朝鮮戦争下の天使

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71年前の新聞を手にとって読んだ記憶のある人も少なくなったことでしょう。昭和25年6月26日朝日新聞の第一面は、前日朝鮮半島で勃発した内戦を伝える記事でほぼ全面埋められています。朝鮮戦争(朝鮮動乱)などいくつかの言い方で呼ばれる韓国と北朝鮮の戦争で、韓国ではその日付の数字読みから625(ユギオ)といわれています。朝日新聞のカット見出しは「朝鮮 遂に全面的内戦」、主見出しは「京城に速くも危機迫る」です。首都名がソウルではなく依然として終戦の1945年(昭和20年)以前のままというのも時代を感じさせられます。

日本の支配下から解放されて5年も経過していましたが、そんな激動の時代にまだ朝鮮半島に取り残され、戦火に晒された日本人もいたのです。その一人が望月(旧姓:永松)カズさんです。後年彼女の波乱に富んだ半生が『手記:この子らを見捨てられない』となり、映画「愛は国境を越えて」となって、日韓で反響を呼びます。彼女はこの戦争で犠牲になった133人もの孤児たちを理髪店を営んで育てます。

その功績に報いるため韓国政府は1971年国民名誉勲章の冬柏賞を授与するのですが、大統領官邸の授与式に下駄履きで現れ、それを咎められると彼女は「私はこれ以外に持っていません。下駄がダメなら賞は要りません」と言い放ち下駄履きを押し通しました。そんな望月カズさんの一部を「切ない銅像(4章:売血)」で触れました。彼女について詳しく知りたい方には是非手記や映画をご覧になることをおすすめします。6月25日を前にして日本と朝鮮半島の関係に思いを新たしています。(洋一)

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