一身にして二生を経るが如く 第二章

一身にして二生を経るが如く 第一章よりつづく

第二章

一 二〇一四年 初夏

 窓に視線をやるとガラスや鏡ばりの西洋建築のすき間から、切りとられたような青空がみえるだけで、朝なのか昼なのかもわからない。季節がいつなのかさえも感じとれるものがない。どうやら大きな街らしいが、どこなのかも皆目見当がつかない。

 部屋には飾り物ひとつなく、頭を動かそうにも身体中が固定されていて、視角はかぎられている。ベッドの右側はどうやらうす黄色のカーテンで仕切られて人の気配がするが、確かめることもできない。頭の上方には透きとおった袋状の一部が見え、そこから繋がった管がのびて、おれの二の腕に結わえつけられている。見たこともない情景だ。

 小柄で断髪の若い女が足音もたてず、おれの視界にはいってきた。

「イワタさん、気がつかれましたか?」

どこかで聞き覚えのある言葉でよびかけられた。日本語のようだった。

「…………」

声が出ない。

「よかった。先生をよんできます」

 若い女と白衣をまとった先生とよばれた中年の男がとって返すようにして入ってくると

「おお、意識が戻りましたね、イワタさん。よかった、よかった」

 満面に笑みを浮かべておれの右の手首をつかんだ。脈をとっている。

 二人は医者と看護婦、ここは病院だということがやっとわかった。

 しかし「イワタ」というのはだれだ? なにか言おうとするが声が出てこない。

「視覚と四肢の一部に少し障害が出るかもしれないが、ここまでくればひと安心ですよ。ひと月もしないうちに歩けるようになります」

 医者は自信ありげに大丈夫をくりかえして部屋を出て行った。

 おれはリウマチ持ちだった。障害というのがリウマチのことを言っているのならば、付き合いの長い持病だ、いまさら少しの障害とやらを気に病むことはない。少しずつ記憶がもどってきたようだ。リウマチの痛さなら、碁を打つことにもなんの支障もない。リウマチを口実にしていれば便利というものだ。だれかが身の回りの世話をしてくれるだろうからなんの心配もいらない。さっきの看護婦がいればそれで充分だ。それにしても彼女はどこか声に聞き覚えがあるような気がする。つい最近まで聞いていた声だったと思うが思い出せない。

 おれは女には目がないし、女を見抜く才能は人後に落ちないと思っている。たぶんあの看護婦は男に尽くすタイプにちがいない。そんな不埒なことを考えているうちにまた眠りにおちていった。

 疑問だらけだが、おれの名前がなぜ「イワタ」なのか、ただ「イワタ」だけなのかということだ。おれはどこの何者なのかから始めなければ何も解決しないようだ。

 ケガの回復も早いようでそれにともなって医者や看護婦から発せられる言葉も苦もなく理解できるようになった。よくわからない言葉が混じってはいるが、日本人に囲まれているらしいことまではわかる。それにしては窓から見える景色は西洋のどこかとしか思えない。

「イワタさん、気分はどうですか?」

 朝の検診にきた看護婦の問いかけに誘われるように、なめらかな日本語がすっと出た。

「ここはいったいどこですか?」

「はあ? G医科大学病院ですけど……」

「いや、その……、日本なのかどうかということです」

「うふふ、もちろん日本に決まっています。日本の東京ですよ」

 突拍子もない質問に、小さな驚きの表情をうかべて看護婦が答えた。

「それで私はだれなのですか?」

「イワタさんでしょ。……でもちょっとわかる気がします。ずっと眠り続けていたんですものね。記憶が途切れるということがあるかもしれませんよね」

「イワタ……ですか」

かすかに記憶の底にある名前だった。イワタ、イワタと頭の中でくりかえした。

「いまはまだあまり話し過ぎると身体に障ります。二、三日もすればベッドを少し起こしてもいいのではないかしら、先生の許可がでれば。それまでの我慢です」

 目を閉じて日本、東京、イワタを喉の奥で言っているうちにまどろみ、目を開けると夜の気配が部屋の中に漂っていた。しかしこの部屋の明るさはなんだろうか。おれの知っている電灯のあかりとはまるで違っていた。窓に目を移すと、満艦飾のきらめきが街中に散らばっていた。昼間眠ってばかりいるおれには、夜は長いだろうが、暮れていく空と入れ替わりにビルディングが放つ光や色とりどりに瞬く無数の明かりを見ていると飽きることはない。初めて見る光景だ。館内がざわめいているのは何なんだろうか。

「オガサワラさん、食事ですよ」

野太い女の声がした。

「は~い。病院の食事は飽きちゃったなあ。マックのハンバーガーが食べたいなあ」

 なにかわけのわからない言い草の言葉を出したのは、カーテンの向こうにいる人だ。若い男の声だった。マックのハンバーガーとは何だ? それよりも食事を運んできたらしい女が言った「オガサワラ」が、おれの耳に残った。どうやらカーテン越しにいる男の名前らしいが、おれは「オガサワラ」という音が気になりはじめた。

 この先自分は何をしたらいいのか、何をしたいかの自問は、おれは何をしてきた人間かという単純だが根源的な問いと答えに強く結びついている。そのためにもおれが本当はだれなのかが判らなければ一歩も前へ進まない。またひとつ気にかかる言葉に出くわした。四つめの「オガサワラ」だ。しかし沈思黙考では埒があきそうにない。なにかいい糸口はないものかと思い巡らせていてやっと気がついた。人と話をすればいい。そう思うと一気に糸がほぐれてきたようだ。たしかおれは人一倍いや二倍くらいよく喋る人間だったと思う。人に訊かれたことがあった――議論することと、囲碁、女のうちで何が一番好きですかと訊かれたのはつい最近のことだったと思う。囲碁、女、三番目に議論だと答えたのだった。それほど人と話をすることが好きだったのだ。隣の人も時間をもて余している。退屈そうだ。ベッドを起こしてもらえるようになったら話しかけてみることだ。

その日はすぐにやってきた。十五度か二十度ばかり上半身が起こされ、首さえも左右に向ける自由が許された。たったそれだけで声を出すことがいとも簡単になった。

「点滴も外して、もうじき食事も摂れるようになりますよ」

看護婦がわがことのように弾んだ声で言った。

「これは点滴というのですか」

首を巡らせて訊いたそのとき点滴とやらいう透明な袋の容器に書かれている字を読んだ。

「これは私の名前……? イワタ シュウサク……というのですか?」

「そうです。イワタ シュウサクさんですよ」

 名前が判ると、おれが何者であるかの断片的なもどかしさは、残り雪が小さな流れになって溶けていくように、ほぐれはじめた。

隣の「オガサワラ」のところへだれかがきたようだ。話し声が漏れ聞こえてきた。

「ずいぶんしょぼくれた顔してるね、らしくないよ」

「もう病院飽きちゃったよ、やることないしさ」

「自業自得でしょ、わたしはカオルが遊び歩かないだけ安心というものよ。他の女に手出しできないしさ、うふふ」

「サトこそこれ幸いに……」

「バカ言ってるんじゃないよ、早くよくなれと願って毎日お見舞いにきて励ましてるんじゃないよ」

「最初のうちはウザいくらい書き込みがあるLINEを熱心に見てお付き合いしてたけど、それも面倒くさくなるしさ。サトが来ることだけが楽しみだよ。そろそろ学校も恋しくなってきた」

「なによ、学校なんかろくすっぽ行ってないのに。遊び呆けているからバチがあたったのよ」

 断片的だった言葉がつながりはじめた。聞こえてくる会話に、ふたりはどんな関係なのかを探ろうと、おれは耳をそばだてていた。単なる知り合いではなさそうだ。〈カオル〉〈サト〉というのは名前だろう。他愛のない話が続いていたが、「明日も来るからね」と言い置いて女は帰っていった。

 ふたりの会話からおれはまた一つ気になることを紡ぎ出した。ふたりの名前だ。〈サト〉も〈カオル〉もどこかで聞いた聞き覚えのある名前だった。

 おれは、女が部屋を出て行ったのをしおに間髪を置かずカーテンの向こうに話しかけた。自然に日本語が口をついて出た。

「見舞いの方……。ご家族……ですか?」

「いや……ちがいます」

 まちがいなく深い関係だなと察しがついた。おれは男女関係には敏いのだ。

「イワタさん、……ですよね。あっ、すみません。看護師との話が聞こえるものですから。イワタさんもそのうち見舞いの方がみえるでしょう。意識も回復されて元気になられたようですから」

「よくわからないのです。そんな人がいるかどうかも」

「はあ……?」

「さっきの、女の人の名前はサトというんですか。どんな字を書くのです?」

「山里の里、郷里の里で、里子というんです」

「だれだったか思い出せないのですが、知り合いに同じ字の若い女性がいたようで気になるものですから。余計なことを訊いてすみません。頭をいかれていて記憶がなにもかもおぼろげなのです。自分の名前さえも……」

 話はじめるとさらに日本語が意識せず湧き出てきた。

「本人は里子なんて大正・昭和の時代の、昔風の名前だから嫌いだと言っていますよ」

「大正、昭和とは何ですか?」

「大正、昭和も思い出せないんですか? これは相当重症の記憶喪失ですね。平成の前の元号ですよ」

 ――そんなのはもともと知らないのだ、という言葉をおれは飲み込んだ。

「その前は何と呼ばれた時代ですか?」

「明治。その前が江戸・徳川時代」

「それじゃ明治時代というのは何年前に始まったのです?」

「え~と、明治維新というのは西暦何年だったかなあ? たしか一八六七年か一八六八年だから……二〇一四ひく一八六七は、一四七年前ということになりますね」

 明治維新という一言に、まるで恐竜に初めて出会った人間のように、おれの脳髄から足のつま先まで感動的な震えが突き抜けていった。人間が百年以上もの後世に蘇ることがあるのだという信じられない出来事と、明治維新に触発されてから身の上に起きた諸々の記憶が全身を震わせた。

「おれは……私は……、あなたが言った明治維新という一言で、ほとんどの記憶を呼び覚まされた。わたしは確かにキム、いや〈イワタ・シュウサク〉なんです」

〈金玉均(キム オッキュン)〉というほんとうの名前は、咽喉の入り口で押しとどめて一気に吐き出した。

「明治維新が記憶をとり戻すほどの衝撃なのですか? イワタさんは歴史学者かなにかで……」

「ん? まあそんなところです」

とっさにあいまいなウソをついた。

「とにかくオガサワラさんは、記憶を呼び覚ますきっかけをくれました。ありがとう」

 親しく雑談まで交わすようになった小笠原君は、おれが病院に運び込まれた経緯まで知っていた。おれは病院にほど近い公園の公衆トイレの入り口で、頭の周りに多量の血を流し仰向けに倒れていたところを、通りがかりの人に発見され、緊急の大掛かりな手術をうけたのだった。

 左の額からピストルで射抜かれ、もう一発は右腕の肩甲骨を貫通していた。即死でなかったことは奇跡だった。一命をとりとめることができたのは、弾がすべての急所をミリ単位で外れていたことだった。高度に進歩した医療技術があってのことはもちろんだが、おれにはそんなことはわからない。

「僕はこの近くの第一京浜で自動車事故を起こして、脚と肋骨を折ったんです。交差点での事故なんですが、僕の前方不注意です。そのうえ車は大破、踏んだり蹴ったりです」

「若いけど何をしているの?」

「学生です」

「学生だったら優秀なんだね。東京帝大で何を学んでいるの?」

「東大じゃないですよ、慶応の学生です」

「慶応?」

 あの時代は学生といえば帝大生のことだった。慶応と聞いて、おれの記憶はさらに広がっただけでなく、福沢先生がすぐ近くにいる嬉しさがあふれてきた。〈サト〉という名前が気懸りだったことも納得がいった。福沢先生の長女の名前だからだ。先生の家族にもよくしてもらい、サトさんは身近な存在なのだ。

「福沢先生のところじゃないか。先生はお元気かな?」

「はあ? おもしろいことを言いますね。先生はいま日本国中、いや世界中を動きまわっていますよ」

 小笠原君は得意げな笑顔を見せて、ベッドのわきの小さな家具の抽斗から財布を取り出すと、腕を伸ばしておれに一枚の紙幣を近づけた。

〈壱万円〉と書かれた紙幣には、まぎれもない懐かしい福沢諭吉の肖像が印刷されていた。

「それはいったいいくらのお札?」

「一万円札でしょう」

 それならば〈壱萬圓〉とちゃんとした字で表記されていなければなるまい。〈壱万円〉なんて玩具の紙幣で、からかわれている気分だった。またそれが本物だとしても、一万円もの大金がこんな紙一枚に凝縮されているのが気になってしかたがない。

 おれが国王の親任状をもって日本政府の外務卿(大臣)に借款を申し入れたときの金額は三百万円だった。日本の国家予算の二パーセントにも相当する巨大な金額だった。

――そうか、そのときの外務卿が井上馨だったぞ、小笠原君の名前〈カオル〉が、おれの耳朶に印象深く残ったのも道理だった。

「福沢先生が世界を飛び回っているというのは、どこへ行っても日本円が通用するという意味ですよ。学校には先生の胸像があります」

おれが初めて日本を訪問したのは、祖国朝鮮の高宗十九年(一八八二)、国王はおれより一歳下の三十歳。気概に満ちた青年国王だった。

 西欧の列強が虎視眈々として東アジアの国々に開港と不平等条約の締結を迫る帝国主義の波に洗われ、明治維新以後急速に近代化の道を突き進みはじめた日本との条約締結を手始めに、西欧各国との条約を結んだ時代だった。ホルマリン漬けの医学資料のように、どっぷりと中世の世界に閉じ込められた朝鮮は、列強の圧力にむりやりその扉をこじ開けられたのである。

 衛正斥邪(朱子学を守り西洋思想を排斥)は国是であり、儒教と中華思想に凝り固まった儒者・両班やんばん(特権層)は社会改革を頑なに阻止し、頑迷さは異常なほどだった。しかし青年国王の親政が始まったことに軌を一にするようにして、若い官僚グループは政治改革の運動を始めた。

 清国との宗属関係を維持しようとする守旧派の事大党に対して、日本の明治維新を模範として朝鮮の近代化を目指す官僚グループは、開化派独立党とよばれるようになった。おれはその中心人物の一人だった。急進派の先頭に立って改革に情熱を傾けていた。

 おれは、明治維新とは何なのかを探る視察行の一員として日本を目指した。

 明治維新の大目標として掲げられていた「文明開化」「富国強兵」「殖産興業」というものは、朝鮮にとっては星どころか改革のキッカケとなる小枝の先を掴むことさえ困難な、想像を絶する至難事だった。守旧派の説得など考えられない中での使節の派遣は困難をきわめた。修信使(修交)の名目で守旧派の目を避けるようにして日本に渡航した。

 明治十五年(一八八二)東京に足を踏み入れて早々、おれは福沢先生の知遇を得た。先生の紹介で伊藤博文、大隈重信、後藤象二郎といった日本の近代化を牽引する政界の人物との接触、交流をもつことができた。

 福沢先生は、自他ともに認める近代化、西欧化の論客の第一人者だった。

 おれが初めて福沢家の食事に招かれたときは驚いた。食卓を飾った料理は肉中心の西洋料理だったからだ。肉料理にパン、それに赤ワインだった。まだ日本語を解さないおれに、通訳を介してだったが西洋食のすすめをとうとうと論じながらの食事だった。なにもそこまで欧米化する必要もあるまいと内心思いながら、先生の説に聞き入った。先生はアジアの近代化、日本と朝鮮の近代化がいかに必要か食を通して語りたかったのかもしれない。

 先生は朝鮮の近代化に情熱を燃やすおれたちに全面的な支援を約束し、励ましてくれたのだった。

 そのときからおれは何度福沢家の家族と食事をともにしたか、数えきれないほどだったが、朝鮮人のおれにはどうしても馴染まない違和感を覚えることがひとつだけあった。

 先生はおれの名前を言うときに「金さん」もしくは「玉均(ぎょくきん)さん」と必ず「さん」づけで呼んだ。それはおれに対してだけではなく、自分の家族に対しても同じだった。長男の一太郎君は「一さん」次男の捨次郎君は「捨さん」とすべて「さん」づけで呼んでいた。日本の大半の家でも呼び捨てが一般的だっただろうに、と思う。ましてや長幼序あり、家長が絶対の権限を持つ儒教の国朝鮮では、家族が同じ席で食事を摂ることさえ決してありえないことだ。「金君」と言わず「金さん」と呼ばれることに居心地の悪さを感じたものだった。尊敬し、師と仰ぐ先生にそう呼ばれるおれの気持にもなってくれと思ったものだ。その福沢先生が日本の最高額紙幣一万円の象徴になっていることに違和感を覚えずにはいられない。

 手術後の状態もずいぶん良くなったおれのもとに、地元警察の刑事が訪ねてきた。

 氏名、年齢、住所、職業からはじまって、だれに撃たれたのか心当たりはないのかまで繰り返し訊かれることになった。

「名前から教えてください」

「イワタ シュウサク。年齢は百六十歳くらい……では?」

「ふざけたことは言わないでください。これは事故ではなく事件なんですよ。岩田周作さんですね」

刑事は手元の紙に、鉛筆か万年筆かわからない得体の知れない筆記具で書いて、おれの方に向けて差し出した。

 おれはふざけちゃいない、と言いそうになって口をつぐんだ。たしか東京にいた時分四十そこそこだったろうから、間違ってはいないのだ。

 そうだった、「岩田周作」だったと、おれはやっと漢字の名前を確認することができた。

「なぜあなたが、わたしの名前を漢字で書けるのです?」

素朴に訊いた。

「……? 倒れていたあなたのそばにあった桐箱の中に書かれていました」

 錦の布袋に入った日本刀に添えられた和紙に『謹呈 李中堂閣下 岩田周作』と筆書されていた。達筆だという。〈三條小鍛冶宗近〉という名刀だったというが、記憶にない。〈李中堂閣下〉とはだれだ。それもわからない。

「住所、職業は?」

「有楽町だったような気もするが覚えがない。職業は無職」

「あなたは記憶喪失を装って、相当ふざけているとしか思えない」

「わかりたいのはわたしの方です」

「今日は話になりません。もう少し思い出すのを待ってまた来ます」

 刑事は名刺を置いて帰っていった。○○警察署捜査四係と記されていた。

 ベッドを空けてくれていた小笠原君が興味津々に訊いてきた。

「思い出したことだけを正直に答えたつもりだったが、怒って帰っていったよ」

 おれは残された名刺を小笠原君に渡した。

 小笠原君は名刺を手にすると緊張した顔になり、恐る恐る訊いてきた。

「この刑事は組織犯罪担当の刑事ですよ。岩田さんの事件は、その方面の事件だったのですか?」

「その方面とは何です?」

「暴力団と係わった事件とか?」

「暴力団とは何? 組織犯罪とは何のことですか?」

「岩田さん、真面目に質問しています?」

 おれには小笠原君の質問の単語そのものが理解できないでいた。

「ピストルで撃たれて、そばに日本刀があれば、だれだって暴力団、わかりやすく言えばヤクザな集団と係わった事件だと思うでしょう」

「そんなのはわたしに関係ない」

 おれの一言で、小笠原君は緊張の解けた柔和な顔にもどった。

「銃刀所持の嫌疑もかけられていますね」

専門じみた言い方をした。甘ったれの軟弱な学生だと思っていたが、押さえるところは押さえている思いのほかしっかりしている学生のようだ。

 現代の日本がどんな時代どんな社会なのか見当もつかないが、窓から見える景色からは豊かな世界にちがいない。小笠原君の思い描く将来はどんなものなのだろうか。兵役はどうなっているのか、その期間の里子さんとの間柄はどうなっていくのだろうかと余計な心配をしていると、里子さんがいつものように明るく病室へ入ってきた。仕切りのカーテンを開け放っていたので、おれは初めて顔を合わせることになった。

「山崎里子さんです」

小笠原君が他人行儀にぎこちない口ぶりで紹介した。

「はじめまして、山崎里子です」と言いながら、「いまさらはじめましてでもないか、毎日来てるから」

 昔の人間のおれは年長者へのぞんざいな口の利き方に唖然としたが、もの怖じしない娘に親近感をいだいてしまった。しかしその風貌を見ておれは目を見張った。すらりとして背が高く、細面の顔かたちをしていたが、なにより肩まで垂らした髪に目が釘付けになってしまった。金色じみた栗毛色はどう見てもモンゴロイドの東洋の女性ではなかった。背丈といい毛髪といい西洋人のようであった。

「山崎さんは日本人か?」

どちらへともなく訊いてしまった。

「名前からして正真正銘の日本人でしょ。この髪の毛ですか? 染めているんです。カラートーン⑧は明るすぎたかなあ」

「まあ今はいいんじゃない、就活はずっと先のことだし。そのとき透きとおるような緑の黒髪になっていれば」

ニヤニヤしながら皮肉っぽく小笠原君が言った。

「きゃりーぱみゅぱみゅほどじゃないからね。あれはヅラだろう」

「いやカラーリングした地毛らしいよ。あれが彼女のキャラなんだから」

 何の話をしているのかおれには理解不能になってきた。シュウカツ、ヅラ、キャリーなんとか、キャラ、すべてが何のことを言っているのか、どれひとつとして日本語とは思えなかった。

里子さんの髪の毛を見れば福沢先生も、日本が西欧に追いつく国造りの指針とするべき道筋を説いた『学問のすすめ』などの著作が、こんな形で現れるとは夢にも思わなかったにちがいない。

 小笠原君が話題を変えてくれた。

「岩田さんは歴史学者なんだってよ。スゴくない?」

「スゴい。歴史の何の先生なんですか? 古代史とか」

「ん、まあ……東洋史、朝鮮の歴史かな」

 口から出まかせで、あいまいに答えたのがいけなかった。里子さんは身を乗り出すようにして矢継ぎ早に質問を投げてきた。

「朝鮮のどの時代が専門なんですか? 朝鮮語も堪能なんですか?」

「近代史というのかな、一九世紀の後半。日本では明治維新前後から四十年くらい」

「それって李氏朝鮮の最後期ということですよね」

「最後期というと……?」

「だって一九一〇年の韓国併合で李氏朝鮮は消滅してしまうわけですから」

 ――消滅とはどういうことなんだ。

 おれには天地がひっくり返るような内容だった。急に動悸が激しくなり、気分が悪くなった。心臓が震えた。

 おれは自分に言い聞かせるように平静を装って里子さんに言った。

「わたしは自分自身のことも記憶が途切れているくらいで、自分の学問がどんなことだったのかが思い出せないでいる。簡単な読み物だったら読めるかもしれない。その時代のことを書いた入門書でも持っていたら貸してくれないかね。そのへんから始めれば次第に記憶も戻ってきそうだ」

「いいですよ。いま学校で使っているサブテキストをこんどもってきます」

「それはありがたい。今日は少し話をし過ぎたようだ。ちょっと安静にしようと思う。」

この続きは別の機会にしようと断わって、おれは目をつむった。心臓の鼓動が耳元で聞こえた。

二 カミングアウト

 あるときまで過ごした世の中とはまったく異質の空間に放り出されていることは理解できていたが、祖国朝鮮が日本に呑み込まれ、国も民族も消えてなくなっているなどとは想像できるものではない。清の属国を脱し改革を成し遂げようと近代化を目指していたわが国が、こともあろうに日本になってしまっているなど、悪夢以外のなにものでもない。清、日本、ロシアに囲まれている半島国家の生きる道はただ一つ、どの外国にも組しない中立国になるというおれの信念などその痕跡さえどこにもないではないか。

 一睡もせず、おれの全身を駆け巡ったものは、どんな言葉でも言い尽くせない憤り、絶望の底に突き落とされた悲嘆だった。

 朝鮮人は、わが同胞はどこへ行ってしまったのだろうか。日本の奴隷になってしまったというのか。おれの激昂する感情は日本へは向わなかった。日本が朝鮮に何をしたのかなんてどうでもよかった。おめおめ国を呑み込まれるというのに時の政府はなにをしたというのか。最後の一人になるまで、すべての国民が武器を手にして日本になぜ立ち向かわなかったのか。おれの憤怒はすべての朝鮮人に向けられた。おまえたちには五千年の誇らしい民族精神のひとかけらもないのか。血が逆流しそうなほどの口惜しさが体中にみなぎった。

向けどころのない憤りで高まった感情が、脳のどの部分を刺激したのか、朝鮮で過ごした日々から亡命軟禁状態だった日本での十年が、まざまざと蘇ってきた。

 病室の窓に迫ってきた朝ぼらけの明るさが、少年期を過ごした朝鮮の江陵の海を思い出させ、絡まった糸がほぐれるように、おれの歩んだ足跡を顧みることができた。

 官吏だった父親の転勤に伴い漢城府(ソウル)へ戻り、科挙受験の勉強に没頭した。二十一歳にして首席合格したおれは、端役ながらも官吏の一員に登用された。祖国朝鮮が内憂外患の渦中にあった時代である。

 政権の中枢にあった国王高宗の父、興宣こうせん大院だいいんくんは儒教原理主義のもと国政の立て直し、頑ななまでの鎖国主義を貫く政策を実行していた。西欧帝国主義の大波が押し寄せる中、外に向っては衛正斥邪を標榜し旧来の体制の強化を推し進めた。内にあっては財政の立て直し、中央集権の強化に尽力していた。しかし次々と打ち出される両班の特権を縮小する政策に、儒林(儒生、両班勢力)の怨嗟の声が国中に満ちていた。成年した高宗は後見役だった父大院君を追放し、国王親政に方向転換を図った。その時代におれは政府吏員の一人となった。

 国王親政への期待の大きさに反比例するように、国内では農民の一揆が頻発し、世界の趨勢への対応は遅れ、政権中枢の世界観、時代感覚は旧態依然としていた。

 おれに新時代の世界に目を向けさせ、政治の改革の必要性を強く自覚させてくれたのが、国の近代化を目論む開化思想、開明的な考えを持つ少数の人々であった。

 政治の実権は次第に発言力を増した王妃とその一族の外戚の手中に移り、世の変革を望まない儒林の旧守体質は、朝鮮近代化の足枷となった。また国王の繰り出す政策のどれもが変革にはほど遠いばかりか、国家財政の破綻と、農村の疲弊、疫病の蔓延、民心の離反と国は衰亡の一途をたどっているのはだれの目にも明らかだった。政治をなんとかしなければという一念に燃えていたおれたち開化派の苛立ちは、政治的な心情と議論をますます急進的にしていった。こうして開化派は、旧来の体制のままで清国に付こうとする穏健な清国派と、日本に付こうとする急進的な日本派に分かれていくのである。日本はすでに憲法制定、国会開設を目指していた。

 そんな中、王妃のミン氏一族が拠って立つ清国勢力(軍)を追い出し、日本の後押しを受けて政治の実権を一気に握ろうとしたおれたち開化独立派のクーデターが甲申政変であった。その綱領は十四条からなり、清国への朝貢と顔色を窺う事大外交の廃止すなわち独立国家の標榜であり、内政では科挙制度の廃止と門閥打破、優秀な人材の登用といった画期的な政策の遂行にあった。

 理想は高く実現可能と読んでいたおれたちだったが、その野望は無残な結果に終わってしまった。

失敗の原因は後付け的に言えばいくつも数えることができる。ずさんな計画、計画の事前漏えい、われわれの力の過信、協力を約束していた日本公使館の優柔不断などだ。それでもおれは思う。日本の明治維新を範として、人民平等の、国王を中心とした立憲君主制を目指したクーデター失敗の最大の原因は、国王高宗の保身にあったと信じて疑わない。

 固陋頑迷の旧態依然とした社会の根本原理を変える意識や見識が国王には皆無に等しく、一族の大事と体制の維持しか眼中になかった。どんな忠告や上訴も何の役にも立たなかった。王政国家、中華思想など中世社会から一歩も踏み出ない虚構、幻想でしかないというのが国王にはわかっていなかった。

 クーデターの主要メンバーだったわれわれ数人は、ほうほうの態で日本の汽船に乗せられ日本亡命を余儀なくされたのである。一八八四年十二月のことであった。

 祖国への想いのたけを妻(氏)に告げた夜のことを、昨日のことのように思い出す。

「この国は国王と王妃の逆鱗に触れるような行動は、わが身はもちろん両親と妻子のみならず、一族郎党まで累が及ぶことはヨボ(おまえ)もわかっているだろう」

 暗闇の床の中で妻は一言も聞き漏らすまいとしている様子が伝わってきた。

「それでもおれは信念をもって改革を成功させなければならない。真に政治に携わる者は、私利私欲を捨て、国の発展に尽くさなければならない。万が一おれたちの目論見が不首尾に終わっても恨まないでくれ。わかるな?」

 情を交わしたあとの、夫婦だけの満ち足りた時間だった。

「ヨボ(あなた)の考えも思いも理解しているつもりです。覚悟はできています」

 おれの祖国への熱い思いを共有しようとでもするように、妻は再び体を寄り添わせてきたのだった。

「岩田さんに頼まれていた本もってきましたよ」

 里子さんはさも嬉しそうに一冊の本を差し出した。『韓民族の閃光――韓末秘史――』という厚手のものだった。

「簡単な読み物とおっしゃったけど、これはと思える本がなくて、一九一〇年までの流れを思い出されるには最適だと思ったので持参しました」

 奥付に昭和四十二年発行と記され、韓国人の著者が書いたものの日本語翻訳本だった。

 おれは自分の生い立ちから日本での亡命生活まですっかり思い出していたこともあって、後世に書かれたものを読むというのは、なにかおとぎの国を見るような不思議な感覚だが、おれの行跡がどう見られているのか興味が湧き上がってきた。一気呵成に読めそうだ。

「俺には何もってきてくれたの?」

小笠原君が訊いた。

「カオルはコミック。漫画しか読まないからね。ハーゲンダッツのアイスクリームも買ってきたよ、三人分」

「岩田さんにはどんな本もってきたの?」

「カオルは興味ないと思うけど、幕末のころから韓国併合までの朝鮮の歴史を書いた本よ」

「俺だってときにはまともな本読むよ。幕末のこと書いた小説とかね。『龍馬がいく』なんて面白かったよ。まあ、サトは国際文化比較が専攻だから、東洋史の話なんて岩田さんと話が合うんじゃない」

「そう思ってインターネットで岩田さんのこと調べてみたの。そしたら驚いたのなんのって……」

「何が?」

「カオルに説明してたら長話になるわ。岩田さんに訊きたいことが多すぎて」

「あら、山崎さんみえてたの。仲のいいこと」

おれ担当の看護婦がお愛想を言いながら入ってきた。

「あとでゆっくり説明するわ」

里子さんは話を中断して、看護婦に場所を空けた。

 どうやらおれのことを里子さんはあれこれ調べたらしい。それにしてもまた意味不明の言葉が次々と出てきた。コミック、ハーゲンダッツ、インターネットとはなんのことだろうか。

 担当の看護婦が雰囲気を変えて、なにやら思惑ありげな顔をおれに向けた。

「岩田さん、どうやら週刊誌の記者がこの部屋を嗅ぎつけたらしくて、岩田さんのことをいろんな人に訊きまくっているみたいですよ。このあいだ刑事さんが岩田さんのところへ来たでしょう。それから事件のことのあら探しをしてるみたいです。気をつけてくださいね。あの人たちは勝手に病室まで来ることがありますからね。油断も隙もないんですから。スポーツ選手や芸能人もお忍びで来院する人が多いから、週刊誌の記者が何人も病院内を見張っているのです」

 おれにとってはまたまた初めてのことで、何のことを言っているのかわからないことばかりだった。スポーツ選手というのは何をする人間なのか、芸能人とは? そもそもおれが気をつけなければならない週刊誌の記者というのが何者かわからなかった。政治の評論家なのか。

 福沢先生も硬派の論客だったし、その時分宮武外骨という手ごわい書き手がいたものだ。政治家などは妾のことまで書き立てられて戦々恐々としていたような気がする。

 おれだってちょっとした有名人で、放蕩三昧な生活をしていると書きたてられたことがあるが、なんのそんなこと、おれはせせら笑っていたものだ。いまさら何を書かれようとどうっていうことはない。

 インターネットとやらでおれのことを調べたという里子さんが、質問してきた。インターネットとはどうやら図書館のことを指すらしい。

「WEBで岩田さんの何を調べたの?」

「〈岩田周作〉だけで見ていったら、歴史に関係するような項目では〈甲申事変〉とか〈金玉均の政治亡命と日本〉〈日清戦争〉とかが出てくるんだけど、韓国・朝鮮近現代史の歴史学者で検索しても二十人くらいの名前の中に岩田周作という名前が探せなかったの」

「岩田さんはどこの大学の先生なんですか?」

小笠原君が訊いてきたが、記憶が完全でないことを装って答えず、おれの方から里子さんに質問した。

「その図書館で調べて出てきた中で何か共通していたことあった?」

「難しいことはわからなかったのですが、一つだけ気になったことがありました。〈岩田周作〉というのは、朝鮮で革命を起こそうとした〈金玉均〉のことで、失敗に終わり日本へ亡命し、その際使った変名が〈岩田周作〉だったって……。もう一度よく調べてみます」

「たくさん書いてあるの?」

「けっこうたくさんあるみたいでしたよ」

「おれも見てみたいな」

「そんなのいつでも、いまでも見れますよ」

小笠原君は本の大きさくらいの、手鏡のようなものをベッドの枕元から取り出した。

「ネクサスじゃない。どうしたの?」

 里子さんが目を輝かせて、なにやらもの欲しそうに言った。

「母親に買わせた。ここにはパソコンを持ち込めないので、退屈きわまりないからね」

「それは何かね?」

「タブレット端末です。岩田さん風にいえば携帯図書館かな。調べたいことのほとんどが検索できますよ」

 会話に出てくる単語の一つ一つをそれはどういう意味? と訊くのはもうやめた。治りそうな頭の傷がまた悪くなりそうだからだ。

「サト、やってみる? 〈岩田周作〉で検索してみてよ」

 里子さんは、小笠原君とおれのベッドの間にイスを持ち出して、爪紅をした人差し指で手鏡の表面を叩いたりなぞったりし始めた。

「短くて分かりやすそうなテキストがあったら、岩田さんと俺にゆっくり読んでみてくれないかな」

「一つ簡単そうなのがあるから読むね。でも……まあいいか、とりあえず」

 なにか腑に落ちなさそうな表情をつくりながら、里子さんが読み始めた。

――甲申事変失敗後の金玉均たち開化党のその後。

日本への亡命を選んだ者は、金玉均、朴泳孝パクヨンヒョ徐載弼ソジェピルら九名……(中略)……この事件に参画した開化党同志は四十三名と言われる。亡命の道を選ばず、朝鮮に踏みとどまった者は、みな虐殺された。

 ――金玉均が岩田周作、朴泳孝が山崎永春というように日本名を名乗った。身柄の引き渡しを朝鮮政府は要求してきたが、日本政府は拒否した。日本での生活費用として日本政府は金玉均に月給五十円を支給した。

「ちょっと待って。そこまでにしてくれますか」

 おれは里子さんが読み上げる文章を聞いていることに耐えられなくなった。血が全身をほとばしり興奮し自分でも顔が紅潮していくのがわかった。どんな光景も決して忘れることのないクーデター実行の昔に引き戻されていることにもよったが、今そばにいる二人に自分のことを隠しておく苦痛に耐えられなくなり、まるで第三者のように装っていることができなかった。おれはよほどのことがないかぎり、なにごとも胸の内にしまい込んでおくことができない性分だ。

 里子さんが言葉を挟んで小笠原君に手鏡を渡しながら言った。

「この写真見て。どう見てもこれって岩田さんにそっくりなんだけど。そう思わない? 金玉均って書いてあるわ」

「ほんとだ。これ岩田さん? そんなわけないですよね、昔の写真だから。それとも岩田さんってこの写真の人物のソックリさん?」

 小笠原君は、おれに手鏡の中の写真を近づけた。

「いや、これはまさしくおれだ」

 おれは言い切ってしまった。現実にこの場にいることは、おれがいちばんよくわかっている。そのおれがなぜ病院に運び込まれ、こうして日本語で会話をしているのか説明がつかないだけだ。

「そんな訳ないでしょ。百何十年も前の人間が生き返って現代に存在するなんてことSF小説でもあるまいし。まるで映画のバック・トゥ・ザ・フューチャーⅡみたい」

ばかばかしくて話にもならないと、里子さんは薄笑いを浮かべている。

「そんなことは絶対にありえないとおれも思うが、まちがいなく手足もあれば口もきいているんだから、金玉均は生きてここにいるんだよ。そして〈岩田周作〉が〈金玉均〉の変名で同一人物だということも、おれ本人が言うんだから間違いようもない」

「頭ごなしに否定しても、全部岩田さんの言うことがほんとうだとしたら、俺とサトはとんでもない時空間、世界にいることになるじゃないか。絶対にできない体験を俺たちふたりはしていることになる」

「あり得ない。世界中のだれに言ってもだれ一人信じる人なんていないわよ」

「俺はなんか0・000一パーセントくらいは、信じられるような気がしてきた。『プルーフ・オブ・ヘヴン』という、自分に実際に起こった臨死体験のことを書いた、脳外科の医者の本を読んだことがあるから」

「わたし、なんか寒気がしてきた」

「俺は俄然興味が湧いてきた。岩田さん、一つ訊いてもいいですか。この着物を着ている写真はどこで撮ったんです?」

「これはたしか銀座の伊勢幸という洋装店の近くにあった二見朝隈写真館だよ」

「こんなに具体的に写真館の屋号まで即答できるなんて本人でなきゃ答えられないよ。俺はますます信じられるような気になってきた」

小笠原君は興味津々でおれを見つめている。

「君たちふたりに、おれは謝らなければ……。仕事は何をしているかと訊かれて、咄嗟に歴史学者と言ってしまって。嘘ついてわるかったね」

「そんなことはどうでもよくって、WEBに書いてあることも全部事実だとしたらとんでもない有名人で、俺たちがあの時代に生きていたとしても話をすることはおろか、会うこともできない人じゃないですか」

「有名人なのかどうか、里子さんがもってきてくれた本をじっくり読ませてもらうよ」

「サト、おれ素晴らしいことを思いついた。サトの卒業論文は岩田さんのことをテーマにしたら。それも岩田さんに徹底的にインタビューして、岩田さん、いや金玉均さんの独白小説風卒論というのはどう? メッチャ斬新で大受けすると思うけど」

「おれには卒業論文というのがどんなものなのかわからないけど、そんなことでよかったら全面的に協力するよ。これを縁に親しくしてもらえれば」

「あら、それって面白そう。カオルたまにはいいこと言うじゃん」

 里子さんの顔が急にキラキラしてきた。おれのことがそんなに興味を引くことなのだろうか。

「わたしは、朝鮮の王家に嫁いだ李方子イパンジャ(リ・マサコ)さんのことを、日韓文化比較とジェンダーという視点からどうかな、と漠然と考えていたけど、方向転換してもいいわね」

 頭から〈甦り〉を否定していた里子さんが、否定も肯定もせずに言った。

「是非そうしなよ。ねえ岩田さん」

 妙な方へ風向きが変わってきたと苦笑しそうになったが、ふたりのあっけらかんとした会話に、ほほ笑ましさが病室に広がったような気がした。そして里子さんの次の言葉に、おれはあわててしまった。

「『岩田周作(金玉均)の日本における女性遍歴の一考察』というのはどうかしら」

 刑事が訪ねてきた。

「小一時間ばかり私に時間をくれませんかね」

 おれにではなく隣の小笠原君に刑事が言った。

「彼はここにいても構いませんよ」

「いやそういうわけにはいかないもんで。すみませんね」

 刑事とおれの話を小笠原君にもそっくりそのまま聞かせるつもりでいたが、それは叶わなかった。

「今日は真面目に答えてもらいますよ」

前回と同じように氏名、年齢、住所、職業からきいてきた。

「名前は岩田周作、年齢はほんとにはっきりしないのですが、四十二か三だと思います。生年月日が思い出せない。職業は無職ですが、学校の教師をやっていたような気がします。うろ覚えです」

「住所は有楽町ということでしたから、かなり時間をさかのぼって調べたけれど、名前もどこにもそんな痕跡がないのです。何か思い出せませんか?」

 思い出すもなにも、元々日本の戸籍に岩田周作は存在しないのだ。

 ネットで見ると、明治時代に岩田周作という名前があるにはある。岩田秋作という記述もあったという。家族はどうなっているかも調べたが何もわからず、そのことでは病院も困惑しているということだった。

「暴力団うんぬんとおっしゃっていましたが、そのことはどうなんです?」

おれの方から逆に質問すると、

「はっきり言いますけど、われわれの知り得るかぎりでは、どんな団体、組織にも名前がありません。また全国の行方不明者リストにも、家族からの捜索願いリストのどこにも名前が見当たりません。このままではあなたは無国籍者ということになってしまいます」

「ピストルの薬きょうの痕跡が、どこにもないというのも不思議なんだよなあ」

 刑事は独り言のように言って沈黙してしまった。

「事件に関係すると思われる、どんな小さなことでも結構です、何か思い出すことはありませんか? あなたは新橋の公園で倒れていた。そばに桐箱に入った日本刀があった」

「新橋? ああ、わたしは新橋の料亭にはよく行った。女将や芸者に聞いてみたら何かわかるかもしれませんね」

「なんという料亭です?」

「あっちこっち行っていたから、どこといわれても……」

 政治家をはじめ各界のいっぱしの人物と会うのは新橋の料亭が多かった。

「あなたの話を聞いていると、この事案はどうも私の担当ではないような気もしてきた。強盗、傷害の係のほうがよさそうだ。岩田さん、こんどは別の刑事が訪ねるかもしれませんから、そのときは協力してくださいよ」

刑事は押さえつけるような口調だった。

 協力もなにも、これまでに話した内容がすべてだとおれは言うしかなかった。以来警察は一度も訪ねて来ず、退院後呼び出されることもなかった。

「警察には有楽町の岩田周作で話をしなきゃいけないので疲れるよ。金玉均が百何十年もの時間を飛び越してきたとも言えないし」

「警察官というのも因果な商売ですね。自分の感情を殺して事実関係だけを淡々と話し、記録するだけですからね」

「同じことを何回も訊いてくるんだよ、事務的にね」

「僕も事故ったときに警察官にいろいろ訊かれましたが、味も素っ気もない話し方なんです。僕を呼ぶときに、運転手さん、運転手さんを連発するんです。せめて小笠原さんとでも言ってくれてもよさそうなものなのに。運転手じゃない、学生ですとも言えないし。だから僕が、警察官さんって言ったらへんな顔してました」

「行方不明者にも入っていないし、家族からの捜索願いもないと言って、困り果てていたよ」

「そりゃそうですよね、時間を超越しているんですから。笑っちゃいますね。家族がいるわけがない。……ところで岩田さん、退院したら住むとこありませんよね」

「言われてみたらそうだね」

「お金もないでしょ。友人としては考えなくては」

 あの時代に、金のことなんかどうにでもなると、高をくくっていた。困れば銀座の洋装店伊勢幸に無心すればすんだ。おれの最大の後援者だった。福沢先生もたまに小遣いをくれた。大隈重信はケチだったなあ、と埒もあかないことを思い浮かべた。

「そうだ、僕の家はどうです。三階四階は賃貸アパートなんですよ。たしか一部屋空いていたなあ」

「そりゃいいね、小笠原君のそばなら。早く退院したくなったよ」

「オヤジは一階で自動車の電装関係の仕事しているんですが、これがケチでしかも昔気質ときている。それが難問だなあ」

「なんの仕事かさっぱりわからないけど、そこで働くのも面白そうだな」

「明治時代の人にそれは無理でしょ。カーナビ、ETC、ドライブレコーダー……、どれもチンプンカンプンでしょう。僕だってどんなことをするのか興味もないし、わからないんですから」

 ジドウシャというものがなんたるものかは、新聞で読んで知っていたが、どんな形でどんな原理で動くのかなど、まったく知らない。移動はいつも人力車だった。

「僕、あと一週間で退院できることになりました。その間リハビリやって、リハビリじゃ岩田さんにわからないか。なんと言えばいいのかな、日常復帰訓練か。そのあとも週に二、三回は通院しますからいつでも顔出しますよ」

「さびしくなるなあ。おれはあとどれくらいかかるのやら」

「少し遅くなってくれたほうがありがたいです。その間に岩田さんの生活の準備をしますから」

 小笠原君は車イスとやらで行動も自由になり、病室の外へも出る。おれがいろいろ外のことなど質問しても、あまり詳しいことは話してくれない。病室外の話題はおれには刺激が強すぎると抑制しているように見受けられた。

それでも小笠原君の関心をひいたものがあった。週刊誌の記者に呼び止められたときのことだったという。おれは何の興味もなく、そんなことはすっかり忘れてしまっていた。

――病院の中庭――

「君は岩田周作さんと同室の小笠原さんじゃない?」

僕はこういう者です、と言いながら名刺を差し出した。日本人ならだれもが知っている週刊誌三誌の書名が羅列して書かれていて、〈契約記者 宮永二朗〉と記されていた。

「差し障りのない範囲でいいですよ。岩田さんの様子など聞かせてもらうと、たいへんありがたいんだけど……」

物腰の柔らかい慇懃な口調だった。

「だいぶよくなったんじゃない? たまには話をするでしょう」

 小笠原君の頭にはおれの秘密が渦巻いていたらしい。

「僕はしま憶測や思い込みでは絶対に記事にしません。個人を中傷するようなことは書かないというのが僕の信条です。もちろん個人情報をみだりに記事にすることはありません。なんだったらいままでに週刊誌に載ったものを見せてもいいです。なんとか協力していただけませんか」

 里子さんと小笠原君の二人は、信じてもらえる人がいたら、だれかおれの秘密を共有できないものかと、隠しておくことに耐えられない思いではち切れそうになっていたようだった。

「僕が知る限りでは岩田周作氏のところにだれか見舞いにきたという形跡がないのです。それが不思議でたまらない。だれか来ました?」

「来ないですね」

小笠原君はつい口を滑らせてしまった。

「それって不可解と思いません? 警察はその方面の組織内のことと思っているようだけど、身内も知り合いもいないホームレスということだって考えられない?」

 宮永記者は、取材相手に疑問を投げかけるような質問の仕方をする。いつの間にか話題に釣り込まれてしまう訊き方をするのだ。

「ネットの検索から始まって、かなりのところまで岩田周作氏を追っかけてみたんですよ。そこで事件と共通して出てくるものは、桐箱に入っていた芸術品的価値の日本刀です。しかしそれほどの物が現場に置き去りにされていた。持ち去られてもおかしくない。小笠原さん、そう思いません?」

「どうしてそんな高価なものを持ち歩いていたのか、僕も疑問です」

「それと岩田氏が倒れていたときの服装です。三つ揃いでボタン四つのスーツというのも最近では珍しい。ホームレスの人だとすれば、どこかそぐわない格好です。岩田さんはそれなりのステータスというか、身持ちのいい紳士に思える。岩田周作というのは偽名では、とも考えたのですが、どうです?」

「どうかなあ、でもそんなこと本人に聞けないでしょう」

「仮に偽名だとすると、思いつきで出てくる名前には思えない。なにか本人と関係のある苗字や名前を名乗るはずです。僕だったら咄嗟に〈宮本〉とかね」

 病室に戻ろうとする小笠原君の車イスを押しながら宮永記者は言った。

「また話しましょう。僕は当分岩田周作を追ってみるつもりです。興味が尽きません」

「病院に張り付いている宮永という雑誌記者に会ったよ」

「何を訊かれたの?」

 退院後はじめてのデートである。

「質問されるというよりも、独白的に次から次へと疑問を投げかけてきたよ。俺たちが知っていること、岩田さんの秘密を全部ぶちまけそうになったけど、呑み込んだ。サトと相談してからにしようと自分に言い聞かせて」

「その人よっぽど話し方が上手なのね」

「情報収集への執念と嗅覚の鋭さはすごいね。岩田さんを会わせでもしたら、何もかも見抜かれそうだ。岩田さんって自分を隠しておくことができないし無防備だと思う。サトそう思わない?」

「そう思う。だけど岩田さんは歴史の観察者、研究者ではなくて当事者でしょう。その人が語る歴史の講座があるとしたら、すごいことじゃないかしら。それを表現する場が必要で、それでこそ岩田さんが甦ったことの、証しになるでしょう」

「サトは、最初はそんなこと絶対あり得ないとまったく信じていなかったのに、俺なんかよりもずっと深く考えているんだな。驚きだよ。俺は岩田さんのこれからの、住まいとか生活費のこととか目の前のことばかり考えていた」

「それは大事なことよ。それでアパートはどうなったの?」

「オヤジに言うとうるさいから、母親を説得した。不動産屋を通さないから礼金敷金の類いはなし、三ヵ月の家賃を前金で了解させたよ。何せ、うちは母親がオヤジの会社の経理部長、取締役だからね。サト、家賃の一ヵ月分を協力してくれないかな。俺の貯えだけでは心もとない」

「オーケー、それくらいなら全然平気。わたしだって家族や親友に話したくてしかたがないけど、話が長くなるし、信じてもらえそうにないから、カオルと二人だけの秘密にしておこうと思ってる。それくらいの協力は当たり前でしょ」

 秘め事を共有することで、親密度が以前にも増して深くなることを二人とも感じていた。

「雑誌記者の人のことを聞いての思いつきだけど、その人を仲間に引き入れたらどうなるかしら?」

「岩田さんの体験してきたことを、どんな形がいいのかわからないけれど表現することになったら、歴史の一部が書き換えられるかもしれないね。そうなれば記者にとっては一大スクープになるかもしれないね」

「それだけじゃないわよ。百二、三十年前の人が見た現代を語るだけでも……、記事にしたらどんな反響があるか想像もつかないわね。世界仰天ニュースじゃないの」

 MRI検査とかいうものをするそうだ。看護婦の津田さんが言うには、頭の中を透かし見て、それを写真に撮るという。どんな原理なのか想像もつかないが、現代はとんでもないことをするものだ。その結果を見ておれの退院時期を決めるらしい。まさか考えていることや秘かに思っていることまで、あからさまにする機械じゃないだろう。

 小笠原君が退院したあとに入ってきたやつは、一度話しかけてみたが、いけ好かないやつで、どうもおれとは相性が悪くて、その後話す気にもならない。

 唯一の話し相手は看護婦の津田さんだ。彼女が長崎の出身ということを聞いて話が盛り上がった。おれが初めて日本に足を踏み入れた場所が長崎だった。二ヵ月ばかり滞在した日本で最もひらけた街で、港には外国の船があふれていた。印象的だった。

 おれは病院や電信所、長崎税関などと眼を見開いて見て回った。そのときに知り合い、のちのちまで刎頚の友になったのが炭鉱経営者で、朝鮮の近代化にも関心を寄せる渡邉元だった。銀座の洋装店伊勢幸の女将は彼の東京妻だった。

 津田さんを意識するようになって驚いたことがある。それまで気づくこともなかったのに、彼女の半袖の袖口から見えた上腕のホクロにおれは息を止めた。以前から気になっていた津田さんの声色もそうだったが、その声も垣間見えたホクロも杉谷玉と同じものだった。杉谷玉は、おれが殺される前の四年ばかりを献身的に尽くしてくれた日本妻で、おれの北海道住まいのときに知り合った芸妓だった。

 おれは玉と津田さんを重ね合わせて、輪廻転生を思わずにはいられなかった。津田さんは杉谷玉の生まれ変わりにちがいない。であればあんないい女はそうそうにいるものではない。そう思い始めると津田さんのことが頭から離れなくなってしまう。おれの女好きは長い時間を隔てても同じらしい。

 共通の話題で親しさを増すと、津田さんのおれに対する接し方は職務以上によくしてくれていると思うのは、おれの身勝手な思い込みかもしれない。たまには車イスを押して館内や中庭など屋外にも連れ出してくれた。二人だけになれる貴重な時間だった。

 何度目かの日光浴を満喫しているときだった。津田さんはおれの至福の時間に冷や水を浴びせるようなことを言った。

「昨日退勤時に病院を出たところで週刊誌の記者に声をかけられたの。岩田さんのことでどうしても教えてほしいことがあるからと強引に時間をとらされたんです。ちょっとだけコーヒーをつきあってほしいって」

「前に話していた、注意したほうがいいと言ってた記者? 若いの?」

「三十歳前後かな。話しぶりが誠実そうで、つい釣り込まれて岩田さんのことだけじゃなくていろいろ雑談しちゃった。だってちょっと福山雅治似のイケメン顔なんだもの」

「フクヤマ・マサハルってだれ? イケメンって何?」

「長崎出身のマシャ、知らないんですか? 好みの美男子。一度でいいから、私、福山雅治の腕枕で眠れたら思い残すことないわ」

さも楽しかったとでもいうような口ぶりに、何を話したのかを聞く気にもならなかった。嫉妬心のほかの、なにものでもなかった。

三 消えた墓碑

「さあ、今日が岩田さんの新しい旅立ちですね。部屋はすっかり整っていますよ」

 小笠原君と里子さんが、おれの退院を祝福してアパートへ連れて行ってくれた。里子さんの運転だ。自動車に乗るというのは初めての経験のうえに、女が運転するなど考えもおよばなかった。

「どうかしました?」

 小笠原君が不審げに聞いてきた。

「あっ、そうか。岩田さんは明治時代の人ですもんね、すっかり忘れてた」

 おれが初めて街へ出る緊張をほぐすために、わざと言ったにちがいない。

「アパートは向島だとは言いましたよね。部屋からタワーも見えるんですよ」

 運転席の横に座っている小笠原君は、アパートに到着するまでずっと後ろの席にいるおれの方を向きっぱなしだった。

 タワーが見えるというのは、浅草十二階凌雲閣のことだろうとぼんやり思い浮かべた。おれは杉谷玉といっしょにエレベーターにも乗った。

「タワーというのは浅草十二階凌雲閣のこと?」

「はあ? それって何です?」

小笠原君は怪訝そうな表情をした。

 おびただしい数の形も大きさも違う自動車がすり抜け往き交い、交差点を過ぎ、または列をなして止まりながら三十分も走るとアパートだった。

 おれは北海道から東京に戻ると自由の身になった。明治二十三年(一八九〇)のことである。杉谷玉と築地に居を構え、書生の和田延次郎と多忙の日々を過ごした。座の暖まる暇もないほど、おれは東京中を駆けずり回っていた。向島の料亭は何度も足を向けた。榎本武揚に会うときはいつも向島だった。隅田川の突堤でしばしの憩いの時間をとったこともあった。突堤から見る浅草十二階は、雲をも凌ぐ塔という意味で凌雲閣と名づけられた目を見張るほどの高さが名物だった。しかしアパートの眼前に迫る、巨大でそそり立つような塔は聞きしにまさる建造物である。

「東京スカイツリーというんです。そのうちに案内しますよ」

 小笠原君の声に反応もせず見とれていた。天空まで届く木なのか。浅草十二階にわれもわれもと押しかけた昔の光景がほほ笑ましく思えた。

「基本的な生活に必要な調度品はそろえておきました。これからは私の専任教授様ですから、授業料の先払いですませました」

 部屋中を見渡しながら、おれは小笠原君と里子さんの気配りに感謝の念でいっぱいになった。

「ほんとにありがとう。どんな形で二人に恩返しすべきか、病院でずっと考えていたけれど、何をしたらいいのか思い浮かばない。おれは政治に携わってきた人間だ。講義はまずは日本と韓国・朝鮮の政治史から始めることにするよ。近現代の関係を一気呵成に勉強して……それが恩返しの一端になれば」

「あせることはないと思います。資料関係は国立国会図書館や四谷の韓国文化院もあるし。慶応の大学図書館には、朝鮮開化派独立党や金玉均の貴重な資料がたくさんあるんじゃないの?」

「いままで関心もなかったから知らないけれど、よく調べとくよ」

「私はこの一ヵ月ばかりいろいろ調べたわよ。それで岩田さんを是非連れて行きたいところがあるのよ。どこだと思う? 青山の都立霊園なの」

「なんでまたそんなところへ?」

「よくぞ訊いてくれました」

早く言いたくてしかたがないとでもいうように里子さんが続けた。

「青山霊園の外人墓地の一角に、なんと金玉均のお墓があるのです!」

 初めての外出が自分の墓を見に行くというのも妙な気持ちだが、甦った人間にしか体験できない興味をそそられることだ。おれの体調を考えて自動車にしようというのを、おれがあえて電車にしたいと提案して地下鉄になった。

 小笠原君が道筋を説明してくれる。押上駅から半蔵門線で大手町へ、そこで乗り換えて千代田線の乃木坂駅まで三十分要するという。

 なにを見てもいちいち驚いていたら際限がないと考え、入ってくるものを素直に受け入れようと心に決めたが、アパートを出るとすぐにそんな決心は消し飛んでしまった。もうすべてのものが別世界だった。通りに出て地下鉄に乗るまでだけでも、そこはおれの知っている日本ではなかった。着物を着てゲタを履いている者に一人として会わなかった。人も街も思い思いの色に溢れている。人の話し声も聞こえてこないかわりに、どこからともなく聞こえてくる音楽と、形容のしようがない人工的な音がはびこっていた。駅の改札口には駅員もいない。小笠原君に与えられた手のひら大の札をかざすだけで改札の扉が開いた。電車賃は無料なのだろうか。電車は扉が勝手に開閉するのはなぜだ。そんなことに乗客は無関心で乗り降りになんの支障もなかった。

 乃木坂駅を降りて地上に出ると、鼓膜に突き刺さるようなセミの鳴き声だった。霊園の中を進むにつれ、全身から汗が噴出し呼吸をするたびに背中のシャツが肌に張り付く。呼吸が速くなり、神経が高ぶってくるのがわかる。首筋を流れ落ちる汗は外気のせいだけではない。

小笠原君も里子さんも霊園は初めてのようだった。案内板にしたがって外人墓地の区画まで十分ほど歩いていった。墓地だというのに土の道ではない、何なのかわからないが平べったく硬いが、いまにも溶け出すような熱気をはらんだ道だ。

 金玉均の墓所に先にたどり着いた里子さんが、頭上で両腕を大きく交差させて素っ頓狂な声を出した。

「ない! お墓がないの!」

 どういうことか意味がわからないままに小笠原君とおれは里子さんに近づいた。里子さんが指差す場所は、まばらな雑草だけの更地だった。

「ここに間違いないのに墓碑も囲いもないのよ。周囲の墓碑との位置関係から見ても絶対ここなのに」

 墓地の木立ちのむこうに高層の建物が見えている。

「ネットで見てみるよ」

 小笠原君が手鏡の携帯図書館を覗き込みながら言った。

「ここで間違いないよ。三メートルばかりの石碑がたしかに写っているよ」

「消えてなくなったってこと? そんなことってある?」

「バック・トゥ・ザ・フューチャーに本のページが消えていくシーンがあるじゃないか」

「あれは作り話でしょ。現実にそんなことあるわけないじゃないよ」

「おれが甦ったからお墓が消えた。理にかなっているね」

他人事のように言うと、

「ありえな~い。超常現象よ。……いや、あり得るかもしれない」

 里子さんの思考回路は絡まった紐のように混乱しているようだった。

「これは写真に撮っておくべきだ。岩田さん、そこに立ってください」 

 ポケットから葉書を一回り小さくした機器を取り出すと、いくつもいくつも四方八方から写真を撮った。写した画像をおれの目の前にかざした。撮ったばかりのものが即座に見られるというのはどういうことだ。まぎれもなく今日のおれだった。出がけに着せられたジーンズとTシャツとやらのかっこうで撮りこまれている。里子さんと並んで写っている一枚は父と娘のようで一瞬大人になった端陽(タニャン)を連想した。日本へ逃れたときに建てたばかりだった家に残してきた娘だ。

 この場所にだれがいつ墓碑を建てたのだろうか。杉谷玉、書生として寄り添うように生活し、上海行を伴にしてくれた和田延次郎、おれの日本亡命中の活動に協力を惜しまなかった頭山満、資財をなげうってまで助けてくれた栃木県佐野の須永元、おれの安全に心を砕き、生活費の面倒までみてくれた渡邉元と、銀座の洋装店伊勢幸の青木たけ夫妻、それに福沢先生。親身になって接してくれた人たちだ。いろいろな人たちの顔が現れては消えた。

おれが死ぬと、柩はここに埋葬され墓碑が建てられた。その墓碑が消えたということはおれの柩も消えたことになる。それにしてもなぜおれは朝鮮の先祖の墓所に埋葬されていないのか。この地の墓碑は墓碑ではない。おれは顕彰されるような人間ではなかったから顕彰碑でないことははっきりしている。日本人のだれかが建ててくれた記念碑にちがいない。なにを記念する碑かはわからないが。

朝鮮の墓所は柩が土葬された盛り土の墓でなくてはならない。現世でどんな所業を仕出かした人間でも死者にたいする扱いは丁重にするのが朝鮮の慣わしなのだ。おれの墓は必ず朝鮮の先祖とともにあるはずだ。

 吹き流しの(のぼり)を立て、雇い入れた泣き女たちのアイゴー、アイゴーの大袈裟な泣き声が流れる中、白衣の野辺送りの行列が続く。男たちの肩に担がれたおれの柩がゆるゆると進む様子が目に浮かぶ。こんな大都会の真ん中におれの墓があるはずがない。おれの墓は、朝鮮の山の中腹になくてはならない。おれは癒えた頭の傷が疼くほどに祖国朝鮮を思った。

 朝鮮の習俗の数々を思い、食べ物や人々の立ち居振る舞いへの郷愁がこみ上げてきた。一方ではまた儒教の呪縛と亡霊にまみれたままに、解き放たれない慣習にも思いを馳せ、苛立たしいやるせなさが胸を塞いだ。おれはタバコを吸いたくなった。

 初めて長崎へ降り立ったときを思い出す。おれたち修信使一行の気負った服装と態度のことだ。朝鮮の両班(貴族)として、いささかも後ろ指を指されることのないよう気を遣ったのだった。

 ツバの広い山高帽風の‘カッ’という黒い帽子と、道袍(トポ)という礼服を身にまとっていた。おれたちには威厳のある様相であったが、日本人の目にどう映ったかはわからない。

 日本人に両班であることを見せつける道具がキセルだった。一メートル余りのキセルを下僕に持たせ、あごで合図を送って一服ごとに火を付けさせ、紫煙をくゆらせたものだった。その所作はなんとも朝鮮両班の象徴的なシーンであった。

「こんなところでタバコなんてだめですよ。最近は路上をはじめ、やたらめったらタバコを吸うことはできないんですから」

 非難がましく言う小笠原君は、コーヒーショップへ行こうと誘った。われわれ三人は表参道の駅近くを目指した。

 ルビーホール青学会館そばの蔦珈琲店は、古風な建物で落ち着いた風情の喫茶店だった。

コーヒーを口にしたおれは、小笠原君の顔をまじまじと見た。うっすらぼんやりとして曖昧だった記憶が突然蘇った。

「君と里子さんの名前が、病院にいたときから気になってしかたがなかったが、いま全部はっきりと思い出すことができる」

「小笠原馨が、記憶回復にどんな効果を発揮したというのです?」

「いますべてがつながったんだよ。いいかい、二人ともよく聞いてくれよ。何年のことだったかは定かじゃないが、おれは小笠原島に二年近く住んでいた。そこに住んでいたアメリカ人にコーヒーをごちそうになったものだ。小笠原という名前が気になってしかたがなかったのには、そんな理由があったのだ」

「どうしてまた、あんな遠い島に?」

「それは追い追い話すことにしよう。一種の島流しだった」

「島流しとは聞き捨てできない話ですね」

 次におれは里子さんに視線を移した。

「〈山崎〉という苗字は、おれとともに日本へ亡命したクーデターの同志、朴泳孝(パクヨンヒョ)の変名だった。朴泳孝は〈山崎永春〉と名乗ったのだ。その後おれは島流しになったが、彼はアメリカへ行った。血判状を取り交わすほどの同志だったのに、おれたちは仲たがいをした。朴泳孝がおれの放蕩な生活態度をなじったのがきっかけだった。おれにはおれの考えがあっての振る舞いだったが、朴泳孝にはそれが我慢ならないことだった。おれなりの思いを理解してもらえなかった」

「当事者にしかわからない深い事情。それってなにか真相を公表する手だてってないのかしらねえ。通り一遍の歴史に隠された真実に光を当てる方法が。カオル、ブログというのはどう?」

「いや、俺は、岩田さんに相談がてら一度聞いてみようと思っていたことがあって……」

「なんでも答えるよ、言ってみて。ブログってなに?」

 小笠原君はおれの質問を無視して続けた。

「……岩田さんにとっては大きな決断を要することだと思うから、なかなか言い出せなかった」

 おれのことで二人を悩ませるのはよくないことだ。

「遠慮しないで言っていいよ。おれは軽率なところがあるが、肝は据わっている人間だと思うから」

「岩田さんが活躍した時代の内幕を伝える手段として、マスコミの力を借りたらどうかと。どこかの媒体に連載で公にできたら、すごい反響を呼ぶのではないかと思うんです。もちろんリスクを伴うことでしょうから、軽率にできることではないでしょうが」

「マスコミって?」

「ああ、簡単に言えば病院にいた雑誌記者の宮永さんを仲間にしたらどうかということです」

 ――なに? 看護婦の津田さんが一目惚れしたという記者だと? いやな野郎だな。

「岩田さん、急にタバコの本数が増えましたね、俺、なにか気に障ることでも言いました?」

 おれはむっつり黙りこんでしまった。すぐに顔に出るのもおれの欠点だ。津田さんへ想いを寄せ、思いきって交際を申し出ようかと悩んでいたときに、コーヒーを共にした記者の話を聞かされ、嫉妬心を抱いた男を仲間にしようという提案におれは反発していた。

「もし雑誌などの媒体に岩田さんのことが掲載されたら、大騒ぎになって岩田さんが身動きとれなくなるんじゃないかしら。それが心配だわ」

 興味もなく二人の会話を聞きながら、おれは日本滞在中の新聞のことも考えていた。あの時代もおれの動向がちょくちょく新聞の紙面を賑わわせたものだった。書かれることに一長一短はあった。しかしおれはいつもいい方に解釈しようとしたのだった。

「なにか書く物と紙はないかな?」

 店の店主らしき人が用意してくれた筆記具と用紙に、意を決したように一気に大きく書いた。『先從隗始』

「なんて書いてあります? 全然わからない。それにしてもすばらしい字ですね。昔は、岩田さんの書を欲しがる人がたくさんいた、ってなにかで読みました」

 里子さんは顎に手を当てて考える表情をした。

「日本語だと、『先ず(かい)より始めよ』と読むのかな。なにか大きい事をやるときには、まず手近な、できることから早速始めよ、ということかな。よし、雑誌記者に会おう」

 看護婦の津田さんのことをどう思っているのか、それとなく聞いてみようという下心があった。

四 ブログ

 記者の宮永氏と会うのが上野の精養軒ということになった。懐かしいところだ。

 日本で初めて路面電車が走ったのが、上野のお山で催された博覧会のときだった。飛行船も浮かび大変な人気を博した催しだった。

 おれは玉を連れて何度か足を運び、日本の殖産興業の実態をつぶさに見て回った。そのころ和田延次郎と再会したことを回想しながら、小笠原君、里子さんの三人で、記者を待った。

小笠原君と雑談を交わしていると延次郎と重なって見えた。

 くだけた格好の長身の男が、軽く手を挙げながら近づいてきた。小笠原君とは面識があるとはいえ、ずいぶん馴れ馴れしいやつだと思ったが、挨拶は年長のおれに礼儀をわきまえたものだった。

「岩田さんにお目にかかれて光栄です。私のたっての願いを聞き入れていただき、ありがとうございます」

殊勝な挨拶だった。

 おれは自分のことより、この男のどこが看護婦の津田さんの気持を惹きつけたのか、そんな思いのほうが先走ってしまった。

「岩田さんは退院されたあと、私の家、いや、私の家が上の階をアパートにしているので、そこに住んでいるのです。それにはわけがあってそうしているのですが」

小笠原君が口火を切った。

「家族の方ももちろん一緒に?」

「家族はいない」

おれはつっけんどんに答えた。

「今日は取材を受けるために岩田さんをお連れしたのですが、わたしたちからも話が、というか宮永さんにお願いしたいこともあって、お目にかかることにしたのです」

「私にできることであればなんなりと協力させてもらいますよ。さっそく本題に入りましょうか。それでこちらの方は?」

「山崎里子といいます。小笠原君の友人で大学生です」

 里子さんは物怖じすることなく堂々としている。

「さっそくですが、岩田さんのことをいろいろ調べさせてもらいました。ピストルで撃たれたという尋常でない傷害事件なのに犯人につながるものが何もないどころか、岩田さんを知っている人物が誰一人として名乗り出ないという、なんとも不可解な事件なのです。そんなことから伺いたくて、ずっと岩田周作氏を追っていたのです」

「警察が二度ばかり来たが、それ以来何も言ってこない。あきらめたのかな」

 おれは他人事のように言った。

「警察と病院への取材は何度も試みています。どんな事件もしくは事故なのか皆目わからない。不可解千万というのが両者の結論なのです。岩田周作が何者なのか、使用された拳銃がどんな種類なのかも特定できない。世の中には不思議なことがあるものだとも言っています」

 警察がさじを投げそうにお手上げ状態、それゆえになおさら真相究明に情熱を傾けていると記者は言い足した。

 小笠原君は、おれが何か言うことを促すように顔を向けたが、おれは黙ったままでいた。人の何倍もよくしゃべるおれが、沈黙のままというのが自分でも不思議だったが、何から話せばいいのかわからなかったからだ。津田さんのことを思って、反発する気持も多分にあった。

「質問からちょっとわき道に逸れますが、私はどこかで岩田さんに会ったか、見たことがある気がしてきました」

 宮永記者は、おれをずっと視界から逸らさないようにして言った。

「それは写真を何度も何度も見られたからだと思います。わたしも実は同じ思い、同じ経験をしたからよくわかります」

里子さんが説明口調で同調している。

「わたしたちも〈岩田周作〉をネットで検索し続けて、そこに掲載されている写真と〈岩田周作〉という項目がどこにでも出てきたのです」

おれが自分から「〈岩田周作〉は〈金玉均〉だ」と言った。

 初めて口をきいたおれを、宮永記者はまじまじと見た。何の前触れもないおれの一言に、どう返していいのかわからず、言葉につまり、やっと発した言葉はありきたりの感想だった。

「死んだ人間が生き返るわけが……ない、バカなことを。そんなことがこの世の中にあってたまるものですか」

「本人を前にしてこんなことを言うのも変ですが、わたしたち二人はいまでは岩田さん、いや金玉均氏が現世に甦っていることを信じています」

小笠原君は確信に満ちて断言した。

「私は超常現象とか輪廻とかは信じませんが、もしあなたたち二人が信じていると言い張るのなら、それを証明できるものがありますか?」

 宮永記者はむきになって質問してきた。

「宮永さんも金玉均のお墓のことはご存知だと思いますが、わたしたち三人で青山霊園へ行ってみたのです。そしてそこにあるはずの金玉均氏の墓碑が消えているのを目の当たりにしたんです。カオル、そのときの写真を宮永さんに見てもらおうか」

 宮永記者は、興味津々という顔つきで例の写真に見入っていたが、何か思いついたとでもいうように、

「DNA鑑定をしたら一目瞭然でしょう」

 何の鑑定だって? おれは他人事のように聞き流した。

「それは無理でしょう。だって岩田さんの昔の身体の一部、たとえば切り取った爪とか毛髪とかがなくては」

「指紋はどうだろう?」

「それだって同じことじゃないんですか。百何十年も前のものから指紋を検出するなんて。

たしかに金玉均氏が昔手にしたものがあればの話だが、大森貝塚の貝殻から縄文人の指紋が採取できたと聞いたことがある。頻繁に手にしたものはないかなあ」

 宮永記者と小笠原君の鑑定問答が続く中に、里子さんが割って入った。

「あるわ。二種類あるわよ、岩田さんが書き残した多くの書画と碁盤よ。書画は現存するものがどこかで探せるはずよ。碁盤は金玉均氏愛用の碁盤が数年前にどこかで出てきたってネットに載っていたような気がするわ」

「それに当たろう、そうすれば証明できるんでしょう? サト、よく思いついたね」

「それだけでは世間のひとたちを納得させるには足りないでしょう。もっと何か……。筆跡鑑定というのはどうだろう」

「DNA、指紋、筆跡鑑定と三つとも一致したら完璧ですね。ジャーナリストの人はやはりちがいますね」

「初歩の初歩です。この程度では世間に受け入れられるような素材やテーマではありません。金玉均氏が甦って、現に今存在しているということを、どこかで見せなければ。もし金玉均氏の甦りが証明されたとなれば、世界を、少なくとも日韓を揺るがす大事件です。傷害事件の真相どころの騒ぎじゃないですよね」

 三人の話に耳を傾けながら、同時におれはまったく別の思いに頭の中がいっぱいになっていた。おれが日本での無聊を慰めるのに夢中になった囲碁の、おれの碁盤がどこかにあるなど考えもおよばないことだった。第十九代本因坊秀栄との親交、幾度となく相対した秀栄氏との対局は、棋譜まで残して修練を積んだのだった。

「岩田さん、いくつか墨書を認めていただけませんか。多ければ多いほどいいです。是非お願いします」

「まずは宮永さんに納得してもらわなくちゃ始まらない。岩田さん是非やりましょう。扁額と同じくらいの大きさがいいと思います」

「そんなことでよかったらいつでもいいよ。でもおれ本人が岩田周作は金玉均だと言っているのだから、これ以上確かなことはない」

「いまの時代は裁判でも、われわれの取材でも何でもかんでもエビデンス、証明なんです。裏を取る、といいますけど」

「書の何を書いたのか、すっかり忘れているが、同じものでなくてよければいくらでも書くよ。腕に自信はないが……何を書いてもいいのかな? こんなのはどうです」

 小笠原君の前にあった紙を引き寄せて、思いつくままに遊び心で書いて見せた。

〈想吃西瓜〉

「漢詩の一節ですか? 漢字ばかりだとひとつもわからないわ。カオル、わかる?」

「まったく」

 二人は顔を見合わせている。

 テーブルの真ん中に紙を差し出して、笑いをとった。

「スイカが食べたい、と書いた」

 二度目のデザートにスイカが供されると場が和み、それを機に小笠原君が話題を変えた。

「大前提で、甦りを事実だとしての宮永さんへのお願いですが、一つは、他の人へは家族といえども口外しないでほしいということ、二つ目は、岩田さんの、何か手記的なものを発表する場を考えてもらえないかというお願いです」

「駆け引きなしで言いましょう。私がこのことを手懸ければ、私にとってリスクも大きいと同時にスクープをものするメリットもデカい。私に是非書かせてください。あなたたちに全面協力しますし、どんな手段で発言、発表するのが最適なのか考えてみます」

「岩田さんとわたしたちにとっての仲間、信頼できる情報の共有者と考えていいということですね」

「ご家族は?」

 おれは場違いな質問をした。

「独り者です、安心してください」

 津田さんのことを思い浮かべて、おれは内心がっかりした。

 未来というのは、人間の浅知恵や予測というもののほとんどを裏切ることがよくわかる。おれにとって未来図というのは現在のことだ。

 おれの知らない時間――それは一八九四年以降のことだが――約百二十年間を、おれは猛烈なスピードで学習した。その間の移り変わりは、どんでん返しの連続だった。

 朝鮮は日本に併合され、いまも日本国に組み込まれていると思っていたが、れっきとした独立国となり、すでに七十年もの時間が経過していた。ただ北と南に分断された独立という、なんともやりきれない思いの姿をしていた。

 おれが描いた極東アジアのあるべき姿は、朝鮮、日本、清国が共存する三和主義と、朝鮮の独立と、中立国化だった。しかし、南北に分断されたいびつな形の朝鮮の独立以外は、三和主義のかけらもなかった。日本から見た三国ではあるが、福沢先生の慧眼というべきか〈脱亜論〉は、百二十年後をみごとに見通していたことになる。

 そんなことから始めて、李朝末のおれの生きざまを里子さんに語って聞かせればいいのではないかと思った。

 里子さんは、おれの生きていた時代の真相を卒論のテーマにすると言った。実を言うとおれも興味のあることだ。全力で携わった李朝末期の政治改革に、後世の人たちがどんな評価を下しているのかを知りたかった。もう一つは、現在の祖国朝鮮はどうなっているのか、外国との関係はどうなのかというのが最大の関心事だ。いまの朝鮮人は、おれたちの時代人とは似ても似つかない民族に変貌してしまっているのだろうか。そんなはずはないだろう。社会の様相も生活も変わってしまったかもしれないが、民族の資質は百年やそこいらで変わるものではないだろう。それを知りたい、祖国へ行ってみたいという欲求が湧き上がってくる。昔親しかった女が、いまどうしているのだろうと思う気持に似ている。女は割り切ってそんなことは考えないらしいが、男はウジウジと愚にもつかないことを思ったりするものだ。漢城府(ソウル)へ行けないものか、小笠原君たちに聞いてみることにしよう。昔と同じように長崎から仁川まで船便を利用するのだろうか。

「すぐに行くのは無理です。旅券を取得するための書類が何もない」

宮永記者は即座に答えを出した。

 動き出した宮永二朗の行動は迅速かつ精力的で、おれや小笠原君、里子さんがたじたじとなることもしばしばだった。

「でも旅券はまちがいなく取得できます。ただ時間が必要です」

 おれは幽霊みたいなもので無国籍者だった。旅券取得には戸籍抄本や住民票が必要だというが、どこでどうしたらいいのか手順もなにもわからない。それ以前に旅費に充当するあてもない。あきらめるしかないのだろう。

「旅費ももちろんですが、生活費の目星もつけました」

 おれのアパートで鳩首の話し合いをもっているときのことだ。

 部屋の中にはテレビなるものがあり、現代の氷室といえる冷蔵庫まで備わっている。小笠原君と里子さんが調達してくれたものだ。テレビも冷蔵庫もおれの想像を超える利器だった。冷やすだけではなく、氷を作るというのだから驚きだ。あの時代には冷蔵庫などあるはずもなく、冬の間に流れが凍った漢江から切り出して保管した氷を、王室やごく限られた富裕な両班だけが夏場に利用したものだった。

 カンカンに冷えたビールを快適に飲みながら、四人でこれからのおれのことを話し合っている。

「あの〈三條小鍛冶宗近〉を古美術商のオークションにかければ、百五十万円はくだらないということは調べました」

 宮永記者のやることは早い。

「岩田さん、宮永さんにお願いして是非そうしましょう。売ってもいいんでしょう?」

 そういえばあの日本刀は、玄洋社の頭山満からせしめた名品だった。後ろめたさ、心苦しさはあるが相当の時間が経っていることだ、致し方なかろう。朝鮮の独立と改革に支援を惜しまなかった頭山の風貌が頭をかすめた。

「当面の生活費はなんとかなりそうですね。でもそれだけでは……私たちは学生で親のすねかじりの身分ですから援助にはほど遠いし」

 小笠原君と里子さんが思案に暮れて顔を見合わせていると、宮永記者が後を引き取って口を開いた。

「私も書きますが、岩田さんにも書いてもらうことで、いま出版社に原稿料の前借りを交渉中です。私がなんとかします」

「それだと岩田さんのことを、こと細かく伝えないとわかってもらえないのじゃないかしら」

里子さんは不安げだ。

「いや、われわれだけの秘密の部分は言わない。切り口は青山霊園の墓碑消滅のナゾ、ということにするつもりです。まだだれもそのことに気づいていないし、現代では金玉均と言ってもごく限られた人しか知らないし、関心もないでしょう」

 どんな手順で発表をし、原稿料まで得るにはどうしたらいいのか、三人にはアイデアもなければ人脈もない。宮永記者の独壇場だった。

「私の考えていることはこうです。まず四人の役割分担ですが、小笠原君と里子さんは岩田さんのブログかツイッターを立ち上げます。文章は岩田さんですが、表現方法や文章については慎重を期して、私が必ず目を通します。内容については立ち上げから当面は自由にしましょう。私の週刊誌への寄稿はある程度ブログが貯まったころにします。ブログは私の記事を補完する役目と広告塔の役目をもっていると思ってください」

 そのあとは、おれを除いた三人から次から次へと話が盛り上がり、概略は決まったようだった。ブログなるものがどんなものなのか、なぜ広告塔だったり週刊誌記事の補完になるのか、おれにはさっぱり理解できない。

「最終的には、岩田さんと私の共著でもいい、一冊の単行本にして世に出すことを目的とします」

 宮永記者の頭の中では、すべての計画ができあがっているようだった。

「ブログの内容は自由ということですが、それでもやっぱり何を出すべきか決めておいたほうがよくはありません?」

「それは里子さん、あなたと岩田さんの授業というか講義形式風になっているのも一つのアイデアだと思うので、李朝末の朝鮮の真相的なことから入っていけばいいのでは。岩田さん自身のことですから」

「それだとビューアーが限られてしまいませんか。少し地味すぎるような気がしますが」小笠原君の感想だった。

「その通りです。私の本当の狙いは、甦った金玉均が見る現在の日韓、日朝関係だったり、極東アジアの国際関係だったりなのです」

「おれはいまのことは何も知らないが」

「そんなことは科挙首席合格の聡明な岩田さんのこと、またたく間に理解できますよ。もちろんこれまで以上に勉強してもらわないといけないでしょうがね。その一環としてソウルへも行ってもらいたいし、可能ならば平壌へも」

「なに、ソウルへ行けるというのか?」

「もちろんです。それでこそインパクトのある本ができあがるというものです」

「旅券やビザはどうやって準備するのですか?」

 小笠原君の質問も至極当然のことだった。それにも宮永記者は明快に答えた。

「戸籍については、日本人と推定できるのであれば、〈就籍届〉というものを家庭裁判所に出して比較的簡単に仮の戸籍をつくることができます。あとは住民票と身分を証明できる国民健康保険証を取得すればいいでしょう。これは小笠原君にお願いしてさっそく手続きしたほうが、後々のためにはいい。さっそくやってほしいです」

 三人の話を聞いて、おれは居ても立ってもいられなくなった。せっかちな性格は変わらない

「いまでも日本と朝鮮の間は、長崎から仁川や釜山へ船で行くのかね?」

 三人は一斉に声を出して笑い出した。

「飛行機ですよ。もちろん東京から直接ソウルへ。二時間半で行けますよ」

「飛行船? 二時間半?」

 おれの想像をはるかに超えた返事だった。

 ブログに掲載するというので、おれが最初に書いたものは「征韓論――朝鮮から見れば」という題にした。何を書いてもいいというが、やはり時代を追って書くのがいいだろうと思った。里子さんにもわかりやすいはずだ。

 江戸末期から西欧列強の脅威を敏感に感じ取っていた日本が、明治維新という大変革を遂げてから、政体が変わったことを朝鮮に告げる国書を、朝鮮が受け取りを拒否したことから始まったのが征韓論の起こりだった。

 受け取り拒否の理由はその主旨内容ではなかった。書面中にあった日本国天皇を〈皇上〉天皇の言葉を〈勅〉していることが問題だったことだ。

 朝鮮にとっての〈皇〉は、清国の皇帝以外にはあり得ない、日本天皇が〈皇上〉など、もってのほかだった。清国の柵封を受け宗属関係にある朝鮮が、国書を受領しただけで、それを認めたことになる。それは絶対にあり得ない、断固拒否は当然のことであったが、朝鮮、日本は互いに自国の主張を譲らない。朝鮮はなぜそこまでこだわるのか、日本には理解できず、国論は次第に朝鮮討つべし、に傾いていった。

 朝鮮の考えは明快だった。第一は日本の国書を受け取ることが問題ではない。〈皇上〉〈勅〉などと書かれたものを受け取ったことが清国に発覚すれば、その結果宗主宗属の関係にどんな禍が降りかかってくるかが大問題だった。第二には、夷狄にすぎない日本ごときが、という華夷を分ける中華思想にどっぷり漬かっている朝鮮の、抜きがたい侮日観によるものであった。第三は、朝鮮の宿痾のような党派争いである。それは反対のための反対という、徒労をもたらすだけの意味のない論争に明け暮れる儒者たちに尽きていた。

その頃おれはどうしていたのか、と里子さんに訊かれた。改めて訊かれると記憶は断片的だ。国政に携わるまでには至っていなかったが、科挙に首席で合格して官吏の端くれに任用され、得意の絶頂にあった頃だった。国書の問題に関心はあったが、くちばしを挟むような立場にはなかった。そんなものは受け取ればいいじゃないかと思っていた。それはおれが尊敬してやまなかった朴珪寿(パクキュス)先生の受け売りだったが、先生は開化思想の中心的な存在で、国書は受け取るべきだと主張し、国王に進言していた。

――日本国の天皇が日本国内にあって天皇と自称することに、他の国に何のかかわりがあるというのか。倭(日本)は、西洋の禽獣列強と同一になったといって、その書契(国書)を受けないというのは、われわれの強さや意思を誇示することとは真逆で、かえって弱さをみせることにほかならない。堂々と受け取ることこそ国の強さを見せることになる。まるで怯えて拒否しているととられることのほうが、かえって朝鮮を利することにはならない。開国へのきっかけになるではないか、開国すべきだ。

おれは一気に朴珪寿先生の考えに共鳴し、その後の開化独立派の思想を形作っていった。

「里子さん、笑っちゃいけないよ、国政の中枢にいる知識人たる儒者や両班の中には、国書問題に自分がどう立ち向かっていくべきか、どんな立場に立ったらいいか迷ったあげく、朝鮮語でチョムジェンイというんだけど、占い師を自宅に呼んで、占い師のお告げに従って自分の意見にする輩が何人もいたんだよ」

 朴泳孝とおれが日本亡命中に仲違いしたのは、おれの放蕩な生活を朴が咎めたためだといわれていたが、実は朝鮮時代でも見解や考え方、立場の相違から来る齟齬はあった。

 朴泳孝は国王にとってよかれと思われる目線で、国政や国際関係も考えていたと思う。前国王、哲宗の王女と結婚している婿という、きわめて李王朝と近い関係にあったからだろう、なにごとにも慎重だった。

 おれも国王や朝廷を守ったうえでの改革ということでは朴と同じだったが、それ以上の改革も必要と考えていた。開化派の中でも過激派ということになろうか。ただなんとかなるだろうという楽観主義者だったのだが。

 朝鮮人は師弟の上下関係や長幼の序に厳しいが、一方では血縁や同じ宗族、同郷人といった関係をそれ以上に大切にし、それゆえに行動を縛られることも多い。

 また国王からの、信頼の度合いの差から生じる微妙な考え方の違いの中に、朴泳孝とおれの間に仲違いの種があったことはまちがいない。人間関係の機微がもたらす感情のズレなども、クーデター失敗の遠因になっていたかもしれない。こんなことも是非ブログに書いておこうと思っている。

小笠原君と里子さんは、最近は好奇心旺盛でおれになにかと質問を投げかけてくる。若者との会話はおれにはなににも増して楽しい。

「岩田さんは、今の政治のことを勉強していますよね、政治の何を?」

「言わずと知れた朝鮮半島、韓国と北朝鮮だよ。このあいだ宮永さんがDVDとやらを山ほど持ってきてくれた。二十世紀の朝鮮半島の歴史を俯瞰したドキュメント映像だ。朝から晩まで見ているよ」

「百数十年間の歴史がよくスイスイ頭に入りますね」

「個々の事件や戦争の詳細などいちいち見てはいないよ」

「歴史の何を見ているんですか? どんな見方をするのかを僕にも教えてください。岩田さんと親しく話をするようになるまでは、僕は歴史にさほど興味がなく、ましてや政治のことなど無関心でした。でも岩田さんと接していると、岩田さんの魔力に引きずり込まれるように、僕も少し政治のことなど勉強しようかと思うようになってきました」

「君たち二人は将来結婚するんでしょう?」

「そんなことわかりませんよ。それが政治とどう関係するんです?」

 タイミングを計ったようにして里子さんが入ってきた。

「真面目くさった顔つきをして、何を話していたの?」

「君たちはいつ結婚するかについてだよ」

「結婚ですって。まだ学生ですよ」

里子さんは心なしか明るい表情になった。

「そんなこと話してないよ。岩田さん、冗談はよしてください。岩田さんが李朝末の政治のことについて話してたんだよ」

小笠原君はかぶりをふって、あわて気味に言った。

「結婚生活の無事安定も国の安定と同じこと。経済的に破綻していてはどんな理想的な生活も絵に描いた餅とかわらない。破産した経済のもとでは、どんな主義主張や政策論争も空疎なものでしかない」

「開化独立派のクーデターも空理空論の所産でしかなかったと?」

「いま思えば特権階級、儒生の空疎な論争でしかなかったと思う。国家を運営する経済基盤があっての政策論争なのに。国家の財源と宮廷費との仕切りも仕分けもなく、しかも財政は破綻していたも同然、財政を立て直す財源の見通しもなかった。そもそも朝鮮には国の財政政策という考えがなかった」

「わたし、なんだか頭が痛くなってきちゃったわ。経済なんてチンプンカンプンだし」

「僕も国家財政の破綻というのがどんなものなのか、全然わからないよ」

「家庭のことでいえば、稼ぎのない飲んだくれのおやじがいて、他人から脅し取った金を全部使って贅沢三昧、ということだね。そんな家が立ち行かなくなるのは目にみえている」

 外国関係にあっては、自分の陣営に引き入れようとする日本と、宗主国を自認する清と角逐の場が朝鮮だった。

 清国は宗属関係を盾にとり、メレンドルフというドイツ人を朝鮮の外交顧問に送り込んできた。メレンドルフは王妃の閔氏一族に取り入り、外交だけでなく財政にも口出しするようになり、開化独立派金玉均を攻撃し対立する。

「メレンドルフは財政立て直しに、当五銭とよばれる悪貨の鋳造を主張し、実際の貨幣価値を下げてしまうことになった。インフレーションに見舞われるのは火を見るより明らかだった。おれは国債の発行と借款を主張し、メレンドルフと激しく対立した」

「それでどうなったんです?」

「おれは国王の信任状をもって日本へ渡り、借款を申し入れたよ。三百万円という巨額の借款を日本政府に頼ろうとした。それがみごとに失敗に終わった」

「三百万円がどれくらいのものか、まったく想像つきませんが、いまの額でいったら、いくらくらいに相当するんですか?」

「当時の日本の国家予算が五千万円くらいだったと思うから、いまの貨幣価値で六兆円くらいかな」

「ずいぶん大胆な借款の申し入れをしたものですね。岩田さんらしい」

「小手先の方策を弄したところで国家財政を立て直せる状態ではなかった。疲弊しきっていたよ。悪銭の鋳造など庶民、農民の財布を直撃する最低の施策だけど、借款だって苦肉の策にかわりはない。党派の議論にうつつを抜かしている場合じゃない。とにかく財源がないことには、どんな政策もあったものじゃない。おれはそう考えていた。経済的な見通しが立たないうちは、小笠原君と結婚なんて考えるんじゃないってこと」

「はーい、そうします」

里子さんはニコニコしている。

「もうその話はおしまいです」

小笠原君は迷惑そうに座をはずして、ビールを取りにいった。

 里子さんが話題を変えた。

「学校の先生に岩田周作ってご存知ですよねって訊いたら、金玉均のことだろう、君こそよく知ってたね、ってほめられました。WEB見てたら岩田周作さんのブログがありましたと答えておきました」

「いつも会ってますよ、と言いそうになっただろう」

 結婚の話題から逸れて、ほっとしたといわんばかりに小笠原君が言った。

「そうなの。でも先生が言うには、岩田周作の名前を使って、朝鮮のことをブログにするなんて、ブロガーは結構朝鮮のことを知っている人物なんだろうと言ってた。本人が書いていると教えたくてうずうずしてたわ。先生は自分でもブログ見てみようと言ってました。どんな感想を聞かせてくれるか楽しみだわ」

「ほかには何か言ってなかったかね?」

「金玉均はちょっと自信過剰で、女好きの天才だって」

 内心ドキリとした。最近のおれは、ソウルへ行くことと、人肌恋しく女性と交わる妄想ばかりを逞しくしていたからだ。

「女好きは余分だな」

「でも金玉均は多才な人物だけど、一番やってはいけないことを選んでしまった。政治にさえ関わらなければ、何をやっても一流の人物として名を成しただろうと言ってました」

 おれが天才かどうかは他人の評価だからどうでもいいことだ。しかしあの時代にあって、国を憂いて行動を起こさない儒生、両班など、人として何の価値があっただろうと思う。国家が滅亡の危機にあるとき、学者であれ何であれ、政治に関わらない知識人にどんな意味があるというのだろうか。

 福沢先生に共鳴したのはただ一つ、先生の世界情勢を見る確かな眼力だけだったのではないか。欧米から見れば、程度の差こそあれ、日本も中国も朝鮮も列強の餌食になる同じ国に見えているという先生の認識に共感したからこそ、起たずにはいられなかったのだ。メレンドルフなど朝鮮のために力を尽くすと言いながら、東洋を見る視点は、白人と非白人という欧米人の優越意識から逃れられることではなかったのだ。

 世界は白人対非白人のせめぎ合いという見方までは、福沢先生とおれの認識は一致していたが、福沢先生が発表したとされる時事新報の社説〈脱亜論〉以降、考え方のズレを感じるようになった。脱亜の亜というのは朝鮮と中国を指していた。日本は中国と朝鮮とは距離を置けといのが主旨だったと思う。しかし朝鮮、日本、清国の三国は和して欧米列強に対抗すべきだというのがおれの考えだった。

 いまこうして二十一世紀に甦ってみれば、百三十年前のおれは考えが甘かったと思っている。現代になっても三国が和しているどころか、それぞれがそれぞれの思惑で永遠に交わることがないようだ。福沢先生はいまを見通していたのではとさえ考えてしまうのだ。

「先生にズバリ訊きたいことがあります」

里子さんが直截な質問を投げてきた。

「先生っておれのこと?」

「もちろんそうです、私の個人教授ですから。何故クーデターを起こそうと思ったのですか? それにクーデターに勝算はあったのですか?」

「財政から始まって国の政治は内にあっても外に向っても無茶苦茶だった。八方ふさがりというのが一番適切だった。抜本的な変革には悠長に議論をしている時間的な余裕もなく、革命、クーデターしかなかった。王妃の閔氏一族を政治の中枢から取り除くには力によるしか方法がなかった。勝算は五十対五十、五十一対四十九にするには、クーデターを決行した日から、わずかでも安定を得るまでに何日持ちこたえられるかということと、欧米列強の同意と承認を得ることだった。しかし同意もしくは黙認を取り付けるには、極秘の根回しがどうしても必要だった。根回しをすることと背中合わせには、計画が漏れるリスクがともなっていた。決断から決行までの約一ヵ月は、薄氷を踏む日々だった。クーデター後に倍する重圧があった。勝算はあったかという質問に答えるとすれば、あったともなかったともいえる。われわれの甲申政変に比べれば、一九六一年の朴正煕を首班とする軍事革命は、はるかに確率の高いものだったといえるのじゃないかな」

「用意周到、万全を期したものではなかったことが失敗の原因ということですか?」 

「その通りかもしれないが、おれには少し違った思いもある。瑣末なことのようではあるが、われわれ朝鮮人は、ものごとをなんとかなると楽観的に考えるところがある。朝鮮人の国民性といってもいい。そのことは今もなんら変わっていないようだ」

「後世の史家や評論家が書いている論評や批評は読んだことありますか? わたしもちょっと読みましたけど、なんせ東アジアの近代史どころか日本の歴史にも疎いから、難しすぎてよくわかりませんでした」

「概ね事実通りだと思っている。いくつか読んだけど斜め読みで終わったよ」

「祖国の韓国と北朝鮮に、これは言っておきたいということをズバリ、ブログに書いたらどうです?」

 宮永記者の助言に食指は動く。あの時代を引き合いに出してなにかを言いたくなる思いがあふれることは度々だ。理由はひとつだ。朝鮮人の中に流れる心情は、おそらくこうありたいと思う祖国のかたちが、あの時代とまるで同じだからだろう。

 今の北朝鮮は、国王の実父、興宣大院君が行った独裁政治と寸毫も違わない。李朝の遺伝子を受け継いだ政権だ。共産主義・社会主義を標榜しているが、実態は一人の権力者が治める独裁中央集権の国である。両班になりたかった金日成から三人の代を継いで完璧で絶対的権力を一手に握り、両班になった王朝だ。一度登り詰めた最高権力を手放すはずがない。そして一族の永遠に続く安寧だけがなにものにも優先されなければならない。李朝の高宗と王妃が生き返っているようだ。

 韓国はどうなのか。建国の初代大統領、李承晩(イスンマン)が思い描いた国のかたちは、李氏朝鮮と同じ体制の国であり、朝鮮半島は民衆のための国ではなかった。一握りの特権階級(両班)が治める国でなくてはならなかった。大統領は国民から選ばれた国王である。これも儒教に裏打ちされた中央集権国家にほかならない。李氏朝鮮に近い体制が、朝鮮民族にとっては気が休まる体制なのだろう。初代から何人もの大統領が政権を握ってきているが、どうやら儒教的思考回路は不変らしい。

 北朝鮮であれ韓国であれ、朝鮮人の権力者は、どうしても両班でなくてはならない身分制度の呪縛から逃れられないのであろう。国民もまた国王に擬せられた最高権力者を戴いている制度ならば、国民は心が休まるのであろう。第五代大統領の、朴正煕の娘を大統領にした韓国国民は、心情のどこかに国王(女王)を思い描いていたにちがいない。それはそれでいいではないかと、おれは思う。こんな思いは、北や南双方の朝鮮人には共感できるはずだ。

 おれたち開化派が望んだものは、周辺の大国におもねらない国になることだった。どんな国になろうとも、自分たちの国は自分たちで作っていこうとしたのが、おれたち独立開化派の理念だったのだから。ただ絶対権力者が支配する北朝鮮主導の南北統一だけは避けなければならない。

里子さんはいつも同じような質問の投げかけ方をする。

「岩田さんが初めて日本に来たときに驚かれたことは何ですか?」

 とてもありきたりだが、里子さんにすれば訊いてみたくなる質問だった。彼女の期待する答えを出してやることもできたが、それでは当たり前でありきたりの話になる。文明開化された物質文明的なものにおれが感動したり驚いたりしたはずという内容が、里子さんの期待する答えだった。おれは質問の的をはずれたような話をはじめた。

「榎本武揚は知っているだろう。函館五稜郭に立て籠もり官軍に最後の抵抗をした男だよ。後には明治新政府の大臣にもなった」

 おれは何故だか榎本武揚と気が合い、よく酒を飲んだ。やつは少し軽率なところもあるが、江戸っ子気質そのままの至極気のいい人物だった。しゃべり口も江戸っ子らしく歯切れがよかった。

おれはしばしば向島の屋敷に行って一晩中酒を飲んだ。談論風発の態だった。おれが日本に来て、何に一番感じ入っていると思うか、と榎本に聞いてみたときのことだ。

榎本はおれが思っていたことをズバリ一言で言い当てた。日本酒の熱燗を差し出しながら、榎本はこう言った。

「日本に入ってきている西洋の利器を朝鮮に持ち込んだところで、ちっとやそっとでは日本に追いつけねえだろう」

「四、五年で日本と同じくらいにするつもりだ」

 おれは意地を張って口から出まかせに言った。

「西洋の物を買い入れることはできるさ。だがおれが無理だろうと言っているのは物のことではない」

 徳川家光公の時代から、長崎の出島を造り、西洋の文物を入れてきた歴史がある。その差は大きい。頑なに国を閉ざしていた朝鮮と、わずかながらも門戸を開いていた日本とは、西洋を受け入れる下地が違っているという。

福沢先生も同じことを言っていた。

――朝鮮には蘭学、洋学の伝統がない。朝鮮の固陋を破るのは容易ではない。

「二つ目はいま飲んでいるこの酒だ」

杯を口にしながら、榎本は謎かけ風にニヤリと笑って続けた。

「これは神戸の灘の酒だが、徳川の昔から俺たち江戸の人間は灘の酒を充分嗜むことができた」

 おれがはじめての日本で目を見張ったのも、海運のことだった。

日本は長年にわたり経済活動の基本でもある物流の基盤ができあがっていた。朝鮮とは比較にならないほどの海上交通の発達だった。大阪で全国の物産の取引が行われ、灘の酒を江戸で手に入れることは難しくなかった。

江戸幕府の治世の時代から、各藩は(しのぎ)を削り、殖産興業の機運が盛り上がっていたのだ。

 翻って朝鮮はどうであったかを思わざるをえなかった。商業活動の中心は五日に一回程度開かれる地場の市場での日常生活必需品を物々交換するような経済体制であり、商業の発達をみない原始的ともいえるありさまであった。大邱(テグ)の物産が豊富に漢城府(ソウル)に運ばれることはなかった。

「あんたがおれの立場だったらどうする?」

 おれが自分の国をどうすべきか思い悩んでいる内心を見透かされないように、高飛車に聞いた。

「簡単さ。日本で徳川幕藩体制を倒したように、武を蓄えて李氏朝鮮体制をつぶす。俺は倒された側にいたけどな、わっはは……」

 倒された幕府側にいた人間がすでに開国・近代化を自覚していたことに驚かされた。

 おれが後に甲申政変とよばれるクーデターを真剣に考えたのは、いとも簡単に言い放った榎本に、おおいに触発されたときだったかもしれない。

 榎本のことでおれが目を見張ったことがある。日本へ逃れてきた後のことだったと記憶している。苛政に苦しむ朝鮮農民に話が及んだときのことだ。

「朝鮮の農民を北海道に移住させて未開地の開墾にあたらせたらどうだ」

 榎本はこともなげな言い草だった。

 その発想の大胆さにおれは言葉を失うほどたまげた。こんな奇想天外なことを言う人物を、朝鮮のみならず日本人にも見出すことができなかった。

 もしそんなことが実際に実現していたならばと考えると、今の韓国と日本の関係がどんなことになっていることだろうかと、想像するだけでなにか愉快にさえなる。

 里子さんの「何に驚いたか」という質問への答えには的外れだったかもしれないが、ちゃんとした国として立ち行く基盤に格段の差があった。そのことがおれには臓腑にこたえる衝撃だった。それを榎本武揚が言いたかったのだ。朝鮮は中世世界にどっぷりとつかっていた。

 ブログの内容がおとなしすぎるのではないか、もう少し刺激的でもいいと宮永記者が言ってきた。

「伝え聞く北朝鮮の金一族の豪奢な生活ぶりと、朝鮮王朝の高宗明成王妃の浪費生活を並べて書くなどというのはどうです?」

「北朝鮮の金一家のことは漏れ聞いてはいるが、憶測では書けない。国王高宗一家のことは書けるだろう」

「国庫が空になっても足りないほどの浪費だったというじゃないですか」

「そのとおり。国を近代化に導き立て直すために、どれほどの財源が緊急に必要かを、おれは膝詰めで高宗に直訴した。『わかった。どうすればいいのだ』と聞かれ、国債を発行して金を借りると、理詰めで説明した」

「そのときの様子を書いてくださいよ」

「それだったら書けるだろう。しかし〈おれ金玉均は……〉という書き出しをするのかい?」

「かまうもんですか。インパクトのある内容になると思いますよ」

 おれも最近はなにかと現今の世相についての知識や知恵をつけてきたので、余分な憶測や心配やらするようになっている。迂闊なことを書くと場合によっては身の危険さえ考えなければならない世の中のようだ。まあ百二十年以上前のことを書き立てても大騒ぎになることはあるまいが。

 李氏朝鮮の為政者は――といっても国王のことであるが――だれを政治に登用しようと、国の収入を何に使おうと国王の胸先三寸であったから、財政もなにもあったものではなかった。財源が乏しくなれば増税し、入ってきたものは計画もなく使ってしまう。庶民の怨嗟の的になろうとそんなものは歯牙にもかけないのだから、破綻は目に見えていた。高宗の生父大院君の治世時に王宮(景福宮)再建に莫大な資金を注ぎこんだことが財政窮乏の原因だというが、それがすべてではない。李氏朝鮮の後期からすでに財政は逼迫していたのだ。朝鮮半島一番の名家による、目に見える形での権威回復の象徴が景福宮再建だった。外見第一の朝鮮民族の面目躍如だ。外面を気にする気質は、写真で見る今の平壌市街の高層建築群と二重写しになる。

 国王一家の内宮生活を見ることはなかったが、手なずけていた宦官から生活の一端は窺い知ることができた。

 夜毎、歌舞音曲の芸人を招いての遊興三昧は朝方まで続き、起床はいつも午後であった。中宮(明成王妃)は、巫堂(ムーダン)という女占い師に多額の報酬を布施として渡し、私生活のことから国政に関わる事項まで占いの儀式にゆだね、想像を絶するような世界に身をおいていたのだった。国政を方向づける廟堂の討議など形だけのものになり下がっていた。

「李氏朝鮮にも今の北朝鮮にも政治的な後見役みたいな有能な人材がなかった、いないということですか?」

「そんなことはない!」

 おれはムッとした。日本人の若造にいわれる筋合いはない。朝鮮人は無能だといわんばかりの言い草に聞こえた。宮永記者とはどこか相性が悪い。おれは気色ばんで言った。

「日本人と遜色はない!」

 するとニヤリと笑いながら、おれの気分を害した心の内を見透かしたように言った。切り替えが早い。

「岩田さんどうです、ソウルへ行ってみませんか?」

五 ソウル

「わあっ、行きたい。フィールドワークね。カオルも一緒に行こうよ」

 宮永記者の提案を、おれは居ても立ってもいられなくて、小笠原君と里子さんにその日のうちに告げた。

「旅券申請は大丈夫かなあ。それと旅費のこともあるし……」

 小笠原君らしい受け答えだ。

「いまどきソウルの旅行なんて国内旅行よりも安く行けるよ。いつ行きます?」

「宮永記者が旅費のことは心配無用と言ってくれている」

「何日間コースにする? それに行先はソウルだけ、それとも違う都市も行きます?」

 ソウルだけでじゅうぶんだった。しかしおれは日本人として韓国に行くことに違和感を覚えたが、口にしなかった。

 ソウル三泊四日、三人で行くことに決まった。そんなに短い旅行など思いもよらなかった。おれが初めて日本へ来たときは、ひと月は日本に滞在したような気がする。

「これからたびたび行くようになりますよ」

 短かすぎないかというおれに、宮永記者は、そうあわてることはない今回は軽い観光旅行のつもりで、と言った。

 飛行機というものには、さすがのおれも度肝をぬかれた。昔、鉄でできている汽船が海上にあるのを見たときにはさほど驚かなかったが、それに数倍する大きさの金属でできているものが空中に浮き、時速一、〇〇〇キロ近くの速さで飛ぶという文明の利器の威力は、おれの想像を超えていた。

 羽田空港を離陸して間もなく、富士山を眼下にしながら機はすぐに日本海の上だった。おれは額を窓に押し付けたままで、まんじりともせず窓外を見続けた。小笠原君と里子さんが横に居ることも忘れていた。

 飛行機が数十分のうちに日本海を越えて、雲の間から畳々とした朝鮮半島の山々がせまってくると、おれのコメカミの血管は脈打ちはじめた。ようやく治った頭のキズがまた開きそうだった。

 運ばれてきた機内食は手も付けないまま気づかないうちに片付けられて、機内放送が十五分後には金浦空港に到着することを告げていた。

 空港ビルに足を踏み入れてからロビーに出るまでのことは何も覚えていない。日本の旅券のことなど頭の片隅にもなかった。

「朝鮮の空気だ、朝鮮の匂いだ」

独り言をつぶやいていたようだった。

「岩田さん、ちょっと待って。いまなにか言いました?」

 小笠原君がおれの上着をつかみながら言った。

「まだいまから預けた荷物が出て来るんですよ。自分のは自分で持たなきゃだれも運んでくれませんよ」

里子さんがおれのボーッとしているのを見て、子どもに対するようなやさしい目をして諭すように言った。

 自分で何かを持つなど思いもしなかった。朝鮮の地に降り立ったおれは、舞い上がって両班返りをしていた。さっさとロビーに向っていたのだった。

 おれたちの旅行は、送り迎えの車と通訳ガイド付きのツアーになっていて、滞在中は自由行動だという。ソウル中心部までの小一時間の間には簡単なガイドもしてくれた。

「いま渡っている河は漢江(ハンガン)で、橋は幸州(ヘンジュ)大橋といいます。右の方に小高い丘が見えますでしょう。あれは豊臣秀吉の軍が攻めてきたときに一般民衆が抵抗したことで有名な幸州山城です」

 小笠原君と里子さんはガイドの話に聞き入って頷いているが、朝鮮の抵抗の歴史自慢がさっそくきたかと、おれはうんざりしながら黙っていた。

 運転手がガイドに話しかけた。

「道が混んでいる。すこし遠回りになるが楊花津(ヤンファジン)方面回りでいいか?」

「そうしてくれ」

 おれは条件反射のようにウリマル(国の言葉)が大きい声で口をついて出た。だれもが数秒沈黙した。

「韓国語おわかりになるのですか?」

ガイドが驚いたような声を出した。

「わたしたち韓国語を勉強中なんです」

 里子さんが機転をきかせて答え、小笠原君と顔を見合わせて、先が思いやられるとでもいった表情を作った。

〈楊花津〉という地名を、おれは聞き捨てておけず咄嗟に反応してしまったのだった。

 後世の記録によると、上海で殺された後おれの柩は清国の軍艦で朝鮮に運ばれた。逆賊の汚名を着せられていたおれの死体は、切り刻まれて生首を漢江岸の楊花津に晒しものにされたのだ。

「この辺りが楊花津です」

 そのときマイクを通したガイドの声に、おれの中でモヤモヤとしてわだかまっていた疑問が、イナズマの閃光を立て続けに浴びたようにして解けた。おれはなぜ甦ったのかが解かった。改革、クーデターを失敗し、清国の李鴻章との談判もならず、挙句の果てに同胞の刺客の銃弾に斃れたたばかりか、死体を切り刻まれるという極刑に晒された。

 おれの魂は、何一つ成し遂げられなかったことへの悲痛な叫びを上げていたのだった。

 真の愛国者であったことを証明しろという天からの声と、なにもなし得なかった無念の魂の叫びがおれを甦らせたのだ。思いを晴らしたい一念が、韓国入国の最初におれを楊花津に導いたのも決して偶然ではないのだ。形はどうあれ、愛する祖国に対しておれが今しなければならないことをしろ、天からの啓示に忠実であれとでもいうかのように。

 ソウルは東京と何ら変わらない現代の大都会だった。旧ソウル市庁舎を見下ろすプレジデントホテルに旅装を解いた。三部屋ではなく隣り合わせの二部屋だった。それじゃ後ほどと言って二人はさっさと同じ部屋に入っていった。

――君たち二人は一緒かい、それはないだろう。いやいや当然かもしれないな。

おれは妬ましい気分になった。おれと小笠原君が同部屋で里子さんが一人と思い込んでいたからだ。しかしそんなことはすぐにおれの頭から離れた。

 目の前にまぎれもない漢城府の一つがあった。慶運宮の正面に大漢門と大書された門が蒼然とした佇まいを見せてくれている。今は徳寿宮と呼ぶらしい。おれは目頭を熱くし視界が霞んで何も見えなくなった。ドアをノックされて我に返った。

(チョ)さんに電話されましたか?」

 小笠原君に言われるまですっかり忘れていた。

 趙さんは宮永記者が必ず会って話を聞くようにと紹介した人である。宮永記者と同業の、元在日韓国人の帰国者で日本語も堪能ということだった。

 日本の大手新聞社が書く、通り一遍の韓国ではなく、政治や世情など生きた情報を聞き出すようにというのが、宮永記者に強く言われていたことだった。

 今朝おれはまだ明けやらぬ四時には目を覚ました。寝たのは十二時を過ぎていた。異様に興奮しているのがよくわかる。祖国にいるということだけがその理由ではない。

 前夜、趙記者を交えて四人で夕食となり、里子さんの希望で明洞(ミョンドン)の〈明洞餃子〉という大衆レストランで麺料理のカルグクスを食べた。うどんの上に水餃子、野菜いためが盛られた一品だったが、列をつくって待つほどの店でメニューには日本語も記載されていた。相当に知られたレストランらしく、味は里子さんだけではなく誰もが満足のいく食事だった。

 場所をホテルのバーに移してから話が弾んだ。弾んだというよりも、とんでもないことになったというのが正直なところだ。なごやかに雑談を交わしながらのつもりが、一気に本題に入った具合になった。口火を切ったのは趙記者だったが、おれの受け答えが直截的すぎたのかもしれない。

「岩田さんは李氏朝鮮の開化派、とくに金玉均を研究されており、今回の渡韓もその一環だと、宮永さんに聞き及んでいます。近年はすこし違ってきたとはいうものの、金玉均は韓国では親日派と目されています。またどうして岩田さんは親日派の研究を……」

「どこが、どんなところが親日派だというのかね? あの時代に親日派などという者はいなかった。それどころか当時はだれもが日本を野蛮な民族と見下し小馬鹿にしていた」

 おれは気色ばんですこし大きな声になった。

「改革については日本の明治維新をモデルにし、不足する財源を日本に頼ろうとし、甲申のクーデターでは日本軍の支援をあてにする。失敗に終われば日本へ亡命と……」

 趙記者が韓国の歴史教科書をなぞるような言い方をした。

「バカ言っちゃいけない。後世の史観や基準で指弾して何の意味がある。あの八方ふさがりの状況で、だれがどんな手を打てたというのだ。あれは日本の支援を当てにしようと、中国やロシアを引き入れようと同じことだった。外国がどうだったかは関係なかった。ただひとえに朝鮮内部の権力闘争だった。面子と面子のぶつかり合い、政争にうつつをぬかす無益な党争のなれの果てが、甲申政変劇の失敗だったのだ。論争ばかりというのは今のこの国も同じじゃないのかね」

気分が昂じて高飛車な口調になった。

「結果的には親日開化派の思い上がりだったということになりませんかね?」

「おれたちは断固として日本にすり寄り、おもねったわけでは……」

 小笠原君があわてふためいて中に入った。これ以上議論が進めばまたおれが自分は金玉均だと言い出しかねないと危惧したのだ。その寸前だった。

「ここで歴史談義をしても。それより明日からどうするのかを相談しないと」

 おれはふて腐れたように、たて続けにグラスをあおった。

 朝食を待ちかねて、おれは一人でコーヒーショップへ降りていった。韓国の新聞を手にしてゆっくり食事を摂った。

 ソウル滞在中に何をしたか、どこへ行ったのかをできるだけ詳しくブログに書くことを宮永記者に約束していた。何を思ったかを書くことがもっとも大事ですよと、くどいほど言われていたが、言わずもがなだろうと言い返していた。

 一面から丹念に読み進めた。紙面のほとんどがハングルで埋め尽くされている新聞というのが新鮮だった。あの当時の新聞が漢字とハングルが交じり合っていたのが妙に懐かしい。ほぼ読み尽くしたころに、小笠原君と里子さんが顔をみせた。

「早いですね、よく眠れましたか」とか「まあ、さっそく韓国の新聞ですか」「何を召しあがったんです?」などと二人が話しかけるのがおかしかった。昨夜は二人で睦み合ったであろうことを、おれに見透かされ、そのことを包み隠しまるで申し訳ないとでもいうような表情をとり繕うための多弁であろう。もっとドライでいいのにと思う。里子さんの恥らうような口ぶりに、ああやっぱり日本人の女だなあと改めて感じた。わが国の女ならば傲然として日本人のような気遣いはしないだろうと思いながら、二人を眺めた。

「今日は最初に山に登ろう」

おれは思いつきのように提案した。どこで何をするかなど何も決まってはいない。二人と別行動でもかまわない。滞在中に決まっているのは韓国棋院へ金玉均の碁盤を見に行くことだけだ。趙記者が手筈をととのえてくれている上に、滞在中のガイド役を買ってでてくれていた。

「わたしは南山タワーに行くことにしていたんです」

里子さんが弾んで言った。

「南山じゃなくて仁王山(インワンサン)へ行きたい」

 一度も登ったことがない。両班たる者は肉体労働はもちろん徒歩で歩き回るなど、もってのほかだった。景福宮(キョンボックン)のうしろに聳える三角形の北岳山も西方の仁王山も眺める山だった。

 展望台からのソウルは巨大な鍋状の盆地である。鍾路(チョンノ)の通りも光化門から延びた大通りの高層ビル群に覆い隠されている。景福宮が真下に広がっていた。

 景福宮や大院君の住まいだった雲峴宮、昌徳宮それに各国公使館のあいだをどれほど往き来したことだろうと感慨にふけりながら長い時間眺め続けた。

「次はどこへ行きます?」

 小笠原君に促されてわれに返った。同時にふと小笠原君を和田延次郎と錯覚した。同じもの言いをする。

「おれの家があったところへ行こう」

 日本を発つ前から決めていた。延次郎を連れて行きたいと思い描いていたことが、小笠原君を同道することで半分実現したようでなにか重荷を下ろしたような安堵の気分を味わうことができた。不平も言わず尽くしてくれた延次郎をしのんだ。

花洞(ファドン)まで行ってくれ」

まるで下男に命じるようにタクシーの運転手に言うと、

「ファドン? それはどこです、聞いたことがない」

と返してきた。カーナビを操作していたが、正読図書館かね、と言った。

「花洞だ」

 それ以上のことを言いようがない。

 おれたちが降ろされたのは外国人用の観光案内所の真ん前だった。

「無愛想な運転手だったけど意外と親切だったわね。わたしたちが外国人だとわかったのよ。金玉均の屋敷跡はどこか訊くのを私にやらせて」

里子さんは学びはじめた韓国語を使ってみたいらしい。おれも昔とは似ても似つかない町のたたずまいに戸惑っていた。

 案内のパンフレットを手にして、里子さんは韓国語、日本語、英語を交えて係員と話している。物怖じしない里子さんはさかんに知っていることを並び立てるが、どうやら係員は屋敷跡を知らないようだ。ちょうどそのとき巡回の日本語案内員が入ってきた。

「金玉均の家跡はこのすぐ裏ですよ。案内しましょう」

われわれを促すようにもう歩き始めた。

――なに、こんなところがおれの家だったか? 半信半疑で案内人に従った。おれの家の周りが観光スポットになっているなど思いもしなかった。北村の韓屋街として人気を集めているという。変われば変わるものだ。

 正読図書館という案内板を見ながら短い坂道を登りきるとそこは小さな公園になっており、奥まったところに横長の建物がある。途中から右手東側へ進むと、膝上までしかない低い樹木の垣根に囲まれた長方形の広場に行き着いた。

「ここが金玉均の屋敷跡です」

 何の痕跡もない。ほんとうにここだったのだろうかと思うくらいあっけなかった。無言で跡地を見た。

「ここが岩田さんのお家の跡なんだ」

 里子さんのほうが感無量といった声を発して立ち尽くしている。感動に打ち震えるおれを、ドラマの一シーンを見るように期待していたようだった。

 一角から北方の北岳山に目を転じたときにはじめて、その方角が寸分ちがわない位置にあると思うと、やっと実感が湧いてきた。おれは歩を進めて垣根の内に入っていった。

「ここが玄関だった」

少し移動しながら二人に話しかけた。

「このあたりが舎廊房(サランバン)。おれの書斎兼応接間だった」

 二人は納得するように四方に顔を巡らせている。

「屋敷と呼ぶには、狭い家だったんだなあ」

 二人に話しかけるともなく独りごちた。

「ここに来られただけで感激です」

 里子さんが感に堪えないように言った。

 敷地跡の隅には〈金玉均家址 朝鮮末開化派指導者の古筠(こいん)・金玉均が住居とし、甲申政変について論議した屋敷跡 鐘路区花洞二六〇番地〉と記された、腰の高さほどの簡単な石碑が建てられていた。古筠はおれの号だが指導者というのは異議ありの感もなくはない。開化派の嚆矢は朴珪寿(パクギュス)先生だろう。

 枯れ木が目に入った。おれは無言で足早に枯れ木に向った。敷地に残るわが家の唯一の物証だった。平素は特別に気に留めることもなく眺めていたエンジュの木だった。樹齢もわからないが、いま目にする樹の姿は三方から鉄パイプ棒で支えられた老木になっていた。家族との生活が思い起こされ、なつかしさが募った。老いさらばえておれを待っていてくれたのかと木肌を撫でまわすうちに小鼻の奥が熱くなった。

 しかしなぜこの老木一本だけが保護されているのかがわからない。欧米の人々となんら変わらない現代生活を営む人々の奥底にいまだに残る李氏朝鮮の儒教に縛られた故習の象徴のようだ。朴珪寿先生がこの場に居られたら何とおっしゃるだろうか。すぐに切り倒してしまえと一喝するにちがいない。

 先生が廟堂におられたときに、日本から届いた王政復古を告知する書契の扱いをめぐり、国論は二つに割れた。天皇を「皇上」とし、その言葉を「勅」とした表現をめぐる対立であった。洋夷と同じになった日本、しかも中華世界の理をわきまえない書面など受け取ることなどできないとする廟堂の固陋さに、先生は異を唱えたのだった。

 堂々と受け取り、日本が言わんとするところを聞いてやればそれでよろしい。受け取りを拒否して使者を送り返すことこそ、わが方の弱さを示すことにほかならない。倭洋を排斥するだけの、凝り固まった考えこそ正すべきである。朴珪寿先生の面目躍如たる開化思想の論旨である。

 翻っていまの朴槿恵大統領。教科書、領土、慰安婦など日韓間に横たわる個別の詳しい争点については、おれにはわからない。しかし大統領が日韓の首脳会談を拒絶し続ける魂胆、本意が理解できない。ただ時間が過ぎただけで百五十年もの昔の、書契受け取り拒否と何ら変わることのない狭量な対応の仕方に、おれは呆れてしまっている。

 問題のいかんに関わらず、朝鮮人の根底には、日本人は文化的にレベルが低く野蛮であると日本を侮る感情がいまも脈々と流れ、日本をないがしろにすることに気が咎めることはない。

一方海洋国家の日本は、地政学的な朝鮮半島の立つ位置の苦悩と、朝鮮の伝統的な持病のような内部抗争などに思いを馳せる想像力が欠如しているのも昔のままだ。

現代に生きる人たちは、核兵器が力となり世界を席捲しようとしていることに危機感を募らせている時代、人間もまた絶滅種の対象になることを薄々感じている。そんなときに反日反韓だといがみ合っている場合なのかと思う。

六 真の愛国者

趙記者から小笠原君の携帯電話に連絡が入った。午後から一緒したいと言ってきた。仁寺洞(インサドン)の耕仁美術館の中にある伝統茶院で落ち合うという。

 里子さんがさっそく〈地球の歩き方〉というガイドブックを開いて、小笠原君と頭つき合わせて場所を確かめている。おれは東京を発つ前から、ソウルなんて行けばどこでもわかると高をくくって何も準備しなかった。しかしいざ動こうとすればどこにも行けなかった。道路も街の様相も、おれの想像を当然のことだがはるかに超えて変わりすぎていた。

「伝統茶院というのは、観光客にもソウルの人たちにも人気の茶室だと書いていますよ。しかもですよ岩田さん、聞いてください」

里子さんが興奮気味に続けた。

「そこは開化派の同志だった朴泳孝さんの屋敷跡だって」

「何? 朴泳孝の邸が茶室だって。泳孝氏が聞いたら泡吹いてひっくり返るよ。王家に列なる人物の家が、茶を喫するところだなんて」

 漢城府を徒歩で歩き回ったことがないと吹聴していたおれは、二人が小走りでついてくるほどの早さで伝統茶院を目指した。

 趙記者はすでに三畳敷きほどのオンドルの一室で待っていた。十一月ともなればオンドル床の温かさがほどよく心地よかった。

「ここは開化派研究の岩田さんにとっては縁の深い場所ですね。現在は絶品のお茶を楽しむことができる有名店です。昔の建物の風情とお茶を味わうことのできるところです」

「何度も来たことがある」

 あっと思ったときは遅かった。またやってしまった。

「どういうことです? これが初めてのソウルじゃなかったんですか?」

 趙記者が怪訝そうに訊いてきた。

 この場所は、おれが家族のことや何もかもなげうって、おれのすべてを賭けたクーデターの本部のようなものだった。秘かに会議を重ね計画を練るために、どれほど足を踏み入れた場所だったことだろう。思いが溢れないほうがどうかしている。

 朴泳孝の邸と境を接するようにして日本公使館があり、その目と鼻の先には大院君の住まいがあった。さらに東へ十分も歩けば、政治の中心となる建物や国王一家の内宮を(よう)する昌徳宮(チャンドックン)である。逆に西方に転じれば、われわれのクーデターの発火地点となった郵政総局、その先が景福宮である。

 ほんの一握りの人間と、漢城府のわずかな一隅で政争ばかりの政治が行なわれ、それらの同心円の中心ともいえる位置が朴泳孝の邸だった。おれたち開化派のクーデター計画、実行にあたっての拠点だった。

 朴泳孝が国王の系譜につらなっていることは、クーデターの成就とその後の政治にとってきわめて大きな意味をもっていた。国王はどうしてもわれわれ開化派の陣営に取り込んでいなければならなかった。

 おれたちのクーデターは三日天下で潰えた。失敗の原因は共通して数多くの文献に残されているから、改めて言う必要もないだろう。ここではおれだけが誰にも言わず秘かに思い続けていたことだけを披露しようと思う。

 クーデターの同志は政権奪取後の役割分担を決めていた。担当する部門はすんなりと決まったが、朴泳孝とおれの間では、どっちがリーダーかという点で曖昧なままだった。国王につながる名門の家柄の朴泳孝と、理念的なリーダーだったおれとの間には、考え方に微妙なズレが生じていた。その原因の一つは、おれに対する朴泳孝の劣等感と嫉妬にあったとおれは思っている。リーダーはだれかということは、革命を目指す集団にあっては最も大事なことであるはずだが、決着がつかないままに事は進んでしまった。革命に対する思い入れの度合いが、不覚に終わったクーデターに微妙に影響していたとおれは信じている。

 日本へ亡命してからのおれたち二人の齟齬も、元を辿ればそこに起因していると、いまでも思っている。

 百数十年も以前のことがいまだに残像として残っているままで、おれは見るともなく中庭の木立と、さりげなく置かれている素朴な大きな甕を眺めていた。

「今日はこれからどこへ行きたいですか?」

「わたしは李方子さんの住まいだった楽善斎。それと韓国の美容室も経験してみたい。清渓川(チョンゲチョン)の夜景もいいかな」

 三人の会話を聞き流しながら、おれはまだ朴泳孝のことをとりとめもなく思い出していた。四人とも種類の違う飲み物を注文し、飲み終わっている。たかが飲み物のことだけでもそれぞれ興味の向け方が違う。一つの目的で一つの心になることは、人間にとってよほど難しいことなのだ。ことに朝鮮民族は団結することが苦手なのだ。現代の韓国人も同じことを繰り返しているにちがいない。

「岩田さんはどこへ行きたいですか。何か考えがおありですか?」

「鍾路の通りでも歩きながらソウルの街に浸っていればそれで充分」

 韓国棋院の訪問は明日に予定されている。それは本当に楽しみにしている。

「やはり現代のソウルよりも、李氏朝鮮時代の名残りをとどめるものを一通り見るのがいいと思います。(キョン)福宮(ボックン)(チャン)徳宮(ドックン)とまあお定まりのソウル市内観光になりそうですが。(ナン)()(ムン)は数年前に不届き者の放火で全焼しましたが、いまは再建されました」

 車のある趙記者にまかせることにした。車好きの小笠原君と里子さんは、韓国車に興味が尽きず、全部左ハンドルなんだとか、道が広くて運転し易そうなどと、今にも自分に運転させてくれと言わんばかりに趙記者に話しかけながらはしゃいでいる。

 おれは歩かなくてすんだことにほっとしていた。東京での生活では、歩くことになんの不満もないのに、どうしたことだろうか。ここがソウルだというだけで、どうやらほんとに両班返りをしてしまったようだ。

 朝鮮王朝の官吏としてのおれは、甲申クーデター前まで次官級の特権階級だった。どこへ行くにも常に下男を従え、駕籠や馬を利用し歩くことはなかった。階段の上り下りさえ両脇から支えられていた。それほどに両班にとって自らの体を動かすことは自分の威厳をおとしめることを意味していた。庶民と直接口を利くこともない。車窓から見る多くの歩行者がみな常民(サンミン)(下層階級)以下の人間に思えた。

 趙記者の車は郵政総局の記念物の道路わきに止まった。一八八四年十二月四日のクーデター実行の突破口になった建物だ。しかしおれには大した感慨も湧かなかったが、月が冴えて明るい夜だったことが、切りとられたように印象深い。

 昌徳宮へ車を進めてほしいと趙記者に言った。

 敦化門(トンファムン)をしばらく凝視し昌徳宮に足を踏み入れた。錦川橋を渡ると仁政門(インジョンムン)だった。たたずまいも醸しだす李朝の雰囲気も昔のままだった。そぞろ歩く観光客を視界からはずすようにして仁政門越しに奥の仁政殿を目に焼きつけた。身体は硬直しながら胸の奥は波立ちはじめた。

 クーデターの夜、渋る国王一家を隣接する(キョン)祐宮(ウグン)へ連れ出すことに全精力を傾けた明け方までの数時間が、ありありと蘇ってきた。歩を進めて、国王が執務した宣政殿の前に立ち目をつむると、少数の衛兵を従え、国王を励ましながら一刻を争う避難を成し遂げた情景が、いま再現されているように瞼に浮かんでくる。しかしもう一歩だった政変の成就が指の間から零れ落ちるようにして(つい)えた。

 宣政殿を見据えて立ちすくんでいると、悔しさ、憤り、悲しさ、不甲斐なさといった諸々の感情が、音もなく押し寄せる雪崩のように迫ってきた。なぜ、どうしておれたちの命を懸けた政変の戦いは無残に打ちのめされてしまったのだろうか。

 日本の明治維新となにが違っていたのかを、何万回自分に問いかけたことだろうか。それが総括できたとして何の意味があるのかと、自分を嘲り笑ったことが幾度あったことか。しかしあの決起が朝鮮近代化への唯一のチャンスだったことだけは、いまでも断言できる。どうすればあの旧態依然の政府を破壊して、新しい朝鮮を建設できるのかと悩みぬいていた。手を拱いてただ時間だけ過ぎていくことに耐えられなかった。財もなく、手持ちの軍もなく、民衆の共感を呼び起こす時間もない。政治の中枢を握っている門閥勢力を一掃し、政権奪取へ邁進するしか近代化への道はなかった。そのためには閔氏一族の後ろ盾になっている清国以外の外国の力を借りるしかなかった。それが日本だった。

後世の史家や学者がおれたちのクーデターを批判している歴史書や評論などを、生き返った現在の日本でいくつも目にすることができた。言っていることはすべてその通りだと思った。

――日本の明治維新を手本にすることと日本に頼ることの違いがわかっていなかった――

そんなことは言わずもがなだ。まずはアメリカから始めてイギリス、フランス、ドイツとそれなりに協力の打診も続けたものだった。だが彼らはお互いに牽制し合い、一肌脱ぐという国はなかった。各国それぞれに閔氏一族に取り入り、鉱山採掘権や森林伐採権、鉄道敷設権といった利権の裏書を手にしていた列強が、対立している一派においそれと色よい返事をするはずがなかった。それが時代の潮流、帝国主義だった。

おれたち開化派は一途な思いで純粋すぎた。しかし日本をただ模倣しようなどという単純な考えはなかった。日本にできて朝鮮にできないはずはない。そんな若い官僚たちの一途な思いだけだったろう。

――国を思い一途に生命を捧げる男たちを集めることができないで、革命などできるわけがない――

軍隊らしい軍隊もない。ましてや国のために尽くすという考えや気概を持つ若者が朝鮮のどこにいたというのだ。一般国民にはナショナリズムなどという概念のかけらもなかった。自分の家族、一族の安寧と生活だけがすべてだった。儒教(朱子学)だけが正義という愚民政策のなれの果てだ。

――西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通、坂本龍馬、その他枚挙にいとまがない幾多の幕末の志士。そんな人物も朝鮮にはいなかった。彼らは自分から已むにやまれず、見返りも考えず行動した志士。時代に翻弄される国をどうすべきかを考える知識人の質もその数も、多数の人士が全国にわたっている日本と朝鮮では全く違っていた――

〈士〉は日本では〈サムライ〉であり、サムライは文武両道の知識人であった。朝鮮の

〈士〉は〈ソンビという士大夫、儒生〉で、武を蔑み、ひたすら朱子学の〈大義名分〉を振りかざす理論だけの知識人だった。知があり武を兼ね備えた日本の〈知行合一〉の精神と朝鮮の〈知先行後〉の理論一辺倒の差は大きすぎた。

豊臣秀吉の朝鮮への侵攻の意図も、それから二百七十年後の明治日本の征韓論も、事前に察知していたにもかかわらず、内部の党争に明け暮れて全国民が一丸となって立ち向かう姿勢さえみせていない。自分たちに落ち度はなにもない、すべて他(日本)が間違っていると言い募っている間に国難に遭遇してきた。どこまで脳天気だったかという思いが、おれたちをしてクーデターに起ち上がらせたのだった。

(ナク)(ソン)(ジェ)()(ウォン)へ行くという三人と別れ、おれは昌徳宮を出た。振り向いていま一度敦化門を仰ぎ見ながら、これ以上李朝の遺跡や建物を見てもしかたがない、おれの訪韓の目的は達したという思いから、さらに見て歩く気にはならなかった。

南山(ナムサン)に向かう。

 趙記者は気を利かせて、(トン)大門(デムン)を経由し鍾路の通りを端から端まで車を走らせてくれた。

昌徳宮から昌慶宮の前を通りながら指差した。

「右側の塀の続きが宗廟(チョンミョ)です」

 おれの思い違いでなければ昌徳宮と宗廟の間に道などなかったはずだ。

「昌徳宮と宗廟は一体となってつながっているはずだが」

「わたしも詳しいことはわかりませんが、日本の統治時代に切通しを造ったようですよ」

 趙記者はこともなげに言った。

「なにっ、日本人が宮殿と宗廟を分断する切通しを造っただって」

 おれは三人が驚くような声を出した。気持があの時代に戻っていた。

 わが国を併呑した後世の日本人は、おれの時代の日本人と違いすぎる。おれは怒りがこみ上げてきた。朝鮮人の心情を逆なでするような所業が許せない。いかに他国を併合したとはいえ、やっていいことといけないことの分別もつかないのか。進駐したアメリカ軍が、東京の中心、皇居の中に直線道路を造るようなものだ。明治の日本人であれば、惻隠の情というものがわかったはずだ。自力で国を改革できなかったことの果てが、無残な宗廟の変わりようを目にするとは思いもしなかった。

「なにか怒っているようですが……」

趙記者は怪訝そうに言った。そんなことで日本人のおれが言葉を荒げるのが理解できないと思ったようだ。

 朝鮮人返りしたおれを、小笠原君が抑えるそぶりをし、話題を変えるように言った。

「岩田さん、今夜は昨日からのことのブログ原稿をお願いしますよ」

 賑やかそうで猥雑な店が並ぶ鍾路の大通りを西に向っていると、古めかしく見覚えのある普信閣(ポシンカク)が左手だった。四大門の開閉を告げる時鐘の音が耳の奥に残っていた。光化門前を左に折れると、道路を左右に分けるベルト地帯に、高い台座に立つ、時代がかった銅像が前方に見えた。

「豊臣秀吉軍との海戦を制した()(スン)(シン)将軍です。像は日本を見据える方角に立てられています。わが国第一の英雄といっていいでしょう」

 趙記者はまるで観光ガイドのような口調で誇らしげに説明した。

「東郷平八郎も尊敬していた将軍だと何かの本で読んだことがあります」

 小笠原君が迎合するように言った。

「カオルよく知ってるのね。感心したわ」

里子さんがからかうように言った。

 右手に南大門(崇礼門)を目にした。

「もうすこしで南山ですよ。車は駐車場にいれますから、すこし階段を登ることになります」

「趙さん、わたしたちはNソウルタワーへ行きたいんです」

 里子さんはなんでも遠慮なく口にする人だ。できるだけ近くまで行ってほしいと言っている。

「僕たち東京のスカイツリーの超地元に住んでいてまだ行ったこともないのに、Nソウルタワーが先になるとは思わなかったなあ」

小笠原君は変な同調のしかたをしている。

「ソウルへ行ったら断然タワーだと友達が言ってたわよ」

 おれには観光旅行という感覚がよくわからない。李氏朝鮮の時代に鉄道はなく、悪路に悩まされて遠出をしたものだ。漢江には橋もなかった。首都漢城府を外敵から守るためだった。修信使の一行として日本へ赴いたときも釜山まで数日を要した。

「岩田さんもNソウルタワーに行きますか? 三百六十度の眺望で、今日みたいに晴れた日には、北側の開城(ケソン)の山も見えますよ」

「おれは遠慮しとく。ソウルの城内をゆっくり眺めているよ」

「城内とはまた古めかしい言い方ですね。それじゃ私が安重根(アンジュングン)の記念館へでも案内しましょう」

 中国ハルピン駅のホームで伊藤博文を撃ち、韓国併合を早める直接的な原因をつくった人物だというのは知識として知っているが、おれは大して興味をもたなかった。

 小笠原君たちを待つ時間つぶしにはちょうどいいかくらいの気持で趙記者に従った。

 記念館は抑えた照明の中で、数々の遺品には個別に光が当たり、品々が際立つように展示されている。書に目をやると、力強い筆跡で最後には手形が押してあり、薬指だけが短いのは伊藤博文を殺める目的で血書を作った断指同盟の証しという。安重根は李瞬臣と肩を並べる韓国の英雄との説明書きもあった。

 おれが目を止めたのは、自伝風の書の中にあった安重根の父親について書かれているくだりだった。

 父安泰(アンテ)(フン)は開化思想の共鳴者だった。はじめて知った。

 安泰勲は朴泳孝が選抜した七十名の留学生の一員に名前を連ねていた。人選のときに確かおれも朴泳孝に相談された記憶がある。しかし時が悪かった。おれたちのクーデターのために沙汰止みになった。留学派遣ができなかったことを朴泳孝は悔やんでいた。

「おれたち開化派に同調する若者だっている、ただ彼らを結集するだけの力と余裕がなかった」と。

 安重根が泰勲の息子だったとはなんという皮肉だろう。おそらく父親が日本へ留学していれば、伊藤博文に銃口を向けることもなく、まったく違った人生を送ったかもしれない。これも朝鮮の不幸としか言いようがない。

韓国の秋は突然訪れる。もうすでに初冬で山々の紅葉はまたひとしおだ。雪がおちてきても不思議ではなかった。南山の木々に目をやりながら、おれはやりきれない思いだけが募り、意味もない大声を出したくなった。

 おれたちが目論んだクーデターは、わが国を自力で近代化する唯一の、千載一遇のチャンスだった。それが失敗に帰したことがどれほど国の命運を左右し、結果その後の国を奈落の底に突き落としたのかと、いまこうしてソウルの街を見下ろしながら、大声を出したくなるほどに腹わたを(えぐ)られる思いがするのだ。李瞬臣将軍は一目おくとしても安重根のどこが国の英雄だというのか。

 趙記者に促されて記念館から数分の広場まで南山を下った。

「これは金九(キムグ)の像です。ご存知でしょう。韓国上海臨時政府の首相としても活動した反日の闘士です」

 暗殺行為のどこがなぜ英雄なのか、外国に臨時政府を作ってわあわあ騒ぐだけでなぜ英雄なのか、おれには理解できない。ソウル駅頭には姜宇奎(カンウギュ)という人物の銅像もあり、一九一九年、第三代朝鮮総督に就任した斎藤実一行に手榴弾を投げつけた反日人士の一人だという。

「趙さん、この国の英雄といったらいったい誰ですかね?」

 趙記者はしばらく考えているようだった。

「やはり李瞬臣将軍、安重根ですかね」

「二人とも日本に立ち向かった人物、李瞬臣は正攻法の戦争だけど、安重根というのはどうだか。隣国の政府の重鎮に銃口を向けた人物が、英雄というのはみすぼらしくないかね。世界を見渡しても英雄と目される人物は、建国の父だとか国民解放の勇士だとかとおれは思うんだけど。ジョージ・ワシントン、リンカーン、ジャンヌ・ダルクしかり。他国の一要人への個人攻撃がどうして英雄的な行為なのか。そんな人物の銅像なんて……」

「それじゃ岩田さんが考えるこの国の英雄といったら誰です?」

 あきらかに気分を害されたという表情をあらわにして趙記者が向かってきた。

朴正煕(パクチョンヒ)

 ほかに誰がいるといわんばかりに、おれは即座に答えた。

「いまの大統領のお父さんですが、親日派の一人とみなされていますよ。そんな人が英雄ですか?」

「この国にこれまで親日派なんて一人もいないよ。朴正煕は日本人の優れているところはなにかを知っていたが、決して親日ではなかった」

「しかし日本の軍人として日本に協力した人間ではないですか。そんな人物がなぜ英雄なんですか?」

「生き抜くためのぎりぎりの選択だった。朝鮮人としての真情を胸底にしまい込んで耐えていたにちがいない。心は売り渡していなかった」

「地下に潜って日本に歯向かって投獄された人たちだっていたではないですか。彼は同じ時代に日本軍に協力した」

「抵抗するだけが国の解放独立への唯一の手段とはかぎらない。結果はどうであったか。自力で日本の支配から開放することはできず、解放は天から降ってきたようなものだった」

「大韓民国臨時政府はずっと抵抗し続けていたではないですか」

「机上の論理と内部抗争ばかりでな。李氏朝鮮末期と同じさ。もたらされた解放のあとはどうなったか。雨後の筍のような幾多の党派が権力争いに明け暮れ、国民は日本に統治されていた時代よりも悲惨な生活を余儀なくされたままの、不毛な論争と、挙句に南北を二分した民族相打つ戦争にどんな正義があるというのかね」

「戦後世界の冷戦構造の犠牲者じゃないですか」

「朝鮮人は、俺は悪くないと言い、なんでも他人の所為(せい)にしたがり、自分の身を削ることをしようとしない。朴正煕はわが身を賭してクーデターを企てたのだ。この国にそこまでやった人間は二人だ。朴正煕と金玉均さ。朴はクーデターを成功させ、近代国家の仲間入りの足がかりをつくったが、金玉均は……知っての通りさ」

「チャンスをものにしたのが朴正煕ということですか」

「その通り、だから彼は英雄だ」

 趙記者がおれの言うことに納得したかどうかはわからない。しかしおれには朴正煕の気持が痛いほどわかる。おれと彼にはまだ共通点があったな。日本の明治維新をモデルにした国造りを目指したことであり、最期は同じ民族の人間の銃口に斃れたことだ。

 小笠原君と里子さんは、腕を組みながら駐車場へ戻ってきた。

「ほんとにすばらしい眺望でした。趙さんが言われたように北朝鮮の山も見えたんですよ。晴れててラッキー」

 里子さんの口ぶりは実際の見晴らしのよさを増幅するようで、おれのほうまで気持よくなる。

「漢江って雄大ですね。隅田川がちんけに思えるほどでした。それに河の南岸がまるでアメリカのどこかの都市みたいでした」

 隅田川を持ち出すのはいかにもその近くで育った小笠原君らしかった。

「趙さんは、南京錠のことご存じでしょう?」

 里子さんが嬉しそうな口ぶりで訊いた。

「ええ、よく知っていますよ。実は僕も結婚前に……」

「わたしたちもクリスマスツリーみたいになってる柵に錠をくくり付けてきました。〈愛の南京錠〉っていうんですって」

「その錠をどうしようというのかね?」

「おまじないですよ。恋人同士がしっかり結ばれるようにって。ねっ、カオル君」

「おれの分も付けてきてくれたかい?」

「岩田さんのですか? 岩田さんとだれの願いごと?」

「おれと津田さん」

 おれは当たり前のように照れもせずぬけぬけと口にした。

「え~っ、それってほんとうですか? 知らなかった。カオル知ってた?」

 津田さんと口では言いながら、おれはどこか杉谷玉の顔を思い浮かべていた。上海へ発つ前のわずかな時間を割いて、玉と二人湯島天神へ行ったときの情景が思い出された。

 咲きかけの梅の小枝に小吉のおみくじを結わえながら、玉が語りかけたことを思った。

「とにかく無事でありさえすれば、とうちゃんの気がすむまで上海にいたらいいわ」

 仏教徒のおれには、日本人の神社信仰というものがよくわからない。ましてや祭神は菅原道真という政治家だった。なぜ政治家が神様なのか、おれには不思議だった。

 玉の言うことを上の空で聞きながら、おれは全く別のことを考えていた。

菅原道真というのは、九世紀末にそれまで二百年以上続いていた遣唐使の派遣を廃止した人物というくらいの知識だった。中国(唐)との外交、貿易であったものを止めるというのは一種の国交断絶ではなかったのか。経済的、文化的にも重要な関係にあった唐といとも簡単に交易を断つことができた日本という国と、中国を拒絶することが即ち国の滅亡に関わる朝鮮半島との違いに、一千年以上を隔てた近代になっても中国(中華)を意識しなければならないわが国のことを考えていた。独自の道を歩むことができる日本と、意のままにならない朝鮮半島に、おれは歯ぎしりする思いだった。

小笠原君と里子さんの幸せそうな顔を見ながら、玉の深い思いに関心すら抱かず、自分のことばかり考えていたことに、いまさらながら玉に申し訳なかったと恥じた。玉はおれの無事の帰りをと言ったが、本心ではおれとの正式な契りを願っての願掛けだったのではないか。そんな女の気持を汲みとれない思慮の浅さにも、おれは恥じた。

「今夜は食事したあと清渓川へ行きましょう。夜景のイルミネーションがステキだそうですよ、そうだろう、サト」

「それじゃその近くで夕食にしますか?」

 趙記者が訊いた。

 おれには清渓川といえば女たちの洗濯している情景しか思い浮かばない。川辺に住む女房どもが集まっては日がなおしゃべりと洗濯に励んでいた光景だ。

岸辺で共同の大きな鍋を置いて洗った衣類を煮ている。洗濯が終われば(たらい)にいれた衣服を頭に載せて帰っていく。そんな川がわざわざ観に行くところなんて想像もつかない。

「おれはマッコリを飲めるところで食事をしたい」

「それじゃ武橋洞(ムギョドン)界隈のレストランにしましょう。その足で清渓川。清渓川を眼下にしながらのおしゃれなバーもあります」

「新装なった清渓川へは、日本の地方公共団体の議員もずいぶん視察に来たらしいですね」

 小笠原君もいろいろ勉強してソウルへ来たらしく、物知り顔で言った。

「前の李明博大統領がソウル市長の時代に発案して実現したものです。彼は現代建設の社長をやった人ですから、公共事業の工事なんてお手のもの。自分もたんまり儲けたんじゃないですか。抜かりはないですよ」

 趙記者がしたり顔で答えた。

「政治をやる人間なんてそんなものだよ。その点朴正煕はえらいよ。自分の損得なんて何一つ考えなかった」

「またその話ですか。ずいぶん朴正煕を買っているんですね」

七 愛娘

 連れていかれたレストランでは舎廊房(サランバン)をイメージしたオンドルの個室に通された。食べるものは三人にまかせた。あれもこれもと騒がしく三人が注文を入れている。

 土鍋風の大きめの器を満たした旨いマッコリとキムチだけでもおれは満足だった。パガチという瓢箪で作った杓子で手元の磁器に注いで飲む飲み方は昔とかわらない。銀メッキの箸(チョッカラッ)の持ちごたえのある重さも郷愁を呼び起こした。

山海の材料に工夫をこらした盛りだくさんの韓国料理の数々を小笠原君も里子さんも堪能した様子だった。食べ終わると、おれと趙記者を残し腕を組んで岸辺の散策へいそいそと出掛けていった。

 若いカップルで街は溢れている。

夜の八時鍾閣の鐘が鳴り、四つの大門が閉められると男はことごとく姿を消し、女だけが往き交った李朝時代の光景にはほど遠い。

「われわれは清渓川を見下ろすバーへ行って飲み直ししましょう」

 趙記者は手馴れた順番の飲み方ですよと言って、正面が総ガラス張りの清渓川が見渡せるカウンターバーに案内した。おれたちが並んで座ったカウンターの内側には若い女性のバーテンダーが立ち働いていた。

「なかなか美人揃いの店だね」

「そうなんです、ここは。みんな少しずつ整形しているのはまちがいないです。韓国は世界一の整形天国ですからね」

「整形というのは何ですか?」

「鼻を高くしたり、眼を二重まぶたにしたりします。整形外科という病院が大繁盛ですよ」

「身体髪膚これを親に受く……ではないのかね?」

「そんなのどこかに吹き飛んでますよ。盧武鉉(ノムヒョン)元大統領が整形したというのですから。男がですよ」

 さして興味のない話題を聞き流しながら、おれはカウンターバーの内側にいる女性たちの一人に気を取られてずっと目で追っていた。近くに来たら話しかけたいと思った。

「実は宮永さんから、岩田さんについて前もって聞いていたことがあるんです」

趙記者のいわくありげな物言いに耳を傾けたが、目はカウンターの中の一人を追った。

「なんて言ってきたんですか? 独りよがりで傲慢なやつだとか?」

「いや、韓末開化派の研究家であるだけでなく『おれは顔かたちだけではなく、なにもかも金玉均の生まれ変わりだ』と言い張っているって言ってきました」

「うまいこと言うね。金玉均があの世から甦ったとは言ってないかね」

「そんなこと言うわけないでしょう、だれも信じませんよ。でも岩田さんに韓服着せて、金玉均のソックリさんでテレビにでも出たらウケルかもしれませんね。似ていますよ。ただどれ位の韓国民が金玉均と聞いてすぐに反応するかどうか……」

 気になっている娘(アガシ)がおれたちの前に来た。おれは飲み物のおかわりをオーダーしながら韓国語で話しかけた。

「君の名前はなんというのかね」

「ジウォンです」

「それはこの店での名前だろう、本名は何というのだ」

 笑みを返すだけで答えようとはしない。

「岩田さん、韓国語の発音が完璧ですね。僕よりも上手い。僕は高校まで日本の佐賀で、こっちに来てから学んだ言葉ですけど、岩田さんの韓国語は自然ですよ。少し今風ではない言い方ですが」

「それはしかたがない。昔の人間だ」

「金玉均になりきっていますね。いまの若い娘を口説くには少し堅すぎる話し方ですね」

 目の前の娘への好奇心は、浮ついたものには無縁な感情だった。何人もいる内側の娘たちが同じような顔づくりの中にあって、ジウォンだけが地味で一重まぶたの質素な顔立ち、肌もやや浅黒く、そのことがかえって娘たちの中で目立つ存在だった。

 おれが惹かれるのはその全体の雰囲気や容貌ではなかった。初めて会った娘には思えない、おれの記憶の残像と重なり合った、放っておけない存在に思えたのだった。

「君もなにか飲みなさい」

 おれの前に引き止めておくために飲み物を勧めた。微かに笑みを浮かべて応じてくれた。

グラスを合わせながら訊いた。

「君の本貫(先祖からの本籍)はどこかね?」

「まるで結婚を意識した付き合いはじめの男女みたいですね。昨今はプライベートに立ち入った話は女に嫌われますよ」

趙が口を挟んだ。本貫を同じくする男女は結婚できないという朝鮮人の不文律があることを言っているのだ。

 おれは趙を無視して同じ質問を重ねた。

「本貫は? それくらいいいだろう」

「安東金氏です」

 まるで周りをはばかるようなか細い声で答えた。

「なんだって。いま安東金氏と言った?」

 おれは気持の昂ぶりを抑えるようにオウム返しに訊いた。

「ということは、先祖の墓は忠清南道公州」

 畳掛けるように言うと、ジウォンは目を見開いておれを凝視した。

 趙記者がトイレに立つために席を外した。

 おれはジウォンの目をしっかり見て言った。

「明日もまた来る」

 明日の韓国棋院訪問の興味も失せるほどに、おれは動揺していた。

 日本へ難を逃れたときに残してきた妻に、ジウォンがそっくりというのはどういうことなのか。他人の空似やおれの思い入れが過ぎるためということもあろう。しかしその背の高さといい、風貌や醸し出す雰囲気というものがあまりにも妻に似すぎている。百三十年もの隔たりを越えて似ているというのはどういうことなのか。

 おれは自分が甦った人間だということも忘れて、ひたすらジウォンのことに思いをめぐらせた。おれが甦ったことによって妻も……いやそんなことはあり得ない。しかも妻の本貫は安東金氏ではない。

 ホテルに帰り着くとすぐに小笠原君と里子さんを部屋に呼んだ。黙って内に秘めておけないのがおれの性分だ。

 一通り話し終えると、里子さんがいとも簡単に謎を解いてくれた。

「それは岩田さん、いや金玉均の奥さんではなくてお嬢さんの甦りでしょう。クーデターのとき娘さんは何歳でした?」

「たしか七歳か八歳」

 ということは、おれが上海で殺されたとき、娘は十七か十八歳になっていた。

端陽(タニャン)が甦ったんだ!」

「そうです。お嬢さんは若くして亡くなった。ジウォンさんと同じくらいの年齢のときに」

 小笠原君が後を引き継いで言った。

「わたしだって母親の若い時にそっくりだって、身内のみんなに言われますもの」

「こんな発想ができるのも、サトと僕が岩田さんの甦りを信じたからですね」

「岩田さんが甦ったと時を同じくしてお嬢さんがこの世に姿をみせたにちがいないわ」

「おれは明晩ジウォンに会いに行くつもりだ」

「僕たちも一緒に行きます。サトがいればジウォンさんも女同士の安心感から警戒心も薄らいで、なんでも話してくれるかもしれません」

「なるほど、それはいい考えだ。恩にきるよ」

「清渓川の夜景を高いところから眺められるなんてラッキー」

 里子さんはどこまでも明るい。

ソウル三日目

われわれ四人は韓国棋院を訪れた。

「朝から浮かない顔をしてますね」

「そう。あんなに楽しみにしていた碁盤とのご対面だというのに、どうしました?」

小笠原君と里子さんが口をそろえて怪訝そうに聞いてくる。

浮かれる気持になれない理由はおれが一番よくわかっている。一晩中ジウォンのことばかり考えて眠れなかった。

「三十分も走れば棋院会館ですよ。この通りは乙支路(ウルチロ)といいます。大きい会社のビルが建ち並んでいるビジネス街ですかね」

 なにも知らない趙記者はいつものように車中から見える街のガイドをしながら車を東に向って走らせている。

「城東区に入りましたよ、もうすぐです」

「このあたりはどこかね?」

(ワン)十里(シムニ)ですね、この辺は昔の城外ですね」

 おれの時代には往十里といえば清国軍隊の野営地の一つだった。

 北洋大臣李鴻章と軍を後ろ盾にした袁世凱が、わが国の廟堂を実質支配し、閔氏一族の守旧派がその顔色を窺う、そんな時代だった。どの国の公使も通ることを許されない景福宮光化門の中央扉から馬で出入りする袁世凱の横暴さに、おれたちは歯軋りしながら何も言えなかった。袁世凱は王妃の妹を妾にしていた。それを知ったときは袁世凱に対する怒りよりも閔氏一族の媚びへつらいにおれは吐き気がしたものだ。

おれの目から見れば、いまの韓国の中国への対応は十九世紀末となんら変わらない。中国のご機嫌をうかがいながらの対応は事大そのものだ。

「いまの大統領の評判はどうかね?」

 たいした意味もなく、趙記者に質問した。

「評判といわれても……、日本からは好感持たれていないみたいですね。なにしろ中国の習近平の顔色窺いに必死ですから」

 時代が移ろい、もう先進国の一員というのにどこまで卑屈なんだ。高宗の世から何一つ変わっていないではないか、時代返りしているとしか思えない。

 朴槿恵大統領の歴史認識発言にも、おれは先祖返りみたいなものを思った。

日本の為政者は正しい歴史認識を、鏡を見て責任ある歴史認識をもつべきだという発言におれは笑ってしまった。それは李氏朝鮮時代の大院君、守旧派、儒生が唱えた〈衛正斥邪〉のお題目と同じだからだ。われわれは絶対に正しく、われわれの思想を理解できない夷(野蛮な人種)には、われわれと同じ正しい理念を持たせなければならないというのとなんら変わりない。百三十年前の為政者の発言かと思ってしまった。

 くだらない質問などしなければよかったと後悔していると、

「着きましたよ」

趙記者が告げた。

五階建てのやや古びたビルだった。

 趙記者がどんな話をして約束を取り付けてくれていたのかはわからなかったが、目的の碁盤のところへは簡単に案内してくれない。年齢のいった職員というのがいけない。来客が日本人で、しかも自分よりも年下というのが韓国人職員を尊大にさせているようで、韓国人のこけおどし的に自分を大きく見せたがる気質そのままのような男だった。

小笠原君たちとおれが、韓国語を解せないと思っているのか見下したような話し方である。趙記者に気を遣っておれは何も言わず訳された日本語を聞いていた。

 やっとのことで目的の場所に案内されると、碁盤はガラスケースの中に納められていた。一目見てこれは紛れもなくおれの碁盤だとわかった。一九九五年の韓国棋院五十周年記念に、日本棋院から寄贈されたものだと聞かされていたが、職員はそのことには一言も触れなかった。まるでおれが朝鮮にいたときに愛用していたもののような曖昧な説明をした。 おれが囲碁の本格的な手ほどきを受けたのは日本のプロ棋士本因坊秀甫、十九世本因坊秀栄であり、ことに秀栄とは心友、刎頚の友ともいえるような深い付き合いであったことなど職員は知る由もない。日本の協力や共同事業などが表面に出ることは、韓国の弱みや恥とでも思っているのかもしれないが、なぜ堂々と日本の好意によりと言えないのだろうか。おれには単なる強がりにしか思えない。

 もったいぶった出し方がされた碁盤は、おれには想像した通りの感動をよびおこした。

 目を凝らして見ていたが、やはり触りたくなった。指紋を採集しなければいけないこともわかっている。木目といい蓮の花をかたどった四本の足といい、おれの記憶は鮮明だった。

 触れようとすると趙記者は目で制し、職員は碁盤に触るなどとんでもないといった素振りだった。

 指紋などどうでもよかった。上海へ行く前に知人に譲ったものだと、おれ本人が証明すれば何の疑いがあるものか。小笠原君と里子さんは遠目に見ているだけで何も言わない。

「この蓮の花足の一つだったらいいだろう?」

 おれは懇願するように、趙記者に弱気に声をかけた。

「非常に思い出深いものなので、ちょっとだけ触らせてくれと言っています」

 趙記者が韓国語で職員に伝えている。一本の足だけだったらいいだろうということになった。

 おれは手の平全部で握りしめた。木の柔らかさと硬さ、冷たさと温かさが交互に伝わってくるようだった。この感覚の思いをどう表現したら周りの人たちに理解してもらえるかと思案しながら握り続けた。

畏敬と憧れを持って接していた青春時代の先輩に再会したような、安らぐ感覚だろうか。悩み事の相談を持ちかけ、議論をし、なにかのきっかけをつかんだときの思いに似ていなくもない。計算高さに無縁だった青年時代の熱情を呼び覚ます証拠品のようだ。

「これを用意しておきました」

 職員がおだやかな口ぶりで、綴じた数枚の紙を差し出しながら、これまでの敵意と意地の悪さを帳消しにするように続けて、

「金玉均と本因坊秀栄対局の棋譜をコピーしておきました。持っていきなさい」

 おれが六子を置いた局面から秀栄氏に勝ったときのものだった。棋譜には指し手の順番通りに番号がふられていた。

 おれと秀栄氏がどんな境遇、心境におかれていたときのものかまで物語る棋譜だった。

 日本へ逃れ、日本政府のつれない扱いに抗議めいた日々を過ごすおれと、囲碁界の内紛に不遇をかこっていた秀栄氏が互いを慰めあっていたころの対局だった。囲碁に言葉は必要ない。一手一手が会話であり、そのときの心情さえ局面に表れるものだ。感情の機微までこのブログで語ることは省略するが、小笠原島へ隔離されたおれの許へ訪ねて来てくれるほどまでに秀栄氏と肝胆あい照らす仲になるきっかけとなった対局だった。

「素人棋士日本選手権でもやれば、優勝できるくらいの腕前だね」

 そう言って秀栄氏が褒めてくれた一局だった。

 韓国棋院を訪れた満足感は想像以上のものになった。

 小笠原君と里子さんは囲碁に興味はなく、退屈で早く退散しようという顔をしている。おれの頭の中もジウォンのことに切り替わっている。まったくわがままな性格だと改めて自覚した。

 趙記者は指紋採集の交渉をしている。そんなもの、もうどうでもいいではないか。後日採集したものを宮永記者に送ってくれれば充分だろうと思った。

 夜を待ちかねるようにしてジウォンのバーへ三人で向った。

「お待ちしていました」

 ジウォンは意外なことを口にした。

 カクテルを注文してグラスに口をつけたが、どうも落ち着かない。立て続けにグラスを手にした。話の糸口をつかめないでいると、里子さんがおれに言った。

「彼女を外に連れ出せないでしょうか。ここでは話づらくありません?」

 その通りだ。何か理由をつけて早退できないかとジウォンにもちかけ、里子さんはジウォンに同意を促すように親しみを込めて笑顔を投げかけた。

 ジウォンもまた何か感じるものがあったのか、早退の言い訳を考えているようだった。

「マネージャーにお願いしてみます」

 意を決したように言うと、ジウォンは場を離れた。

「サト、ジウォンさんは顔も体つきもどことなく岩田さんに似ていない?」

「わたしも一目見たときそう思った」

プレジデントホテルのラウンジバーの奥まった一角でジウォンの到着を待った。十分ほどの遅れですらりとした痩身のジウォンが姿をみせた。

「アンジュセヨ(どうぞこちらへ)」

 里子さんが自分の横の一人掛けソファーを指差しながら微笑みかけた。おれとジウォンが向き合う形になった。

 何から話しはじめたらいいのか思案していると、ジウォンの方から話しかけてきた。

「昨夜、本貫を訊かれたときから、ただそのときだけのお客さんと思えない何か激しく心動かされるものがあったのです」

「何を感じたのですか?」

「他人ではない身近な方のような。でも日本人と言われたので日本に帰化した韓国人ではないのかと。もっと言えば同じ宗族の方ではないかと」

「実は私も同じような、ほかでもない自分の身内のようなオーラを感じ取ったのです。それが今夜どうしてももう一度会わなければいけないと強く思った理由です」

 おれはジウォンのすべてを知りたくなった。

「結婚はしているのですか? 親兄弟は? 年齢は?」

 おれは畳みかけるように質問を浴びせた。

「結婚はしていません。それどころか私にはだれ一人として身寄りがないのです」

 ジウォンとの会話を中断して、小笠原君と里子さんに今聞いたことを伝えた。

「これは娘さんも甦ったにちがいありませんよ。サト、そう思わずにはいられないだろう」

「だれも信じないようなことが、岩田さんの身辺で、この韓国でも起きていたんだわ」

 ジウォンは三人の表情から何が起きているのだと、怯えたような表情を漂わせた。

「岩田さん、肝心なことを訊かなくては。ジウォンさんの本名よ」

 里子さんはとても冷静だ。

「どうしても知りたいのだが、ジウォンさんの本名を教えてほしい」

 おれは身を乗り出して、冷静にと自分に言い聞かせながら訊いた。

 何かを探すように手元のバッグに手を入れて一枚のカードをテーブルに置いてジウォンが言った。

金端陽(キムタニャン)といいます」

 目の前のIDカードに目は釘付けになり、耳はもう一度ジウォンの口から発せられる「キム タニャン」を聞きたがった。

「端陽(タニャン)だって!」

 周囲がいっせいに振り返るほどの声を出した。

 端陽もまた冥界から降りてきて今を生きているに違いなかった。その証拠に身寄りがだれもいない。その理由を聞かずにはいられなかった。

 端陽は心を開いたように静かに話しはじめた。

「私はタプコル公園の隅の方に倒れていたそうです。気がついたときはソウル大学付属病院のベッドでした。三年ほど前のことです。でも私は自分がだれなのかさえわからなかったのです……」

 おれと同じではないか。あり得ないことが同時期に父娘に起きていたのだ。

「……何を聞かれても私には一切の記憶というものがないのです。なぜあんな所で倒れていたのか、その前は何をしていたのか、すべてが真っ白なのです。うす汚れた白木綿のチマチョゴリ姿だったそうです。いまどきそんな服装をしている若い女性なんてどこにもいません。どこのだれだか皆目わからないというのは病院にとって迷惑なだけです。でも私がだれなのかはほどなくして判りました」

 まどろっこしいが、おれは丁寧に日本語で二人に伝えた。

「名前や住所を思い出したとでも?」

 その先を促すように早口で聞いた。

「……いえ、チョゴリの襟に縫いこまれていた粧刀(チャンド)というのですが、十センチほどの小さな刀に名前が刻まれていました」

「名前が刻まれた粧刀だって!」

「そうです。それを看護師さんが見つけて……『あなたの名前なの?』と訊かれたのですが、私にはだれの名前かなどわかりませんでした」

「いまその粧刀を持っていますか?」

「もちろん持っています。唯一私を証明できる物ですから」

「見せて、いますぐ見せてほしい」

 バッグから取り出した粧刀を、端陽は両手に乗せておれに手渡した。

 おれは鞘から刀身を抜いて刻まれた文字を読んだ。手が震えていた。

《安東金氏 端陽》

 この文字はまぎれもなくおれが鍾路の店で買い求め、職人に娘の名前を刻印させたものだった。

 おれたちはともに甦った父娘であることに寸分の違いもないのは明らかだった。しかしどう説明すればそのことを端陽に納得させることができるのか。どうしても小笠原君たちの助けが必要だった。

 はやる気持を抑えて、おれは小笠原君と里子さんに粧刀の説明からはじめて、おれがあの世から甦った人間であることを証言するよう求めた。 

「粧刀というのは朝鮮の女子が嫁にいくとき護身用に持たせる小刀で、正装のチマチョゴリには欠かせない結び飾りのノリゲ(装身具)の一つでもあるんだ。おれはあのクーデターの直前に端陽用の粧刀を用意した。娘に二度と会えないと予知したのかもしれないね。粧刀を見て彼女が端陽であると確信したが、どうすればおれが父親の金玉均であることを証明できるかの考えが浮かばない。君たち、知恵を貸してほしい」

「お墓が消えてなくなったこと、花洞の家跡へ行ったことなど写真を見せたら信じてくれるかもしれませんよ」

 小笠原君は電子図書館のタブレットを取り出した。

「端陽さんは心で感じてわかるのではないかしら、女の直感というのは侮れませんよ。証明など必要ないんじゃないかしら。私だって最初は岩田さんの甦りを信じなかったでしょ。ずばり岩田さんが何者かを言えば通じると思いますよ」

 里子さんに勇気づけられる思いで、おれは端陽をじっと見て話はじめた。

「わたしのことを少し話しましょう」

 大きく深呼吸をした。

「あなたのオモニ(母)は()氏、アボジ(父)は新安東金氏を本貫とする金玉均。金玉均は約百二十年前に家族も振り切ってこの国で革命に命を捧げた。しかし、それは失敗に終わった。甲申政変といわれるものです。その後日本へ亡命したが、国賊の汚名を着せられ一八九四年に中国の上海で刺客により殺されたのです。そして二年半ほど前に金玉均は東京で甦っていたのです。この写真を見てください。死後、日本の後援者が建てた金玉均のお墓です。こっちの写真を見て。ここに墓碑が写っていない。これは金玉均が現世に甦ったのと時を同じくして墓碑が消えたあとの写真です。ここにいる二人も写っているでしょう」

 小笠原君と里子さんに視線を移しながら、信じてもらえるかどうかは考えずに一気に話した。

 端陽は両手を膝にそろえ、目線を落とし気味にして身動きひとつせず聞き入っている。

 おれが飲み物のグラスを取り一息入れるのを待っていたかのように端陽が口を開いた。

「岩田さんも私も甦った人間として現世を生きているというのは、素直に受けとめればいいことだと思います。岩田さんが金玉均であるかどうかは私にはわかりません。なぜなら私はこの三年弱の記憶しかないのですから確かめようがありません」

 端陽は一度話を切って、おれに真剣な眼差しを向けて続けた。

「でもこれだけは言えます。霊感とでもいうのでしょうか、なにか容易ならざるものを感じなければ、今夜ここに来ることはなかったでしょう」

「わたしもすべてが偶然にしては話が出来すぎている、何かあることには間違いないと思う。わたしたちが父娘であることの確信をもてる条件が、有り余るほどある」

 父娘という言葉に対しても端陽は驚くような様子もなく、平静なままだった。

「本貫の一致や粧刀だけのことではない。あなたが倒れていたというタプコル公園の場所は、昔は典洞(ジョンドン)という地名で、わたしの妻であり、あなたのオモニ、兪氏の実家のすぐそばだったことは偶然とは思えない」

「それは知りませんでしたが、私を金端陽(キムタニャン)として養子にし、独り立ちする手助けをしてくれた篤志家の方に、金端陽が何者かを詳しく教えてもらいました。その方も安東金氏の一族で、今の私の養父です」

 ソウル大学付属病院から安東金氏の宗親会(同一氏族の組織)に問い合わせがいったという。族譜(宗族の系図)を調べれば、端陽が宗族のどの世代の人間でだれの子どもかもすぐわかることだ。

「端陽という名前の女子は、養父から数えて四世代前の人間で、金玉均という李氏朝鮮末の一時期国の政治に大きく関わった人物の娘だと聞かされました。私が名入りの粧刀を持っているというのは何か深い縁があってのことでしょうが、その末裔がどうなっているかはわからないということでした。金玉均の亡命後の妻子は、捕盗庁(警察)の目を逃れるために漢城(ソウル)から身一つで親族を頼り忠清南道に身を潜めていたそうですが、清日戦争時に日本軍に保護され漢城へ戻ることができた。そこまでは言い伝えで宗族の人たちもわかっていたけれど、その後のことはだれも知らないということでした」

 おれは手に入れた〈金玉均氏妻女兪氏の『遭難自記』〉なるものをごく最近読んだばかりだった。福沢先生創刊による時事新報に一九〇五年に掲載された記事だという。悲痛としか言いようのない文章だった。閔氏政権のわが家族に対する処遇への憤りとともに、妻の、おれやおれの親に対する孝の精神に衷心から感謝し、あまりもの申し訳なさにおれは気も狂わんばかりに苛まれ、独り声を上げて泣いた。

 端陽を若くして亡くし、妻は五十歳まで生き長らえたのだった。ノートに書き写した『遭難自記』の中で暗記してしまうほどの数行に、妻の思いのすべてが凝縮されている。

――海外万里の天に漂泊まします亡夫の冤魂(無実の罪)を慰めたてまつらんこと、実に吾身の第一の願いなり、且つ冤鬼となり給える父母の白骨を安らかに礼葬しまいらせんか、嗚呼、この二願を成就することを得ざればこの身は死すとも地下に瞑するを得ず……

「端陽よ、おれが眠っているという忠清南道牙山(アサン)へ行こう。おまえのオモニもそこにいるはずだ」

 端陽を丁寧な呼び方をすることも忘れて一方的に告げた。おれは胸の高鳴りを抑えることができなかった。

「明日は日本へ戻る日ですよ」

 小笠原君が言うことなど、もうおれの耳には入らなかった。

「岩田さん、僕たちは三泊四日のパッケージツアーで来ているので、予定の変更はできないのです。そのことを端陽さんに話してくださいよ」

 小笠原君が困り果てた顔でおれを説得したが、おれは無視して通訳もしなかった。

「サト、端陽さんに説明してみてよ」

「わたしそんな難しいこと韓国語で言えないわよ」

 おれはほくそ笑んで二人に言った。

「なあに、別途帰りの航空券を買えばいいんだろう」

「独りで予約なんかできないし、どうやって日本に帰国するのかわからないでしょう」

「趙記者に頼めば平気だよ。それに碁盤の指紋も持って帰れるじゃないか」

 里子さんがもう手に負えないといった表情で、投げ出すように椅子に背をもたせ掛けて言った。

「しかたないわ、カオルと二人だけで帰ることにしよう」

「一日か二日遅くなるだけだよ。なっ、端陽」

 日本語のわからない端陽はきょとんとした顔をしていた。

「岩田さんは一日、二日あとで帰国すると、宮永さんにメールしておいたら、一刻も早く会いたい、緊急を要する話があるって返事が来たよ」

 小笠原君が里子さんにメールの文面を見せながら言った。

「ソウルでの毎日のことや、岩田さんが書いたブログ原稿は宮永さんに送っていたんでしょ。なにがあったのかしら?」

「今日は夜羽田着だから明日会うことにしよう」

「端陽さんのことを突然書いても宮永さんにはなんのことかわからないから、とにかく明日の場所と時間を指定して、とメールしておくよ」

二人は帰国翌日宮永記者が指定した時間に渋谷東口の喫茶店に出向いた。

 茶亭羽當という昭和時代によく見かけたクラシックな装いの落ち着き払った喫茶店だった。宮永記者と看護師の津田さんが待っていた。

「津田さんもご一緒だったんですか、お久し振り」

 おれと津田さんだよ、と岩田さんが言ったNソウルタワーの〈愛の南京錠〉のことを思い出しながら、里子さんは津田さんと宮永記者を交互に見て言った。

「津田さんも岩田さんのその後が気になるっていうから誘ったんだ。この喫茶店は店主が淹れ方にこだわった絶品のコーヒーを味わえる店だよ」

 宮永記者は、津田さんに向けられる話題を逸らすように言った。

「岩田さんの強引さには参りましたよ」

 小笠原君は席に着くのももどかしげに本題に話を向けた。

「どういうことなの? ソウルの話から先に聞くよ」

 一通り聞き終えた宮永記者は、出来すぎた話だと言いながらも端陽のことを否定もしなかった。もちろん関心はあるが、いまはそれどころじゃない、宮永記者の頭の中で鳴り続けている警告音を止めることが先決なのだと目が訴えている。

「ブログにアクセスできなくなっていて、WEBの掲示板サイトではちょっとしたお祭り状態なんだよ」

「何がきっかけ、原因なんですか?」

「非難中傷というよりも追求的な書き込みが多いんだけど、金玉均が生き返るなんてあり得ないが、だれが金玉均に成りすましてブログを書いているんだというのが一番多い」

「僕たちがソウルへ行く前までは何もなかったのに、ですか?」

「おれは金玉均だ、みたいな書き方を始めてからなんだけど、岩田さんがG医科大学病院に担ぎ込まれてから退院までのことを僕が津田さんから聞き出して、それをブログにアップしてからなんだよ」

「それくらいのことで炎上するなんて考えられないんですけど。そんなことを信じる人はほとんどいないでしょう」

 里子さんが自分の経験に照らし合わせている。

「私が余計なことを宮永さんにしゃべらなければよかったんだわ」

 津田さんは自分のせいだと思い込んでいるようだ。

「そんなの気にすることないよ。理由はいくつかあるけど一番の理由は、韓国からの膨大な量の非難のアクセスみたいなんだ。安重根などの韓国第一級の英雄を貶めるような内容の書き方をしたことに原因があるらしいよ」

「韓国人の癇に障ったということですかね」

「まあそんなところだろうけど、いま日韓関係が冷えきっているから、マスコミが騒ぎはじめると掲示板だけのことではなくなるし、関連サイトにも迷惑が掛かるのを気にしているんだ。いまは金玉均を探せ、ということが話題の中心になっている」

「金玉均さんはいまお気楽に韓国旅行中ですけどね」

 里子さんのおどけた言い方に皆が声にして笑った。

「それともう一つ、大事なことがあるんだよ」

 鑑定に出していた日本刀〈三條小鍛冶宗近〉のことである。当初は百五十万円くらいにはなるだろうという予測だったが、何人かの古美術商に鑑定を依頼したところが、とんでもない逸品らしいという。

「どうやら本物にまちがいないらしい。一人の美術商が言うには正直値が付けられないんじゃないか、数千万から億の価値があるらしい」

「億ですか!」

 小笠原君と里子さんが素っ頓狂な声を上げた。

「これもどうするのか岩田さんに相談しないことには埒があかない。岩田さんに連絡をとる手段はないだろうか?」

「それはソウルの趙さんにメールで問い合わせるしかないでしょう。岩田さんは必ず趙さんに連絡するはずですから」

 宮永記者はその場で趙記者にメールした。

「私にはもう一つ理解できないことがあるんですけど……」

 里子さんが宮永記者に訊いた。

「青山の墓碑が消えてなくなっていることへの書き込みはないんですか?」

「だれかが気づいてはいるだろうけど、ブログを読んでいるとは限らないし、僕もそのことには意識的にブログで触れないことにしていたからだと思う」

「今日のところは趙さんからの連絡を待つことにしよう。メールが来たら君たち二人にはすぐに連絡するよ」

 小笠原君と里子さんが帰国して三日が過ぎても岩田さんは帰ってこなかった。その間、宮永記者の元に届いた趙記者からのメールには、岩田さんとは何の連絡もとれず、採取した碁盤の指紋は航空便で送る旨のメールが入り、原寸の指紋と拡大されたコピーが宮永記者の手元に届いた。

 宮永記者は筆跡鑑定を依頼し、すでに金玉均の筆跡である確証を得ていた民間の鑑定所に指紋の鑑定も委託した。二週間もあれば結果はわかると宮永記者から小笠原君へメールが届いた。

 指紋が届いた日から一日遅れで小笠原君のもとへ韓国からの封書が郵便受けに入っていた。それは現世ばなれした奇妙としか言いようのない封書だった。

 宛名は苗字だけで下の名前はなく、差出人名は金玉均氏の法名で、住所の記載はなかった。曖昧で通常であればあり得ない書き方であるが、それが岩田さんからの封書であることにまちがいなかった。奇妙な宛先と差出人はつぎのようなものだった。

日本國 東京都墨田区押上三丁目○番○号

    小笠原 貴下

               古筠院釈温香

  拝啓

小笠原君、里子さん、私のわがままを聞き入れてくれて有難う。貴君等が私に尽くしてくれたことへの感謝は言葉では表せないほどのものです。

私はいま忠清南道の温陽(オニャン)温泉に居ます。勿論端陽と一緒です。至福の時間を過ごしているといへば現在の気持を全てわかっていただけると思います。端陽と私はソウル駅から鉄道を利用して温陽温泉まで来ました。便利で速い列車もありましたが、私のたっての希望で乗り継ぎながらも各駅に止まる列車を利用しました。わが国の大地を思う存分眺め堪能しながらの大満足の鉄道の旅になりました。ここに書き切れない程の話を端陽としながらの旅でした。端陽と互いの意思が通いあった時間を持つことが出来たのです。

 端陽のことを少し書きましょう。大いに興味が有ると思いますから。

 端陽はとても孤独です。身寄りがないことに加えて自分の来歴の記憶も勿論ありません。無難な暮らしに必要な学歴もなく最低限の生活を営むことに汲々としています。話が合う友人は二人だけです。二人は北から逃れて来た脱北者です。彼らの北朝鮮で得た技量や資格はこの地では何の役にも立ちません。学歴も身寄りもない端陽と同じです。身を潜めるようにして生きていくしかないのです。いまの仕事もいつなんどきお役御免になるかもしれないのです。韓末の身分社会と同じです。私が目指した身分制度、両班の廃止は成らず、いまは形を変えて身分社会が続いているのです。若者の間では〈金の匙〉か〈土の匙〉のどちらを咥えて生まれてきたのかが一生の分かれ目だと言われているそうです。さしずめ端陽はどちらも咥えてこなかったも同然と自嘲しています。端陽と脱北者は残りカスのような仕事にありつくのがやっとです。こんなことでどうやって南北が一つになることができるのでしょうか。本気で南北統一を望んでいるとはとうてい思えません。格差社会の是正もお題目だけでしょう。

 車窓に流れる町々や集落は韓末の面影もありませんでしたが、田畑の区割りや真っ直ぐに伸びた平坦な道やポプラの並木には大いに郷愁をそそられ、この地が大陸の一部であることを実感しました。そしてこの国が数千年の昔から中国と深く関わる大陸国家に変わりはなく、中華世界のくびきから依然として逃れられない宿命にあることにも思いを致さざるを得ません。日本からは恣意的に目を逸らし中国に熱い視線を向ける現政権も、私たちのあの時代と何ら変わることはありません。中国から見れば南北の分断状態も一地域の単なる党派争いに過ぎないのです。しかも中国は朝鮮半島の南北統一や変革など望んでもいません。現状維持がベストだと思っているのです。十九世紀末の清国の権力者李鴻章も朝鮮の近代化や変革など望んではいなかった。自国の監視下に置き、欧米列強や日本と結びつく朝鮮など到底認めないというのが基本方針だったのです。現中国の権力者習近平主席は李鴻章どころではない権力を持っているというのが私の見るところです。韓国も北朝鮮も蛇(中国)に睨まれた蛙同然です。習近平にとって社会主義国か資本主義国かどうかは関係ないのです。北も南も現状のままで中国の手中にあるかどうかだけが関心事です。朝鮮半島の統一国家は彼にとっては最悪の筋書きです。

さあ、ここまで書けばもうおわかりでしょう。亡命中とはいえ朝鮮の改革に執念をみせる金玉均はだれにとって邪魔な存在だったのか、だれのために殺さなければいけない邪魔者だったかを。それは高宗でも閔妃でもなく、変革を望まない清国の権力者だったことが。

私の考える、あるべき朝鮮半島を開示しましょう。直近はどうあれ、最終的には統一を成し遂げなければなりません。しかし重要なことは、北朝鮮が主体となる統一だけは避けなければなりません。その理由はもうおわかりでしょう。金日成から三代続く一族の支配の本心にあるのは一族の保身だけであり、彼らが言う〈人民〉のことなどまったく眼中にないからにほかなりません。李氏朝鮮の高宗閔妃と全く同じだからです。

統一なった暁のこの国はいかにすれば独立不羈を全う出来るかを全身全霊を賭けて考えなければいけません。その為にはひたすら国力を蓄えることです。党争などもってのほかです。強大国になる必要はありません。媚びることなく周辺の国々と対等に堂々と交際する国になることです。にもかかわらず韓国の一部には「中国的秩序」を受け入れることが国益になると安易に考えている人々がいることに驚かされます。私たち独立開化派がクーデターまで試みた意図を理解しようとしない時代錯誤にあいた口が塞がりません。どこまで目先の利害に惑わされる事大主義が韓国・朝鮮人の身体に染み付いていることでしょうか。

それでは日本がこの朝鮮半島の国との関わりで押さえなければならない要諦は何でしょうか。〈首鼠両端を持す〉ということわざをご存知でしょうか。鼠が穴から首を出して周りの様子を窺い、どちらへ行こうかと態度を決め兼ねていることを言います。朝鮮は長い間首鼠両端の状態にありました。そして大に事(つか)えることが国を滅亡から救う道だったのです。事大主義は必然だったのです。日本では考えられないほどに国の守りに神経を使わざるを得なかったのです。中国、日本、ロシアという大国に囲まれた小国の事情を日本は理解しておくべきです。

   私の時代にはなかった今日の反日的な言動はどうでしょうか? 対日本外交の根っこにあるのは、日本は好きになってはいけない国という固定観念、脅迫観念にほかなりません。自分で自分の首を絞めていることに気づいていません。本音の本音のところでは、彼らにとって日本は最もしっくり馴染める大好きな国なのです。

彼らの本音を理解した上で、日本は嫌韓などの言動が浅はかで恥ずかしいことと思わなくてはいけないのです。隣の国がいかに騒ごうと、粛々と対処すればいいのです。余分なことをしない、何か言ってチョッカイを出してきてもいちいち敏感に反応しないくらいの度量を見せることです。粛々とした大人の対応とでもいうのでしょうか。臆病な犬ほど吠えるというではありませんか。

ああ、すこしくたびれてきました。端陽はいま風呂に行っています。そろそろ帰って来る頃です。また後で続きは書きます。

 昨夜のことです。端陽と私は温陽温泉のオンドル部屋の一室で蒲団を並べ、電灯を消して取り留めのない話をしていました。科挙に合格した頃のことや結婚してすぐに端陽が生まれたこと、漢城に赤痢が蔓延し、国王の肝煎りで出来たばかりの西洋医学の病院(広恵院といいました)が罹患者で溢れたこと、幼い端陽を赤痢から守るために駆けずり回ったことなどを懐かしく思い出していました。そのとき、何のためらいもなく私はごく自然に蒲団から手を出して横にいる端陽の手を握ったのです。すると拒むどころか握り返してきたのです。すると「ヨボ(あなた)」と小さく言ったのです。空耳だったかもしれません。しかしそれは確かに妻の声でした。まちがいありません。話は止みました。オンドルの温かさなのか、端陽の手のぬくもりなのかわかりませんが、ぬくもりが直に伝わってくると、羽毛で撫でられるような静かで柔らかい快感が指先から全身に広がっていくのがわかりました。父親であることを忘れてひとりの男に変貌しようとしていました。そのときはいつの間にか横たわっているのが端陽ではなく妻に成り変っていたのではないでしょうか。――そこまででした。無意識のうちに自制したのだと思います。でも今夜はどうなるかわかりません。風呂から帰ってきた端陽を見ると、彼女の火照った顔といい首筋から胸元にかけての白い肌といい若かりし頃の妻を彷彿とさせるほど生き写しで欲情をそそるものでしたから。

明日、私たちは金玉均と妻が眠る墓所へ行きます。自分のお墓へ行くのは青山霊園以来二回目です。泊まっているところからタクシーで三十分ばかりらしいですが、この国らしい立派な墓地ということは聞いています。廟所もあるというのでだれがそんな墓所にしてたのかも知りたいものです。また報告できるようであれば手紙書きます。

こうして手紙を書きながら私の記憶が濃霧の中に紛れ込んだようになり、時折晴れ間がのぞくようなおぼつかない状態に陥っています。貴君等の顔はくっきり浮かんでくるのに、小笠原君の名前と里子さんの苗字がどうしても思い出せないのです。封書の宛名に小笠原君の苗字だけ記して投函します。許して下さい。      岩田 拝

エピローグ

「この手紙はどう考えても岩田さんからわたしたちへのサヨナラの手紙だわ」

「僕にもそうとしか思えない。岩田さんは冥界へ帰っていったんだよ」

 小笠原君と里子さんの二人は主のいない岩田周作の部屋で、一人住まいの小さなテーブルの上に手紙を広げて向かい合っていた。

「この差出人の名前がいちばんの証拠でしょ。法名なんてあり得ないでしょう」

「文章を何度も読み返すうちにわかってきたけど、あっちこっちにサヨナラが暗示されているよ。書き出しの一行なんてそうだよな。俺たちへの感謝が『尽くしてくれたこと』と過去形で書かれているもんな」

「最後の記憶が薄れていくくだりや、わたしたちの名前と苗字がどうしても思い出せないというのもそうよ」

「なんかおれたちに気付かれないうちに、音もたてずにスーッとあのドアから出て行ったみたいな感覚だなあ」

 部屋の入り口を指差しながら小笠原君は未練がましい遠くを見るような表情だ。

「カオル、青山霊園の墓碑はどうなっているんだろう?」

「そうだ。行こう、いますぐ行こう」

 二人は岩田さんと一緒に行ったときと同じルートで乃木坂駅へ向った。アスファルトの照り返しと蝉の鳴き声を思い出しながら乃木坂の駅から霊園の外人墓地の区画へ知らず知らず急ぎ足になっていた。小笠原君の手には岩田周作が電子図書館と呼んだタブレットがあった。

「あるわ! 墓碑があるわ!」

 二人は駆け出していた。

 三メートルにもなろうかという墓碑は、百年以上昔のままで何事もなかったようにコンクリートの囲いと枯れ草の中にしっかりと根が張った枯れ木のように立っていた。

 二人は墓碑の前にしゃがみこんで長い時間手を合わせていた。

「雪だわ」

 里子さんが呟いた。

 白いものがぽつぽつと落ちはじめていた。

「岩田さんの命日には絶対ここへ来よう」

 小笠原君の目を見て里子さんが何度も頷いた。

 年が明けた。

「カオル、年賀状といっしょにおまえ宛に封筒が入っているよ」

 母親が数枚の年賀状と封書を差し出した。

 裏返して見た差出人名に目が開いたままになった。

『宮永二朗 津田春華』と併記された結婚披露宴の招待状だった。

 すぐに電話を手にした。新年の挨拶もそこそこに大きな声になっていた。

「宮永さんから招待状届かなかった?」

「来たよ、びっくりしちゃった。まさかあの二人が……と思ったわ。それに会場案内見たときに二度びっくり。上野精養軒なんだもの」

「宮永さんらしいよな。あの人らしい、さりげない思いが伝わってきたよ。岩田さんを招待したかったんだろうな」

 初めて岩田さんと宮永記者を引き合わせた日の情景を思い浮かべた。

「デザートにスイカが出てくるかなあ? わたしも結婚するときは上野精養軒にしようッと」

 スマホのむこうから里子さんのおどけた声が小笠原君の耳朶に心地よく響いていた。(了)