん飲んだなあ、酔ってしまったかなと思いながら妓生に目がいったときにはじめて正面から目が合った。酔っているとはいえ、その顔は妹というよりも未野秀國の顔立ちに近いようにも思われた。細面で鼻筋が通った懐かしい未野の顔をしている。毛村は、妓生が未野に血が繋がっていることをもう疑わなかった。

 妓生が向かい側の朴理事に何事か話しかけると、朴理事は鷹揚に頷きながら短く返事した。「ほんのちょっと席を外していいか」と言うから許可したと理事は毛村に説明した。妓生がいなくなったことに緊張が解けたようでむしろホッとしていた。世の中には生き写しの人間が三人いるというが、そんな偶然の空似とはとても思えなかった。

――未野秀國に会えないものだろうか、あわよくば妹にも。明日会うことにしている柳哲暉に訊けば、なんとか連絡をつけてくれるだろう。

 降り止まない雨の中を毛村は商社員の小西に送られて、投宿しているコリアナホテルへ帰り着いた。タクシーのシートに身体を深くあずけた毛村は半ば朦朧として、小西の話にも空ろな返事をしていた。

「理事二人にはまいりますよ、妓生へのチップも払っておいてくれと言うのですから。チップは個人負担だというのが常識ですよ」

 何もわからない毛村は、小西に訊いて一万ウォン札をテーブルに置いたような気がする。日本円で六千円くらいにはなるだろう。

「妓生たちを連れてもう一軒行こうと言われましたが、毛村さんもだいぶ酔っておられるようなので断りました」

「ホテルのバーでもう少し……と言っていましたね」

「彼らは、今夜は帰宅しないつもりですよ」遅くなれば帰れなくなることを二人は計算づくだと、小西が軽蔑するように言った。

 解放後のアメリカ軍政時代から続く夜間通行禁止を口実に、夜遊びを目論んでいるという。夜間の零時から午前四時までは一切の通行が止められ、軍や警察の車両以外はどんな通りにも車も人も見当たらなくなる、通称〈通禁(トングム)〉といわれる制度である。韓国動乱は一九五三年に停戦となったが、準戦時体制は続いて、緊張感は至るところに見受けられた。

「私たちの手前、今日の妓生たちはホテルへは同行しませんと言っていましたが、そんなことはないのです」

 毛村も妓生との同衾をすこしは期待しないわけではなかったが、未野の妹と生き写しの妓に声をかけるどころか、脇からスッと汗が流れるようなうす気味悪さに、その気も失せた。

 小西は、足元が覚束ない毛村を部屋まで送り届けると、降りしきる雨の中を帰っていった。

 毛村は上着も取らず、窓際のソファに体を委ねている。窓から見えるビル群には雨のとばりが下りて霞んでいた。

酔ってはいるが頭の芯は醒めている。横にいた妓生はほんとうに未野の妹に似ていたのだろうか。自分の思い入れが過ぎていただけではないのだろうか。ソウルは毛村の想像していたよりもはるかに大きな変貌を遂げている。それでも旧植民者の一方的な独りよがりとはいえ、この街はやはり自分の故郷なのだ。その思いが強ければ強いほど、記憶にある京城の痕跡を探し求める気持が、未野の妹の面影を妓生に重ねようとしていたのに違いない。実際はそれほど似てはいなかったのではないだろうか。

甘さとほろ苦さがほどよく混じって芳醇だった朝鮮での青春を自分だけの胸にしまい込んで、もうあの妓生のことを考えるのはやめにしようと思いながら、毛村はソファの中に埋もれるように眠り込んでいた。

 ドアを叩く音と部屋のチャイムが交互に続いている。その音で目覚めた毛村は、自分がいま何処にいるのか咄嗟に思い浮かばなかった。ベッドメイクされたままの手つかずのツインベッドを目にしてやっとそこがソウルのホテルであるとわかった。

 ドアの外の音は続いていた。毛村はようやく金縛りが解けたようにして立ち上がり、ドアを開けた。スーツを身に着けたあの女性が立っていた。一瞬誰だかわからなかった。

「中に……イイデスカ?」それだけを知っているようなぎこちない日本語で言った。 

 女性の服は、宴席で着けていたチョゴリと全く同じ薄いベージュの上下のスーツである。派手な原色の他の妓生から一人だけかけ離れた地味な中間色のチョゴリが場違いで、かえって目立っていた。

 部屋に招じ入れた毛村の頭からは、淫靡な妄想は消えていた。女性の正体を知りたいという一点だけである。

 二人の理事の差し金で来たのか、日本語が少しはわかるのかを矢継ぎ早に訊いた。日本語はほどほどにわかり、漢字の筆談を交えれば話は全部通じると手振りを交えて言った。

「自分の考えで来ました」真剣な眼差しで告げた。

 毛村はビールを応接のテーブルに置き、二つのグラスに注いで勧めた。

「君は何という名前なんだ?」

「チュ オクヒ」

 備え付けのメモ用紙に〈朱玉姫〉と書いた。

「……玉姫? それ本名かい?」

 真顔で頷いたように見えた。毛村には思い当たる名前ではない。未野という日本名しか知らないのだから妹の名前など知る由もなく、〈朱玉姫〉など記憶のどこにもなかった。

「兄さんはいないかね?」

 質問して毛村は苦笑した。いたとしても時代が違いすぎる。兄ではなく、父親や叔父の名前を訊くべきなのだ。ばかげた質問だ。

「お父さんや叔父さんの名前は?」

 そんな不可解な問いに答えるはずがないと思いながらも口にした。

 玉姫はわずかに顔をほころばせたが何も答えず、毛村が考えもしないことを唐突に言い出した。

「私はアナタの名前わかります。ケムラさんです」

「そりゃわかるさ。さっきまで二時間ばかり側にいたからな。みんな毛村さんと呼びかけていたよ」

 玉姫はメモ用紙を手にしながら言った。

「漢字で〈毛〉です」

 毛村はペンを取って〈毛村〉と書いて見せた。

「アナタの会社の社長様は〈カトウ〉ですか?」

「そうだけど……」

――なぜ社長の名前を知っている? 宴席では社長のことは話題にも出なかったはずだ。

「なぜそんなことがわかる?」

「ムーダンが言いました」

「……?」

「〈巫堂〉と書きます。韓国の占い師のことです」

 毛村はまたか、とウンザリした。商談の席では風水説、こんどは占いかと思いながら酔いも醒めていくようだった。

 巫堂(ムーダン)は韓国に古くから伝わる土着の、巫俗(ぶぞく)と呼ばれるシャーマニズムのことである。李氏朝鮮時代になって排斥されながらも民間に根付き、現代まで続く根強い信仰を庶民の間に集めている。祈りの歌や踊り、(かね)太鼓で囃し、病気の治療を行い、死者の供養をする。どうしたら病気が治り、人が幸福になれるかを信者に伝える〈クッ(巫儀)〉という祭礼をするものだ。何日も続くこともある。

 玉姫は巫堂を信じていた。ひどい偏頭痛に悩まされ、どんな薬を飲んでも治らなかった。巫堂は玉姫にお告げをした。

――あなたは〈()〉という姓の人に出会えば頭痛は治る。〈毛〉という人に巡り会ったら、その人に抱きつきなさい。長い間抱きついていればいるほどよい。〈毛〉という姓は韓国にあるが少数だ。

「アナタたちの食事中に、韓国人の理事様に訊きました。『ケムラ』とはどんな字を書くのかと。それでアナタが〈毛村〉だとわかりました。だれかにアナタの部屋へ行け、と言われたのではないのです。巫堂が言っていた〈毛という人〉というのはアナタのことだと思いました」

「私のことはわかったが、社長の名前はどうしてわかる?」

「理事さんが言いました。私はときどきひどい頭痛が起きます。〈カトウ〉という日本人に会っても、頭痛が治ると巫堂が言いました」

 毛村は輪廻というものや宗教的な奇跡を信じてはいなかったが、玉姫のいう巫堂のお告げには、偶然な符合と一概に否定できない思いがした。一笑に付そうとすればするほど、もっと玉姫のことを詳しく知りたいと思った。何か底知れない、自分との因縁があるのではないか。

 十時を少し過ぎたばかりだ。通行禁止の十二時を考えても小一時間ばかりは話を聞けるかもしれない。もし話が長引いても、そのときは……。一度は打ち消しておきながら、毛村には旅先という非日常にありがちな、男の欲望の端を掠めるものがよぎった。また一方では、玉姫にチョッカイを出したが最後、何かとてつもない不吉なこと、たとえば飛行機の墜落事故のようなものに遭遇し、死が最初から予定されていたものとなるような不運が待っているのではないかと恐れた。玉姫の顔色や口ぶりは、魔性の匂いを発しているように感じられた。両腕に鳥肌が広がった。

 玉姫がビール瓶を手にしてグラスに注ぐのを見て、毛村は、あれっ? と口にしそうになった。瓶を左手に持っていることに違和感を覚えた。宴席での玉姫はたしか右手で酌をしたのではなかったか。

 怖いもの見たさからか毛村は玉姫をバーに誘った。

「二十二階のバーではまだ飲めそうだ。そこで少し話をしよう」

 玉姫は毛村に素直に従った。玉姫は、巫堂のお告げに従って、どこかで毛村に抱きつくきっかけを見つけなければならなかった。

 (チュ)(オク)()の偏頭痛がひどくなるのはいつも同じ状況のときだった。

 玉姫の住まいはソウルの南を流れる大河漢江(ハンガン)の南岸、永登浦(ヨンドゥンポ)の独り部屋の下宿だ。周りには町工場も多く、貧しい人々がひしめき合って生きている一角である。

 玉姫の仕事は、ソウル中心部にある百貨店の、韓国土産品売り場の店員である。最近になって日本人観光客も多く、日本語に接する機会が増え堪能とはいえないがほぼ理解できる。半年ばかり前から姉に誘われて、夜の料亭で酔客相手のアルバイトをするようになった。ひと月に何度か仁寺洞の決まった高級料亭で、主な客は韓国人の金持ちや政府関係の人間ばかりであるが、泊りを強要されることはほとんどない勤めである。

 百貨店への通勤はバスを利用しているが、毎日の行き帰りには漢江の橋を渡ることになる。日頃は健康な玉姫であるが、決まって偏頭痛に悩まされるときがある。長雨や大雨のあと必ず偏頭痛がはじまり、水嵩が増し黄濁した河の流れを目にし、濁流の音を耳にすると、こめかみから頭全体に痛みが広がり、断続的に激しい頭痛に襲われた。雨あがりの濁流のことを医者に言っても、そんなことと偏頭痛には何の因果関係もないと無視され、処方の薬を与えられるだけだった。

 偏頭痛が続くなかで見る浅い眠りの夢は、いつも同じようなものだった。戦場の中を裸足で走り、泥に汚れた白いチマに足を取られ、長く伸びた水草が纏わりつくようだ。気ばかり焦るが前に進むことが覚束ない。苛立たしい思いをしているうちに意識を失い、気がつくと大きな河の岸辺に倒れている夢がたびたび現れた。岸辺から見える河の流れはいつも渦巻く濁流だった。それはいつの時代が舞台なのか、場所がどこなのかもはっきりしない。

 偏頭痛がはじまると、玉姫は二、三日は仕事を休んだ。食欲もなくなり、ときには吐き気さえ催した。何もせず横になっているとなんとか耐えることができる。そのたびに下宿のアジュマ(おばさん)は、他の下宿人とは別メニューのお粥仕立ての朝食を作り甲斐々々しく看病をしてくれた。お節介だが情が深い。

「アンタ姉さんがいると言っていたね。姉さんも同じように頭痛持ち? なに、なんともないの? それじゃ遺伝でもなさそうだ」

 姉といっても……それ以上詮索されたくないと口を噤み、アジュマの言いなりになろうと玉姫は思った。姉の(スン)()はソウル東部の、城東区のアパートに一人住まいだった。

 アジュマは、母親のように一方的に命令口調で言った。

「玉姫や、それはいくら病院に行っても治らないと思うよ。何かの厄病神が取り憑いているのよ。巫堂に相談するのが一番だよ。私が信頼できる巫堂に頼んであげる」

 アジュマは一方的に決めてしまう。

「そんなとき多くの人は教会へ行って祈ります。私もそうしようと考えていたのですが……」

「あんなもの効き目なんかないよ。キリストなんてたかだか二千年足らずのことでしょ。巫堂は、半万年の歴史があるわが国の始りから続くもの……」

 アジュマはしたり顔で自信満々に続ける。

「巫堂というのは先祖の人たちの話が聞けるのよ。巫堂にご先祖様が何を言っているのか聞き出してもらい、お告げ通りにして供養をすれば病気は治る」

 医者の手に負えない不治の病には必ず前世からの因果が絡んでいる。それがどんな因果なのかは凡人にはわからないが、死者と交信できる優秀な巫堂なら、きっと病気の原因と解決法を教えてくれるとアジュマは言い張って、渋る玉姫を仁旺山中腹の巫堂の家へ引っ張っていった。

 その家は、景福宮を見下ろす狭い急坂の途中にあった。下宿のアジュマに連れてきてもらわなければわからない、入り組んだ路地だ。なんの変哲もない鄙びた感じの民家だったが、薄暗い室内には〈クッ(巫儀)〉に使う鉾のような巫具が壁に立掛けてあり、酒や果物の神饌(しんせん)の台があるだけだ。老婆が手持ち無沙汰にタバコをふかしていた。

 アジュマが、長雨や濁流のことを交えて、玉姫の症状を一通り説明した。

 玉姫は老婆に促されて、姓名、出生地、生年月日など通り一遍のことを書いた。

 一九五〇年二月○日光州近郊の生まれで、本貫(韓国式本籍)は全羅南道新安朱氏と書いた紙を差し出すと、それではだめだといわんばかりに生年月日を指差しながら、舐め回すように玉姫を見ていたが、

「アンタなかなかの美人だけど、顔色が悪い、顔が死んでいるよ。……それから一九五〇年ではわからない。檀紀何年かね? 韓民族は檀紀で書くもんじゃ」

 西暦との対比表を取り出して韓国式暦に書き直せという。玉姫は〈檀紀四二八三年〉と書き換えた。〈クッ(巫儀)〉を執り行う日はあとで知らせるから出直すようにいわれた。

 半信半疑ながら藁をもすがる思いだった玉姫は、指定された日に一人で出かけていった。 

「アンタのご先祖様は七、八代前まで遡って、少なくとも二人が自然死ではない。それも二人とも女だよ。自殺や戦争死、事故死など非業の死というものだよ。七、八代といっても四百年ばかり前からのことでそんなに昔でもないね」

「私のハルモニ(お祖母さん)の、ずっと前のハルモニということですか?」

「ハルモニとは限らないよ、アンタの一族のだれかということ。アンタはその人たちの生まれ変わりだと霊が言っているよ」

 玉姫は記憶の片隅に、非業の死を遂げた人を知っているような気がして悪寒が走った。自分には、若くして命を絶つことになった人の無念の思いが身体の奥深く残っているのではないか、それが巫堂の言う生まれ変わりなのではないのだろうか。

「夢の中に出てくる濁流というのは、どこだか河の名前はわからないが、洛東江に注ぐ支流みたいだよ」

 国民学校(小学校)に入る前だから五歳ごろのことであろう。祖母からおとぎ話のようにして何度も何度も聞かされた朱一族の物語に出てくる慶尚南道の河のことを巫堂は言っている。玉姫は行ったことも見たこともない河だ。

 五千年の長い歴史からみれば、四百年なんて春夏秋冬が一巡りしたくらいのものさとも老巫堂は言った。

「アンタの不治の病はそのご先祖様の〈(ハン)〉を解けば治るよ」

 ――〈恨〉を解く――とはなんだろうか。願いを叶えられず未練がましく死んでいった人たちの思いを叶えてやることだというが、私が何をするというのだろうか。〈恨〉を解いてやれば私の偏頭痛が治るのなら……。玉姫は祖母が繰り返し話してくれた一族の物語は身体に染み込んでいる。

 昔々の話さ、と言って祖母は話し始める。

姉の純姫と玉姫は熱心に耳を傾ける。

「虎が煙草吸っていたの?」昔々の話はかならず――虎が煙草を吸っていたころ……から始まるのだった。

「そんなに昔じゃないよ」祖母は笑いながら話した。

――朱家のご先祖様たちは、お米や野菜がたくさん獲れる暖かいところに住んでいたのさ。おまえたちには難しいが全羅南道の長生というところだった。そのころ倭奴(ウェノム)(日本人)という悪いやつらがたくさんの船に乗ってこの国へ攻めてきたんだよ……

 日本全土を平定した豊臣秀吉は、中国大陸の明までも領土にしようという野望を抱き、肥前の名護屋に本陣を構え、朝鮮に明への先導役をさせるという名目で李氏朝鮮に大軍を送った。抵抗を試みた李氏朝鮮であったが、戦国時代を経た百戦錬磨の日本軍の敵ではなかった。小西行長軍を先鋒とした日本は瞬く間に朝鮮の大半を席捲し、明との国境豆満江岸まで攻め上がった。一五九二年にはじまった文禄・慶長の役といわれるもので、朝鮮ではその干支から壬辰倭乱と呼ばれた。豊臣秀吉が没する一五九八年まで続き、朝鮮全土の王宮、名刹までも焼き尽くす戦乱となった。

 いまでもそうであるが全羅道は朝鮮の穀倉地帯である。日本軍は兵糧の現地調達を目論み、全羅道への侵略を試みるが、朝鮮の激しい抵抗にあって陥落できずにいた。手を拱いて何もできない李朝政府軍に代わって日本軍に立ち向かったのは農民を中心とする義兵であった。

 全羅道の穀倉をめぐる両軍の攻防は、全羅道への要衝、慶尚南道晋州城で対峙することになった。第二次晋州城の戦いである。

 堅城を誇る晋州城を黒田長政、加藤清正、鍋島直茂、島津義弘、宇喜田秀家らの九万余の軍勢が包囲した。対する朝鮮軍は慶尚道右兵使の崔慶会や義兵わずか三千名、晋州の女、子供までもが城に立て籠もり必死の抵抗をしたが多勢に無勢、崔慶会をはじめほとんどの兵は憤死であった。

 祖母は自分も話の中に入り込んだように、感情を込め朗々として語り聞かせる。

――崔慶会将軍に仕える若い娘がいたよ、名前を(チュ)論介(ノンゲ)というの。崔将軍はお城の守りを王様に命じられると、兵を率いて晋州へ向かった。そのとき崔将軍にどうしてもついていく、自分も倭軍と戦いたいと論介は将軍に頼んだ。国を思う気持が誰よりも強かったのだね。論介は刀や鉄砲の少ないわが軍を助けるために倭奴に投げつける石や岩を集め一所懸命に働いたよ。たくさんの石はチマの裾に抱えて運んだそうだ。しかし晋州の城を守ることはできなかっただけではなく、崔将軍は死んでしまった。論介は将軍の仇を討つと心に誓ったそうだ……。

 難攻不落を誇った晋州城も日本軍の猛攻の前に落城した。一五九三年六月二十九日であった。

 戦い終えた日本軍の武将たちは、大河洛東江の支流南江を望む楼閣矗石楼(ちくせきろう)に祝勝の宴を張った。酒宴には芸妓が必要であった。晋州一円から妓生が集められたが、地方官庁に隷属する官妓とよばれる妓生が主な芸妓であった。

 朱論介は崔慶会の赴くところに同道することがあったようで、官妓ではなく崔慶会の側室の役目を担っていたのかもしれない。崔慶会を亡くした論介は日本軍への嗔恚(しんい)の炎を燃やし、何か期するものがあった。

 論介は芸妓のように着飾り、矗石楼の宴に集められた色とりどりの官妓たちに紛れ込んで登楼した。そして宴たけなわの中、一人抜け出し南江の急流に洗われる一つの岩の上に立つと、媚びるように、舞を舞うようにして宴席の武将を誘った。

「河の流れを屏風のように見せて舞う風流な芸妓がいるぞ。面白いではないか」

 力士のように恰幅のいい一人の武将が、大ぶりの盃を片手に岩へ下りて行った。加藤清正配下の勇猛な武将、()谷村(やむら)六助(ろくすけ)であった。

 六助が、艶然と微笑む論介に盃を差し出すと、論介は腰をかがめ受け取った。一口盃を唇にあて、仁王立ちの六助に盃を返した。

 六助が盃をあおったときであった。論介は酔ったような仕草で毛谷村六助の腰にまとわりつくや否や、満身の力をこめて南江の濁流に六助もろとも身を投げたのである。

――論介は崔慶会将軍の仇をうち、日本軍の武将たちを震え上がらせた。国を思う心は、後々のこの国の人たちに語り継がれ、国じゅうの人で論介を知らない人はいない。それはわが朱一族の誇りなんだよ。よく覚えておきなさい。論介は卑しい妓生だったと言う人がいるが、決してそんなことはない。朱一族は立派な両班の家なんだよ……。

 姉妹の祖母は、二人が七歳になっても十歳になっても同じ物語を語って聞かせたものだった。

コリアナホテル二十二階のバー〝李白〟には数人の客がいるだけで空いていた。毛村と玉姫は横に並んで席をとった。向き合わずにすんで落ち着いた。話し易い。

「君が生まれたのは、このソウルの孝子町ではないですか?」

「孝子町?」

 筆談を交えての会話はまどろっこしいが仕方がない。毛村は〈孝子町〉とメモ紙に書いた。

「あ~、孝子(ヒョジャ)(ドン)のことですか、違います。私の故郷は全羅北道の大田(テジョン)の近くです」

「孝子洞に親戚はいないですか?」

「だれもいません。どうしてそんなことを?」

「いや、昔この街に住んでいたときに、韓国人の友人の家が孝子洞にあったのです。その妹が……」

 毛村は言いよどんだ。玉姫がその妹にそっくりだと言っていいものかどうか、言ってしまえば何か不吉なことが身に降りかかるような不安を覚えていた。

「その妹さんと私が、何か関係がないかと言いたいのですか?」

 感のいい玉姫が怪訝そうな顔を向けた。

「そうではなくて、彼女がその時分梨花高等女学校の学生で……梨花はこの近くだと思ったものだから」

 しどろもどろになりながら話をはぐらかすようにして、毛村はグラスに手を伸ばし、タバコに火を点けた。口をつぐんで間をおいた毛村は、それにしてもこの娘は思いのほか日本語を理解し話ができる、まるで宴席での玉姫とは別人のようだと不思議な気がした。

「近いです。このホテルの後ろです」

 京城放送局や京城第一高女や京城中学も近くにあったはずだ。このホテルの場所は何だったのだろうか。

「ロシア公使館も近かったと思うが、ソ連と国交がないから今はないでしょう」

「建物の一部が少し残っていますよ。明日、朝の散歩しましょうか?」

 この娘は泊まっていくつもりだ。毛村は不吉を避けておきたい気持と期待が交錯し、心臓が鳴り体の内側を揺るがせた。

「暗いけどこのホテルから梨花は見えますよ。あとで裏に行ってみましょう」

 玉姫は毛村の右腕に手を絡ませて体を寄せてきた。胸の膨らみが腕をくすぐる。毛村は右半身を強張らせたが、そのままに預けていた。

「韓国人女性は身体の大きい男を好きです」玉姫は甘えるように言った。

 左手でグラスのタブレットをなぞるようなさり気ない仕草で、毛村は時計に目を遣った。疾うに十一時を過ぎていた。

「カジャ(行こう)」

記憶の隅にあった韓国語を口にした。たわむれに使ったことのある言葉だった。

 毛村の部屋があるフロアまでの十五秒ばかりのエレベータの中では、毛村の胸の内を見透かしたように、玉姫は潤んだ目をして見上げ、毛村の体に両腕を回してきた。玉姫の微かな香水の香りが、酔いがまわった毛村の欲情をくすぐった。

 エレベータの前には、居眠りから醒めたような顔をしたフロアボーイが腰高の受付台に座っていた。毛村から離れた玉姫が、フロアボーイと何ごとか話しはじめた。毛村にはその様子が霞んで見えた。ボーイはエレベータ横の、非常口灯下のドアを開けた。外階段のテラスのようになった踊り場に立ち、玉姫は毛村の背に手を回した。

「毛村さん、ここからホテルの裏側がみんな見えます」

玉姫は毛村を外階段へいざなった。小雨に煙ってはいたが、小高くなった丘の斜面のところどころには明かりが灯っていた。

「あれが梨花……」

胸を押しつけ背から回された玉姫の手の甲を、暗がりの中で毛村は包むようにして握ったかと思うと即座に手を離した。玉姫の手は老婆の(しな)びた手のように細く、皺がよって冷たかった。首筋がけば立つように冷気が這い上がってきて毛村は頭からつま先まで全身が硬直した。

 寒さを覚えて意識がはっきりしたときには、毛村はベッドの上に仰向けになっていた。背広の上着はどこにも見当たらず、だらしなくネクタイを緩めただけで、ブランケットもベッドメイクされたままであった。

 毛村は玉姫を捜した。部屋にはだれも居ず、カーテンは開け放たれ真正面から朝の光が鋭く射し込んでいた。隣のベッドには皺ひとつなかった。どうやって部屋へ戻ったのか、非常口の外へ出たあとからの時間が消滅したようにして朝になっていた。

 応接セットのテーブルの上にビールの二つのグラスがだらしなく残っていた。玉姫はいつ帰っていったのであろうか。零時から四時まではどこへも行けないはずだ。テーブルには〈朱玉姫〉と〈毛村〉と筆談したあとのメモ用紙も残されたままであった。毛村は折り畳んだメモをズボンのポケットに入れた。

 毛村は、再会を約束していた学友の(ユウ)哲暉(チョルヒ)に連絡した。柳は乙支路(ウルチロ)四街で建築設計事務所を開いている。

 迷うといけないからタクシーで来いという忠告を無視して、毛村は太平路のホテルから歩いていくことにした。乙支路四街というのは昔の黄金町四丁目のことだろう。体が覚えている距離感では大した道のりではない。約束の時間まで充分すぎるほどの時刻だ。日本時代の建物も見てみたいと思った。

 朝鮮総督府だった中央政庁、京城府庁のソウル市庁舎、ホテルの隣にある国会議事堂はシティホールだった京城府民館だ。どれもが建築の専門家ならずとも見る価値があり、毛村にとっては懐かしい建築物でもある。

上下をクリーム色と緑に塗り分けられた路面電車で太平路を右に折れて鍾路の大きな通りを通学した。懐かしさがこみ上げてきて、毛村は引っ張られるように鍾路を歩いて母校の京城工業まで行こうと思った。柳哲暉の事務所がある乙支路よりも一つ北の通りで大回りになってしまうが、足はすでに鍾路の交差点へ向いていた。右に折れて東大門へ向かって行くと左側に見覚えのある横長のビルが目に入った。通りの中心に位置するYMCAである。

前夜の料亭への仁寺洞通りとパゴタ公園をやり過ごして、鍾路四街の交差点にさしかかったときであった。薄青に霜降りの学生服に学帽で向かってくる二人の学生に目を留めた。声を上げそうになった。毛村は歩道の端に身を潜め学生に見入った。背丈のある二人の学生は親しげに談笑しながら通り過ぎた。

 未野秀國と毛村雄平自身だった。

 冷気が走った。毛村は勇気を奮い起こすようにして、通り過ぎた学生の背中に咄嗟に呼びかけていた。

「毛村

 何の反応もなかった。

「未野じゃないか

 学生は立ち止まって振り向いたが、誰に呼ばれたのかわからなかったように歩き出し、人混みに紛れて行ってしまった。

 現実離れした幻想や妄想なのだ。いや数分間、時間と空間が混線したのだ。その証拠に路面電車はなく、バスがひっきりなしに路側に連なって止まり、若い(アガシ)の車掌がバスのボディを激しく叩き、喧騒の中へ次々と発車を繰り返している。

 毛村はこれまで考えたこともない超常現象や怨霊、祟りといったことを思わずにはいられなかった。山奥の仏閣や、廃墟となった曰く付きの病院を舞台にしたホラー映画ならいざ知らず、地下鉄も走る近代都市に生まれ変わっているソウルの中心部で、非科学的な現象が顕れることなどあり得ないと思いながらも、必死になって打ち消そうとすること自体が、昨夜から続く朱玉姫との奇妙な出来事を事実として肯定しているのではないかと立ち竦んでいた。

 非科学的で現実離れした体験を、二十七年ぶりに会う旧友に話せば一笑に付されるに違いないが、未野兄妹のことだけはどうしても訊きたいと思った。

 毛村は母校を見ることを断念して、鍾路の大通りを横切り黄金町通りだった乙支路の、柳哲暉の事務所へ足を向けた。

 柳哲暉は学生時代と変わりない若々しく威勢のいい声を出して毛村を迎え入れた。昔の坊主頭が黒々とした長髪に変わっているだけのようだった。電話口ではお互いに畏まって、柳君、毛村君と呼び合ったが、会ってしまえばいつの間にか二十七年の歳月を飛び越えて、俺、おまえに変わった。

「手広くやっているようだな。繁盛でなにより」

 いくつもの製図板と、仕事に熱中している数人の社員が見受けられた。柳哲暉はいま手がけている最も大きな物件のパース画を前にして「韓国はまだまだこれからだ」室内に目を向けながら毛村に応じた。

 突然聞えてきた社長の日本語に、だれが来たんだ? というように、社員が訝しげな顔をしながら毛村に会釈をした。室内にアンモニアの臭いがしている。女子社員が図面の青焼きをしていた。

 久しぶりの日本語だという柳哲暉と、応接の部屋でしばしお互いの近況を語り合ったあと、毛村は唐突に訊いた。

「……ところで俺とラグビーで一緒だった未野秀國はどうしているか知っているか?」

 柳は一瞬顔を曇らせ、言いよどむ風であったが、

「行方不明なんだ。韓国動乱のあと……連絡がとれなくなった」いたたまれない、悔しいとも言った。

 一九五〇年六月二十五日未明に戦端を開いた南北朝鮮の同胞相搏つ悲惨な戦争は一九五三年まで続き、いまなお準戦時体制のままで東西世界の冷戦構造の最先端にある。

「北韓(北朝鮮)の共産主義者が撤退するときに、文化人、知識人、技術者など有為な人材を北へ連行していったのだ。中には自分から望んで行った連中もいた。未野秀國がどっちだったのかはわからない」

「家族は? 妹もいたと思うが……。仲のいい二人兄妹で……」毛村は探るような口ぶりで訊いた。

「妹は死んだよ」

「えっ……死んだ?」

「…………」

「未野は行方不明で生死がわからないのに、妹は死んだとなぜわかる?」

 柳哲暉は、毛村から顔を背けるようにして押し黙った。しかし柳は黙り通したり、取繕ったりできる人間でないことは毛村がよくわかっていた。他の朝鮮人学生の多くが、日本人学生と距離を置き、どう自分を処すれば余分な関わりをしないで済むかを考え、ひと呼吸おいて行動するのが習性になっていた。柳はそれができない、愛すべき学生だった。

「日本人に殺されたも同然さ」柳は毛村に憚ることなく真っすぐに口にした。

 間をおいた沈黙のあと、柳哲暉は意を決したように話しはじめた。

「まさかおまえの口から未野の妹のことを訊かれるとは思いもしなかった」

 毛村には柳が言おうとすることがわからない。

「未野の妹が死んだのは、八月十五日の解放の直後だった。直接の死因は腸チフスだった。そのことを俺が未野から聞いたのは九月になってからだと思う。日本が戦争に負けて、日本人は皆日本に引揚げるということになり、俺たち朝鮮人学生は、これから学校はどうなるのだろう、学業は続けられるのかと皆が知りたがっていた。日本人の教師も学生もいなくなってもぬけの殻みたいな学校に、学科を問わず十数人の学生が集まった。そのときに未野の妹が死んだことを知らされたのだ」

 日本の命運が尽きる八月十五日から、たった二十二日前の昭和二十年(一九四五)七月二十四日の夜、京城の太平通りに面した京城府民館では『亜細亜民族憤激大会』が開催されていた。

親日派を標榜する著名人士の、元衆議院議員だった朴春琴や、有名作家の李光洙らが結成した「大義党」が中心となり、満州国や親日派の南京国民政府の代表が一堂に会していた。欧米列強の植民地支配糾弾、アジアの解放を表明する決起大会が『亜細亜民族憤激大会』であると位置づけられていた。

 開会して間もなく、来賓の朝鮮総督府高官も居並ぶ演壇にむかって二個の爆弾が投げられた。会場は大混乱に陥り、炸裂した爆弾に一人が死亡、十数人が負傷する大惨事となった。『大韓愛国青年党』を名乗る反日組織によるテロ事件であった。実行犯の趙文紀らは現行犯逮捕されたが、事件は厳重に隠蔽され人々に知られることはなかった。特高警察の捜査は熾烈を極め、組織に係わったと思われる人物はことごとく警察に連行され、拷問まがいの取調べ、自白の強要が昼夜を分かたず続けられた。梨花の学生だった未野の妹も組織への協力者として西大門警察署に連行された。組織の一員だったかどうかはわからないが組織に連なる人物として根掘り葉掘り訊かれていたのは事実だった。十日間ほど警察に留め置かれ、家に帰されたときには拷問された身体は歩けないほどの傷を負っていた。弱った体に腸チフスが追い討ちをかけ、そして死んだ。柳哲暉が、「未野の妹は日本人に殺された」と言う所以である。

 未野の妹の、死因の間接的な原因が京城府民館でのテロ事件だったと聞かされて、泊っているホテルと隣り合わせであることに、毛村は何かの因果を思わずにはいられなかった。

「今日は遠来の、そして青春に戻ることができる友を迎えて思う存分飲めるぞ。女房にも気兼ねしないで」ぜんぶ自分の奢りだ、と柳哲暉は張り切っている。

「妓生抜きで頼むよ」

「ずいぶん色気のないケチなことを言うなあ」

「場所はどこだ?」

「仁寺洞に決まっているだろ」

「本町(忠武路)か、明治町(明洞)というのはないのか?」

「そんな昔の日本人町だったところにまともな料亭があるわけないだろ」

「ちょっと気になることがあってな」

「気になること? なんだ?」

 毛村は話したものかどうか躊躇したが、昨夜の異常な体験を話すことにした。

 聞き終わった柳哲暉は素っ頓狂な声をあげた。

「未野の、死んだ妹に瓜二つの顔をした妓生だって!」

 いい大人の男が、と笑われそうだが、うそ寒さを全身に覚えたことを包み隠しなく柳哲暉に話した。泥酔してしまってから今朝目覚めたときまで玉姫は何をしていたのか知りたいと柳に言った。

「ここにその妓生が自分の名前を書いたメモがある」毛村はズボンのポケットからおもむろにメモ用紙を取り出して、柳哲暉に見せた。

「料亭の名前がわかれば、この朱玉姫という妓生がどこのだれだかすぐにわかるさ」

「そんなことできるわけないだろう。一見の、しかも日本人の客に教えてはくれないよ」

「簡単なことさ。俺に任せておけ、すぐ聞き出してやるよ」

 柳哲暉は目の前の電話に手を延ばしてダイヤルを回しはじめた。電話番号案内で知った数軒の料亭に電話をしているようだ。柳哲暉の話しぶりは、毛村にはずいぶん横柄そうに聞こえた。受話器を置くと毛村に説明をはじめた。

「昨夜は朱玉姫という妓生はいなかったが、似たような名前で朱純姫(チュ スンヒ)という妓生はいるそうだ。城東区に住んでいるといっているが、ちゃんとした住所や連絡先などは教えてくれなかった」

「よくそんなことまでわかったな。どうしてそこまで教えてくれたの?」

「『こちらは警察だが……』と言っただけさ」柳哲暉はニヤリとして続けた。『……昨日日本人の客がいたはずだが、体格のいい方の四十五、六の男が北韓(北朝鮮)のスパイじゃないかという情報が入ったので、側についた妓生に少し話を訊きたい』と言ったのさ。あわてていたが、名前だけは教えてくれた。詳しい住所や連絡先は、架けた電話がほんとうに警察かどうかわからないので、店に来れば教えるとも言ったよ」

「勝手に俺をスパイにするな」

「この国の国民には北(朝鮮)のスパイらしい人間を見たら、警察に通報する義務があるのだ。一一三という専用の電話番号もある」

 いくら玉姫が未野の妹に似ているといっても、自分の思い込みが強すぎということもあるだろう。これ以上は何か関係があるかどうかを調べるのは無駄だと毛村はあきらめたほうがいいと思った。

「おまえが突然未野の妹と言い出したときはびっくりしたよ」

「そんなに驚くことでもあるまい。俺は未野の家にちょくちょく遊びに行っていたから、妹はどうしているのかなあ、とちょっと思い出しただけさ」

「いや驚いたさ。韓国動乱の少し前だったが、おまえや日本人同級生の話題になったときのことだ。未野が言うには、妹は毛村に密かに想いを寄せていたと言ったんだ。そのことを未野はおまえに言わなかった。当時は、所詮日本人と朝鮮人の男女はどうなるものでもない、いい仲になっても最後はつらい思いをするだけだと未野は判断した。死んだ妹がなおさらあわれだと、未野はしみじみ話したよ。そのおまえが妹のことを口にしたから、そのときの話を思い出していたのさ」

 毛村はいまさら「俺も好きだった」と言ったところで、空しいだけだと口を噤んでいた。

 意を通じ合うことのできなかった二人の思いは、現世にはあり得ない霊魂の魔力によって、玉姫を介して未野の妹が、自分に何かを語りかけてきたとしか毛村には思わずにいられなかった。

 朱玉姫が、何日も続く長雨の夜を雨が上がった後の偏頭痛を思って、下宿の部屋で憂鬱に過ごしていたときに、姉の純姫から電話がかかってきたのだった。

「こんな時間にどこから電話しているの?」

「仁寺洞のお店よ。中座して電話しているの。時間がないからいまから私の言うとおりにして。いま付いているお客が、日本人でケムラという人で〈毛〉が名前についている人なの。病気を治すための、巫堂が言った三つの条件〈日本人、カトウ、毛の名前〉のうちの二つが当てはまる。その人は今夜コリアナホテルに泊まっている。十時過ぎにホテルへ行ってその人と一時間ばかり一緒に居るのよ、巫堂のお告げを信じて。零時までには帰宅できないだろうから、自分の部屋を一部屋予約して今夜は泊まりなさい」

 たとえ宴席で一夜を誘われても断ると姉は言い、玉姫にこまごまとした助言をした。決して深入りしないこと、日本語がわかっても余分なことはしゃべらないこと、毛村は酔っているから玉姫が側にいても料亭ではべった自分と別人とは思わないだろうなどと手短に話すと、姉は電話を切った。

 非常口の外階段から毛村の部屋まで、玉姫は、酔った毛村の脇の下から大柄な体を抱くようにして連れ帰った。ドアまでフロアボーイに手伝ってくれるように言った。

「酔ってしまった。シャワーを浴びたい……」

 ろれつの回らない言い方をしながら、毛村は仰向けにベッドに倒れこんだ。

「ボーイにチップを渡してきますね」

 玉姫は口実を設けて部屋を出ると、そのまま自分の部屋へ戻った。

 翌朝五時過ぎには、ホテル玄関にタクシーが客待ちしているのを確かめると下宿へ帰っていった。

 その日から梅雨の合間に続いた晴れの日々に、玉姫には偏頭痛の兆候さえなかった。信じがたいことだが、巫堂のお告げどおりになっていた。

非業の死を遂げた先祖の二人の女性。その一人はこどもの頃に祖母から何度も聞かされた論介の物語。あとの一人は誰なのか……。毛村の部屋で聞かされた見ず知らずの、孝子洞に住み梨花高女の学生だった女性とは誰なのだろう。どんな人だったのか、一族のことを祖母にもう少し訊いておけばよかったと、玉姫は後悔した。毛村に会ったことで、二人の女性の叶えられなかった夢を叶えることができたということなのか。――恨が解けた、というのだろうか。玉姫は仁旺山の巫堂に報告に行こうと思った。恨が解けてもう偏頭痛に悩まされることはないのかどうかを確かめたかった。

「仁寺洞の料亭はキャンセルした」柳哲暉があっけらかんと言い、続けて「機械科にいた丸山(えい)(せき)覚えているか? 丸山におまえが来ていると電話したら是非会いたいと言って、日本食レストランにしてくれと言うんだ」

 毛村は丸山永皙のことを覚えていた。未野と丸山は小学校、工業学校ともに同じで、未野の家で会ったことがある。丸山なら柳よりも未野兄妹のことをもっと詳しく知っているのかもしれない。

 南大門そばに前年(一九七一)開業したばかりの、ソウル東急ホテルのレストランで落合うことになったという。毛村にとっては、これから立ち上げる合弁のホテル建設の参考にもなる。好都合だった。

「たいした距離じゃない、東急ホテルまで歩いて行こう」

 柳哲暉が気を利かせて、明洞を通っていこうというのを、毛村は忠武路(本町)を歩いてみたいと言った。

「明洞はソウル一の繁華街で、ソウルの銀座通りだが、忠武路は寂れてしまって面影もなにもないよ」

 路地をぬけて忠武路との小さな交差点に立つと、柳哲暉は左手を指さしておどけたように言った。

「ここを左に行けば昔の新町さ。おまえも新町で筆おろししたんじゃないのか」

 新町は京城一の遊郭だったところだ。興味津々だったが足を踏み入れたことはない。

 二人は右に折れて、忠武路の通りをソウル中央郵便局方面へ向かった。

 忠武路は昔の本町の賑わいもなく、町工場風の印刷会社や小さな理髪店など寂れた庶民の商店街に変貌していた。こんなに狭い通りだったのだろうか。毛村は家族で行った洋食のレストランや、一家で撮った写真館などが昨日のことのように思い出されるが、記念写真の一枚も手元にはない。日本への引揚げの混乱の中では、着の身着のままで追われるように朝鮮を後にした。

 鮮銀前広場と称した大きなロータリーへ出た。いまは韓国銀行の旧朝鮮銀行本店、ソウル中央郵便局、三越百貨店だった新世界百貨店に囲まれたソウルの中心地である。三つの建物は昔のままの姿を残しているが、ロータリーは路面電車の代わりに車の洪水とクラクションに喧騒をきわめていた。

 ソウル東急ホテル二十四階の日本食レストラン〝いずみ〟では、丸山永皙がすでに毛村と柳を待っていた。丸山だということはすぐにわかった。

 小柄な風貌は昔のままであったが、頭髪は年齢よりもずいぶん白いものが多く、二十七年の風雪を語りかけてくる横顔があった。丸山は満面に笑みを浮かべて毛村を迎えた。

 近況を語り合ったあと、丸山は、なぜ日本食レストランにしてくれと言ったかの言訳をした。柳と毛村に同意を求めるように言った。

「ここだと何の気兼ねなく日本語を使えるだろう、まるで日本人のようにして。解放後、われわれ皇民化(日本人化)教育を受けた者は、肩身の狭い思いをしてこの国で生きてきたのさ。意に添わず日本の教育を受けたとはいえ、日本人のような思考回路が身に沁みている。何かを言おうとすれば、それは倭色(日本色)だと非難され排斥されてきた。しかし僕は、本心を語ろうとすればウリマル(韓国語)よりも日本語の方が、悲しいことだが的確な表現ができる。でも国を愛する気持は決して人にひけをとっているものではないよ。まあ今夜はどっぷり日本に漬かりたいと思ったんだよ。」

 丸山の複雑な心情に柳も相槌をうった。「許してあげよう」柳がおどけるように言った。

「それに……、未野の名前を聞いて、居ても立ってもいられなかったよ。いっときも未野のことを忘れたことがない。『莫逆(ばくぎゃく)の友』という言葉を知っているか? 無二の親友ということだろう。未野は子供のときからの『莫逆の友』だった。僕が京城工業学校に進んだのも、未野がそうすると言ったからだよ。毛村君、今夜はなんでも訊いてくれ」誠実で真面目な人柄が偲ばれる丸山の語り口だ。

 レストランの眼下には国宝第一号の南大門(崇禮門)が見える。南大門から北に伸びた通りの突き当たりには大理石造りの中央政庁、その後ろには峨々とした北岳山が屏風のように聳えている。

「未野は、動乱の最中、北韓の軍隊によってあの山の向こうに連行されたのか、それとも自分からすすんで北へ行ったのか、ほんとうはどっちなんだろう?」

 北岳山に目を向けて、物思いに耽るように柳哲暉が丸山に訊いた。

「真相はわからないが、未野が自分から望んで行ったと思う。ある日これといった用事もないのに僕の家へふらっと訪ねて来たそうだ。あいにく僕は家にいなかったために、母親と雑談して帰ったそうだ。そのとき『元気にしているように伝えて』と不可解な言葉を残して……それっきりになった」

「でも未野の家は、手広く不動産業をやっていて資産家だったから共産軍の同調者、後援者ではなかったと思うが、違うかな?」理解できないというようにして柳が訝しげな表情をした。

「あの家は、日本時代から極秘に反日の民族主義組織には経済的な援助をしていた。解放の年の二月十一日だったと思うが、紀元節とやらで朝鮮神宮へ必勝祈願に行かされた帰り道に『こんなことしていても日本は戦争に負けるよ』と、あの物静かな未野が独り言みたいに僕に言ったことがある。『何の根拠があるんだ?』と訊いても、その後は薄ら笑いを浮かべてなにも言わなかった。聞き捨てできない未野の一言だった。妹が警察に連行されたのも、反日組織への援助が家族ぐるみのことだったのだと、後になって想像できたよ」

 朝鮮人の間に、厭戦気分というよりも反日的な具体的な動きがあるなどとは、毛村のみならず朝鮮にいる普通の日本人は誰も気づいてもいなかったのではないか。しかし朝鮮人の多くには日本が戦争に負けるという思いが底流に脈々と流れていただけではなく、密かに外国からの情報が、地下水の伏流のように朝鮮人の間には伝わっていたのかもしれない。

「俺たち日本人はノー天気だったんだなあ。少なくとも京城工業の同級生では日本人と朝鮮人を意識したことはなかったと思う。未野から反日的なものなど感じたこともないし、ラグビー部の中では、俺は日本人よりもむしろ未野の方が仲良かったから、なおさら何も見えていなかったんだろうな」

「しかし俺たちには鬱屈したものがあったよな。名前ひとつとってもそうだよ。俺の家族は柳だから、あえて日本風に変える必要もなかったが、丸山や未野はどうだったか……」

「僕はあまり深く考えたことはなかったな。本貫(一族の発祥地)の地名が丸山だったから安易にそうしたと親父が言っていたよ」

「ほんとうは何という苗字なの?」毛村が申し訳なさそうに訊いた。

「ユンだよ、ユン ヨンソクだ」

 丸山は傍の紙ナプキンに『尹永皙』と書いていた。

「韓国人の俺さえ、〈丸山〉という名前を顔といっしょに頭に刷り込まれているから、『尹』といわれてもピンとこないというのは、なんともいたたまれない気持だな」柳がしみじみとした口調で言う。

「未野の本名は何というのか、丸山は知っているだろう?」毛村が訊いた。

「もちろん知っているよ。『朱 秀國』と書いて『チュ スグック』というんだ」

「朱!」毛村は脳天に一撃を食らったような声をあげていた。

 事情がわかっている柳哲暉は、毛村と丸山の顔を交互に見比べてニヤニヤしている。真顔になって柳が訊いた。

「未野の本貫はどこなんだろう?」

「全羅南道の新安朱氏と言っていたな。壬辰倭乱時の義妓といわれる論介が一族の誇りだけど、論介は妓生ではないぞ、といつも強調していたな」

「毛村、昨日おまえについた妓生は、未野の一族かもしれないな。奇しき因縁に結ばれているのかもしれんぞ。未野の直系の人間が妓生をやっているとも思えないが、激動の解放後二十七年を生き抜くためには、それもないとは言えない。きれいごとは言っていられなかったからな」

 毛村は昨晩のことを避けるようにして、話題を変えて丸山に訊いた。

「『未野』という苗字は日本でも聞いた記憶がないが、どうして『未野』と名乗ったんだろう?」

「それは簡単さ。『朱』を分解して『未』とカタカナの『ノ』で『未野』」

「洒落の利いた名前をつけたね。それにしても『朱』にこだわりが強いと思うが……」

 毛村の言う通りだった。未野の妹が死んだと聞かされて、丸山は未野の家を訪れたときのことを思い出す。子供のころからを知る未野が一度も見せたことのない、漲るような眼光の顔が忘れられない。

――俺はこんな形で倭奴(日本人)のわが国の支配が終わることが悔しい……と未野は言った。

 解放に浮かれている市民の中で、未野の言う悔しいという意味が丸山には理解できなかった。丸山は、唾を飛ばして迸るようにまくし立てる未野の口舌に、別人の未野を見て驚き、呆気にとられたように耳を傾けていた。

――あれほどの屈辱を受けながら一矢を報いることもなく、日本支配の終焉を呆けたようにして喜び騒ぐ民族にどんな未来があるというのか。日本の帝国主義者どもが去ったあとには、アメリカが乗り込んで来るというではないか。戦って日本に打撃を与え、自力で解放することこそ意味があるのだ。このままでは俺の妹も浮かばれない、犬死ということだ。阿部朝鮮総督はじめ居並ぶ高官どもに一泡ふかせ、われわれの積もり積もった鬱憤を思い知らせることもできなかった結末を、われわれは恥じなければいけない。わが朱一族にとっては、この三十六年間など一時的なもので、壬辰倭乱から続く戦いに決着はついていない。日本にたいする怨讐は四百年晴らしてはいないのだ……。壬辰倭乱には、日本がわが国に攻め入ったことに名分の欠片もない。朝鮮になんの怨みがあっての侵略だったのだ。それから三百年足らずの一八七五年には日本は軍艦雲揚号で江華島を砲撃し、わが国に開港、不平等条約を強要、武に屈したわが国は日本の要求を甘受することとなった。雲揚号事件から日韓併合に至る三十五年間のわが国については、われわれ朝鮮人が呪うべき対象は日本人ではなく、われわれの爺さんの世代を呪うべきなのだ。外からの侵入に手を拱いて抵抗らしい抵抗もせず、死力を尽くして国を守ろうとしない民族がどこにいるというのだ。日本人は、元服をすませたばかりのような若者から白髪の老人までが身分差を超えて、押寄せる欧米列強の侵略圧力に立ち向かっていった。挙句には徳川幕府という守旧の権力を叩き潰してまで外国勢力から自国を守り、明治維新を成し遂げた同時代の日本人とは雲泥の差のわが国は、知っての通り日帝の支配に屈し今日に至った。朱一族にとっての壬辰倭乱は歴史上の出来事ではなく、論介の精神が脈々と俺たち一族の血の中に受け継がれている現在のことなのだ。親父は民族主義者の地下組織に経済的援助を惜しまなかった。それが府民館事件、ひいては妹の死につながった。俺が毛村など何人かの日本人と親しくしたのも親父の意を受けてのことだったと言ってもいいだろう。日本人の友人が家に遊びにくると、両親は彼らを歓待した。それは民族主義運動に連なっていることの隠蔽工作、カムフラージュだった。そんな家族の雰囲気の中で、親父が毛村雄平の名前を初めて聞いたときの驚き、何かの力によって遠くまで貫かれたような険しい目線が印象的だった。親父がすぐに反応して言った。『毛村という苗字は、毛谷村六助と関係があるのじゃないか?』毛谷村六助は論介が晋州の南江に自身諸とも身を投げた当事者だからだ。俺はあえて毛村雄平にそのことを問い質しはしなかった。論介など話題にできる時代ではない上に、俺は毛村と気が合っていたこともある。やつは、どこか日本人離れした茫洋として大陸的、しかも男っ気のあるいい奴だった。それより何より妹が毛村に異性として想いを寄せているとわかったときには、切なかった。毛村も妹のことを想っていると薄々わかっていたからなおさらだった。妹の死後つくづく思ったよ、二人にお互いの気持だけでも通じさせてやればよかったと。妹は〈恨〉を抱いたまま逝ってしまった……。

 丸山が溜息をつくように言った。

「僕には、二十歳にも満たない未野秀國がこれだけの考えや見識を持っていたとは到底考えられない。未野の一族や家庭の中では日常話題となり、民族主義思想が浸透していたのであろう」

 これまでだれにも話すことのなかった未野秀國の深い思いを代弁した安堵が、話し終わった丸山の表情に溢れていた。毛村と柳もまた、いつも静かで冷静だった未野秀國の顔を思い浮かべ、はじめて聞く話に口を半開きにしたり結んだりしながら聞き入っていた。

「いままた解放直後に未野が言ったことを思い出したよ」丸山は注がれたビールを一気に飲み干して続けた。「『俺はいますぐにでも龍山栄町に行って、加藤神社を叩き毀し焼打ちにしたい』と。僕にはそれが何なのかわからなかったが、加藤神社とは、熊本にある加藤神社から分霊した神社のことで、その年の五月、龍山駅西側に建てたばかりのものだった。日本人の間では〈清正の虎退治〉で有名な壬辰倭乱時の、勇猛な武将加藤清正を祀った神社だった。未野の血が色を変えるほどに憎悪していたのだろう」

 丸山永皙の話は毛村には初めて聞くことばかりであった。学生時代の懐旧談としては聞き流せない内容に、毛村は耳をそばだてながら、前夜の朱玉姫との一コマ一コマをスクリーンに映し出されるスライド写真のように目に浮かべていた。昼間鍾路の通りで見た未野と自分の学生姿も、一概に幻想であったとは言い切れないような丸山の話である。不思議な巡り合わせというには現実味を帯びすぎて、超自然的な力を思わずにはいられない。毛谷村六助という名前も初めて聞くことであった。

 毛谷村と毛村雄平、未野の妹と朱玉姫が何か霊的なもので繋がっていると背筋が寒くなるのと同時に、何か一本ぴんと張り詰める緊張を身体全体に毛村は感じていた。非科学的な霊や祟りといった超常現象など頭から一笑に付していたが、この四人の背後には論介の怨霊がいると思わざるを得ない。論介と未野の妹の、こうあって欲しいという叶わぬ願望の〈恨〉という強い思いが受け継がれ、姿や容貌が似ているのではなく、未野の妹が時間を超えて朱玉姫の中に生き延びているのに違いない。ホテルの外階段の踊り場で触れた玉姫の老婆のような萎びた手は、生き延びて齢を重ねた未野の妹の手ではなかったのか。背中に鳥肌が這い上がってきた。未野の妹は、まるで枯れ草の中に身を潜めて厳冬を過ごした越年蜻蛉と同じだったのだ。毛村はいつか晋州という街を訪ねてみようと思い始めていた。

「未野にはそんな深い(いわ)れがあったのか。初めて知ったよ。加藤清正の名前だけはよく知っているが、毛谷村六助なんて俺は知らなかったよ。毛村は日本人だから知っているだろうよ」柳が納得顔をしながら言った。

「いや、俺も知らなかった」

「丸山も同じことだろうが、俺が学校で習った歴史は、国史といって日本の歴史だったが、教師が朝鮮人だったから、文禄・慶長の役など曖昧な説明しかしなかったよ。ましてや日本の武将を誘い出して、無理心中のように河に身を投げる話などもってのほか、そんなことをうっかり口にしようものなら警察へ連れていかれただろう。解放後の韓国で日本の三悪人といえば、豊臣秀吉、加藤清正それに伊藤博文だけど……日本では英雄で神社やお寺に祀られている」

「そのうち二人が壬辰倭乱に関係する人物ということは、韓国人の中でいかに壬辰倭乱が根深い怨みの対象かということだよ」丸山が柳の言葉を引き取るように言った。

「でも現代のわが国で、誰もが好きな日本人が一人だけいるけど、毛村わかるか? ソンドクテジャだよ、日本語読みにすれば聖徳太子のこと。一万円札は、韓国人は大好きさ」

 柳哲暉が場を和ませるようなジョークを言いながら、ビールを三人のグラスに注ぎ足した。

 毛村の複雑な心情を思いやる柳の冗談に、丸山の目は微笑で応じながらも、何か言いたいことを懸命につなぎ合わせようとして一点を見つめていた。丸山はおもむろに口を開いた。

「さっきの妓生のことで頭の中に靄がかかっていたんだけど、僕にはその妓生が未野の一族、それも身近な人物のような気がしてきた」

「何か思いあたることでもあるのか?」毛村が身を乗り出すように言った。

「うん、そうなんだ。僕たちは未野が妹との仲のいい二人兄妹と思い込んでいたが、実は、ずっと年の離れたお兄さんがいた、そして未野がまだ小学校の低学年ころにお兄さんは亡くなったと聞いた記憶がある」

「それが妓生とどう繋がるんだい?」柳が丸山に先を促した。

「……あくまで僕の独りよがりの推量だけど、お兄さんは本当は死んではいなかった。あの一家の民族運動や反日運動への肩入れを考えると、お兄さんは活動のために地下に潜り、満州や中国で生きていた。そして解放後わが国へ帰って来て結婚もし、子供ももうけた」

「……とすれば、六・二五(朝鮮戦争)のころに生まれた子供が妓生と同年代のはずだよ。しかもあの動乱のときにお兄さんは亡くなり、父親のない子供は貧しい生活を余儀なくされたとしてもおかしくはない、ということか」柳が想像を膨らませた。

「妓生の玉姫は未野の姪っ子になるというわけか。未野の妹にそっくりでも何も不思議ではない」

 毛村は、とてつもなく大きな宇宙の巡り合わせのような力を思い、昨夜からの出来事に納得し畏怖さえも抱いた。

 帰国の日である。金浦空港出発ロビーに商社駐在員の小西の姿があった。

 見送りなど必要ないという毛村を制して、他にも空港に用事があるというのが理由だった。

「昨日、朴理事に呼び出されましてね。……ほんとうに一方的で高圧的ですから閉口しますよ」三日間にわたる打ち合わせ中には出なかった韓国側の追加要望事項を、毛村にどうしても直接伝えておきたいというのであった。

「何でもかんでも持って帰りますよ。図面のラフな素案などはどっちにしても一からやり直しですから」

 二人は顔を見合わせて苦笑いで紛らわせた。

「私はこれからまた日本からのミッションのお出迎えです。今夜もキーセンパーティ、もうウンザリです」

 小西は愚痴をこぼしながら、一階到着ロビーへ下りていった。

 搭乗を待つロビーではショーケースの並んだ、土産品やスカーフ、ネクタイ、バッグなどの世界のブランド品を売っているコーナーが見渡せたが、人もまばらだ。出国手続きを済ませ搭乗ゲートへ向かった毛村の視線の先に、人だかりがしている一角が目についた。お金の両替でもしているのかと近づいて見ると、免税扱いの酒タバコ売り場だった。どうりで男性ばかりだ。

「早くしろよ」「それじゃねえよ」横柄な日本語が飛交っている。白や派手な縞柄のスラックスにブレザーといういでたちも、日本人男性の傍若無人さを物語っているようだった。ホテルのロビーでもしばしば目にした日本人グループの、経済格差を見せつけるような無神経な光景である。韓国の反日感情に油を注ぐ振る舞いの三日か四日間だったに違いない。意気揚々と搭乗ゲートに向かう手に提げられたビニール袋には、判で押したように、スコッチのジョニーウォーカー黒二本とコニャックのナポレオン一本が入っている。まるで金太郎飴のようだった。

 毛村の飛行機は、ソウルと東京羽田間を往復する大韓航空であった。機内に落ち着くと、韓国人スチュワーデスが新聞を持って通路を行き来しはじめた。「朝刊でゴジャイマス」「シンムン(新聞)」と日本語と韓国語で案内している。往きと同じようにほとんどの乗客が男性であった。通路を歩くスチュワーデスに、無礼不躾なイヤらしい目で上から下まで舐めるような視線を投げかけている。目だけではない――いいケツしてるな、などと下品な話し声も聞こえてきた。大声で話す団体客から気を逸らすように、毛村は新聞に目を通しはじめた。久しぶりの日本の新聞である。佐藤栄作首相が退陣を表明したばかりの後継争いが紙面を賑わわせていた。

 ひと通り読み終えた毛村は、テレビ番組欄を眺めた。ホテルで見るテレビは韓国語の音声と文字ばかりで、スポーツ番組以外はすぐにスイッチを切った。今夜はひさしぶりにプロ野球のナイター中継でも見ようと思いながら、番組表を目で追っていたが、

「あッ」毛村は喉の奥で声にならない声をあげた。

『シャボン玉ホリデー ザ・ピーナッツ』という文字を見て、天井を仰いだ。

ザ・ピーナッツは双子のデュオだ。ひらめき弾けた。朱玉姫と純姫は双子だったのだ。

 毛村雄平が見るべき成果もなく東京へ戻って二ヶ月後の九月初めに、商社駐在員の小西から手紙が届いた。

 文面は季節の挨拶抜きで、ソウル滞在中の共に味わった難しい交渉をねぎら

ったあと、結論を先に、から文章ははじまっていた。淡々としたビジネス文ながら、小西の無念の思いも行間に読み取れた。

――結論から言いますと、先方は今回のホテル建設を一旦白紙に戻したいという意向を伝えてきました。その理由が毛村さんのプライベートな部分にいささかの関係があるような気がして、あえて親展にて送った次第です。韓国側としての公式な決定などは貴社加藤社長宛ての文書が届くことと思います。……白紙撤回の理由は、建設予定地にあるというのです。朴理事が言うには、その土地は、解放(一九四五年八月十五日)前の所有者が、極めつけの親日家だった朴春琴という人物、日本にすり寄っていたそんな人物に関係のあった土地に、こともあろうに日本企業との合弁で事業を進めれば日本側に乗っ取られてしまう、縁起でもないというのが理由だというのです。風水説といい、縁起といい、私のような戦後教育を受けてきた人間には、得体の知れない理解不可能なことです。経済的予測や事業の先読みに絶対はないのはわかりますが、どんな統計資料から判断しても、今回の計画は成功間違いないというのが私の読み、勘でもあります。ここは一度冷静になって、改めて毛村さんと共に、前向きな打ち合わせの場に同席したいと願っています。なお同封しました当該地所の登記簿の写しは、一九四八年以降のもので、朴春琴うんぬんはこの写しからは読み取ることはできませんが、所有者の履歴の中に『朱知泳』なる名前があり、不動産業と関係のあった、毛村さんの学友の名前となにか関連していることでもあればと考え、送りました。ビジネスとは無関係ゆえ、用済みの後はご処分いただきたく……。

 小西の手紙に引っかかるものがあった毛村は、『朱知泳』と未野秀國との関係の有無を、尹永皙に手紙で問い合わせた。

ひと月もしないうちに折り返しの回答の国際電話が尹永皙から架ってきた。受話器の先から尹永皙の興奮した日本語が鼓膜を叩くようにして伝わってきた。

――『朱知泳』というのは未野の親父の名前さ。不動産会社の名前は『南江地所』。南江というのは論介が毛谷村六助を抱いて投身した河の名前だよ。それから短い時間で調べた限りでは、あの府民館事件の爆弾を受けた側の当事者で、反民族行為をしていた朴春琴や小説家の李光洙のような親日派の連中の所有地であった不動産を、未野の親父は採算を度外視して買い漁っていたらしい。朱一族には壬辰倭乱はまだ終わっていない、ということを実践していたんだなあ……。それから例の、妓生の玉姫のことだけど、柳哲暉が朱玉姫を捜しあてて、本人と直接話したことも毛村君に伝えておかなくちゃ、ね。朱玉姫の父親のこと、一族のことなどを聞き出そうと、柳がいろんなところから質問を浴びせたが、朱玉姫が、未野の身近な一族かどうかははっきりしなかったらしい。しかし質問が肝腎なところになると黙ってしまい、未野の一家にしか知り得ない事柄には否定も肯定もしなかったそうだ。父親は朱玉姫が生まれてすぐに死んだということだったよ……。

「おい、毛村君聞こえているかい?」

 毛村雄平は、尹永皙からの電話の受話器を耳から遠ざけながら、美男子で寡黙だった未野秀國と、スラリとした長身でとれたての果実のようにみずみずしく美しかった妹の二人の兄妹を、閉じた瞼の裏に浮かべ、胸が塞がれる思いにじっと耐えていた。 (了)