朝鮮戦争がもたらした離散家族

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この季節になると私には忘れられない光景があります。1983年7月私は韓国ソウルにいました。そのとき韓国放送公社(KBS)前の広場には朝鮮戦争で離ればなれになった家族の消息を求める人々と、壁といわず地面といわず貼りめぐらされたおびただしいほどの消息不明になった家族の名前と連絡先を書いたボードや貼り紙です。 

1950年6月25日早朝、朝鮮半島では北朝鮮軍が38度線(朝鮮を南北に分割していた北緯38度。現在の軍事境界線)を越えて南の韓国に侵攻し、3年1ヵ月に亘る朝鮮戦争が始まり、米ソを中心とした東西冷戦の象徴的な、悲惨な戦争になりました。現代の南シナ海をめぐる米中の角逐にも思いがいく対立の悪夢のような戦争になりました。そしてどんな名目の戦争であれ戦禍は何の手立てもない市民を翻弄し、乳幼児や老人だけではなく弱い者ほど生きるか死ぬかの悲惨な生活を強いるものとなり、生木を割くような家族の離別、死別が日常化し市民は絶望の岸頭に立たされたのです。朝鮮戦争は1000万人の人々に生死もわからない離別を強いたのです。 

1983年6月末韓国放送公社(KBS)が「離散家族さがします」という特別番組を生放送すると、それは国民の間に大反響を呼び起こし、離ればなれになった家族を捜し求めて放送局に押し寄せたのです。その光景に遭遇し目の当たりにしていた私は、どうしてもそのことを書かなければとの思いが強くなり捨子花の中に書きました。捨子花15章以下を読んでいただければと思います。

書きながら私の頭を離れなかったのが北朝鮮による日本人拉致家族のこと、殊に中学生で拉致された横田めぐみさんのことでした。こんな北朝鮮の悪行が許されるわけがありません。しかし無力な私でも何もできない苛立ちが鎮まることはありません。なんとかならないものでしょうか。荒唐無稽かもしれませんが何億円でもいいから北朝鮮をお金で説得できないものでしょうか?他に思いつくことがありません。むちゃくちゃな考えとのそしりを受けようとも、不可能な手段なのでしょうか。横田めぐみさんを親御さんの手元へ。自分の子どもや孫だとしたらの想像を働かせなければの思いが強くなるばかりの2021年の夏です。莫大なお金が動くオリンピックなんかどうでもいいと考えてしまいます。(洋一)

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