キロギを抱いて

「まさか韓国旅行が現実のものになるなんて、思いもしなかったね。だってお義母(かあ)さんのことを考えたら……」

 野栗(のぐり)皓二(こうじ)容子(ようこ)夫婦は、羽田空港国際線のゲート前のイスで搭乗案内を待っていた。容子のしみじみとしたもの言いには実感がこもっている。

「ご苦労さんとしか言いようがないよ。やっとここまで来たんだから思いっきり羽根を伸ばしてくれよ」

 皓二には妻に対する慰労と感謝の言葉しか思い浮かんでこない。

 出かける前日の夜から今日の未明までも、母のいつものひと騒ぎに翻弄されていた。夜中の零時近くになって母は「今日は何も食べていない」と騒ぎ出し、夫婦と皓二の妹きぬ子の制止を振り切って、冷蔵庫や食器棚を手当たりしだいに開けはじめるのだった。

 皓二夫婦の旅行中、国分寺に住む妹のきぬ子が母親の面倒をみてくれることになっていた。杉並の浜田山までは一時間もかからない距離である。

 八十九歳の母(ひとみ)が認知症と診断されてからかれこれ七年だ。父親の(いさむ)が亡くなって三十一年になる。その間二十数年は、母は一人住まいだった。一人ほど気楽なことはないというのが口癖だった。認知症を患ってからも二年ほどは一人住まいを続け、兄の憲一(けんいち)や皓二家族との同居をかたくなに拒んでいたが、五年前から皓二の家になかば強制的に引き取った。兄の嫁とは長い間折り合いが悪く、当然のように皓二夫婦が同居することになった。

 兄は母親好きで子どものころから「母さん、母さん」とまとわりついては母親のそばに居たがり、皓二ときぬ子から母親を独占しようとし、兄妹喧嘩のもとにもなった。

「おまえたち二人は父さん似だが、おれは母さん似だ」といって弟妹を母親から遠ざけようとした。下の二人は兄に反発しながらも何も言えなかった。両親もまたそんな兄を咎めようとせず、黙ってしまうのが何故なのか皓二には理解できなかった。

 兄妹夫婦にそれぞれの子どもたちも一同に会して、和やかな食卓を囲んでいたときのことだ。テーブルを連ねて、母親からもっとも遠くにいた皓二に向かって言った母親の一言に、一同が顔を見合わせて一瞬黙ってしまった。

「お父さん、どうしてそんなに遠いところにいるのよ、こっちに来なさいよ」

「なに言ってるのよ。あれは皓二兄さん、皓二でしょ。そんな歳になってもお父さんとくっ付いていたいの?」妹のきぬ子がプッと吹き出すように、おどけてとりなした。

 母はいまでは皓二の顔を見ると必ず「お父さん」と呼びかける。「おれはお父さんじゃないよ、皓二だよ」とやっきになって否定していたが、最近はニコニコしながらハイハイと返事ができるまでに成長した。いまさら成長もないが、そんな心境になれるまでに五年を要した。母親の中では皓二は完全に夫の勇になってしまっていた。

 奇妙な気分だが皓二はたまに父親の勇の魂が、自分のどこかに秘かに入り込んでいるのではないかと感じることがある。ありもしないこととあわてて打ち消すけれど。

 搭乗案内のアナウンスが流れた。

 皓二が定年退職後四年の嘱託勤務を終えて、「どうだ、海外旅行でもしようじゃないか」と持ちかけると、容子は即座に韓国へ行きたいと言った。ハワイあたりがいいだろうとありきたりな行き先を考えていた皓二には思いもしない旅先だった。

 容子はこの十年ばかり韓流ドラマに魅了されていた。ドラマの舞台になったところをくまなく訪ねてみたいというのが容子の密かな望みだった。

「あなたの両親も朝鮮からの引揚げ者。あなたにとっては家族のルーツを訪ねるようなものじゃないの」容子は韓国旅行に無理やりへ理屈をつけるように、明るかった。

 言われてみれば確かにそうかもしれないが、ルーツといわれても両親の昔のことなどほとんど何も知らない。それは兄も妹も同じだろう。

 両親は昭和二十年の終戦まで、朝鮮の京城(けいじょう)(現ソウル)に住んでいたこと、二人が子どものころからの家族ぐるみの知り合いだったこと、日本へ引揚げてから、父親が野栗家の婿養子になったこと、それくらいのことだけだ。両親は昔のことを避けているようなところがあった。その時代の写真さえもなかった。

二人がどんな青春時代を過ごし、どんな経緯で結婚したのかなど、ほとんど知らない。父さんは京城高等工業学校建築科を卒業、学生時代はラグビーをやっていたこと。母さんは京城第一公立高等女学校を卒業していることくらいだった。二人の結婚記念写真も見たことなかった。

 さほど興味があるわけではなかったので、だれもあえてそれ以上聞き出そうともしなかった。

「そういえば私、たった一度だけお義母さんに訊ねたことがあるの」

 皓二たちの祖父はいつ亡くなったのかと容子が質問したときのことだという。

「キッとなった目つきで睨みかえされたわ。何かひどく気に障ることを聞いてしまったのだと思って、余計なこと聞いてごめんなさいって、謝ったね」

「おれは昔のことではなくて、母さんに強い口調で黙らされたことがある」

 あれは昭和四十九年(一九七四)のことだったと皓二は鮮明に覚えている。

その年、皓二は早稲田大学を卒業すると中堅の商社に就職した。電子機器関係の部署に配属され、上司の部長と二人韓国への出張を命じられた。母親に出張のことを告げ「ソウルは懐かしいだろう。土産は何がいい?」と弾んだ言い方で聞くと、一言のもとに拒否された。

「何もいらない。何一つ買ってくるんじゃないよ。朝鮮は嫌いだ」結構な剣幕だった。

「私が韓流ドラマに嵌まりはじめたころ、とてもいいからお義母さんも観ませんか、と勧めたことがあるのよ。そうしたら一言で返されたわ。『わたし、朝鮮は嫌いだから』って」

 飛行機が離陸してシートベルト着用のサインが消えるよりも早く、皓二は睡魔に襲われはじめた。母親のご飯食べていない騒動でほとんど眠れなかったのだった。座席の背もたれを倒しながら、四十年前の出張を感慨深く思い出していた。

一九七四年は社会人になった年だったうえに、記憶に残る事件や出来事が刻まれた年でもある。韓国への出張は十月だったが、日韓の間は険悪、騒然としていた。

四月に民青学連事件に連座して、ジャーナリストとソウル大学留学生の二人の日本人が韓国情報部(KCIA)に身柄を拘束、逮捕されるという事態が発生した。八月十五日に起きた朴正煕大統領狙撃事件は、大統領の怒りを買い、国交断絶も辞さないという大事件だった。陸英修夫人が在日韓国人の文世光の凶弾に斃れ、日韓間の政治問題化した。文世光事件といわれている。

自国籍の在日韓国人が起こした事件なのに、なぜ日本が非難されなければならないのか、なぜ日本が謝罪しなければならないのか、日本人には理解に苦しむ外交上の政治問題だった。

韓国という国が共産主義に敏感な反共国家であったことから、韓国への渡航者にとっては、何か恐ろしい国に思えて、皓二もソウル出張に戦々恐々だったことを思い出す。日本の新聞や週刊誌を持ち込んで、身柄を拘束されることはないのか、身元を調査されているのではないか神経質にもなった。〈右手に朝日ジャーナル、左手に少年ジャンプ〉といわれた学生運動の余波がくすぶっていたころに学生時代を過ごした皓二は、韓国は独裁的な非民主主義的国家という意識があった。無事入国を果たしてもどこかにKCIAの監視の目があるのではという怯えが付きまとっていた。暗いイメージのある国だった。

プロ野球では長嶋茂雄という球界のスーパースターが引退を表明したのも同じ年だった。熱狂的なジャイアンツファンだった兄が、涙を流してテレビにかじりついていたシーンも印象的だ。

「みんな寂しくないのか。悲しくないのか」

兄は父親と皓二に向かって押し付けがましく聞いてきた。

父はラグビーのテレビ放送には目がなかったが、野球にはさほどの関心を示さなかったし、皓二はスポーツそのものにたいして興味がなかった。

そんな父が翌年の一月に思いがけない誘いを皓二に持ちかけてきた。

「近鉄―早稲田のラグビー日本選手権を観にいかないか」

 早稲田に縁がなければおそらく皓二は行かなかっただろう。しかしラグビー観戦につき合ったことで、皓二は父親の、家族のだれにも見せたことのない一面を目にすることになる。

 父はどちらか片方に思い入れがあって応援しているということがなかった。持参した双眼鏡をかたときも手放さず、「おう、いいプレーだ」とか「すばらしいタックルだな」などと口にしながら、目を見開いて全身で試合にのめり込んでいた。

 観衆の注目の一つは両チームの花形ウィング、近鉄の坂田好弘と早稲田の藤原優だった。

 前へ前への近鉄の怒涛のようなフォワード対早稲田の華麗な横への展開という好対照の戦法に変わりはなかったが、父はつぶやくように次の戦法を予測して、独り言をいうようにしながら、皓二をゲームに引きずり込んでいた。

 ノーサイド(終了)の笛が鳴っても父は席を立とうとはしなかった。何かにこれほど夢中になる父を、皓二は初めて目にした。戦いすんだグランドから目をそらさず、父が言ったことを皓二はずっと忘れなかった。

「ラグビーは、ほんとはゴールポストの後ろから見るのが一番だ。ラグビーは美しい」

「それってどういうこと?」

「チームがどんな陣形を敷き、選手がどんな動きをするかが一番よくわかる。全員が美しい動きしている隙のなさが、なんともいえない。もうひとつ、おれがラグビーは素朴で美しいと思うのは、トライまでに一個人のファインプレーがない。トライした選手は素直にチームメイトに感謝を伝えている、それがいい。野球で満塁ホームランを打った選手はチームのだれにも感謝なんてしないだろう。そこの違いだ」

 神宮外苑の国立競技場からの帰り道、父と入ったうどん屋のことは、父が亡くなってからも決して忘れたことはない。

「皓二、うどん食べて帰ろう。暖まるぞ」

 兄妹を差置いて二人だけで食堂に入ったのは、それが初めてで唯一のことだった。父と持った二人だけの秘密のような懐かしい思い出だ。力うどんを食べた。

 食べ終わった父が、コートの前をはだけて「皓二、これを見ろ」と、ベルトのバックルを指差した。少しくすんだ銀色の大きなバックル、表面の絵面は楕円形のラグビーボール、その中にKKKと三つのKが刻印されたバックルだった。

「おれの青春の証しだな。だれにも言うなよ」

 恥ずかしそうだが誇らしげに自慢するような口ぶりだった。父が自慢話をすることなど見たのも聞いたのも初めてだった。

 住宅建築会社の設計技術者として、真面目一途に勤めあげた父。寡黙に来歴や過去を語ることのなかった父の心を占めていたのは、いったい何だったのだろうか。暗い生涯ではなかっただろうが、決して華やかな人生でもなかった。何が生きるエネルギーの源だったのか、皓二には父の日常の断片からは何もわからなかった。今となってはもう聞き出すこともできない。

父が亡くなったあと、兄妹や身内で遺品の形見分けをした。

「おれはこれだけ貰いたい」

 皓二は、父が慈しんで生涯使ったベルトとそのバックルを手にいれた。この韓国旅行に締めてきたのが、それだ。

五十歳も半ばを過ぎるころから、皓二も人並みに身体のあちこちに不調を感じることがある。これはなにか変だぞと思い、妻にも告げず病院に出向いた。セミの鳴き声のような耳鳴りと、ときどき物がねじれたように見える目の異常を調べてもらうためだった。

 当初は遠近両用メガネが合わなくなったせいだろうと思った。診断の結果は異常なし。気になるようだったら、体内スキャンができる総合病院の脳神経外科で診てもらったらどうかと薦められた。

「たまにですが魚眼レンズを通して見たときのような見え方をします」問診のときに訴えていた。血液検査と体内スキャン、問診を突き合わせた結果からも、どこにも異常が認められない。大学病院のベテラン医師の診断結果だった。

機内食にも気づかず眠りから覚めたときだった。あっ例の症状だ――久しぶりだなあ。

 偶然かどうかわからないが、皓二はあることの一致に気づいていた。おれも親父の死んだときの年齢を越えたか。そんなセンチメンタルな気分を味わったころからだった。窓枠であったり、天井の蛍光灯であったり、外界の造形物の一部がねじれて見える現象が現れるのは、ラグビーのバックルを身に付けたときと奇妙に一致していた。人に言っても信じてもらえない。せいぜい「バックルのせいにするなんて、おまえはいい歳こいて仮面ライダーのオタクか」と一笑に付されて終わりだろう。

 以来、皓二はその現象を、〈ちょっとの時間の異次元空間散歩〉と名づけて自分だけの世界と割り切ることにしていた。人間には異次元を体験できる者もいれば、冥界を覗き見た者がいてもおかしくないだろう。そんな思いに浸りながら皓二は、そっと父親のバックルに手を触れた。

 韓国語の機内アナウンスに続いて、日本語の案内が流れた。

 ――この飛行機は金浦国際空港到着が、濃霧のため遅れる見込みです。現在管制塔よりの指示を待っております。

 この時期のソウルは霧が多いんだよなあ――。近くの乗客の話し声が聞こえてきた。いつも行き来している人なのだろう。

「大阪から来る友人と待ち合わせしているんだろう。大丈夫か?」皓二が聞いた。

「彼女たちは二人だから平気よ」

 容子は学生時代の友人と韓流ドラマロケ地ツアーをしめし合わせて女三人旅を計画していた。友人と会うのも何年ぶりかで楽しみのひとつなのだ。この歳になると空気みたいな関係の夫婦だけの旅行よりも、女同士のほうが気楽でいいのだろう。

飛行機が高度を下げて着陸態勢に入った。

鼓膜が破壊されるような圧迫をうけた。大きくなった耳鳴りが充満した。柱や窓枠がねじれて見える前兆だと皓二は予感できた。だが空港ビルに歩を進め、入国手続の列に並んだところの柱も、ロビーとの境を隔てる扉もねじれていなかった。ただビルの内部全体が目をこすりたくなるほどの暗さだった。照明が不足していて、初めて訪れたときのソウルの第一印象とまるで同じだった。ロビーにはツアーガイドの中年女性が旗を持って待っていた。

空港ビルを出ると、やはり霧がたち込め視界を遮っていた。市内に向かうバスから見える景色は建物らしいものも霧の中に霞んで流れていく。発展した街並を想像していた皓二は、窓外の様子が四十年前と二重写しになって見え、時間をさかのぼって混乱している不思議な感覚に捉われていた。空港からの途中に人工の滝もあったような記憶がある。そんな感慨に耽っていると目に飛び込んできたものがあった。五メートル巾ほどに〈味元〉と大きく漢字で赤く染め抜かれた、目立つ立て看板だ。まるで記念碑のようだ。四十年前にも目にした記憶がある。日本の〈味の素〉と合弁の会社にちがいないとだれもが気づくものだった。ほんとうに昔のままの看板なんだろうか。

 半日のソウル市内観光に案内されたころには晴れ間も見えたが、車外に出ると足元から寒気が忍び寄ってきた。

「ワッ寒、東京とはやっぱり違うね」容子はコートの襟を立てた。

 韓国一を誇る李朝の古宮の景福宮、伝統的な韓国家屋が立ち並ぶ北村の韓屋街、骨董品街で有名な仁寺洞の散策と案内された。容子は韓流ドラマのタイトルを並べ立てて興奮気味に皓二に説明をするが、皓二ではのれんに腕押しで、ひとりでさっさと動き回った。

 景福宮では、容子が王宮守門将の交代儀式のショーに見入っていた間、皓二はショーに背を向けて、光化門側に見入って初めてのソウルを訪れた日々を思い出していた。ハングルの読み書きの、初歩の初歩に接したときのシーンだった。

(ハン)(ガン)の奇跡〉と呼ばれ韓国経済が驚異的な発展を遂げつつあった最中の時代のことだ。日本の、商社をはじめ主な銀行はソウルに支店を構え、多様な業種の日本企業が合弁のもとに進出していた。皓二の韓国出張もテレビ・ラジオ電波受信用のロッドアンテナ製造会社への仕入れ交渉であった。漢江の南岸にあった電子部品の組み立て工場のラインも視察した。幼さの残る五百人ばかりの女子行員が、一心不乱に顕微鏡状の機器に向かっていた。

 ときの朴正煕大統領の強権的とも思える強大なリーダーシップにより、国民の多様な要望を無視してでも経済の発展にまい進していた時代だ。今年よりも来年はもっと豊かになれると、国民だれもが信じて疑わない時代だったといえるのではないだろうか。

せっかくソウルへ来たからには、半日くらいの観光気分もいいだろうという上司の部長の発案で、時折ワイパーがフロントガラスを撫でる小雨の中を、緑色の小型タクシーで景福宮の見物に出かけた。通訳の女性と皓二の三人が景福宮東門に降り立った。

 十二、三歳くらいの少年が、なにかを連呼しながら近づいて来た。

「ウサン ウサンサセヨ」

「何と言っているの?」

 部長は胡散臭そうな目を少年に向けながら、通訳に聞いた。

「雨傘を買ってくれと言っていますよ」

 自分は雨に濡れながら確かに三、四本のビニール傘を小脇にかかえている。

「いくらと言っています?」

「一本百五十ウォンだそうです。日本円で百円くらいです」

 竹で骨を作ったビニール傘を買い求めると、少年は感謝の表情ながらも、次に近づいてきた観光バスに向かって走り出した。

「親の稼ぎがない子どもたちは、ああやって家計を助けているのです。韓国はまだまだ貧しいです」

「おれたちも終戦直後は同じように貧乏だったよ。野栗君はわからないだろうが」

 皓二とは二十歳も年齢のはなれた部長は傘を広げながら、景福宮の正殿勤政殿へ向かった。

「韓国は軍事費に国の予算の二十五パーセントも使っているのです。資金を産業の育成に向ける障碍になっています」通訳女史が言い訳がましく言った。

 二層の屋根のゆるやかな曲線を描く勤政殿をのぞみながら、通訳女史が観光ガイド風に説明を始めた。

「この王宮は朝鮮王朝の太祖、()成桂(せいけい)が……、……豊臣秀吉の文禄慶長の役で焼失、……十九世紀半ば、国王の父、興宣(こうせん)大院(たいいん)(くん)の下命により再建され、現在に至っています」

 興味もなさそうに聞いていた部長は、説明を遮るように後ろの建物を指差して視線を移した。

「これは朝鮮総督府だよな。なかなかどうして見応えのある建造物だよ」

「そうです。日本時代の総督府ですが現在は中央政庁として使われています」

 自分の説明を中断させられ、部長の興味が別のものに向けられたことに、女史はやや気色ばんだ表情を浮かべていた。

 部長は通訳女史の話を無視するように、大理石で造られている勇壮な旧朝鮮総督府にカメラを向けはじめた。

 皓二は気まずい雰囲気の沈黙を察して、通訳に話し掛けた。

「僕は街中に溢れるハングルというのが目に焼き付いて眩暈を起こしそうなんですよ。アルファベットでも漢字の略字でもないし、あれはどうなっているんです? カタカナのフ、ト、ロとか障子の桟や梯子状に書いたあみだくじみたいな形のものとか……」

 急に明るい表情に変わった通訳女史は、わが意を得たりとばかりに、折り畳んだ傘の先端で土の地面に大きくハングルを書き始めた。

「原則は子音と母音の二つもしくは三つの組み合わせで成り立っています。あなたの名字をハングルで書いてみましょう」

 これが「ノ」そしてこっちが「クまたはグ」これが「リ」と言いながら、彼女はこらえきれないように口元を押さえ吹き出して笑いはじめた。

「ほほぅ、なるほど」

 皓二は納得顔で地面のハングルをなぞっていたが「なにがそんなに可笑しいのです?」と怪訝そうに訊いた。

 女史は「すみません」と言いながらますます笑いが止まらなくなっている。

「ノグリという発音は韓国語で〈たぬき〉の意味です。ごめんなさい」

 皓二にせかされてやっとの思いで答えたのだった。

 その日の夕食を摂ったレストランで、焼肉料理の給仕をしてくれた女子従業員に「わたしの名前はノグリ」と言って笑いを取り、場を和ませた。記憶に残るハングルとの出会いであった。

 容子は勤政殿の中へ入って行った。

 皓二は入口の石段の下で容子を待ちながら、ベルトに両手の親指を差し込んだ格好で、王宮を囲む塀正門の光化門を眺めていると、柱や左右に伸びた塀の直線がねじれ始め、そこにはなかったはずのエメラルド色をした旧朝鮮総督府のドーム型屋根が瞼の裏に姿を現した。

 ベルトのバックルが過去への扉をこじ開けたのかもしれない。皓二だけにわかるバックルの不思議な念力が脳に働きかけ、記憶の素子を刺激したにちがいない。さまざまな考え方や意見が交差する中で、日本統治の象徴であった旧朝鮮総督府の中央庁舎は、一九九五年に跡形もなく取り払われていたというのに。

「あなたどうしたの?」

 容子に腕を掴まれて、我に返った。

「みんなバスの方へ行くわよ」

 後ろから来たガイドと並びながら、話し掛けるきっかけができたと思い、皓二は質問した。

「韓国の大統領は(パク)正煕(チョンヒ)大統領ですよね」

「えっ、それは今の大統領のお父さんですよ。いまはそのお嬢さんの(パク)槿()()さんです」

 このオヤジは何をとぼけているんだとでもいうガイドのちょっと小馬鹿にしたような表情が見てとれた。

――おれはソウルへ来てから〈ちょっとの間の、異次元空間散歩〉をしているのかもしれない。それが途中で見た〈味元〉の看板であったり、朝鮮総督府庁舎との遭遇であったりではないのか。皓二は一九七四年に居たのだった。

 ――母の(ひとみ)は、大半の時間を異次元の時空に生きているだけのことではないか。周りや世間一般の者たちが認知症と名付けて分類差別化しているのにちがいない。病気なんかじゃないのだ。母が過ごしている毎日の大半の時間、それが母にとっては普通なのに。いまおれは母親と同じ体験をしているのだ。

「母さん、いつも異次元にいるあなたの心がわかる気がするよ」と言ってあげたくなった。

 この旅行では観光であれショッピングや食事であれ、すべてを妻の意のままにしようと、皓二は心に決めていた。旅行先はどこでもよかった。日常の家事、とくに母親の介護から解放し、一切を忘れて思う存分楽しんでくれることだけを願った。関西の友人と合流して一泊二日の韓流ドラマロケ地ツアーに行くことも同じことだ。せっかくの夫婦二人だけの旅行などと野暮なチョッカイを挟むことはない。

 世間一般の平均的な夫婦の生活、家庭だった。容子と一緒になってもう四十年も経つのかと振り返ってみても、たいした波風もない生活だった。皓二がヘッドハンティングされて、車の電装関係のメーカーに転職したときも容子は何も言わず唯諾々と承知した。

 容子は決して夫の言いなりになり、三つ指着いて付き随うような女ではない。しっかりとした自分の考えも持っている。子育てに際しても自分なりの方針、教育観を曲げなかった。良妻賢母というような安易な言い方で括れるものではない。四十年の結婚生活を顧みると、家族全員が妻の(たなごころ)の上にいると皓二は気づかされる。そんな容子が皓二に不平不満を口にし、ときには塞ぎ込んで極端に口を利かなくなる日々があったのは、母親を家に引き取ってからと軌を一にしていた。負担のほとんどが容子に懸かっていた。悟りを開いたように本来の容子に立ち戻るのに五年もの時間を要したことになる。容子が母との接し方に慣れるのに必要だった時間だ。

 仕事から解放された皓二は、これからはできるだけのことで容子を助け、負担を少なくしていかなければならない。そのけじめになるのが今回の旅行なのだ。

「これからはおれもできうる限りのことをするつもりだ。頑張って母親に立ち向かっていかなければね」

 力んで言う皓二に、容子はゆっくり首を左右に振って否定するかのようにやわらかい視線を向けた。

「立ち向かうんじゃないの。偉そうな言い方かもしれないけど、寄り添ってお義母さんに振り回されることなく付いて行く、そんな気持かな」

 身にしみるような苦労を重ねてきた人の言葉だと、皓二は感じ入った。

「お義母さんは健気に生きていらっしゃるのよ」

 高齢の老人が健気とは。そんな感慨を抱くまでになっている妻に、皓二は尊敬の眼差しを向けた。

 ――おれはこれから母ではなく妻に目を向け、妻の助けになることだけを考えていけばいいのだ。

 明洞にほど近い中区忠武路の世宗ホテルにチェックインしたのは、すでに薄暮にさしかかった四時半を回っていた。

 容子の友人と食事をするまでにひと休みする時間があったが、容子は疲れた様子もみせず、Nソウルタワーに登ろうと皓二を促した。ケーブルカーで行けばすぐだという。二百数十メートルの南山に聳えるソウルのランドマークだ。容子はあきれるほど時間を有効に使おうと精力的だ。イルミネーションに彩られたタワーは、ホテルの窓から正面に見てとれた。Nソウルタワー展望台から見えるソウルの夜景は、世界の先進国に肩を並べる経済発展を遂げた国を誇示する、巨大な万華鏡だった。

 韓流ドラマのシーンに浸るように感嘆の声をあげる容子は、青春真っ盛りの女学生に立ち返ってうっとりしていた。いくつもの恋人たちのシーンに自分を投影させていたのかもしれない。

「私、これやりたい」

 タワーから下りた近くに、錠前がびっしり取り付けられた柵の前で、容子は親に物をねだる子どものように無邪気だった。若い恋人たちが愛を誓う証しで〈愛の南京錠〉というそうだ。皓二は苦笑しながら、錠前を取り付ける容子の真剣な表情を見守った。

 夕食を摂りながら、関西から来た友人たちとの会話に耳を傾けながら、容子が心の底から若返っている喜びを推し量ることができた。

 予約されていた料理は、朝鮮王朝の宮廷料理というのがうたい文句の、豪勢な食卓だった。皓二にはそれがどんな理由で選ばれているのかわからなかったが、どうやら「宮廷女官チャングムの誓い」という歴史ドラマの世界の話らしかった。彼女たち三人は、明日から一泊二日の韓流ドラマロケ地ツアーだ。何もかも忘れてツアーを満喫してくれることを、皓二は口に出して容子に伝えた。皓二の明日は、退職した会社から頼まれていたソウルの会社訪問を予定していた。

 旅装も解かないままの部屋に帰ってきたのは九時半を過ぎていた。

 容子は一日の興奮が醒めないままに、旅の疲れもみせず顔が光り輝いているようだった。いつもと違って多弁でもあった。

「先にお風呂使ってもいい?」甘えるように容子が口角を緩めた。

 日常生活では、習慣的に皓二が先に風呂に入るのが当たり前のことだった。

「いいよ」自然に皓二の口をついて出た。

 夫婦二人っきりでいることもいつものことなのに、容子が風呂を使っている間、皓二は妙に落ち着かない。旅先のホテルという非日常にあるだけなのに、と皓二は苦笑した。

 風呂からあがった容子もまたどこか落ち着きがなく、手持ち無沙汰を慰めるように化粧道具を取り出したり探したりしている。キングサイズのダブルベッドというのも艶めかしく、二人の挙措をぎこちなくしていた。

 皓二が浴室を出ると、容子はすでにベッドにいた。

部屋の明かりを消して皓二は遠慮がちにベッドに入っていった。

「お義母さんはどうしているかなあ」

「それは言わないことだよ。忘れてしまいなさい」

「ありがとう。でも私だけこんな贅沢をしていいのかと思ってしまうわ」

「日本に帰ればまた忙しい毎日が待っている。たった三日や四日では足りないくらいだ」

 脈絡のない会話から、容子が唐突に口にした。

「南京錠を結わえながら、私決めたの。生まれ変わってもあなたと結婚するって」

「おれも同じさ、ありがとう。今日は一日中、おまえは若い時分と同じ顔していたね」

 こんなことを口にするのは照れくさいと思いながらも、まるで外国映画のセリフのようなことを口走っていた。皓二は容子を引き寄せ、久しぶりに抱きしめていた。

 翌朝、容子はスニーカーにリュックという女学生になりきった装いで出かけていった。

皓二は容子を見送るとそのままロビーのソファで通訳の李女史を待った。

 総責任者として十年以上関わった仕事の続きで、韓国メーカーへの交渉を退職したばかりの会社から頼まれていた。愛着のある仕事でなければ断ることも簡単だったが、交渉を依頼されてむしろうれしかった。

 ドライブレコーダーの性能をあげたい、そのためどこか新しいアンテナメーカーとあたりをつけてより精度の高いGPSを探して欲しいというのが会社の依頼事項だった。

 皓二は技術系の社員ではなかったが、商社勤務の時代から長年アンテナに縁が深かった。GPSというのが自動車関係の製品には欠かせないものになって二十年にもなろうか。目星をつけた韓国の会社は中小企業のメーカーであるが、会社のねらいに合致したレベルの高いノウハウと信頼の置けそうな製品を作る技術があった。交渉の中心は製造に要する日数と仕入れ価格の話になった。P電子工業の(パク)敏基(ミンギ)社長と技術、営業の担当者二人が交渉相手である。朴社長は七十歳過ぎの創業者であった。通訳を介しての交渉は倍の時間を要したが、二時間ほどで交渉はスムーズだった。

「簡単ですが、近くに昼食の用意をしています。食事をしながら少し話の続きをしましょう」

 地下鉄の(ウル)支路四街(チロサガ)駅に近い又来(ウレ)(オク)というプルコギ(焼肉)のレストランに、通訳の李さんも交えた五人の席が用意されていた。一九四六年創業の老舗だという。日本なら「江戸時代から続く」という形容がつくような店を老舗というが、と皓二が思っていると、それを察したかのように朴社長が言った。

「この店は七十年の歴史を誇るソウル市民ならだれもが知っているレストランです。韓国人は創業してから廃業するまでが短い。七十年というのは長い」

「韓国動乱(朝鮮戦争)でソウルは廃墟同然になりましたからね」李さんが引き継ぐように言い足した。

 じかに座ったオンドルの床が熱い。肉を焼く熱と相まって上着をとるほどだった。

「朴社長は今の仕事、会社を何年間なさっていらっしゃるんですか?」

「会社は三十年。サラリーマン時代は、路面電車の、ソウル市電の電気系統保守をやる技術部門にいました。そのあと世の中はトランジスタラジオ全盛になったころに、ロッドアンテナを作る会社に転職しました」

「それは奇遇ですね。私は一九七四年商社に勤めはじめたばかりで、廉価なテレビ用のロッドアンテナを探しにソウルに来たんですよ。訪問した会社の名前は忘れてしまいましたが、ひょっとするとどこかでお会いしているかもしれませんね」

東京から同行していた上司の部長が、慶尚南道にあった馬山自由貿易地域という工業団地へ出向いた後、皓二はひとりソウルに残ってアンテナ製造の会社を数社、冷や汗流しながら駆けずり回った。責任の重さに押し潰されそうになり、新人商社マンの辛さや心細さが身に沁みたことが思い出される。盆地状のソウルを取り囲んでいる小高い丘を見ると、板囲いだけのようなハコバンと呼ばれているバラックがひしめいて建て混んでいた。その光景が自分の心細さを投影しているかのように侘しさが募った。高層ビルが林立する現在のソウルからは隔絶した風景だった。ソウルオリンピックをひかえた八十年代の驚異的な活況、好景気にはまだ十年を待たなければいけない時代だった。

 商談で入った喫茶店の――茶房(タバン)と呼ばれ、マダムと呼ばれる女性がキャッシャーに陣取っていたと思う――薄暗い店内はタバコの煙が充満し、軽快さにはほど遠い、ねっとりとした歌謡曲風の音楽が流れる、決して快適な空間ではなかったような気がする。チューインガムの一枚売りをする少年が各テーブルを回るかと思えば、テーブルの下から足を引っぱる者がいた。驚いて下を見ると、少年が靴を脱がせにかかっていた。百ウォン硬貨一枚で靴磨きをするのだという。その場でスリッパに履き替えさせられ、十分も待てばピカピカに磨き上げた革靴をもって来るのだった。貧しさからくる子どもや少年たちの逞しさや強さには、ときに恐怖心が募るという経験をしたのも、そのときのソウルの強烈な印象だ。

「それまで走っていた路面電車が一九六八年に廃止され、七十年代になると大々的な地下鉄工事がはじまりました。韓国電力公社の運営で一号線が開通したのが、忘れもしません一九七四年八月十五日。私も開通式典の末席にいました。朴正煕大統領臨席のもとだった予定が……。陸英修大統領夫人が、光復節式典会場で凶弾に斃れるという前代未聞の大事件が起きてしまったのです」

 社長は箸の手を止めて、視線を遠い空間に漂わせながら続けた。

「野栗さんは通禁(トングム)をご存じですか? 夜間通行禁止のことです」

 皓二にはなんとなく記憶がある。

「たしか夜の十二時になると車も人も街からいなくなったような……」

「そうです。しかし私は地下鉄開通直前には、地下で夜通し働く日も週に一度や二度ではありませんでした。八月十五日の早朝まで試運転を繰り返していました。朴大統領の名誉と韓国の面子にかけても、絶対にミスは許されませんでした。私がたずさわった部門の総責任者が直属の上司で、しかも大学の大先輩でしたから、私には特に妥協を許さない厳しさでした」

「朴社長はソウル大学理工学部卒業の技術者でしたから」

 営業担当の部長が口添えした。

「先輩は理工学部の前身、解放前の京城高等工業学校電気科卒業でした。日本人に伍して優秀な成績で卒業したプライドの塊のような人です」

 皓二にはどこかで耳にしたことのある学校の名前だった。

「社長はソウル地下鉄の、生みの親のお一人なんですね」

「いや、それは私ではなく先輩の(シン)(ジョン)()氏です。今は九十歳を一つ二つ過ぎましたが、まだご健在です」

 そこまで言うと話を途切らせて皓二を凝視し、横にいた通訳との間をせわしなく視線を動かしながら、興奮気味にまくし立てた。通訳の李さんは皓二に「ちょっと待ってください」と断わりを言ってメモを取りはじめた。

「『野栗さんのご家族か身内に、昔の日本時代のソウル(京城)に住んでいた方はいらっしゃいませんか』と朴社長はおっしゃっています」

「両親ともこのソウルに住んでいました。それぞれの家族も一緒だったようです」

 朴社長は、野栗皓二に会ったときから、ある日本人の名前を思い出せないもどかしさに苛立つ思いだった。尊敬する大先輩の申貞浩氏が話題になってから氏のことを考え続けていた。

 ――韓国電力公社勤務の時代も、のちに転職し、さらに現在の会社を創業してからも、申先輩にどれほど助けられ支援してもらったことか。

 よく二人で酒も飲んだ。申先輩の頭を離れない日本人のことは、したたかに酒を飲んだときは必ず聞かされた。京城高等工業学校時代の、唯一の日本人親友の話だった。

「日本が戦争に負け、わが国が解放されるとすべての日本人が内地(日本)へ引き揚げていった。そのときに会うことができず……そのときにやつにサヨナラ、いつか必ず会うと約束しろ、と言えなかったのが悔やまれる」

 申先輩は口癖のように言い、場所をはばかることなく涙を流した。それが酒を切り上げるいつもの合図のようなものだった。

 先輩の友人の名前が思い出せない。話の中にはまた必ず一人の日本人女性の名前もあった。

 野栗皓二を前にして、朴社長の中で微かな記憶が呼び覚まされそうだった。

 ――たしかその女性の名前に〈野〉がついていたような気がする。中野、上野、高野、いや〈野〉が上についた二文字だったかもしれない。

「申さんに電話してお聞きになったらどうでしょう。すぐにわかりませんか? 思い出せないイライラは不快なものですわ」日本語を交えて通訳の李さんが言った。

「そうなんだが、申先輩は七年前ころから認知症になってしまい、もうまともな話ができない」

「申さんのご家族に聞けば、ひょっとすると日記かなにかに日本人親友のことが……」

 同席の営業部長も通訳に同調するように言い添えた。

 申貞浩の自宅らしいところへ電話をしていた朴社長が、携帯電話を遠ざけて皓二と通訳に言った。

「お二人は今日の午後、時間ありませんか?」

 何も予定がないことを伝えると、朴社長は電話を続けたあと「今日、申貞浩氏を訪ねていただけませんか」と言った。

 申貞浩氏は認知症を患ってから、家族との会話が困難になったという。日本語で何かしゃべっているらしいのだが、家族をはじめ周りの人たちはそれを理解できない。申氏はますます韓国語から遠ざかり、ときには大声でまくしたてる。家族の言うことを理解するどころか、さらに塞ぎ込んで寡黙になる悪循環になっているとのことだった。

 日本語を解する人や日本人ならば、是非来てくれないかと家族の人に懇願されたと、朴社長も皓二に頼み込むように言った。

 皓二は頭の中で、父親がもし生きていれば今何歳だろう、と素早く計算した。父をよく知る人ではなくとも、同じ時代の父たちの学生生活や学校の様子など聞ければと思い、朴社長の申し出を快く承諾した。

 皓二と通訳の李さんはタクシーで申貞浩の自宅へ向かった。十五分ばかりの距離だった。

自宅は景福宮や大統領官邸の後方に位置する閑静な住宅街の一画に高い塀に囲まれていた。

 タクシーの中で皓二はいつもの耳鳴りと視界の歪みを覚えた。ベルトのバックルに目を遣った。父の勇が何かを訴えている幻想にかられた。話しかけてきた通訳を無視してやり過ごした。

 通された応接間にはすでに申貞浩氏と家人が待っていた。申氏は白髪で大柄の体をまっすぐに伸ばし、とても九十歳を過ぎた認知症を患っている老人とは思えないほどかくしゃくとして端坐している。

 通訳の李さんは家族の男性に訪問の目的を告げ、皓二を紹介しているようだった。

「息子さんということです。自分は席を外すので、最初から日本語で話してくださいとのことです。あなたが日本人だということは申さんは理解しているようです」

 李さんは前置きを皓二に伝えた。

「野栗皓二といいます。昨日日本から来ました」皓二は頭をさげた。

 申貞浩氏は顔をやや突き出し、斜めに傾けながら聞いていた。耳が遠いのかもしれない。皓二を見据えるように凝視して「野栗……」とはっきりした言葉で言うと、絶句した。絶句したままで視線を二三度上下させて皓二の全身をなめるように見ていたが、突然皓二のベルトのバックルを指差した。

「それは……それは君のものか?」

「父の、父の形見の品です」

 皓二は気圧されたように緊張して答えた。

「父というのは小林勇か?」

 申氏はとても認知症の老人とは思えない記憶を呼び覚まして、差し伸べた人差し指をかすかに震わせている。〈小林〉は父の旧姓だ。

「たしかに小林勇だな?」

 何の前触れもなく父の名前が申氏の口をついて、当たり前のように出てくるなど、予想だにしていなかった。

  皓二が無言で頷くと、申老人は、〈父〉ということには何の関心もないように続けた。

「小林とは私は昨日も会っている。今夜も会う予定だ」

 ――この人は異次元の時間を生きている。過去のある時間がこの老人の現在の世界にちがいない。

 この老人から父の昔を聞けるかもしれないと、皓二はそっとバックルに手を触れた。父が過去の扉をこじ開けて、息子の自分を招き寄せているのにちがいないと皓二は思った。

「今夜も一身上の重要なことで小林に聞いてもらわねばならぬことがある。会うのもそのためだ」

 申貞浩の口調は確信に満ちている。

「どこでお会いになるのですか?」

 李さんが話の歩調を合わせるように訊いた。

「おれの会社に小林が来て、それから明治町で飯を食うことになっている」

「会社はどちらでしたっけ?」

「京城電気に決まっとるだろう。黄金町の本社だ」

「明治町は今の明洞(ミョンドン)、黄金町は乙支路(ウルチロ)です」

 李さんが小さい声で耳打ちするように説明を加えた。

 父は何の仕事をしていたのだろう。異次元に生きているからこそ申貞浩は七十年前の父の動静までしっかり掴んでいるのにちがいない。過去形ではなく現在進行形で質問すれば、父の様子の一旦でも教えてくれると皓二は確信できた。

「小林勇氏はいま何をしているのです、仕事は?」

「京畿道庁だ。詳しいことはわからんが建設部だろ。今夜会うから聞いておこう」

李さんは頷きながら、目配せするようにして皓二に囁いた。

「完全にイッちゃってますね。日本統治時代の世界の人ですよ。これ以上話しても無駄でしょう」

 ――いや、この老人ならば、父の青春時代がアルバムをめくるように出てくるにちがいない。父だけではなく母の若かりし時も。それほどに父と関わり合いのある人物と巡り合うことになるなど想像だにしないことだった。

「京城電気本社というのはどこにあったんですか? 今夜二人が会うなんて現実にはあり得ないこと。でもいまからそこへ行ってみようと思うんです」

 皓二はバックルに触りながら、声をひそめて李さんに聞いた。

「建物は昔のままに同じところにあります。乙支路入口です。韓国電力と会社名は変わっていますが」

「父は京畿道庁に勤めていたと申さんがおしゃっていますが、京城電気からは遠いんですかね?」

「いまの道庁は水原(スウォン)市にあるはずですから、昔どこにあったのか、私は知りません」

 建物がいまでもあるのなら是非訪ねてみたいと皓二は強く思った。

「今夜小林と会う」と同じことを何度も繰り返すのは、認知症の特徴のひとつだ。小林勇という名前が申貞浩の口の端に頻繫にのぼるのは、二人がよほど親しかったからだと確認できただけで充分だった。

今日の記念に、申氏と並んだ写真を数枚撮った。それを汐に申貞浩の家を辞したが、家人に貞浩氏の昔の写真はないか、できれば一枚欲しい旨を伝えた。

「一九七〇年代のものでよければ。韓国動乱(朝鮮戦争)以前のものは一枚もない。皮肉なことにオジイさんの頭の中は何もかも一九五〇年以前のことばかりなのに、残念です」

 家人は申し訳なさそうに白黒写真二枚を差し出した。この写真を見せれば父勇の親友だった申貞浩のことを、母の眸も思い出すことがあるかもしれない。母親のことの昔も知りたいと皓二は思いながら、申貞浩の家を後にした。

「乙支路入口、南大門路をはさんでロッテホテルの向かい側です。タクシーで十分くらいです」

 高層の近代的なビルの間に年季が入った七階建ての建物が見渡せるところでタクシーを降りた。ベージュ色の韓国電力ビルは、ひと時代もふた時代も昔の建物であるが、総ガラスばりのビルが軽薄そうに見えてしまうほどの荘重な造りに威厳さえ感じられた。

「造られて九十年は経っているそうですよ。上の二階は一九六五年に建て増しされたものだそうです」

 タクシーの中でタブレット端末から得た知識を李さんが教えてくれた。ビルに取り付けられた縦長の看板が見てとれる。ハングルで書かれているのは社名だろう。これも母に見せてあげたいと、皓二は写真に納めた。

「李さん、旧京畿道庁がどこにあったかだけでもわかりませんか?」

 ここからどれくらい離れているものなのか、歩いて行ける距離なのかを皓二は知りたくなった。申貞浩が「今夜会うことにしている」と言ったことが、嘘ではないとバックルが皓二にそう告げているように思えてきたのだった。

「京畿道庁は、景福宮の前にあったようです。いまは光化門ヨルリンマダンという広場になっています。十分もあれば行けますよ」

 ――それくらいの距離なら父と申貞浩はいつでも会っていたはずだ。

ヨルリンマダンまで歩いて距離と時間を実感してみたいと李さんに言った。それで今日の通訳契約時間になるだろう。

京畿道庁の跡地ヨルリンマダンに立って周囲を見渡しながら、いまはもう解体された朝鮮総督府庁舎を思い浮かべていると、父がいつも見ていた風景と、在籍した役所の磐石であったであろう日本の統治機構までも偲ばれた。

通訳の李さんと別れた皓二は、申貞浩と父小林勇は必ず京城電気の前で会うにちがいないと、確信めいた幻想に囚われていた。皓二は同じ道を取って返した。急激に冷えこんできた街には小雪がちらつきはじめた。

韓国電力ビルに戻った皓二は、通用門らしきところで壁に張り付けられた銅板に目をとめた。ハングルで書かれた文字を読んだが意味まではわからない。一九二八の数字から「一九二八年建立」と記載されているのだろうと推察できた。

 ビルから二十メートルばかり離れ、通用口を見通せる乙支路の歩道にある小公園風のベンチからビルを見渡していた。壁を深くくり抜いたような窓の造りも戦前のものだった。

 通用口に視線を戻したときだった。二、三メートルしか離れていない壁にそって防寒コートの襟を立てた男が皮革の鞄を手にして立っていた。

父だ。父の勇ではないか。

 皓二は思い込みが激しいゆえの幻視だと思った。強く目を閉じ、また開くと手の甲で両目をこすり自然に口をついて出た。人違いをするはずがない。紛れもなく若い野栗勇、いや小林勇だった。

 瞬きも忘れて通用口に目を凝らした。耳鳴りがはじまり、行き交う車の音も聞こえなくなった。どれくらいの時間見つめていただろうか。五分だったかもしれない。いや一、二分のことだったかもしれない。

 百八十センチはあろうか、がっしりした肩幅の男が通用口の左右を見て、軽く手を挙げて、小林勇に近づいていった。申貞浩だった。コートもなく、カーキ色の上下服にカバンを小脇に持っただけだった。

 二人は正面玄関口の方へ、小雪が降る中を速足で歩みを進めていった。

 皓二は十メートルばかり後ろからただボーっとして二人についていった。七、八分は歩いただろうか。二人はレンガ色の威容を誇る京城郵便局ビルの手前を左折すると、細長い三階建ての「中華料理 蓬莱閣」と大書きされた看板のビルに入っていった。

 昭和十九年(一九四四)初冬。十一月の声を聞くと朝鮮の京城は一気に冬が訪れる。

 小林勇は申貞浩からできるだけ早く会いたい、相談ごとがあるという連絡をもらった。学生時代の俺、貴様、おまえと呼び合う間柄の親友である。学科は違ったが、ラグビー部の同期生、その中でも二人は意気投合した朋友であった。

 申は大男と呼ぶにふさわしい長身の、逞しい体格をしていた。一方の小林は小柄だが胸回りは厚くひ弱なイメージはない。自ずとラグビーのポジションもはっきりしていた。スクラムを組むセカンドロー(フランカー)の申に対して、機敏な動きを要求されるハーフバック(スクラムハーフ)が小林の定位置だった。

「この季節になると体がむずむずしてくるなあ」

 申が握り締めた両手をテーブルに差し出した。

「おう、ボールに触りたくなるよな」

 小林もテーブルのへりを撫でさすりながら

「ところで話というのはなんなんだ?」

「ゆっくり聞いてもらいたい……。紹興酒でいいか?」

「貴様との酒ならなんでもオーケーだが、もったいぶらないでさっさと話せよ。スクラムからの球出しは早くしろ」

「フォワードにもそれなりの事情というものがある」

 申貞浩は何から話しはじめたらいいのか歯切れが悪く、立て続けに酒にばかり手を出していたが、意を決したように「よし」と自分に言い聞かせ話しはじめた。

「野栗眸さんが京城電気に勤めているのは知ってるだろう」

「もちろん。子どものころからも知ってるよ。彼女の兄貴が尋常小学校の同級だった。家も近いし家族同士の付き合いもある。それでどうした?」

「思い切って言うぞ。惚れた、好きになってしまったんだよ」

 小林はなんと返していいのか言葉につまり、顔がこわばった。勢いにまかせて申は酒を一気に呷った。

「小林どうした? 何か言えよ」

 申に促されて、どもりそうになりながらやっと口にした。

「む、むこうはどう思っているんだよ?」

「それがわからん。それを知りたくて貴様に相談なんだよ」

「本人に言ったのか?」

「言うわけないだろう。でももう我慢できない」

 申が何を悩み追い詰められているのかが、小林勇には充分すぎるほど推察できた。申貞浩が朝鮮人で、惚れた相手の野栗眸は日本人、どうあがいてもなさぬ恋の悩みということだ。予測できる解は、一次方程式にも及ばない簡単なことだった。打ち明けたが最後、一言のもとに野栗眸に一蹴されるにちがいないと、申にはわかり過ぎるほどわかっているのだ。

「彼女はおれが想いを寄せていることは感づいているはずだ。おれの一方的な思い込みかもしれないが、彼女も決して……何も思っていないはずはない」

 朝鮮人と日本人の間にある微妙な感情の機微のことを申が言っているのが、小林には手に取るようにわかる。心を許し合っている男同士でも日本人と朝鮮人の間にはわずかなわだかまりがあることを互いに意識している。だからこそそのことを理解している自分に申が相談を持ちかけているのがよくわかった。

「小林、頼むから彼女の気持を聞いてくれないか。とにかくはっきりさせたいのだ」

 小林は自身の顔がこわばった理由も自覚していた。申に感づかれたかもしれないと恐れた。それでも何かを言わなければと思えば思うほど、心がさざ波立っていた。

 野栗眸を勇が意識しはじめたのは、眸が高等女学校四年生になったころだ。それまでは通学の途次電停で会っても気軽に挨拶を交わしていたが、いつしか互いに目礼するのがやっとになっていた。眸は急に背丈が伸び、大人びた肉付きの女学生らしい健康さを誇らしいほどに発散させていた。

 勇は眸との逢瀬を空想し、母親に「あなた何をぼんやりした目をしているのよ」と幾度となく言われた。漢江でのボート遊びや北岳山への山登りなど空想の材料に事欠かなかったが、一切の妄想や雑念を払拭できるのが唯一ラグビーに没頭している時間だった。そしてそばには必ず申貞浩がいた。それがなぜ選りによって同じ女性を想うようになってしまうのか、勇は巡り合わせの理不尽さを恨んだ。

 申貞浩はラグビーのポジションそのままの男だった。ボールを手にすれば二人がかりのタックルを受けても、それを引きずってでも倒されるまで前への突進を繰り返した。試合の中で申が反則をとられたという記憶が、勇にはない。首を傾げる判定をされたプレーにも、不服そうな態度もみせない潔さがあった。

「おれの役目は、おまえの想いを眸ちゃんに伝えること、そして彼女の率直な気持を聞き出すことなんだな。その結果どうするかは、おれには関わり合いのないことだ。助けになることも邪魔になることもない。それでいいな?」

 勇は中立を装った言い方をした。申に協力することは約束したが「眸ちゃん」という呼び方をして、申貞浩よりも自分の方が彼女に近い存在だと暗に言った浅ましさを、勇は内心恥じた。

 このころ米国との戦況はひっ迫し、フィリピンのレイテ島には日本の陸海軍が集結し、対峙した米軍との戦闘がはじまっていた。神風特別攻撃隊が初めて編成された。新聞紙上では大げさな戦果を報じてはいたが、十一月には米軍の新型爆撃機B29が東京を初めて空襲した。朝鮮では済州島上空をB29が旋回したと新聞は報じていた。

 勇気を奮い起こして野栗眸を訪ねた小林勇は、申貞浩との約束を果たした。申が眸を想い続けていること、眸は申のことをどう思っているのかを聞かせてほしいと言っていると伝えた。

「私から直接申さんに話します」

 眸は感情の起伏を悟られまいとするかのように、表情ひとつ変えずに答えた。

 勇は眸の母親に、ゆっくりしていけばと引き止められたが「用件が済みましたので」と儀礼的に答えて早々に野栗家を辞した。眸に自分の胸の内を打ち明けられない苦しさに耐えられそうになかった。また勇の同級生であった眸の兄の鉄夫が出征していることを考え、まだ出征していない息子の同級生を見る眸の母親の胸中を思うと、世間話などする心境にはなれなかった。

 眸の伝言を申に伝えたが、その後二人がどんな話をしたのかを勇は聞く気になれなかった。

 昭和十九年十二月末に勇のもとに召集令状が届いた。申貞浩と明治町で会い、眸への想いを聞かされてからひと月も経っていなかった。昭和ニ十年の元旦を挟んで身辺整理に忙殺され、勇には申に会う時間も許されず、召集令状が来たことと出征日の日時だけを伝えた。それまで理工系の技術者への召集は控え目であったが、戦況はいよいよ厳しさを増していたのだった。

 入営地は釜山。南下する軍用列車へ乗り込む京城駅には、家族と数人の職場の同僚だけが勇の見送りに来ていた。一旦釜山の部隊へ入営したあとは、たぶん南洋の島のどこか、最前線へ移されるのだろうと勇は覚悟を決めていた。人混みのホームで見送りの人びとに挨拶をすませ、零下十度を越える中、開けた列車の窓から身を乗り出したときだった。人混みの後方に申貞浩と野栗眸が肩を接するようにして、勇を見つめていた。言葉を交わすこともできず、列車は極寒の京城駅を離れて行った。

 申貞浩の自宅を訪問した翌日、野栗皓二は通訳の李さんを伴ってP電子工業の朴敏基社長を再訪した。皓二はどうしても父親が出征したあとの申貞浩のことを聞かなければならないと思い詰めての訪問である。申老人から聞けなかった戦後の――朝鮮にとっては解放である――申貞浩のことを、朴社長は詳しく知っているにちがいないと、皓二は確信していた。

「やはりあなたの身内の方、それもまさか父上が申先輩の親友だったとは。奇遇としか思えませんね」

 朴社長は遠慮がちに重い口を開いて話しはじめた。

「私の知っている限りのことを話しても、もう申先輩も許してくれるでしょう」

 前日皓二が手に入れた写真に見入りながら、ときには知っている日本語も交え、半日の時間をつぶして語ってくれた。朴社長は「申貞浩伝」という伝記小説の作者でもあるかのように、工業学校時代以降の申氏を知っていた。聞かされた学業成績さえも言えるほどだった。

「申貞浩さんってどんな人なんでしょうね」

 父が親友といってはばからなかった人物とは、どんな人間なのか知りたいと皓二は切に思った。

「ひと言でいって申先輩は硬骨漢です。思ったことをあけすけに言う真っ正直な人です。わたしは大好きでした。でもそんな性格と言動ゆえに、理事(役員)になれなかったのです」

 地下鉄建設にあたって、日本の多大な技術協力があってのことだと公言してはばからなかった。解放後(戦後)反日が国是のようなお国柄で、日本の協力を口にすることはタブーだった。そんなことは歯牙にもかけず、申は部下に持論を披露していた。

「そんな卑屈な根性でどうする。技術屋に国境はない。いいものを真似て改良し、それをまた他の国の技術者が取り入れればいいではないか。助けを受けたことを隠蔽する狭い料簡が、何の発展の糧になるというのだ」

 ほんとうに度量の大きな人だと、朴社長は誇らしげに語った。

「曲がったことは大嫌いというあなたは、男として魅力的だけど危険さえも感じるわ」

「ほとんどの人は権力には媚びて、上の人間の顔色を見て生きているということさ。それが生き延びる道だから。それは俺の信条に反する」

「お願いだからむちゃなことだけはしないでね」

 眸は口癖のように申に言うようになった。

 生い立ちや家族、友人のことなど申貞浩と野栗眸に話題が尽きることはない。ふたりは肩を並べて歩きながらも人目を避けるようにして逢瀬を重ねた。

毎日曜日の逢瀬のために府立図書館で落ち合うことにしている。図書館を出て徳寿宮わきの舗道から王宮の裏へ抜け、眸の母校京城第一高等女学校前から仁王山へ登ることを常としていた。二人が勤務する京城電気が運営する路面電車を利用することは、車掌や運転手など見知った人間に会う危険が多すぎるからだ。

 逢瀬を重ねるごとに二人は親密度を高めていき、垣根がなくなるに従い互いの呼び名も変わっていった。

「シンさん」「ヒトミさん」から「サダヒロさん」「ヒトミちゃん」に変わった。

「眸ちゃん、面白いこと教えてあげようか」

「何?」

「眸ちゃんの名字の野栗は、ノグリという発音だけだと朝鮮語で〈狸〉という意味になるんだ」

「何それ? 狸ですって。道理で一度レストランのウェイトレスにクスッと笑われたことがあるわ。京城駅のレストランで順番待ちの名前を聞かれたときのことを思い出した。人の名前聞いて笑うなんて失礼ねって思ったの。いやな名字」

「これからはタヌキって呼ぼうか?」面白そうに申が笑っている。

「いいわよ。そのかわり私もサダヒロさんをやめてサルって呼ぶから」

(シン)は干支でサルだからか。いいよ、平気だよ。その通りだからな」

「おサルさん」

眸は甘えを含んでさっそく呼んだ。

「はい、はい、タヌキさん」

申も負けずに言い返した。

 眸に心寄せるようになってからの日々を思い、申貞浩は自分だけがこんなに幸せな時間をもってもいいのかと、かえって不安な気持になることがある。自分と同年代の日本人の男は、要員の底が尽くほどに兵隊にとられていた。眸の兄鉄夫と小林勇だけはどうか無事でいてほしいと声に出して叫びたくなるほどに心から願った。申が小林勇のことを思わない日はなかった。

「小林がいなければおれたちが付き合うことはなかったよ」

「私も小林さんから聞かされて信用した」

「小林ってやつは、ほんとうに公平な考えをするやつだよ。学生時代からそうだった」

 申と小林が最上級生になり、だれをラグビー部の主将にするかで全員が小林を推薦した。しかし小林だけが申貞浩が適任だと理路整然と申を推した。小林は自分が主将になることを逃れるためではなかった。部員のだれもが、朝鮮人の申が主将なんてありえないというのが暗黙の了解事項だった。小林は申が副主将になることを条件に主将を引き受けたのだった。日本人と朝鮮人が混在するどんなサークルや集まりでも、朝鮮人が長になることはないという原則は踏襲された。

 申はただ小林の偏見のない見方がうれしかった。小林ほど信頼がおけるやつはいない、小林とならなんでもできると、心の底から思った。

京城電気ビルは、黄金町通り(現乙支路)と南大門通りが交差するところに位置している。京城でも一流会社の本社や内地(日本)の名だたる企業の支店が連なる一画に肩を並べている。そこに出入りするだけでも誇らしい気分になるものだった。

朝鮮人の申貞浩にはこの上ないほどの大企業であるが、会社の中にあって日本人優位は揺ぎない。出世していく年数にも差がついていく。申は心に生じるわだかまりをおくびにも出さず仕事に励んだ。日本人には絶対に劣るわけにはいかないと自分に言い聞かせて仕事に取り組んだ。眸との交際がはじまると、その思いはさらに強固なものになった。いつの日か眸と一緒になる夢を見て、日本人に遜色がないだけではだめだ、日本人を凌駕するほどでなくてはいけないと自分を励ました。だれからも後ろ指を指されないことも眸と一緒になるには必須条件だった。私的な時間には専門分野の研究に寸暇を惜しんで励んだ。しかしめぼしい英語の文献は、櫛の歯が抜け落ちるように図書館の書棚から消えていった。ドイツ語の書籍だけが頼りだったがそれだけで手間は倍の時間を要した。戦争の影は濃く大きかった。

申貞浩は仁王山の麓にある屋敷とまではいかないが、比較的大きな韓屋の離れの借家に住んでいた。書籍と最小限の生活用具だけの男所帯である。オンドルの床にはなっているが、暖房の熱は大家の建物から引き込んだ、おすそ分けでしかない。夜更けまで寒さをしのぐ布団を被って勉強した。

春の訪れとともに日が伸びるようになって、眸が申の住まいにはじめて来たのもちょうどそのころのことだ。

眸の家族は眸の門限に厳しく暗くなっての帰宅を許さなかった。

「女学校のときと同じなんだから」

眸は愚痴をこぼしながら帰っていく。特に父親がうるさい、もううんざりと愚痴をこぼした。

父親は朝鮮の国鉄にあたる朝鮮総督府鉄道の職員で半公務員であり、母親は国民学校(小学校)の教員だった。兄が出征中のため三人家族だが、キチベと呼ばれている住み込みの朝鮮人の少女がいた。いかにも中流の日本人家庭である。なに不自由ない生活から眸が会社勤めすることを両親は嫌っていた。父親などは、女学校を卒業した娘は花嫁修業するのが当然のことと言い張っていた。生娘が結婚前に男と付き合うなどとんでもない、ましてや相手が朝鮮人などと両親には想像すらできないことなのだ。そんなことは眸と申貞浩にはわかり過ぎるほどわかっていたが、それゆえ二人の愛し合う気持はさらに高まるのだった。

「あなたは毎週毎週図書館通いして何をしているのよ」

 母親に疑わしげな目を向けられ、眸は返答に窮した。

「たまの休みくらい家にいなさい」母親にピシッと言われた。

「おサルさん、毎週会うのは無理。両親の目が……」

 二人のことがばれないようにするためには自重しなければいけないと、申と眸は逢瀬を隔週にすることにした。それがさらに互いの想いを募らせることになった。

 申と眸は図書館で落ち合うことをやめ、仁王山へも行かず、だれの目も気にしなくてすむように凝縮された二人だけの時間を申の住まいで過ごした。いつしか五月晴れの下に黄色があふれる連翹(れんぎょう)の季節になっていた。

 そんなある日、眸がそばにいるにもかかわらず、気だるい陽気に誘われるように申は不覚にも床の上で眠り込んでしまったことがあった。夜遅くまでの調べもののせいだ。どれくらいの時間眠ってしまったのか、ハッとして目を覚ますと、眸が体をピッタリと申に寄り添わせていた。

申が目覚めたことに気づいた眸は一言も発せず、申の厚い胸板に顔を寄せ、伸び上がるようにして火照った柔らかい唇をそっと申の唇に重ねてきた。初めてのキスだった。

 朴敏基社長は、すべての記憶をしぼり出すようにして、申貞浩と母野栗眸の出会いを話してくれていた。

「ちょっと一休みしましょう。いまコーヒーを持って来させますから」

「わたくし事のために貴重な時間を取らせて申し訳ないです」

 皓二は恐縮しきりという気持を伝えるために頭を下げていた。

「いや、申先輩のことを言い出したのは私の方ですからいっこう構いませんよ」

 女子社員が運んできたコーヒーを皓二と通訳の李さんにすすめながら、中断していた話を続けた。

「連翹やツツジが咲き誇っていたそのころが、二人にとって絶頂だったのではないでしょうかね。好事魔多しといいますか、それからの事態は受け入れ難いことが次から次へと続き、二人は結局一緒になることはありませんでした」

「日本が戦争に負け、野栗眸が日本へ引揚げなければならなくなったことはわかっていますが、何か他にもあったんでしょうか?」

「眸さんのお兄さんの、戦死の公報が届いたのが六月初旬だったといいます。息子を亡くした両親の嘆きはどれほどのものであったかは、想像に難くないでしょう。たった一人になってしまった娘の眸さんだけは、なんとしても守らなければと両親が考えられたのも当然でしょう。しかも両親は、眸さんに仕事なんかやめさせて、野栗家を守るべく婿養子をとって早く結婚させようと思われたようですね」

 母と申貞浩は将来を誓い合っていたのだろうか。二人はまだ生きているとはいえ、ともに認知症を患っている現在、互いがどう思っていたのか聞き出すこともままならない。父の勇が生きていればあるいは、と思うがそれもかなわない。

 父のバックルが七十年前の次元に誘ってくれないものかと、皓二はバックルに手を触れてみたがなにも変化は起きなかった。

「二人は結婚の約束をしていたのでしょうかね?」

朴社長がそこまで知るはずもないと思いながら聞いてみた。

「暗黙のうちに誓い合っていたのはまちがいないです。昔の人はそういうことは他人にあまり明け透けには言わないものです。でも眸さんが申さんの住まいに来るたびに、部屋の様子がまるで新婚家庭のように変わっていったといいます。眸さんは、なにがしかの花を一輪白磁の花瓶に挿して部屋に残していきました。私はいつもあなたの側にいるのよ、という申さんへのメッセージだったのです」

 愛する人との結婚が叶わなかった母が、その後の人生をどんな思いで過ごしてきたのか、父との結婚というのがどんな経緯だったのか、父への思いなど、皓二は知りたいことが多すぎる。

 兄の憲一が結婚したときの母の反応が思い浮かぶ。義姉を気にいらないまま兄の結婚に賛成したのではなかったか。母の煮え切らない態度から推察できた。しかし母は自分が愛した人と想いを遂げられなかった悔いから、兄たちの結婚に渋々賛成したように思う。

「その後の二人はどうなったんでしょうか?」

「眸さんは京城電気を退職されたそうです。両親の言うことに従って家にいることこそが最終的に結婚まで辿り着けると二人は考えたようです」

「母も申さんも波風を立てないでおいて、親の了解を得ようとしたんでしょうね」

「時間をおいてと考えたんでしょう。しかし思いもしなかったことになったのが八月十五日だった」

「母の家族に限ったことではない、朝鮮に住むすべての日本人にとって日本への引揚げを余儀なくされた青天の霹靂だったわけですね」 

 申貞浩にとっての昭和二十年(一九四五)八月十五日は、日本の敗戦でも朝鮮の解放でもなかった。心に決めていた野栗眸との結婚がどうなるのかが重大事項であり、終戦は個人的な青天の霹靂だった。沈着冷静を自認していた申は、自分でもわかるくらい頭が混乱していた。

――とにかく野栗眸を日本に帰してはいけない。

それだけが申の頭にあるすべてだった。

これから朝鮮はどうなるのか、朝鮮にいる日本人はどうするのか、だれにもわからない。情報源のラジオは「安全は保たれている。冷静に行動するように。不必要な外出は控えるように」と繰り返すだけで、これからの世の中がどうなっていくのかの指針になるような情報がない。いたずらに時間だけが過ぎていく。

会社も見た目には平静であるが、上からの指示もなく混乱しているのがわかる。日本人職員は日本人と、朝鮮人は朝鮮人同士が小さく固まってヒソヒソ話をする、白けた雰囲気が広がっていた。

申貞浩は、日本人がどうしようとしているのかを知りたかった。街には「日本人は朝鮮から出て行け」「日本人は歩いて帰れ」「日本人は玄界灘を泳いで帰れ」といった過激な張り紙も見受けられるようになっていた。

眸に会う手立てがなく、申はいらだち、あせりが募るばかりだった。日曜日を待った。終戦の詔勅を聞いてからの四日目の日曜までが異常なほど長く感じられ、何も手につかなかった。眸が来てくれさえすれば何とかなるの思いだけで過ごした。

 眸が訪ねて来ることはなかった。何故来ることができないのか、いくつもの理由を思いつくだけ考えていた。その理由を確信すれば自分が行動するだけだ。こんなときに小林勇さえいてくれたらというのは何の解決にもならないむなしい思いを味わうだけだった。連絡の手段が何もない。この混乱の中、手紙などと悠長なことでは確実に眸に届くこともままならないだろう。残された手段は眸の家に乗り込んで、両親に結婚の許しを請うことだった。どんなことになるのか想像もつかないが、それしかない。易々(やすやす)と両親が結婚を許すとは思えない。そのときは引きずってでも眸を奪ってくることだ。

会社近くの電停から京城駅方面の電車に乗って、眸の家を目指した。途中、申貞浩は車内の雰囲気が様変わりしていることに驚かされた。これまで周りの目を窺い、怯えたようにしていた朝鮮人の乗客が、だれ憚ることなく朝鮮語を話し、車掌の案内が日本語から朝鮮語に変わっていた。二十分ほどの間に見た窓外には、ぼろを纏ったような人々が、思い思いの荷物を背に、俯いて途切れ途切れにとぼとぼと歩く様子は異様だった。女子供と老人が目立つのは北方から逃れてきた日本人たちだった。ひたすら京城駅や龍山駅を目指していた。

 ――こんな格好や思いを眸にさせるわけにはいかない。なにがなんでも眸はおれが……。

 眸の家を探し当てた申は板塀の門から玄関へ歩を進め、呼び鈴を鳴らした。

 警戒しながら玄関に立ったのはキチベの少女だった。

「京城電気の申貞浩という者です。眸さんはいらっしゃいますか?」

 キチベが振り向くとそこには眸が驚きの表情で立ち竦んでいた。

「両親はご在宅か。結婚の許しを請いに来た。一刻の猶予もない。君が日本に帰ってしまったら何もかもおしまいだ。ご両親、お父さんに会わせてくれ」

 真正面からじっと見つめてそれだけ言うと深く頭をさげた。

 眸は玄関に立ち竦んだままで何も言わなかった。困惑を通り越して頭が真っ白だったにちがいない。瞬きをしない両目から眸の心が読み取れる。

「会わせてくれ。土下座でもなんでもしてお願いするつもりだ」

 ――おれのことを何一つ親に話していない眸は、このあと起こるであろう修羅場を思っているにちがいない。そんなことは想定済みだ、なんとしても眸と一緒になる。そのためにはどんなことにも耐える。

 申貞浩は思いを新たにした。

 ただならない雰囲気を察したのか、眸の父親が玄関の上がりに立った。

「眸さんのお父さんでいらっしゃいますか。初めてお目にかかります。わたしは京城電気に勤務する申貞浩と申します」

 父親は横にいる眸に一瞥をくれると、おもむろに口を開いた。

「京城電気の方がどんなご用でしょうか?」

 口髭を蓄え、申に劣らぬ体躯から、職場ではそれなりの地位にあることが察せられた。

「たってのお願いで伺いました。率直に申し上げます。眸さんと結婚させてください」

「いまなんと言った? 自分が何を言っているのか充分わかって言っているのか、君は」

 父親は、申の訪問の意味をすでに予測していたように、重々しい口調だった。

「もちろんです。考えに考えた末のお願いにあがっています」

「いま世の中はどうなっているのかわきまえてのことか。では言おう、ならぬ」

 間髪を入れず、父親が決めつけるように口にした。

 父親が言い終わるか終わらないうちに、眸が崩れ落ちるようにうずくまった。

「わたしたちは必ず一緒になります」

「わたしたちだと? なんと不躾で身の程知らずなことを」

 眸を見下ろし、視線を戻すと

「問答無用だ。朝鮮人の嫁にするなど論外だ。いますぐここから立ち去れ」

「いやです、(さら)ってでも結婚します」

「出て行け、いますぐだ。即刻出て行け」

 仁王立ちの父親は一歩踏み出すと、近くにあった傘立てから木刀を手にし一振りくれた。

 本気で打ち下ろすにちがいないと、身の危険さえ感じた申が玄関の外に逃れると、父親が追って来て木刀を振り回してきた。

 眸が裸足で飛び出してきたのが見えたが、申は父親の一瞬の躊躇を見逃さず、腰に強烈なタックルをくれていた。

 もんどりうった父親は、玄関の柱にしたたかに頭を打ち付けたようで、うずくまるようにしていたが、木刀を杖にして立ちあがると、申を見据えるようにして言い放った。

「とっとと消え失せろ。朝鮮人のくせに」

 絶対に聞き捨てならない一言だった。両耳の鼓膜から脳髄に突き刺さった。後々までその言葉の衝撃と悔しさを思い出して反芻しても、味わった屈辱を表現する言葉を思い付かなかった。もしピストルを持っていたなら、その場で射殺したにちがいない。しかもそれは民族としての朝鮮人と国籍としての日本国民として曖昧だった自分を、明確に切り離す発射音でなくてはならなかった。生涯忘れることのない「朝鮮人のくせに」という言葉は、眸の父親はもちろんのこと、眸をも射殺したかもしれなかった。いわれのない侮辱的な一言に身を震わせ、小林勇や眸に寄せていた信頼と親愛の情さえも砕け散るほど、一瞬にして日本と日本人のすべてを憎悪した。眸の家を出た申貞浩は鼓膜から脳髄まで凍りついたままで、どこをどう歩いて帰ったかの記憶もなかった。

――こんなソウル旅行になるなど思いもよらなかったなあ。

 父と母が終戦になるまで暮らしていた街といった程度のことが思い当たるだけで、皓二には取り立てて関心もなかった。聞かされた父と母にまつわる詳細な過去の出来事は、みるみる増水した洪水の激流に、手の施しようもなく家ごと流されるような予期せぬ展開の内容だった。

 母親については衝撃の連続だった。「朝鮮は嫌いだ」と言ったほんとうの理由が、朝鮮や京城にあるのではなく、人生の分岐点である結婚にまつわるショックにあり、父、勇との結婚にも深く関わっているのは容易に推察できた。

 皓二はもうだれかに早く語らずにはいられない。ロケ地ツアーから帰って来る容子をホテルのロビーまで下りて待った。容子が帰り着くと、()きたてるように夕食に誘った。悠長にレストランを探すのももどかしく、手っ取り早く世宗ホテルの韓式レストランにした。

「なにをそんなに急いでいるの? いまゆっくり話すから」

「いや、おれから話したいことが山ほどある。先に話していいかい?」

「ダメ。私のほうが先」

 ああ、そうだった。この旅行は何ごとも容子ファーストだったなと皓二はビールを口にしながら苦笑した。

「……春川(チュンチョン)は雪が積もっていてね、「冬のソナタ」のあの印象深いシーンが再現されていて、三人とも感動だった。みんな女子高校生に戻って主人公の気分に浸っていたの」

 ロケ地やロケ現場となったレストラン、学校、建物などソウル市内だけでも十ヵ所は見たと、満足気に話す容子を見ているだけで皓二は幸せな気分を共有できた。

 ツアーのことは適当に聞き流していたが、興味を引く話を容子がはじめると、皓二は聞き耳を立てた。

「田舎に行ったときのことだけどね、私一人で駄菓子屋さんの店先でウロウロしていたら、いつの間にか近所のおばさん数人と子どもたちが集まってきて、話し掛けてきたり、遠巻きにして私を見ながら噂話風に話してるのよ。声はよく聞こえるんだけど、韓国語はチンプンカンプンでしょ。そのうちに袖を引っ張ってどこかへ案内しようとするの。私は急に不安になってね。ガイドさんは近くにいないし、どうしていいのかわからなくなって途方にくれたの。そのときハッと思った」

 そのとき認知症の人の気持が直感的に理解できたというのだ。まったく理解できない外国語の中にひとり取り残された人の気持と、周りの人間が話したり、何かをしたりするのがまったくわからない認知症の人の不安な気持と疎外感は同じではないか。不安であり、もどかしくありがずっと続けばだれだって癇癪おこしてもおかしくないというのだった。

言葉が通じないときの一番の味方は、自分の気持を汲み取って寄り添ってくれた人の温かさだったと、容子はしみじみと語った。

「容子はすごいよ」

皓二は容子の、異国での経験と認知症患者のおかれている環境を同一線上に咄嗟に置き換える感のよさに感心しきりだった。

「さあて次はあなたのお話を聞く番ね」

「おれの話はだれにでもできる話じゃない。おれたち三兄妹に関わることで……。じっくり話すことにしよう」

 P電子工業の朴社長との雑談からはじまった、奇跡のような申貞浩との面会を皓二はなぞるようにして語った。

 血のつながりはないとはいえ、他ならない義理の両親の事に耳を傾けていた容子は目を輝かせた。

「お義母さんってすごいじゃない。そんな困難もいとわない恋愛をするなんて素敵よ」

「親に反対されることがわかっていても、自分の信念を貫くという点では大恋愛かもしれないね」

「韓流ドラマ仕立てにしてもいいんじゃない。おサルさん、タヌキと呼び合うなんて微笑ましいし、よほど親密じゃなければ言えない間柄」

 まだ韓流ドラマツアーの余韻を引きずっているような感想を口にした。

「たしかに。おれたちにしてもせいぜい容子ちゃん、皓二君だったからな。ところで……」

 容子の関心を本題に向けるように、皓二が二枚の写真を容子に差し向けた。

「これは昨日申さんの家族にもらった申貞浩氏の写真」

 二枚を並べて見入っていた容子から笑みが消えて、表情がこわばったようになった。何も言わず長い間見ている。

「どうした、何かあるのか?」

「これって……、憲一義兄(にい)さんにそっくりだわ」

 唐突に何を言い出すのかと、皓二は申の若い時の写真を奪い取るようにして見た。

「顔もそうだけど眉毛や髪の生え際なんてそっくりだわ」

 初めて見たときは思いも及ばなかった皓二だったが、改めて見ると容子の言うとおりだった。血のつながりのない容子の客観的な見立ては正鵠を射ているのかもしれない。

「まさか義兄さんは……」

「迂闊なことを言うんじゃないよ」

 皓二は咎めるような言い方でたしなめた。 感のいい容子は何かを感じたのだ。

 子どものころから兄が言っていたことが思い起こされた。「おまえたち二人は父さん似だけど、おれは母さん似だな」

 穿った言い方をすれば自分は父さんに似ていないと言っているようにも取れる。

「この話はやめにしましょう」

 容子がとりなすようにして話を締めくくってくれた。

「明日は昼まで自由時間があるな。どうしよう」

「買い物三昧よ。子どもたちやお孫ちゃんにもお土産買っていかないとね」

「おれは行きたいところがある。親父と母親の卒業した学校があったところへ行ってみたい。親父の学校跡は別の新しいビルが建って何もないらしいから、母親の学校の所在地でも行ってみたい。跡地はいまもそのままのようだ。場所は朴社長に聞いておいた」

 ホテルのカフェが朝食バイキングの会場だった。食事を摂りながら皓二は愚にもつかないことを思いながら容子に聞いた。

「昨日の朝食のご飯は麦じゃなかったか?」

「いや、普通の白米のご飯だったよ。なぜ?」

「おれは昨日ここで朝食食べたんだけど、ご飯が麦飯だったんだ」

「いまどきそんなのあるはずないでしょ。とろろご飯じゃあるまいし」

 七十四年に初めてソウルへ来たとき、「韓国では週一回麦ご飯の日というのがあるのです」と言われて、皓二はたしかに食べた記憶がある。その印象が強すぎて、昨日はそんな思い出にふけりながら食事をしたのかもしれない。納得いかないが思い込みだったのだろうと考え、箸をすすめた。

 容子にいちいち言うことはなかったが、この旅行中、皓二は何度か同じ感覚の時間を持った。何故そんなことになったのかはわからない。幻覚だと割り切ってはいたが、申貞浩に会ったことによって見方が変わったような気がする。霊や超能力を信じてはいないが、この世にそんなことがあってもいいではないかと肯定的になっていた。申貞浩が地下鉄開通に自分の渾身の力を奮い、開通させた年が一九七四年だった。申はソウルを訪れた自分を通して、野栗眸へなんらかのメッセージを届けようとしたのではないか。「おれは真摯に人生に立ち向かい、君を裏切らないだけの仕事をしてきたよ」と野栗眸に伝えたかったのかもしれない。だからこそ申貞浩にとっては一九七四年でなくてはいけなかったのだろう。それは科学では説明できない申の霊的パワーが、バックルを介して自分の脳に語りかけていると思ってもいいのではないかと皓二は考えることにした。

 朝食をすませた皓二と容子は、地図を頼りに母の母校の所在地を目指した。

 徳寿宮脇のトルダムキルから右に折れて、ゆるやかな上り下りの坂道の、静かな通りから京城第一公立高等女学校跡へ向かった。この道こそが母と申が毎日曜日に歩いた道だったとの感慨を深くして踏みしめるようにして歩いた。煉瓦塀が続き、落葉と塀のコントラストが洗練された古都の美しさを残す舗道だった。

 地図に示された場所は、ソウルの中心には不似合いで広大な、建物の礎石がむき出しになった跡地が広がっていた。

 校舎は戦後もずっとソウルでトップレベルの女子高として利用されていたらしいが、近年になって漢江南側の新興地へ移転し、学校だったことを偲ばせる校門の門柱と、ぽつねんと校庭の中ほどに残されたエンジュの樹だけが、百年ちかい歴史を物語っているようだった。

「この校門を見ていると、誇らしい制服姿の母が目に浮かばないか?」

「青春を満喫して同級生と笑い転げている様子もね」

「『朝鮮は嫌い』というのは、真逆のことを言っているのじゃないかな。この街で生まれて育ち、何不自由なく暮らした故郷じゃないか」

「ほんとうは朝鮮も京城も大好きなんでしょうね。ただ愛する人と引き裂かれた心の傷にすべてが収斂され、そのことが京城という街に結びついたときだけ、何もかも否定したくなって出てくる言葉が『朝鮮は嫌い』なんじゃないかしらね」

「母親がここに来ることは絶対にないだろうけど、おれたちが替わりに来たからよしとするか」

「これは親孝行のひとつかもしれないわ」

 いくつもの角度や方角から校門や跡地を写真に収め、二人は仁寺洞(インサドン)のショッピングに向かった。

 鍾路(チョンノ)の大通りから斜めに北へ向かう四、五百メートルの通りが仁寺洞である。商用の車以外はそぞろ歩きのアジアや欧米からの観光客で溢れている。高層ビルはないが、民芸品やみやげ物を扱う店舗、陶磁器や書画骨董の店、エステテックの看板を掲げているものからレストランまで殷賑を極めている。初めて訪れたときの仁寺洞は、焼物や書画骨董、古本屋などの平屋が軒をつらねた、埃っぽい町だったというイメージしか皓二にはない。様変わりした通りは四十年前の町を払拭していた。

「この街でお土産は全部すませて昼食にしましょう」

 皓二は荷物持ちだけが役目だった。女はどうしてこうもショッピングが好きなのだろうと思いながら、右へ左へと店を覗き込む容子につき従った。

 民芸品ばかりを扱う店の中でのことだった。

「あなた、これと同じものを家の中で見たことある?」

 容子が手にしているものは、何色もの原色で塗り分けられた木彫りの鳥の(つが)いだった。

「見たことないなあ」

 飾りの置物を容子は買おうというのだろうか。まさかこんなケバケバしいものを玄関の棚にでも飾ろうというんじゃないだろうな。それなら異議を挟もうと、皓二は容子の様子を窺っていた。

 女の店員が近づいて、韓国語なまりの日本語で声をかけてきた。

「日本の方ですか? 何をお探しですか?」

「これは飾り物ですよね。何というんです?」

 容子が興味津々に聞いた。

「キロギといいます。日本語では雁のことですね。キョロンシクで使いますですよ」

「キョロンシク?」

「ああ、日本語は? ちょっと待ってください」

 店員はトーンを変えて、品のない大きな声で奥の別の店員に聞いているようだった。

「キョロンシクは結婚式のことです。キロギは夫婦がずっと仲良くする約束のしるしです」

 二個の木彫りは常に並べて置いておくものだという。

「お義母さんのタンスに、これよりももっと大きい木彫りが一個あるのを見たことがあるの」

「なんでそんな物をタンスにしまい込んでいるんだろうか?」

「引揚げのときに持ち帰ったに違いないけど、どうして片割れなのかその意図もわからないわ」

「申さんとのことにはまちがいないだろう。一旦は日本へ帰るけどまた京城へ戻って申さんと一緒になれると思ったんじゃないか。当時は世の中が落ち着けば朝鮮に戻って来られると考えていた日本人もたくさんいたというから」

「一つずつお互いがキロギを持ってさえいればと考えたんでしょうね。また木彫りを(つが)いにできるって。必ず戻って来ると心に誓っていたお義母さんのことを考えると、なんか切ないね」

韓国を堪能して、満足ではちきれそうな表情の容子と皓二が、浜田山の自宅に帰ってきたのは旅立って四日目の夜だった。

 妹のきぬ子が、もう疲れ果てましたといわんばかりの顔をして不機嫌そうに待っていた。

「たいへんだったでしょう。ありがとう、きぬ子さん」

容子がねぎらいの言葉を掛けると、

「今夜なにかのトラブルで二人が帰ってこなかったら、真夜中でもなんでも国分寺の家へ帰っちゃったかもしれないわ」

 やっと表情を和らげたきぬ子が、明るくなった。

「母さんは寝たか?」

「やっとね。寝てるときだけよ、気が休まるのは。義姉(ねえ)さんのたいへんさが身にしみてわかったわ」

「なにもなかったか?」皓二が間延びしたような言い方で暢気に聞いた。

「とんでもない、次から次へとよくもこれだけと思うくらいあったわよ」

 容子がお茶を淹れて話しに加わった。

「おかげさまでいい旅行ができたわ。今夜はゆっくりしてちょうだい」

「今日がいちばんたいへんだった。まかり間違えば今夜母さんはあの世行き。わたしは警察の留置場泊まりになりそうだった」

「おいおい、物騒なこと言うなよ」

「ほんとなんだから。老老介護の家で、ご主人が奥さんを殺したなんて事件がよくあるでしょう。殺した人の精神状態がわかるって切実に思ったもの。精神が錯乱していたら、咄嗟に母の首を絞めていたかもしれないもの」

 とにかく話さずにはいられないというように、機関銃の連弾もさもありなんとばかりに、きぬ子が興奮気味にしゃべり出した。

「おれもおまえに話したいことが満載だ。まずおまえの話を聞こう」

 皓二が妹の苦労を(おもんばか)るように、兄の鷹揚さを示した。

 母の眸が昼寝のためにベッドに入って、寝息をたてはじめたのを確かめたきぬ子は、睡眠不足もあり居間のソファでまどろんだ。一時間くらいは母も眠るにちがいないと気を緩めたこともあった。目覚めてすぐに母の様子を見に行くと、もぬけの殻になっている。トイレからなにから家中を捜し回ったが、どこにもいなかった。

 出発前に義姉の容子から聞いていた限りでは徘徊することはないはずだった。どこに行ったのか思いあたるところもなく、きぬ子はうろたえた。遠くへ行くはずはない。もし外へ出て行ったなら、この寒空の下どんな格好で出て行ったのか。最近は着るもののボタンを掛けることもおぼつかなくなっている。薄着のまま外にいたら体調を壊すにちがいない。交通事故にでも遭ったらたいへんなことになる。きぬ子が思い巡らす光景は悪い方へ悪い方へと向かうばかりだった。

 不在に気づいて三十分ばかり経ったころ、美容室から電話がかかってきた。

 いつもは必ず容子と一緒なのに、独りで来た母を不審に思った美容室の人が「あら、今日は一人でいらしたの?」と言うと、「そう、一人で来た。髪を洗ってくださいな」なにごともなかったように答えた。まだ髪をシャンプーしている最中に、念のため家へ電話をしようと美容室の人は思ったようだ。

 たしかにきぬ子は眠っているときに家の電話が鳴ったようだと、あとになって思ったが、電話に出ようとのろのろ起き出したところで電話は切れた。捜し回ったあげく一旦家に入ったところで、美容室から二回目の電話だった。

 お金を持っていないことと、やはり服装がチグハグで尋常ではないのを見て、美容室では言い繕って美容室で待たせている、すぐに迎えにくるようにとの内容だった。

 きぬ子は美容室の場所を聞いて肝を冷やした。家から美容室へ行くには、井の頭線の踏切を渡って早稲田通りの近くまで行かなくてはならないのだ。よくぞ一人で行ったという驚きと、徘徊ではないが、これまでに徘徊はなかったという義姉の言い置きから、気を緩めたことにきぬ子は自責の念が募った。

「なぜ一言言ってくれないのよ」

ついつい責め立てると、母は突然不機嫌になり大声で喚きはじめたのだった。きぬ子は母の状態をわかっていても怒りがこみ上げてきた。

――認知症の患者にGPS端末を取り付ける方法はないものかしら。兄はアンテナの専門家なんだから、それくらい作り出せてもおかしくないだろうに、まったく。

見当ちがいの八つ当たりまでした。

 きぬ子はさらに続けた。

「もう天寿を全うしてくれてもいい。そうしてくれないかと不謹慎なことだけど真剣に思ったわ」

 皓二も容子もどう言ったらいいのか返す言葉に窮した。

「ほかにもいろいろある。カレーライスをつくったときに、カレーの上から多すぎるお醤油とソースをかけはじめたの。びっくりしてお皿をとりあげたら、また声を荒げて取り返そうとするのよ」

「そんなことがあったの。はじめてだわ」

 容子が知っているかぎりでは、そんな行動は一度もなかったという。

「容子やおれがいなくて、いつもと様子がちがい、それがストレスだったかもしれない」

「困ったわけじゃないけど、不可解な行動で改めて認知症が進んでいるのがわかった」

「どんな不可解な行動なんだ?」

 皓二は気が重そうな顔をきぬ子に向けた。

「鏡の前に正座してブツブツ独り言を言ってるから、うしろから覗いたらね、誰か知り合いと会話でもしているような調子で鏡に映った自分と話しているのよ。なんか不気味だったから『だれと話してるの?』って聞いたら、鏡を指差して『この人』だって。それ自分じゃないのって言ったら、なんて答えたと思う? 『わたしはこんな年寄りじゃないわ』だって」

「まるでコントだけど笑えないよな。たしかに症状が進んでるよ」

「でしょ。わたしはだーれ、ここは何処って状態だね」

「その年寄りじゃない話を、おれからきぬ子にしたいんだ。母さんの若い時のこと」

「いまさらって気もするけど」

「そうじゃない。こんどの旅行で母さんの独身時代の、驚愕の事実がわかったんだ」

「わたしも迂闊なことを口にするなって言われたほど驚きも感動もした」

 容子は皓二の言葉を補うように補足した。

「えっ、そんなに重大なことなの?」

「うん、この写真を見てくれ」

 白黒二枚の写真を手にして見入っていたきぬ子は、何か変わったことでもあるのかといった顔をして

「これ、憲一兄さんじゃないの。ちょっと古臭い服着てるけど」

「よく見ろよ、憲一兄さんじゃないだろう」

「わたしもそう思って『憲一義兄さんそっくり』って言ったの」

「この写真の人は、(シン)貞浩(ジョンホ)といって韓国人なんだ。おれは本人に会ってきた」

 きぬ子は左手で口を覆うようにして頬をつかみ、しばらく考え込んでいた。何かを言い澱んでいるようだった。

「いつか皓二兄さんには言おうと思っていたこととつながった」

「どういうことだ。おまえは知っているのか?」

「うん、知ってる」

 声のトーンを落としてきぬ子は頷いた。

「申貞浩という人が憲一兄さんの、実の父親にまちがいない。そうだろう容子」

 三人は秘密を共有し合った秘密結社の同志でもあるかのように、互いに視線を合わせた。

「わたしが結婚した年に父さんが死んだわよね。それまでわたしはずっと両親と一緒だったし、母さんは女同士だから女にしか通じない気持をなんでも話してくれたわ。結婚式の直前は二人だけだった。そのとき母さんが突然言ったことがいまでもはっきり心に刻まれている」

 胸の奥深くとどめて、だれにも口外しなかったと前置きしたきぬ子が、意を決したように話しはじめた。

「母さんは最初にこう言ったわ『子どもが生まれたら、それはどんなことがあってもあなたの子。世間では未婚の母なんかになった人に、生まれた子どもを誰の子か、なんていうときは必ず父親は誰かという意味でしか聞かない。でもわたしの考えはちがう。子どもはみんな子を宿して出産した母親、女のものよ、生んだ人間の子どもなの』」

 一理あると思ってきぬ子は母の言うことを聞いていたという。

「そのあと言ったことに、わたしショックを受けたの。『憲一と、下の二人のおまえと皓二は、父親が違うけど、三人ともみんなわたしの子』女のわたしにだけは言っておく、誰にも決して言うんじゃないよ、とくどいほど釘を刺された」

「死んだ父さんはどこまで知っていたんだ?」

「それはわからない」

「憲一兄さんは知っているのだろうか?」

「たぶん知らないと思う。でも小さいころから憲一兄さんは、わたしたちによく言ってたわよね。『おれは母さん似で、おまえたちは父親似』だって。」

「それでわかったわ。義兄さんにではなくて、あなたのことをお義母さんが『お父さん』と呼ぶ訳が。お義父さんの面影がお義母さんの脳の(ひだ)奥深く刻まれているのよ」

「父さんは母さんといつ結婚したんだろうか? それと兄さんの誕生日の関係は?」

「お義母さんの戸籍謄本を取り寄せたら一目瞭然じゃないの」

「兄さん、そうしましょう。わたしの結婚のときに母さんが言った、『子どもはみんな母親のものよ』の意味が戸籍謄本に隠されているかもしれない」

 取り寄せた野栗眸の謄本には、両親の婚姻届欄に昭和二十一年二月と記載されていた。また同年の五月に、兄憲一の出生届がされていた。

内地に復員した小林勇にとって、何もかも無に帰した世の中でどうやって食っていくかが第一の関心事ではあるが、それは日本人すべてに共通するものであった。勇が一時も早く知りたかったのは、申貞浩と野栗眸の消息だった。京城へ帰りたいとの願いは敗戦によって叶えられることはなかった。

 眸を捜し出せば申貞浩のことも聞き出せるにちがいない。まず野栗眸に会うことが先決だ。野栗の家族の故郷が東京の石神井(しゃくじい)ということを勇は知っていた。同級生の眸の兄に聞かされて「こんな地名は読めないよ」と言ったことを憶えていた。

 東京の池袋から出ている西武線に、石神井という駅名を見つけて、それだけを頼りに勇が野栗家を訪ねたのは昭和二十年の師走だった。

 石神井の駅前は戦災を免れた田舎じみた町だった。昔からあったような近所の呉服屋に野栗という家を知らないかと尋ねると、この先に禅定院という旧いお寺がある、そこで聞けば知っているかもしれないという。勇は人通りのない、なだらかな坂道を下って行った。

右手に大きな池が見えてきた。五分ばかりさらに歩くと目指すお寺があった。茅葺の鐘楼があり歴史のありそうな寺だった。野栗家は地元の大きな農家で、禅定院の檀家だといい、いとも簡単に寺の人が指差しながら教えてくれた。

野栗家の敷地は手入れの行届いた犬柘植(つげ)の生垣に囲まれていた。近隣の家々と比べても広い敷地に母屋、白い漆喰いの蔵、裏には竹林が広がっていた。

 薄暗い土間の玄関口から来訪を告げると、老女が「蔵」と言うだけで裏へ回れと指し示した。

「眸さんはおいででしょうか」引き戸をわずかに開き、勇は勇気を奮って声を出した。

 顔を出したのは眸の母親だった。

「まあ、小林君どうしたの。よくここがわかったわね」

 そのあと母親は急に黙り込んで、ハンカチを取り出し目にあてた。

「鉄夫は死んじゃったよ」

 その一言で同級生の戦死がわかり訪問したことを悔いた。自分の思いばかり先走った訪問が母親を悲しませることになるなど思いが至らなかった。

「いま眸を呼びます」気を取り直したように奥へ入っていった。

とって返した母親が、眸は「会いたくない、会えない」と言っていると申し訳なさそうに勇に告げた。

――何故、どうして。

 勇には思い当たる理由が何一つ思い浮かばない。それどころか驚き喜んで飛び出してくるものと想像していた。

「眸さん、どうなさったのです、病気ですか? もう一度聞いていただけませんか。どうしても眸さんに聞かなければならないことがあると伝えてください」

 長い時間寒空の下で勇は待った。

「小林君入って。悪かったわね。わたしが出かけてくるから二人で話してちょうだい」

 ようやく顔を見せた母親は、何度もごめんなさいと繰り返しながら、さも用事を思いついたようにして出ていった。

 光の乏しい居間風の粗末な部屋で眸は待っていた。気まずそうにして向かい合った。

 眸は目が窪み、潤いのない疲れた顔を俯き加減にして何も言おうとしなかった。

「眸さん、何があったのです?」

 勇は本題に入れず、首をかしげ覗き込むようにして聞いた。

 眸は視線を落としたまま長い間身じろぎもしないでいたが、肩をすぼめ両腕を震わせると首を深く垂れて嗚咽をはじめた。

 勇はひざまずき身を乗り出すようにしたが、動きが止まってしまった。

 眸は嗚咽から、前にのめるようにして両手で顔を覆い泣き声に変わった。しばらく泣いていたが泣き止むと「ごめんなさい」と頭を上げたときは、両目は茜雲のように赤く泣き腫らしていた。

 濡れた睫毛に目がいった勇は、「美しい」と口にしそうになってやっとの思いで押しとどめた。泣き腫らしてはいるが目の美しさにドキッとした。眸に最後に会った日から随分年数が経ったような思いがするが、ほんの一年前のことなのだ。申に頼み込まれて彼の想いを伝える、勇にとっては辛い役回りの日を思うと、まさかいま東京にいるなどと想像もできないことだ。

 冷静さをとり戻した眸は、積もり積もった胸の内を吐き出しはじめた。

「内地(日本)は外国と同じ。言葉は通じるけれど心は通わない。相談できる人もいない日々を過ごしてきました」

 眸は終戦から引揚げの日までの地獄のような日々と、精神に異常をきたすのではないかと恐れた、だれにも話せない東京での生活を語った。

「戦争が終わって幾日もしないときに、貞浩さんがわたしとの結婚の許しを請いにきたのです。父はまともに話も聞かず、貞浩さんをまるで虫けらのように追い返しました。木刀を振り回す父に、貞浩さんはわが身を守るために父の下半身に、あのラグビーのタックルをして倒しました。柱に頭を打ちつけた父は、それが原因かどうかわかりませんが、引揚げて来てからも体調を崩し、十月にあっけなく亡くなりました」

「お父さんと鉄夫君の男二人を……」

「いまは母と二人だけです。ここは父の実家ですが、父が死んでからは特に、わたしたちは邪魔者扱いです」

 眸の愚痴を聞いてやりながら、勇は申貞浩とのことを聞くタイミングを計っていた。

「申君が結婚の話を言いに来たあとは、どうしたんです?」

「わたしは父に『内地には行かない、申さんと結婚して朝鮮に残る』って言ったんです。それからは京城を発つ日まで毎日毎日が親子喧嘩、ときには掴み合いの喧嘩になりました」

「申君はどうしたんですか?」

「荷造りもすべて終わって、明日日本へ発つという日に、貞浩さんが父にわからないようにして訪ねてきました、鳥の木彫りをもって。『気休めかもしれないが、これを一個ずつお互いが持っていれば必ず一緒になれる』と言って帰りました。それっきりになりました」

京城から釜山までの無蓋車に詰め込まれた汽車は過酷な移動だった。博多港までの引揚げ船への乗船には一週間釜山で待機、博多港を目前にしての船内待機と、苦痛の連続だった。

 野栗眸と母親は体調が思わしくないままの父親を抱え、さらに難儀さが増していた。

 博多港上陸を控えた船内で、眸は一枚のビラを受け取った。

 『不幸なるご婦人方へ至急ご注意』なる文章からはじまっている書面を読み進めると、女性にはピンとくる内容だった。

――不法な暴力と脅迫により身を傷つけられたり、そのために体に異常を感じつつある方は、診療所へ収容し、健全なる体として故郷へご送還するので、船医にその旨お申し出ください……云々、とあった。

おそらく満州や朝鮮の北地域から逃れて来る間に、ソ連兵や朝鮮の不埒な輩に受けた性的暴力から妊娠させられたことを指しているのは間違いなかった。そんな不幸に見舞われた人々に比べれば、自分たちの苦労なんて、と眸は同情しきりだった。他人事に思えた博多港でのビラの記憶もまだ覚めないまま、東京にたどり着いてすぐ、眸は自分の体の変調を自覚した。密かに訪ねた病院で三ヵ月から四ヵ月に差しかかっていると告げられた。目の前が真っ暗になり、やっとの思いで崩れ落ちそうになる体を支えていた。たった一度だけのことだった。

母にはもちろん、他のだれにも相談できない。処置できるようなことではない事態に、眸は腹を(くく)るしかなかった。時間だけがいたずらに過ぎていく。そんなときに小林勇が突然現れたのだった。

眸はまだ言い足りないことをため込んでいるようだった。しかし勇はためらうことなく話を折るようにして口を挟み、想いのたけを前置きもなく言葉を発していた。

「眸さん、僕と一緒になろう、結婚してください。お願いします」

 こんな大事なことを何のためらいもなく、ごく自然に口をついて出したことに勇自身が驚いていた。生きていく大きな希望が湧き出てくるようだった。自分はとても冷静だと自分に言い聞かせていた。

「お願いだ」勇は繰り返していた。

 眸は、なりゆきを飲み込めない、勇が何を言っているのか理解不能とでもいうように、呆けた顔をして勇を見ていた。あるいは勇の顔が見えていないような焦点の合わない表情を無防備に晒していた。

 勇は後ずさりし、床に両手をついて同じことを言った。

「僕と結婚してください、お願いします」

 同じ言葉を何度も聴いているうちに、眸も冷静さを取り戻したようだった。

「小林さん、あなたは自分がどんな大それたことをおっしゃっているのかわかっているんですか? 気は確かなんですか?」

「男の一生で、おそらく最も大事なことの一つ、酔狂、狂気で言えることではないでしょう。お母さんが帰ってこられたら、お母さんにもお願いして許しを得ます」

「わたしはさっき言いましたよね、恥ずかしくてとても男の人に向かって言えないようなことを。ここに……」

 眸はお腹に手を当てながら続けた。

「ここに申貞浩の子を宿しているんですよ」

「あなたの言わんとすることを全部理解し納得したうえで、僕も気持を曝け出しているのです。思いつきで言うことではありません。それとも僕にはとうてい力の及ばない障害になる事情があるんですか? ほかにだれかいるとか……」

「そこまで言われたら……そんなものこのお腹以外に何もありません」

「一年前の京城のこと憶えていますか? 僕はあのとき申貞浩が先に告白しなければ、僕が交際を申し込んでいたでしょう。もし申以外の男があなたに想いを伝えたことがわかったとしたら、僕は対抗意識をむき出しにして、眸さん、あなたに求婚したにちがいない」

「そんな人いるはずないでしょう。そんなはしたないことを……」

「僕は僕の対抗馬が申貞浩だったから、一歩退いたのです。こんどは申が身を退く番です。僕だったら申も許してくれる」

眸は沈思黙考しているようだった。

「いまここでお返事しなければなりませんか? そんなの無理です」

「断られたら潔くあきらめます。ラグビーは判定に不服があっても抗議もしなければ泣き言も言わず判定に従います。眸さんの決断がどうであれ、それに従います。それが申貞浩と小林勇です」

 眸と勇は姿勢を正し、口を閉ざしたままで長い時間向かい合っていた。

 母親が帰ってきた気配がしたが、二人は互いに見つめ合ったまま身じろぎもしなかった。

十一

皓二と容子がソウル旅行から帰り、一週間が過ぎた。街はクリスマスの装いと音であふれている。

 きぬ子と三人で、両親と兄憲一の出生に関わる謎解きがほぼ終わり、申貞浩の写真や、母親の母校京城第一公立高等女学校校門の写真を、母親に見せるタイミングを計っていた。

 母親の様子を観察しながら、大した騒動もなく比較的平穏なときを待った。

「母さんにクリスマスプレゼントよ」

 きぬ子はそれらしい包装紙に包んだものを持って浜田山の家へやって来た。

「写真を見せるためだけにわざわざ来てくれてすまんな」

「ただその様子を見るために来たんじゃないよ。写真見せながらこの包みを申さんからのプレゼントにしたら、何か反応するかもしれないと思ったからね」

 たまにはお義母さんも異次元の世界からこっちに顔出してほしいと切実に思っている容子も、何かのきっかけがほしかった。

「お義母さんは二人の男性から心底愛されて、女冥利に尽きるわね。わたしの場合はどうだったかしら?」

 皮肉っぽく笑みを浮かべて、容子が皓二をうかがうように減らず口を利いた。

「父さんはすべてを受け入れて、自分の想いを遂げたということだ」

 朴社長から聞いた話と、申貞浩の顔を思い浮かべながら、皓二はしみじみと言った。

「人間はそこまで無垢で純粋に人を信じて愛することができるのかしらね。わたしはちょっと疑問に思うわ」

 きぬ子は改めて二枚の写真を見ながら呟いた。

「二人は二月に籍を入れて、五月に憲一兄さんが石神井で生まれたわけだ」

「わたしたち兄妹は、母さんが父さんの想いを受け入れた石神井が発祥の地なのね」

「昨日、憲一兄さんに電話で聞いたことがある。母さんが少しでも昭和二十年ころを思い出すような話はないかと思って」

 直接そんな昔のことを知るわけがないと前置きして、兄が思い出してくれたのは、皓二たち三人兄妹を両親が石神井公園に連れて行ってくれた記憶だった。

 そのころはすでに家族は浜田山に住んでいたが、祖母も含めて一家六人がそろって出かけるなどはじめてのことだった。皓二もそのときのことは憶えていた。

 中央線の荻窪駅から石神井公園駅行きのバスに乗った。石神井池ボート乗り場前のバス停で降りると、向かい側にあった食堂兼雑貨屋風の店で四つ網を買ってくれた。子ども三人で遊んでいるようにと言いつけて、祖母と両親は二時間ばかり所要で離れていた。

「そのときは法要のためにお寺に行ったのだそうだ。おれたちの祖父と伯父の、十七回忌ではなかったかと兄さんは言ってた。きぬ子、おまえは憶えてる?」

「なんとなくね」

 母と祖母にとっては、同年に二人の肉親を亡くすという、忌まわしくても深く刻まれている記憶にちがいない。

「そのあと寿司屋で食事したのは、おれ憶えているよ」

 写真だけではなく、たくさんの思い出話もして、母親の記憶のどこか一片でも蘇らせることができたらという、皓二のせめてもの願いの会話だった。

容子が、パジャマのままの、だらしない格好の母親を居間に連れてきた。真夜中に目覚めてはまた眠りを繰り返すので、どこから朝でどこからが夜なのかわからない生活だ。

「お義母さん、きぬ子さんが来てくれたの。先週までずいぶん世話になったからお礼を言わなくちゃ」

「そうですか。今日も来てくれたの。ありがとうございます。あなた、どこにお住まいなんですか?」

 言葉はしっかりしているが、娘のきぬ子というのはまったくわかっていない介護師か看護師くらいに思っているらしい。暴れたり騒いだりしないだけでも良しとしなければというのが三人共通の思いだった。

 母親と容子が用足しに席をはずした。

「戻ってきたときに見えるように、さりげなく写真をテーブルに置いといたらどう?」

きぬ子がアドバイス風に皓二を促した。

「母さん、この人だれだかわかる?」

 テーブルに置いた二枚の写真に触れながら、戻ってきた母親に皓二が訊ねた。

「誰だかねえ。お父さんのお友だち?」

皓二を指差しながら関心なさそうに言った。あいかわらず皓二のことをお父さんと呼ぶ。

「おれの友だちじゃないよ。よーく見てごらん」

 目に近づけてじっと見入っていたが、しばらくすると、何かを必死に思い出そうとするように顔がこわばり、眉間に皺を寄せ、顔をゆっくりと左右に振りはじめた。

「おサルさん!」

大きな声を発したかと思うと、ソファから立ち上がりかけ、部屋中を見回している。

「おサルさん、どこにいるの? どこにいるのよ」

 母の意識は、夢の中のような異次元と現実世界を行ったり来たりしているようだった。

「お義母さん、おサルさんはどこにもいないのよ」

 容子が手を取って、やさしく宥めるようにソファに戻した。

「人間が猿に見えるのかしら? 完全にイッちゃってるね」

きぬ子がもうどうにもならないという顔をしてソファに背を投げ出しながら言った。

 皓二と容子にはわかった。いま母は異次元の時間から引き離されるようにして現実世界をそこにいる三人と共有していることが。

それを証明するかのように皓二と容子を見て、懇願するような明瞭な言葉をもらした。

五分後には忘れているかもしれないが、いまは八十九年の生涯を走馬灯のように思い浮かべ、これだけはなにがあっても絶対に忘れないと胸にしまっていた、心の叫びの言葉であったろう。

「わたしが死んだら、棺桶の中でキロギを抱っこさせてね」         (了)