伊藤博文と朴正熙

1909年と1979年の70年を隔てた同じ10月26日は、伊藤博文と朴正熙元大統領という日韓二人の政治家が暗殺された日にあたります。この二つの暗殺事件は時代はちがえても両国の行く末に大きく係わる大事件となりました。1909年の伊藤博文の暗殺はその後の36年間という韓国併合へとつながる事件となり、1979年の朴正熙大統領の死は韓国民主化時代への基点ともなりました。歴史に「もしもxxxxxxであったら」というのは意味のない問いかけかもしれませんが、こんにち最悪といわれる日韓関係も、この二人の政治家が凶弾に倒れなければ全く違った両国関係になったことは間違いないと思うのですが。

時代が違い過ぎるとはいえ伊藤博文と朴正熙という二人の政治家には数多くの共通点がみられます。偶然過ぎるように10月26日が命日となったのは特に意味があるものではありません。しかし生い立ちや育った環境、境遇が似通っている点などは考慮に入れていいのかもしれません。貧しい農家農民としての出自と貧しさからの脱出を目指す上昇志向、負けん気の強さが力ともなったこと、軽輩とはいえ武士となった伊藤博文と軍人の朴正熙という武の経験。停滞した社会、政治体制を倒し革新改革を目指し、伊藤博文は倒幕運動への参画と明治維新体制完結への尽力。朴正熙は軍事クーデターと国の再建に力を尽くした生涯だったという二人。伊藤博文は西欧の近代国家を、朴正熙は日本の明治維新をモデルとした国造りを目指したことなどいくらでも共通点を見て取ることができ、そこには私欲を離れて国に尽す気持ちが溢れていると思うのです。朴正熙にあっては祖国を最貧国から脱出させること、国家再建には多額の資金が必要であり、そのためには併合という苦難をなめさせられた悔しさを忍んででも日本からの資金がどうしても必要であった。それが決して満足できるものではなくとも強権をもって押し進めた日韓基本条約の締結だったのです。真の独立国になるための第一歩だったのです。独立とは何か?と問われた朴正熙は「独立とは自力で生きること」と答えています。

伊藤博文にとっての最大の政治課題は、不平等条約の二つ、関税自主権の確立と治外法権の撤廃によって真の独立国となることであった。伊藤博文と朴正熙二人の政治家が目指したのは自主独立の国たること、先進列強の国々に真の独立国たることを認めさせることに尽きていたと思うのです。

また全くの私見ですが、ことのほかこの二人に注目する共通項にあげたいのは、伊藤博文の韓国への思いと、朴正熙のアンビバレントな日本への思いという互いの国への関心の深さです。伊藤博文は韓国内では特に韓国併合を仕掛けた首謀者とみなされ、朴正熙は民主化を抑圧した独裁者という負の部分ばかりが強調されてきたきらいがある、近年韓国内では朴正熙は親日派の最たる人物とみなされ排斥さえされているという。それぞれ二人の一面を表していることでもあろうが、そうせざるを得なかった時代性を考慮に入れなければ、二人の政治家を見誤りことになりはしないだろうかということです。二人は共に日本と韓国という相互の国への尊敬の心と思いやりを持っていたことは注目すべきことと私には思えます。そしてまた「独立とは自力で生きること」と答えた朴正熙と「日本がやるべき最終的なことは不平等条約の完全撤廃」と言い切った伊藤博文。この祖国を思う気概こそ二人の最大の共通項でしょう。

私生活や趣味趣向での似通っている点では、金銭や蓄財には関心がなく、しかし酒やタバコが常にそばにあり、女性をこよなく愛した点など英雄色を好むを地でいったほほえましさも興味をそそられます。伊藤博文と朴正熙こそ日韓両国の近現代史に最も重きを成した双璧と言っても過言ではないと考えるのは偏った見方なのかもしれません。日韓の歴史を研究されている碩学の師のお考えでも聞かせていただければ幸いです。8月29日は1910年に韓国併合が始まった日にあたりますね。(洋一)

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